コロナ蔓延化の地域支援の形は?2020年04月11日

 「自粛要請」というコロナ対応の日本的手法が全国を覆っている。命令でも指示でなく自粛要請なのである。最終判断は要請された側の責任で行うことになる。
 この自粛要請という手法は、緊急事態下であっても強権的でなく国民の自主性を重んじて対応するという積極的な側面がある点は否定できない。反面でお上の意向に従順な国民性に乗じて行政の責任が巧みに回避されているというきらいも感じないでもない。
 実際、地域社会の貴重なインフラを担っている組織や団体や役職が一斉に自粛して活動を停止している。地区社協役員や民生委員として地域の社会的弱者の支援に関わってきた立場からは一抹の懸念や不安がないではない。そうした気がかりな人たちにコロナ感染という新たな災厄の懸念が加わったのだ。その点も含めた地域支援はどうなるのだろう。
 これまで社会的孤立に陥りがちな人たちと接触し交流しながら居場所を案内しお出かけを勧めてきた。今や一転して外出自粛が求められる事態となり、地域の支援者の接触や交流も遮断されることになった。
 他方で医療現場では自身の感染懸念を顧みず懸命にコロナに立ち向かっている医療従事者たちがいる。介護施設の関係者もしかりである。社協や民生委員といったボランティアに同様の活動を求めるわけにはいかないのも現実である。
 とはいえこの緊急事態下であっても地域支援の必要な方への支援が閉ざされてはならない。接触や交流ではない新たな支援の形態が求められている。地区社協や民生委員のそうした機能の検討のための必要最小限の話し合いが求められているように思える。

早朝散策で歴史資料提供の申出を受けた2020年04月12日

 日曜朝の早朝散策だった。日曜は開店が30分繰り上がるマクドナルドで久々にモーニングするためいつもと違うコースを選んだ。山口町名来の旧街道を歩いていた。
 あるお宅の前で面識はないが顔を合わせば挨拶をする方といつものように挨拶をした時だ。挨拶に続いて声を掛けられた。「歴史の研究をされているようですね。よろしければ手持ちの本を差し上げたいのですが。ちょっと待っていてください」と、自宅に入りすぐに三冊の本を手に出てこられた。研究対象の山口の歴史に関わる本ではないようだが、個人的に興味のある情報も含まれているようなのでありがたく頂いた。 自宅に戻り、確認した。一冊は昭和9年発行の「旅順の戦績」という日露戦争での旅順の攻防を巡る写真集だった。一冊は昭和7年発行の「家系譜・付録」という和紙に糸綴じの古文書風の冊子で、記入式の家系譜作成の書式である。一冊は昭和51年発行のアサヒグラフで「天皇・昭和の50年」という増刊号である。88年に及ぶ昭和天皇の生涯の折々の写真を収録したグラビアである。
 頂いたのは私より幾分若いと思われる方である。その方が独自に購入されたのでなく色んなめぐりあわせで入手したとのこと。手許にあっても意味はないのでできれば活用してもらえる人に届けたいと思っていたとのこと。活用はおぼつかないが、人によっては興味深い冊子ばかりである。じっくり目を通してみようと思う。
 それにしても自叙伝を出版して直後の不思議な巡り合わせである。私の歴史研究の情報が山口の旧地区でご縁のない方にまで及んでいることを素直に嬉しく思った。自叙伝出版を終えた後の歴史研究への想いを再燃させた出来事だった。

詩人・今村欣史さんの自叙伝の反応2020年04月13日

 西宮ブログで交流のあったブロガーの今村さんに私の自叙伝をお送りしたところ、丁寧なコメントと近著「完本・コーヒーカップの耳」をお届けいただいた。
 今村さんは、西宮市内で「喫茶・輪」を営みながら何冊かの詩集を発行し、文学賞も受賞されている詩人でもある。7年前に、ブログでの交遊をご縁に喫茶・輪をお訪ねした際に「コーヒーカップの耳」という詩集を頂いた。その詩集は、私の自叙伝でも著作集の中の書評で取り上げさせて頂いた。
 そんな私にとって「物書き」という分野の貴重で数少ない知人である今村さんからのレスポンスだった。早速、私の自叙伝についての書評をご自身のブログでも記事にして頂いた。「闘病記」や「直木賞作家 旧友・車谷君に捧げる詩」等のコメント記事が紹介された。 
 私には心のこもった素晴らしい方法で自叙伝の所感コメントが寄せられた。開封した扇形のドリップコーヒーの濾紙に色紙風に達者な毛筆で描かれ、末尾には朱の落款まで押されいる。喫茶・輪のマスターならではの凝った演出である。コメントに「家内に読み聞かせしています。よくこなれた文章なので音読しても楽しめます」とあった。詩人・今村氏の「よくこなれた文章」とのコメントは、文章にこだわる身には何よりもありがたいものだった。

今村欣史著「完本・コーヒーカップの耳」2020年04月14日

 著者の今村欣史さんから贈呈して頂いた「完本・コーヒーカップの耳」を読んだ。2001年の初本「コーヒーカップの耳」発行後、19年ぶりの続編である。前作の書評もブログで書かせてもらった。http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061331/p10838850c.html
 前作に納められた35編の詩は常連さんたちのカウンター越しの会話から得られた人間模様を掬い取り散文詩風に綴られたものである。短い内容で簡潔にまとめられ語り手の氏名の記載もない。多分に詩集の体裁にこだわった印象が強い。
 新作には140編ほどの長短さまざまなエッセイが納められている。それらが記述された内容の時代に応じて戦前から平成まで時代順に掲載されている。これに15人の登場人物の作者による人物評が添えられている。
 新作では詩集というこだわりを捨てたエッセイ集(サブタイトルに「人情話」の文字がある)としての出版である。それは個性豊かで含蓄のあるそれだけに忘れがたい常連さんたちのあるがままの生き方をいきいきと伝えたいという想いの故と思えた。だからこそ各エッセイの表題の下には語り手の姓名が記載され、必要に応じて人物評が添えられている。
 読了してこの作品は「庶民の時代の証言集」とも言うべきものではないかと思った。喫茶・輪のマスターとして32年間に渡って交わりあった多くの常連さんたちの時代を映した数々の珠玉の物語である。それは詩人の視線と感性を持った店主だからこそ可能だった営みの筈である。登場人物たちのさりげない「語り」をいきいきと鮮やかに表現できる力量は並々ならぬものがある。それがごくありふれた市井の人々の時代を感じさせる本質のような風景を伝えている。

電子印鑑2020年04月15日

 コロナ蔓延で予防のための在宅勤務が増えている。ところが在宅勤務を阻む要因のひとつに書類への捺印のために出社せざるをえないという事情がある。
電子印鑑という手法がある。ワードやエクセルで作成したファイルに電子印鑑を直接捺印してデータとしてメール送信できる。従ってこれを活用すれば捺印のため出社する必要はなくなる。
 昨日、民生委員の書類を届けるために山口支所を訪ねた。メールのやりとりは可能だが捺印が必要な書類なので出向かなければならない。明日も市社協の地区担当者と私の住んでいる住宅街でお会いする。年度替わりの捺印後の提出書類を渡すためだ。いずれも電子印鑑がそれぞれの組織で通用する環境があれば在宅処理が可能である。
 負の側面ばかりのコロナ蔓延だが、唯一プラス面があるとすればこうした在宅勤務を支援するインフラが促進されることではあるまいか。

地域福祉活動でのテレワーク化は?2020年04月16日

 コロナ感染者の増加がとどまるところを知らない。ゴールの見えない長期の非常事態を余儀なくされるにちがいない。それだけにウイルス封じ込めと合わせて最低限の経済社会生活の維持が求められる。
 非常事態だからということで経済社会生活での弱者支援の維持が置き去りにされることがないような対応が必要だ。彼らには今回の事態は二重の苦難をもたらしているのだから。
 高齢者、障がい者、介護者、子育て世代等の地域の弱者支援は地区社協や民生委員が担っている。ところが支援活動の基本である対面支援がコロナ感染対策で封じられることになった。そんな事態でいかなる支援が可能だろう。
 コロナの奇禍を機に企業活動でのテレワークが一気に広がりを見せている。ネット環境が進み在宅勤務を可能にしている。他方で、スマホやタブレットなどを通じて予約から決済までをインターネット上で行う診察・治療方法であるオンライン診療も普及しつつある。コロナ蔓延下で院内感染が懸念される対面診療に代わる有力な選択肢として期待したい。
 対面支援が封じられた地域の弱者支援の有力な手法のひとつにオンライン支援ということがありそうだ。多数の対象者がお年寄りということもありネット活用を疑問視する向きもある。ただ現実にはスマホやタブレットのお年寄りへの普及は予想以上に進んでいる。特に離れて暮らす家族の支援もあって、ひとり住まいや高齢世帯での普及は進んでいるように思う。特に気がかりな対象世帯でビデオ通話等が可能な世帯との実験的な見守りはやってみる価値はある。おそらくそうした世帯では既に遠くの家族との安否確認的なやりとりが行われている場合も多い筈だ。
 緊急事態宣言以降の外出自粛であらゆる地域活動は中止された。スマホのスケジュールアプリは真っ白だ。この有り余る時間を活用して地域活動でのテレワーク化を考えてみたい。

静まり返った街2020年04月17日

 緊急事態宣言発令以降、街を包む風景が変化したように思える。超高齢社会になってそれまでも人通りの少ない静かな街だった。それがひときわ静かで沈んだような雰囲気を漂わせている。外出自粛の要請と感染に対する危機意識が確実に住民の行動様式を変えている。
 そんな時期の早朝散策だった。住宅街の高台をさくら並木が縁どっている。花弁の殆どが二日前の一日続いた時雨で散っている。路面を覆う真新しいピンクの花弁が街のひっそりした静けさを伝えていた。

巣ごもり暮しが招くもの2020年04月18日

 コロナの奇禍が日常生活を一変させた。早朝散策で1時間ばかり外出した後は、ひたすら自宅に引きこもっている。自叙伝贈呈のリアクションへのフォローという楽しい実務もあるが、後はブログ更新、読書、テレビや録画ビデオの観賞等で時間を潰すしかない。
 家内も家事をこなした後は、せっせとマスクづくりに励んでいたが、心づもりの人たちへの配布もほぼ終えたようだ。後は今や趣味となった家庭菜園の世話に励んでいる。
 世間では、夫婦揃っての在宅生活で色んなトラブルを招いているようだ。とりわけ共働き世帯ではかつて経験しなかった二人揃っての在宅勤務が続き、ストレスが昂じてDVにまで至る事例があるようだ。
 コロナ予防の未曽有の外出自粛の荒波は、生存の危機ばかりか暮しを脅かし、夫婦関係の危機にまで及んでいる。医療崩壊どころか家庭崩壊まで招きかねない。
 こんな時こそ自分自身の身の処し方が問われる。ひとりひとりが培ってきた生き方の真価が問われる。自国第一や我が身第一といったミーイズムでなく共生(共に生きて共に生かされる)の考え方が試される。

コロナが奪った花ちゃんとのスキンシップ2020年04月19日

 コロナが庶民の日常生活の貴重な分野や楽しみを奪っている。とりわけ人との接触交流の自粛がもたらす不幸は甚大である。出勤や仕事の機会を奪い生活危機を招きかねない。高齢者や障害者や子どもたちの地域での居場所を奪っている。
 そんな事態からすればささやかな問題ではあるが、私にとっては愛孫・花ちゃんとのスキンシップが奪われることになる。ゴールデンウイークは例年なら花ちゃんが一週間ばかり我が家で滞在する期間である。存分にスキンシップができた筈だが、今年はそうはいかない。大津市在住の花ちゃん一家が我が家に来訪するわけにはいかない。子育て世代の家族たちの高齢世帯との接触は控えなければならない。
 あらためてコロナという疫病のもたらす不幸を呪った。

早朝ウォーキングとコロナ対応2020年04月20日

 リビングのコタツで二度寝して目覚めた時は6時半だった。早朝ウォーキングはいつもより1時間ほど遅い出発となった。
 収まる気配のないコロナ対策で早朝ウォーキングも変更を迫られた。散策の終盤に楽しんでいたコンビニでのモーニングコーヒーを断念した。イートインコーナーでのマスクなしの喫茶は感染対策上はいかにもまずい。
 コンビニに立ち寄る必要がなくなってコースも変更した。有馬川沿いを北に向って三田方面に向かう。初めて散策を始めた頃の自然満喫コースである。
 後ろから人声が聞こえた。振り返ると小学校高学年の三人組がジョギングしながら迫ってきた。長い休校措置で仲良しグループが始めた新たな習慣なのだろうか。
 有馬川沿いの土手道の突き当りにやってきた。竹藪の間を右に折れると一気に視野が開けて田園風景が臨めるビューポイントだ。ただここ何年かは背の高い野草が生い茂り荒れ放題だった。ところが今日目にしたのは見事な田園風景だった。かつての風景を取り戻すように周囲の田畑の耕作者が手入れしたのだろう。
 早朝ウォーキングでの様々に変化する風景を目にした。