歴史講座「公智神社出土銭から分かること」2018年04月25日

 市立図書館山口分室の歴史講座を受講した。「山口町の歴史と公智神社――境内から出土した銅銭から分かること――」をテーマに市立郷土資料館学芸員の西川卓志氏からお話を聴いた。講座は山口の歴史に関する初めて聴く考古学的な内容の話しであり、極めて説得力のある興味深いものだった。
 最初に公智神社境内からの銅銭出土の経緯と意味するものが語られた。1974年の木造拝殿のコンクリート造りへの立替え工事中に4591点の銅銭出土が確認された。ほとんどが中国銭で最新鋳造銭は宣徳通寶(1433年初鋳造)だが、無文銭2点も確認された。
 これにより埋蔵された時期が推定できる。少なくとも宣徳通寶流通後の15世紀半ば以降であり、且つ無文銭の形状から16世紀中ごろの堺環濠遺跡発掘調査で確認された無文銭鋳型に合致することから16世紀半ば以降の埋蔵と推定される。
 ではなぜこの地に大量の銅銭が埋蔵されたのか。公智神社はもともとこの地で創建されたのではなく遷座されたと推定される。本殿直近からの出土はこの地への遷座に際して地鎮の意味があったのではないか。古来、土地は神から贖うという信仰があった。以上のことから、公智神社遷宮は16世紀半ばということを銅銭出土が物語っている。
 私の住まいのすぐ近くの公園に公智神社鎮座跡と刻まれた石碑が建っている。石碑には西暦千年頃にこの地にあった公智神社が現在地に遷座されたと記されている。根拠は何もないが石碑という重さの前で単純にそれを信じていた。その根拠がいかに希薄だったかを思い知らされた。考古学的アプローチの楽しみを大いに味わった講座だった。