「国鉄有馬線」インタビュー取材の日2026年07月01日

 滋賀県の造形大学映像コースの学生から国鉄有馬線のインタビュー取材の申入れがあり了承した。私のHP西宮山口風土記の有馬線の掲載記事を見たとのこと。
 そのインタビュー取材の日である。事前の調整で会場はさくらやまなみバスの西宮戎バス停近くのレンタルルームということになった。1時半頃にバス停で下車すると事前のメール連絡通り、それらしき若者が待っていた。徒歩2~3分の所の細長いビルに入る。3階の3畳ほどの一室が彼が確保したレンタルルームだった。ビデオカメラとボイスレコーダーがセットされていた。
 事前連絡のあった以下の質問項目に沿ってインタビューが始まった。
・有馬線に興味を持ったきっかけ
・有馬線を象徴する場所
・有馬線の話を聞いて印象的だった人やお話
・調査を続けていて考え方が変わったこと
・有馬線は今の町に何を残しているか
・有馬線を一言で表すなら
 用意していた回答を順次やりとりして1時間程でインタビューが終了した。もちろん途中で様々な雑談も交わされた。彼が私の住む町の隣町の道場町出身であること。1カ月ほど前に線路跡の全コースを踏破し多くの写真を撮っていることなどである。映像を通して「国鉄有馬線」を学び伝えようという真摯さが伝わった。
 同時に余生を過ごす年代になった私が孫のような世代に伝えられるものがあったことに感謝した。

有馬線は今はなき有馬郡の幹線路線だった2026年07月02日

 前日に映像コースを学ぶ大学生の「国鉄有馬線」についての取材を受けた。取材を通して有馬線とは何だったのかを考えさせられた。有馬線敷設の主たる目的は有馬温泉の湯治客の輸送だったのだろうが、果たしてそれだけかと思った。
 添付の地図を見てほしい。有馬郡誌添付の有馬郡の地図である。南北に長い地形のため通常は南北を横にした形の地図をよく目にする。そこで正確な地形として認識してもらうため南北をそのまま縦にして表示した。
 この地図で見ると有馬郡の特性がよくわかる。中心部に福知山線と有馬線が合流する三田駅がある。三田駅と最南部の有馬温泉を結ぶエリアが人口密度の高い地形である。三田以北は山間部が多く人口密度も稀薄である。有馬郡は郡庁があった三田と古来より有数の温泉地だった有馬の二つの核があったことがわかる。
 有馬線は湯治客輸送というだけでなく、行政的かつ地形的な二つの核を結ぶ幹線路線だったと言える。実際、沿線の町村の三輪村、道場村、有野村、山口村、有馬町は、現在は三田市、神戸市北区、西宮市に三分割されているが、当時は全て有馬郡に属していた。
 有馬郡は三市に分割されたが、有馬市に移行していれば有馬線の「薄命」の運命も変わっていた可能性があるのではないか。廃線跡の様々なモニュメントも相次いで消滅している。これも有馬郡消滅の帰結とも思える。
 今、神戸市北区の済生会病院と三田市民病院の統合問題が紆余曲折している。仮に有馬市に移行しておれば様相はかなり違っていただろう。

北方健三著「岳飛伝十(天雷の章)」2026年07月03日

 金国と梁山泊軍の戦いの火ぶたが切られ硬直状態になる。そんな中で梁山泊統括の宣凱による金国内の麦の流通抑制が徐々に奏功し麦不足による混乱を招く。
 金国の混乱の中で命を狙われた商人・簫炫材が梁山泊によって助けられ市場・轟交買を発展させる。
 梁山泊の水軍総帥・張朔は南宋軍水軍と決戦し大勝する。更に梁山泊水軍の一翼は南宋軍造船所も焼き討ちする。
 南の地域では南宋軍の指揮官・新晃が満を持して岳飛の岳都と新陽の秦容の小梁山を襲撃するがその動きを読んでいた岳飛の剣に背中を両断される。

文芸コンテストで懐かしい「雲南市」と遭遇2026年07月04日

 地域活動卒業後、たっぷりある時間の多くを、お気に入りで多少得意な分野である文芸コンテストの応募に費やしている。
 その過程で多くの情報が得られた。コンテスト情報サイト「登竜門」という便利なサイトがあり、様々な文芸コンテストの応募情報を一覧にして紹介している。地方自治体、出版社、大学、業界団体、企業等、主催者もまた千差万別である。このサイトは新たに公募されたコンテスト情報も相次いで更新される。
 最近目にしたコンテスト情報に島根県雲南市の「永井隆平和賞」というのがあった。雲南市は30年ほど前の現役時代に関わりのあった懐かしい土地である。フランチャイズ事業部の責任者として地元に設立された第三セクターの取締役に就任していた。2年ばかりは毎月のように出張していた。そんな思い出深い地名に突然遭遇し、驚きと懐かしさを覚えた。
 放射線医学の研究者・永井隆博士はこの雲南市出身とのこと。自身も原爆被爆者であり研究とともに病床での著作を通じて平和を訴え続けたという。コンテストはこの事績を顕彰し平和への願いを発信する機会として設けられているようだ。
 地方自治体のコンテストの多くが地元出身の著名人を冠したものが多いが、雲南市もまたその典型例と思われた。

文芸コンテスト応募とAIとのお付き合い2026年07月05日

 地域活動卒業後、たっぷりある時間の多くを文芸コンテストの応募に費やしている。
 応募原稿のネタは7年前に自費出版した自叙伝である。B5版400頁もの大作で原稿ネタには事欠かない。子どもの頃から作文が好きで多少の自信もあった。20代の学生の頃から折に触れて執筆していた50年分の著作をまとめた私家本であり、公募の応募には問題ない。原稿の殆どはエッセイである。
 応募に当っては、これぞと思う自信作を選択し、データ原稿を「この原稿の評価と相性の良いコンテストを教えて!」とコメントしてAIに投稿する。AIは瞬時に原稿の評価と相性の良いコンテストを詳細なコメントをつけて回答してくれる。
 評価についてはAIらしく投稿者の意を汲んでかなり前向きな内容であるが、どこが良い点で審査員や読者が評価するのはどの点かというコメントもつけられているので投稿者は大いに励まされる。
 相性の良いコンテストの紹介はAIの得意分野である。コンテストの膨大なデータの中から原稿との相性の良いものを選択し、なぜ相性が良いのかもコメントしてくれる。更にこのコンテストに応募する場合の推敲と校正の手伝いまで提案してくれる。
 5月~6月に15作品をAIのサポートも受けながら応募した。AIの光と影は承知しているが、文芸コンテストに関する限り、投稿者には貴重なツールであることは間違いない。

日帰りツアー専門業者の奈良方面ツアーの予約2026年07月06日

 地域活動を卒業したことでライフスタイルの変化も出てきだした。そのひとつが、これまでもっぱら家内のご近所さんとの楽しみの選択肢だった「日帰りバスツアー」がある。
 日帰りツアー専門の旅行社から定期的に案内ハガキが届いている。8月のツアー案内は奈良県の南北のスポットを訪ねるものだった。大和郡山、奈良市料理屋、河合町・馬見丘陵公園、天川村洞川温泉と盛沢山のプランである。会席料理付きでひとり9千円とかなり低価格である。
 どのスポットも初めての訪問であり、三田駅前を朝8時出発、夜7時到着と無理のない行程である。行ってみたいという意向を受けて、家内が調整しご近所のご夫婦と4人で申し込んだ。
 この手のツアーの初めての参加である。

パーキンソン病の3回目の定期診断2026年07月07日

 半年ほど前にかかりつけ医院に紹介してもらい、兵庫中央病院の神経内科でパーキンソン病の検査を受けた。その検査結果の診察では懸念はあり、3カ月ごとの定期診断で様子をみることになった。
 3回目の診察を受けた。腕や指や両足の強張り、歩行速度、左右前後に身体を押された時のバランスの回復度合い等の検査があった。後に押された時の回復度に多少問題があった以外は特段の異常はなかった。今回も処方薬の服用は必要なしとのことで3カ月後の予約をして診察を終えた。

「吹上の森」でランチした2026年07月08日

 パーキンソン病の定期診断を終えて病院の近くの人気店でランチした。森の中に佇む、趣のある邸宅にある古民家カフェとして絶大な人気がある店ということだ。三日前に予約した時に、「11時半の予約時間に来店されなければキャンセルさせて頂きます」と強気なコメントを告げられた。
 11時15分頃に到着した。古民家の玄関先には多くの来店客の姿がった。タッチパネルの来店予約をしてごった返す玄関先で待った。11時半の開店で順次席に案内された。古民家の座敷を改装した20席ばかりのテーブル席があっという間に満席になった。ほとんどが若いママさんとおばさんのグループで男性は私ともう一組の老夫婦の二人だけだった。
 ほどなく料理が運ばれた。メニューは「森のおばんざいセット(1,800円)」だけである。メインは丹波地鶏と三田コシヒカリの卵かけご飯である。メレンゲに卵黄を載せたものと生卵の選択ができる。鶏揚げ付き野菜サラダ、茶わん蒸し、ゴマ豆腐、味噌汁、漬物が付いている。女性陣の騒々しいお喋りを聞きながら30分ばかりで食事を終えた。玉子かけご飯はまずまずといったところだったが、行列のできるほどの美味しさの実感はなかった。

ふれあい喫茶で介護保険のお勉強2026年07月09日

 地区社協のふれあい喫茶に出かけた。今回は山口地域包括支援センターのセンター長による介護保険制度の説明会が予定されていた。
 地元自治会と地区社協の連携が進化している。両自治会の会長は民生委員兼任ということもあり、地区社協役員会メンバーでもある。そんな良好な関係もあって自治会アプリ「My自治会」でもふれあい喫茶の案内があった。
 1時15分頃から始まった説明会には20名余りの参加があった。配布されたパンフレットの説明の多くは長年の地域活動で承知していることが多い。その内、自治会の広報の影響か次々に参加者が増えてきた。30名以上になり、席数が足りなくなってきた。
 隣席の待合わせしていた自治会役員と一緒に席を空けるため中座した。

北方健三著「岳飛伝十一烽燧の章」2026年07月10日

 金国軍と梁山泊軍の戦いは、大将どうしの決戦の場面や胡土児の瀕死の負傷も含め最終場面を迎えるが、またしても決着をみないまま双方が退陣する。
 蕭炫材は梁山泊の統括・宣凱や物流統括・王貴と会見し金国、南宋を網羅する広域の本格的な物流と交易網の整備を進める。
 他方で南宋の交易隊長だった梁紅玉は流浪の身となり日本の南方の島で日本人・炳成世と出合い、交易仲間となる。
 南方では岳飛が秦容と同盟を組み、来るべき北進に向けて南宋に潜入しかつての部下たち3千人との邂逅を果たす。また秦容は高山の民で兵士の公礼を妻とすることを決め盛大な祝福を受ける。
 南宋では宰相・秦檜が水軍の着実な再建を進め、雷州で蕭炫材と会見する。