有馬線は今はなき有馬郡の幹線路線だった2026年07月02日

 前日に映像コースを学ぶ大学生の「国鉄有馬線」についての取材を受けた。取材を通して有馬線とは何だったのかを考えさせられた。有馬線敷設の主たる目的は有馬温泉の湯治客の輸送だったのだろうが、果たしてそれだけかと思った。
 添付の地図を見てほしい。有馬郡誌添付の有馬郡の地図である。南北に長い地形のため通常は南北を横にした形の地図をよく目にする。そこで正確な地形として認識してもらうため南北をそのまま縦にして表示した。
 この地図で見ると有馬郡の特性がよくわかる。中心部に福知山線と有馬線が合流する三田駅がある。三田駅と最南部の有馬温泉を結ぶエリアが人口密度の高い地形である。三田以北は山間部が多く人口密度も稀薄である。有馬郡は郡庁があった三田と古来より有数の温泉地だった有馬の二つの核があったことがわかる。
 有馬線は湯治客輸送というだけでなく、行政的かつ地形的な二つの核を結ぶ幹線路線だったと言える。実際、沿線の町村の三輪村、道場村、有野村、山口村、有馬町は、現在は三田市、神戸市北区、西宮市に三分割されているが、当時は全て有馬郡に属していた。
 有馬郡は三市に分割されたが、有馬市に移行していれば有馬線の「薄命」の運命も変わっていた可能性があるのではないか。廃線跡の様々なモニュメントも相次いで消滅している。これも有馬郡消滅の帰結とも思える。
 今、神戸市北区の済生会病院と三田市民病院の統合問題が紆余曲折している。仮に有馬市に移行しておれば様相はかなり違っていただろう。