花ちゃんお絵描き第4弾2022年06月01日

 小学校に入学したばかりの孫娘・花ちゃんが4月から月2回のお絵描き教室に通いだした。毎回、先生からテーマを与えられて描いている。出来上がった花ちゃんの作品を写真に撮って娘がLINEで送ってくれる。
 今回の作品もなかなかの出来栄えだったが、テーマの解釈に戸惑った。グリーンのお皿に果物や野菜が一杯載せられている図柄である。それがどう見ても何かの顔のように見えてしまう。勝手に描いていたら結果的にそうなってしまったのか、意図してそのように描いたのか。謎だった。

散歩道の最も美しい風景の季節2022年06月02日

 6月初めの清々しい早朝6時過ぎの散歩道である。1年で散歩道の風景が最も美しくなる季節を迎えていた。名来神社方面に向かう有馬川土手道を歩いていた。東側の風景の美しさに期待をふくらませていた。
 さくらの新緑の枝の間から田植えを終えたばかりの水田が背景の丘陵を水面に映して何とも言えない絶景で広がっていた。

3年ぶりの「善意の日のつどい」に出席2022年06月03日

 コロナ禍で2年間中止されていた「善意の日のつどい」が3年ぶりに開催された。地域福祉活動に10年以上従事した人が市長表彰を受ける。例年、我が地区社協でも1~2名が表彰対象になり、表彰の式典に参列している。「善意の日のつどい」はその式典の場でもある。
 今年もお二人の表彰対象者と一緒に、対象者のお一人のマイカーに同乗して会場の西宮市フレンテホールに向かった。1時15分頃に会場に到着し、対象者のお二人は舞台近くの席に案内され、付き添いの私は後方に着席し式典を見守った。
 市長表彰等の式典が始まり、我が町のお二人も30名の「地域福祉活動功労者」の一人として名前を紹介され、起立して返礼された。ライオンズクラブや市社協関係の表彰も終わり、石井西宮市長と市議会議長の謝意と祝辞があり式典が終了した。
 途中、インスタグラムでの画像発信を思いついた。インスタのアプリを起動し画像投稿欄をクリックし、カメラ機能で舞台風景を撮った。「次へ」をクリックしキャプチャーに簡単なコメントを入力して「シェア」を押して完了である。いとも簡単に手軽に投稿できる。それでいて目前の風景が瞬時に発信できる。この手軽さとスピードがインスタを爆発的に普及させている要因なのだろう。

長尾和弘医師の「パンデミックと認知症」コメント2022年06月04日

 日々閲覧している長尾和弘医師のブログ「町医者日記」で認知症に関わる「パンデミックと認知症」と題した示唆に富んだ発信があった。ポイントを要約して記事にしておくことにした。
・2年以上続くコロナ禍でフレイルが進行し、認知症患者が増え症状の進行が続いている。
・コロナ禍ですっかり忘れられているのが認知症の人への配慮や対策ではないか
・コロナ禍の重症者や死亡者の大半は高齢者であり、認知症発症者の大半もやはり高齢者である。
・パンデミックも認知症も高齢がリスク要因であれば、パンデミック対策は常に認知症対策と併行して練られるべきだ。
・しかし、現実は高齢認知症の感染者も非高齢者の感染者と同じように扱われている。
・介護施設ではクラスター発生を回避するために、閉じ込め型介護が2年以上続いている。
・認知症の介護スキルとして「ユマニチュード」が推進されてきた。しかし長引くコロナ禍ですっかり忘れられた感がある。
・「認知症になっても住み慣れた地域でその人らしく生活する」という「地域包括ケア」のスローガンもすっかりコロナによって片隅に追いやられてしまったように感じる。
・大切なことはその認知症の人がどれだけ笑顔で過ごせたかだろう。どれだけの医療人がコロナ禍のなかでもユマニチュードを実践していたのかが大切だ。
・認知症高齢者がコロナに感染した時、療養の場の意思決定はケア会議や人生会議で行うべきだろう。しかしコロナが怖いケアマネは「たとえ玄関先でも訪問できない」という。オンラインで行えばいいのだがその発想が無い。
・結局、ユマニチュード啓発や地域包括ケアは現状のままでは絵餅で終わってしまう。致死率がそれほど高くないコロナには地域包括ケアで対処すべではないのか。

夫婦二人のテイクアウト弁当2022年06月05日

 気がついた時にはいつの間にか私の誕生日は過ぎていた。家内だけではない。本人も忘れていたのだから世話はない。後期高齢者の誕生日とはそんなものだろう。
 それでも遅まきながら何か形だけのお祝をすることになった。そん誕生日直後の日曜日である。夫婦二人の昼食をテイクアウトすることになった。以前ランチしたことのある神戸市北区道場の「炭火・七りん」のお弁当を注文した。買物がてらに家内が持ち帰った。私は”しぐれ煮弁当”、家内は”すじ玉丼”を美味しく味わった。

ジェフリー・アーチャ-「ロスノフスキ家の娘 上・下」2022年06月06日

 今年3月に断捨離の最後の大物だった”蔵書処分”を敢行した。その際、悩んだのは、今後の再読に向けてどの本を残しておくかということだった。まだまだたっぷりある余生を過すには読書は欠かせない。蔵書のうち再読したい作品は殆んど読みつくした。さりとて新たに購入するだけの作品や作家を見つけるほどの意欲もない。結局、外国人作家の中で最も愛読したジェフリー・アーチャ-の7作品を残すことにした。
 そのうちの最初に再読に選んだのが「ロスノフスキ家の娘 上・下」だった。祖国ポーランドを追われて身一つでアメリカに辿り着いき、一代でホテルチェーンを築き上げたアベルの一人娘フロレンティナが合衆国初めての女性大統領を目指す物語である。
 ジェフリー・アーチャ-という作家が私が読んだ外国人作家の中で文句なしに最も優れたストーリーテラーであることをあらためて思い出させた作品だった。オバマ、トランプ、バイデンと続く直近の大統領選挙の息詰まるような選挙戦をまざまざと思い起こさせたスリリングな選挙戦が展開される。頁数が残り少なくなってフロレンティナは大統領選挙に敗れる。その絶望的な終盤の展開にどんでん返しが待っていた。稀代のストーリーテラーの真骨頂だった。

和田秀樹著「70歳が老化の分かれ道」2022年06月07日

 家内がご近所さんから勧められて「70歳が老化の分かれ道」という本を熱心に読んでいた。著者は30年以上に渡って精神科医として高齢者医療に携わってきた和田秀樹医師である。家内の読了後に手に取って190頁ほどの新書版を一気に読み終えた。
 著者は現在の健康長寿の鍵は、戦後のたんぱく質を多くとるようになった栄養改善が免疫力を向上させ平均寿命を一気に延長させた要因だという。この観点から戦後生まれの現在の70代のこれからの過ごし方を独自の考え方で提案する。今や70代は人生の「最後の活動期」であり、だからこそその過ごし方が”人生100年時代”の80代以降の「老い」を左右すると警鐘を鳴らす。
 医学の進歩でさまざまな臓器の老化を抑制し寿命を延ばすが、脳の神経細胞だけは老化を止めたり再生したりできない。その結果、身体の健康は比較的維持されながら脳の健康は確実に衰え認知症と付き合いながら老いを過ごすというアンバランスが避けられない。そこで長い老いの期間を健やかに過ごすため、身体も脳もいかにして長持ちさせるかが焦点となる。そのカギとなるのが70代の過ごし方だという。そこで老け込まないための次のような70代の過ごし方の数々が紹介される。
・仕事も社会と関わる活動も車の運転等、何事も引退してはいけない。
・肉を食べたり、陽を浴びる習慣を続ける。
・統計的にも長生きできるのは少々太目の人。ダイエットは禁物。
・おいしいものを食べて免疫力をアップする。
 続いて次のような70代の医療との付き合い方が提案される。
・血圧、血糖値はコントロールしすぎない。
・検査結果の異常値が個人の病気の因果関係と限らない健康診断を妄信しない。
・在宅介護より在宅看取りを重視する
・高齢者の「うつ」のサインを見逃さない
 
 これまで何となく疑っていた数々の常識的な考え方を専門医の立場から見事に指摘した内容だった。あらためて実践したい方策も多かった。

老後の用事のためのお出かけのひとこま2022年06月08日

 朝10時過ぎに自宅を出た。個人的な用事をいっぱい抱えていた。
最初に立ち寄ったのは山口郵便局だった。障がい者支援事業を営む社会福祉法人の後援会の年会費の振り込みのためだ。
 続いて国道を挟んで向い側にある大衆理容に立ち寄った。いつもは朝一番の9時前に行くのだが定休日明けの火曜朝の混雑を避けた。予想通り店内は空いていてすぐに理髪用チェアに案内された。夏に近づく季節である。スポーツ刈りをオーダーし丸坊主に近いヘアスタイルに変身して20分後に店を出た。
 次の立ち寄り先は歩いて数分のところにあるコンビニである。前日に家内から渡されていた2か月分の小遣いを自分の口座に入金するためだ。年金生活となって小遣い支給も年金支給月ごとの2カ月払いになった。郵便局のATMは混雑していたがこちらのATM前には誰もいない。
 コンビニの隣りにはコープの店があり、1階のオープンスペースには市の健康ポイント事業の体組成測定機が設置されている。月一回この測定を行い、ポイント加算するとともに骨・水分・筋肉・脂肪の4成分の数値データ表を受取った。
 コープの店迄の往復約4千歩をこなして11時過ぎに自宅に戻った。後期高齢者の日常の用事のための出かけのひとコマである。お出かけという何気ないこの日常生活もいつまでも続かない。足腰の衰弱がこの日常をいつか奪ってしまうのだろう。そう思いながらこの外出の貴重さをあらためて偲んだ。

ホタルが乱舞する有馬川2022年06月09日

 今年は有馬川のホタルが例年になく繁殖しているという話題を耳にした。そういえばホタルの名所の有馬川近くに住みながらここのところホタルを見ることがなかった。夜7時半頃に家内と一緒に自宅を出て有馬川に向かった。
 6月初めのこの時刻ではまだ薄暮である。街灯の光が投影する有馬川の川面でホタルの姿は確認できない。国道を超えて新明治橋の袂から有馬川緑道に入った。街灯が少なくなった緑道沿いの川面を眺めて心が躍った。ホタルが乱舞する光景を目にした。岸辺の草叢の周辺に何匹ものホタルが光の軌跡を描きながら飛び交っていた。
 持参したデジカメを構えてシャッターを何度も押した。いかんせん光が不足して光っているホタルの姿はキャッチできない。ストロボを炊いて撮ってみても草叢の画像しか切り取れない。帰宅して画像処理ソフトにコピーすると何とかホタルの黄緑の光が写っていた。何とかホタル観賞のブログに画像を添えることができた。

ふれあい喫茶に若いママと幼児が・・・。2022年06月10日

 地区社協のふれあい喫茶の日だった。コロナ禍で休止していたふれあい喫茶だったが、再開して4度目の開催である。すっかり来場者も以前の水準に戻った。
 今回はいつもの顔ぶれにない珍しい来場者があった。若いママと幼稚園児の女の子である。受付を済ませた母娘は迷う風もなく空いたテーブルに席を取った。高齢者がほとんどのふれあい喫茶に来場してもらった珍客に嬉しくなった。思わず席を立ってそのテーブルを訪ねた。社協の責任者である旨告げた上で来場を歓迎していることや、ここを訪ねることの抵抗感がなかったか訊ねた。
 住宅街の幼稚園帰りだという。上の子二人の通園の帰りにも何度か立ち寄ったことがあり、特に抵抗はない。子どもたちはここで頂けるお菓子やジュースを楽しみにしている。子どもたちは子育てサロンも利用していたとのこと。私が席を立った後、子育てサロンの責任者も立ち寄り、ママとおしゃべりしてもらった。
 戸惑いのない母娘のようすの事情に合点した。幼児たちはお菓子とジュースを無邪気に喜んでいる。通園帰りの立ち寄りも大いに結構!様々ないきさつや関わりで集い合えるふれあい喫茶という居場所こそが大切だ。