北方健三著「武王の門 上・下」2021年01月04日

 北方健三著「武王の門 上・下」を再読した。「悪党の裔」「楠木正成上・下」を再読してあらためて北方太平記の魅力に惹かれている。
 本著は北方太平記の処女作である。多くのハードボイルドな推理小説を手がけていた作者が、南北朝という一般の読者には比較的馴染みの少ない時代を舞台にして書き上げた意欲的な歴史小説である。新しい素材とテーマをハードボイルド風にいきいきとリアリティ溢れるタッチで描かれている。
 物語は征西将軍宮(懐良親王)と菊池武光の二人を主人公として展開する。作者の多くの作品の底流をなす「男の生きざま、死にさま」がこの作品でも色濃く投影されている。
 日本史の多くの時代が朝廷と武家の緊張と葛藤で展開されている。その殆どが権威と武力という相入れないファクターのもたらす対立と抗争の歴史だった。
 本作品はその二つのファクターが補完し合って新たな政権を構想するという異例の物語のように思えた。懐良という後醍醐帝の皇子である権威と武光という稀代の武将の武力が支え合って九州を舞台に新たな世界の実現を夢見る。相反するファクターを結びつけるものは「夢」であり、そのための「志」である。
 北方太平記の処女作が新鮮でワクワクする感動をもたらした。

北方健三著「楠木正成上・下」2020年11月09日

 3カ月ぶりの書評である。北方健三著「楠木正成上・下」を再読した。「悪党の裔」に続く『北方太平記』の2作目の再読だった。そして著者の南北朝シリーズの集大成の歴史小説である。
 楠木正成という著名な歴史上の人物のシンボリックな英雄イメージでなく等身大のリアリティのある人物として描かれている。足利尊氏、赤松円心、後醍醐帝、大塔宮護良等の登場人物も独自の解釈でリアリティのある人物像で描かれる。そうした新たな歴史解釈と人物像は魅力的で読者を一気に引き込ませる。
 個人的には先に読んだ「悪党の裔」により魅力を感じた。悪党という時代を背負った存在を独特のそれでいて説得力のある解釈で描いた作品だった。

コロナ禍で読書量が落ちた?2020年11月08日

 3カ月ぶりに文庫本上下2巻をようやく読了した。それまでの1カ月に1冊ほどだった読書量のペースが落ちたのは訳がある。従来、早朝ウォーキングの最後にコンビニのイートインに立ち寄ってモーニングコーヒーを味わいながら15分ばかり読書していた。その習慣がコロナ禍のイートイン閉鎖で崩れたことが大きい。現在イートインは再開されたもののモーニングコーヒーはウォーキング後に自宅で嗜むことが習慣化された。そのためコンビニに立ち寄ってコーヒーを飲む意欲をなくしてしまった。
 毎日が日曜日のリタイヤ生活である。自宅で過ごす時間はたっぷりあり、いくらでも読書できる。ところが自宅での余暇時間はどうしても地域活動の事務処理やブログ更新やテレビ・録画ビデオを観たりスマホのニュースアプリを見たりすることを優先してしまう。期限の制約のない読書はおのずと優先順位が後退してしまう。
 そう思えばウォーキング後のコンビニ・イートインでのコーヒーブレイクは絶好の読書時間だった。コロナ禍で読書量が落ちるという逆説的な事情である。

北方謙三著「悪党の裔(上下)」2020年08月21日

 4カ月ぶりの書評である。蔵書の藤沢周平作品の再読を終えて読みたい再読作品が思いつかなかった。ようやく選択したのが北方謙三作品である。その最初の作品が「悪党の裔」だった。
 主人公・赤松円心は佐用郡佐用庄を本拠地とする西播磨一帯の土豪である。実は佐用庄(佐用町)は、私の母方の郷里である。幼い頃には何度か母の実家を訪ねたことがあるゆかりの地である。円心はその地の数少ない歴史上の英雄ともいえる”悪党”だ。
 悪党とは平安中期以降に勃興し、鎌倉以降は幕府を支えた武士集団に対して、反幕府、反荘園領主の武装集団である。夜盗、強盗、山賊、海賊等の土着の野伏(のぶせり)や衛気溢者(あぶれもの)を意味する場合もある。
 作品では円心の”悪党”へのこだわりが主要なテーマとして描かれる。それは同じ悪党ながら最後は後醍醐天皇に殉じて燃え尽きた楠正成との対比で鮮やかに描かれる。円心にとって悪党とは「おのがために闘い、おのがために生きる」ということにほかならない。そんな円心にとっての夢は、天下を狙うことでなく「自分ひとりの存在が、天下を決する、そういう場に立つこと」だった。そして円心は「建武の新政」という時代の潮流を冷徹に見据えながら、足利尊氏側に立って新田義貞軍の大軍を寡兵で迎え撃つという天下を決する戦いを見事に全うする。
 今年3月に自叙伝”あるがままに 時代とともに”を出版した。時代を見据えながら、おのがために闘い生きた円心の人生に、私の自叙伝のテーマと重なるもの覚えて共感した。

今村欣史著「完本・コーヒーカップの耳」2020年04月14日

 著者の今村欣史さんから贈呈して頂いた「完本・コーヒーカップの耳」を読んだ。2001年の初本「コーヒーカップの耳」発行後、19年ぶりの続編である。前作の書評もブログで書かせてもらった。http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061331/p10838850c.html
 前作に納められた35編の詩は常連さんたちのカウンター越しの会話から得られた人間模様を掬い取り散文詩風に綴られたものである。短い内容で簡潔にまとめられ語り手の氏名の記載もない。多分に詩集の体裁にこだわった印象が強い。
 新作には140編ほどの長短さまざまなエッセイが納められている。それらが記述された内容の時代に応じて戦前から平成まで時代順に掲載されている。これに15人の登場人物の作者による人物評が添えられている。
 新作では詩集というこだわりを捨てたエッセイ集(サブタイトルに「人情話」の文字がある)としての出版である。それは個性豊かで含蓄のあるそれだけに忘れがたい常連さんたちのあるがままの生き方をいきいきと伝えたいという想いの故と思えた。だからこそ各エッセイの表題の下には語り手の姓名が記載され、必要に応じて人物評が添えられている。
 読了してこの作品は「庶民の時代の証言集」とも言うべきものではないかと思った。喫茶・輪のマスターとして32年間に渡って交わりあった多くの常連さんたちの時代を映した数々の珠玉の物語である。それは詩人の視線と感性を持った店主だからこそ可能だった営みの筈である。登場人物たちのさりげない「語り」をいきいきと鮮やかに表現できる力量は並々ならぬものがある。それがごくありふれた市井の人々の時代を感じさせる本質のような風景を伝えている。

乙川優三郎「夜の小紋」2020年03月20日

 乙川優三郎の5編の短編時代小説を収録した「夜の小紋」を再読した。江戸時代という封建制の制約の大きい社会で生きる女性たちを鮮やかに描いた作品集である。
 舞台背景は江戸時代ながら描かれる女性の生き方や心情は時代を越えて今を生きる私たちにも共有できるものだ。乙川優三郎という男性作家の女性の心情に奥深く分け入って理解し見事に描写できる力量に感服する他はない。
 とりわけ興味深く読んだのは72歳のひとり住まいの女性を主人公とした「虚舟」という作品だった。高齢社会の独居高齢者問題という今日的テーマを江戸時代に置き換えて描いている。
 一人娘を嫁がせ、夫に先立たれて15年になる主人公は、物売りでささやかに生計を立てながら老いのひとり暮らしを楽しんでいる。一日の終わりにはよく働いた自分のご褒美に毎日二合の晩酌をちびりちびりと味わうのを無上の楽しみにしている。娘の再三の同居の勧めにも「自分はいま人生で最も自由なときを生きている」とにべもない。
 味わいのある5篇の短編を読み終えた。

乙川優三郎著「闇の華たち」2020年02月11日

 乙川優三郎著「闇の華たち」を再読した。時代小説作家としては、藤沢周平に次いで好きな作家である。この作家の作品なら当たりはずれはない筈という気持で読み始めた。再読ながら読み始めても全くストーリーの展開が思い出せない。
 収録された短編6作品を読み終えて、正直がっかりした。途中でやめようかと思ったほどだ。それほどに読みごたえがないというのが率直な感想だった。その最大の要因は物語性に欠けるという点だろう。展開が平坦過ぎると思えた。特に「面影」はそんな気がした。
 それでもやっぱり、次の再読は同じ乙川作品の「夜の小紋」である。この作者への執着は断ち切れない。

藤沢周平著「密謀上・下」2019年12月24日

 藤沢周平著「密謀上・下」を再読した。読み終えてあらためてこの作品は歴史小説なのか時代小説なのかを考えさせられた。いずれとも断じ難い、いずれでもある作品である。結局、そんなことにこだわらず楽しんで読めればよいということなのだろう。
 ということでこの作品は楽しめたのかを問うてみた。藤沢作品の愛読者としては「微妙」である。時代小説の情感やエンタテイメント性や、歴史小説の史実に独自に切り込む鋭さともに消化不良だった。
 ただ直江兼続と石田三成との「密謀」が「関ケ原」という日本史上最大の戦争を演出したというこの一点に焦点をあてて、壮大な物語を構想し長編小説として書き上げた作者の力量に圧倒された。

長尾和宏著「痛い在宅医」2019年09月13日

 長尾和宏著「痛い在宅医」を読んだ。鋭い問題提起を提示したセンセーショナルな著作である。経験豊富な町医者で在宅医でもある著者が現状の日本における在宅医療の在り方や問題点を赤裸々に語っている。在宅での穏やかな死を本気で考えている私にも今一度その選択の是非を問い直させられた著作である。
 作品は、末期癌の父親を在宅で看取った娘の看取りの記録を材料に著者とのやりとりを綴ったドキュメンタリーとして描かれている。娘は長尾医師の多くの著作を読み在宅医療と在宅看取りを信奉し、末期の父親の願いも受入れ病院を退院し在宅医療を選択する。そこで繰り広げられた在宅医療の予想外の現実に直面し失望する。その経過のやりとりを通じて日本での在宅医療の現状の問題点が浮かび上がる。
 最大の問題点は在宅医の技術水準のバラツキだろう。在宅医という特別な資格はない。それだけに多様な病態に対する治療や処方はそれぞれの在宅医の技量や知識や経験値に委ねられる他はない。わけても看取りの実績数の違いや医療用麻薬の知識の違いは大きい。また病院から退院時の主治医と在宅医との連携不足という問題もあるようだ。
 そうした現状を考えれば、在宅医療や在宅看取りをいたずらに美化することの懸念もある。身近に信頼できる在宅医がいるかどうかが選択の第一歩である。病院と在宅の二者択一でなくそれぞれを状況に応じて上手に使い分けることが必要なのだろう。
 とはいえ著者のベテラン在宅医としての立場からのありのままの在宅医療の率直な実態報告は貴重である。

長尾和宏著「男の孤独死」2019年08月24日

 長尾和宏著「男の孤独死」を読んだ。尼崎の町医者であり在宅医である著者が在宅で1000人以上看取った経験を裏付けに「男の孤独死」の実態を伝えその回避のための処方箋を提示した著作である。以下、著作の覚書である。

 孤独死に関わるデータが紹介される。日本は年間死亡者約138万人という多死社会を迎えた。その内在宅死は約13%、男性は女性より7歳短命で女性のひとり住まいが圧倒的に多いのに孤独死の7割が男性という現実。孤独死とは「死後一週間以上経って発見された独り暮らしの人の死」ということだが、孤独死という主観的な意味合いの呼び方でなく「孤立死」と呼ぶべきという意見もある。
 家族に看取られようが人間は死ぬ時はひとり。孤独死の何が問題なのか。死後何日も放置される寂しさと無用な警察介入で事情聴取等の周囲に及ぼす影響が問題。
 在宅医療が孤独死を防ぐ。定期的な訪問診療で死亡診断書が書け、異常死でないことの確認が可能。医師が死の瞬間に立ち会っていなくても診察後24時間以内に亡くなった場合は訪問しなくても死亡診断書を書ける。
 孤独死回避術。用がなくても気軽に連絡できる知人・友人を三人持つこと。ヤクルトの定期購入によるヤクルトレディの定期訪問。近所の世話焼きおばさんや民生委員との繋がり。 

 以上の事から、あらためて我が町の「ちょい呑みオヤジ会」の孤独死回避という面での貢献を想った。