塩野七生著「ローマ人の物語10」2023年06月11日

 「ローマ人の物語・第10巻」を再読した。古代ローマの傑出した英雄であるユリウス・カエサルシリーズの第3巻である。40代の男盛りのカエサルの8年に及ぶガリア戦役を描いている。
 今は西欧と呼ばれている広大なエリアのガリア諸部族とカエサル率いるローマ軍とのドラマチックな闘いが展開される。カエサルは最終的にガリア制服を成し遂げ、執政官経験者としての政治力だけでない軍団総司令官としての卓越した軍事力も併せ持つリーダーの地位を確立する。
 この巻では説得力のある興味深い記述があった。「ヨーロッパの町の多くは、ローマ軍の基地を起源としている」というものである。「ケルンやウィーンのような大都市だけでなく中小の町も軍団兵が退職金代わりにもらった土地に住みついたのが起源である場合が少なくない」「軍役中に地勢を学び、建築技術も習得する。とくにカエサルのように現実的で独創的な建築工事を始終やらせてくれる総司令官に恵まれれば、軍団兵が優れた都市計画者や建築家や建築技術者に育つのも当然ではないか。」「後年カエサルは、退役する旧部下たちを軍団のままで植民させるやり方をとる。これなら技術力に加え、共同体内部での指揮系統まで整った形で新都市建設をはじめることになる」
 ヨーロッパ人にとってカエサルは私たちが想像する以上に影響力のある偉大な英雄なのだろうと思われる。この記述はその背景を余すことなく伝えている。それはローマが”ヨーロッパの永遠の故郷”という意味合いを持っていることとも重なる。

塩野七生著「ローマ人の物語9」2023年05月17日

「ローマ人の物語・第9巻」を再読した。6巻からなる古代ローマの英雄”ユリウス・カエサル物語”ともいえるシリーズの第2巻である。カエサルの幼年期から37歳までの青年期後期までの長い雌伏の時期を描いた前巻から一転して「陽の当たる道」を歩き始めた40代が描かれる。
 カエサルが仕組んだ”元老院派”に対抗するポンペイウス、クラッススによる”三頭政治”の確立とそれを背景とした41歳の執政官就任の顛末は彼の優れた政治性を窺わせる。
 執政官退任後のポストである属州総督としてガリアに赴任する。ガリアを舞台とした5年に渡るガリア戦役でカエサルは軍事的才能をいかんなく発揮する。
 それにしてもこの巻で展開される5年に及ぶガリア戦役には現在のヨーロッパの主要大国の2300年前の姿が描かれる。フランス、ドイツ、イギリス等が未開の野蛮族としてローマと矛を交え、ことごとく退けられる。その輝かしい古代ローマの末裔・イタリアは今やヨーロッパの二流国になり下がっていることの対比を思わずにはおれない。
 一方でカエサルはガリア戦役を自ら筆を執って「ガリア戦記」を著述する。この著述は塩野七生をして他のどの資料にもまして優れた基本資料と言わしめる文章力にも秀でた著作のようだ。
 政治性、軍事的才能、文才と、万能の英雄カエサルの真骨頂である。

塩野七生著「ローマ人の物語8」2023年05月05日

「ローマ人の物語・第8巻」を再読した。文庫本43巻の超・長編の作品である。43巻の内6巻がひとりの人物に焦点が充てられている。言うまでもなく古代ローマの傑出した英雄ユリウス・カエサルである。第8巻のサブタイト「ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)」に示されるようにこの巻からカエサルが登場する。
 文庫本の表紙裏の”解説”が以下のようにこの巻の狙いを端的に表現している。「紀元前100年、ローマの貴族の家に1人の男児が誕生した。その名はユリウス・カエサル。共和政に幕を引き、壮大なる世界帝国への道筋を引いた不世出の創造的天才は、どのような時代に生まれ、いかなる環境に育まれたのか。」
 作者はこの意図をもとに、この巻ではカエサルの幼年期から37歳までの青年期後期までを丁寧に辿った記述を綴っている。巻末では女性関係とお金にだらしないカエサルの負の部分も余すところなく描いて見せることも忘れない。

塩野七生著「ローマ人の物語7」2023年04月06日

 「ローマ人の物語・第7巻」を再読した。「勝者の混迷(下)」というサブタイトル通りに、地中海世界の覇者となったローマが、紀元前1世紀初頭に内部から混迷を一層深めていく経過が克明に描かれる。
 登場人物は多彩である。マリウス、スッラ、ルクルス、ポンペイウスと小アジアの盟主ミトリダテスとの戦役を軸にした将軍たちの内部抗争の移り変わりが展開される。その過程で元老院体制というローマ社会を支えた枠組みが毀損され、徐々に独裁体制への布石が敷かれていくかのように描かれる。

塩野七生著「ローマ人の物語6」2023年03月20日

 「ローマ人の物語・第6巻」を再読した。サブタイトルは「勝者の混迷(上)」である。前巻ではハンニバルとスキピオという二人の英雄の直接対決でローマが勝利し、その後の強国マケドニアも制覇し、ローマが地中海世界の覇者となった物語が描かれた。この巻では勝者であるローマが次第に内部から混迷を深めていく過程が描かれる。
 ポエニ戦役という非常事態を乗り切るためローマは元老院の権力集中を容認した。その体制は戦役後も継承され、ローマの地中海世界の覇権という経済、社会秩序の変革に対応できないまま推移した。その結果、貧富の格差の拡大や未曾有の失業者の増大という社会不安をもたらした。
 この巻では、こうした事態に元老院の勢力に抗して様々な改革を目指した二つの時代を描いている。ひとつは名将スキピオ・アフリカヌスの孫にあたる「グラックス兄弟の時代」であり、今ひとつは「マリウスとスッラの時代」である。
 この巻の巻頭に著者はハンニバルの次のような印象的な言葉を載せている。「外からの敵は寄せつけない頑強そのもの肉体でも、身体の内部の疾患に、肉体の成長に従いていけなかったがゆえの内臓疾患に、苦しまされることがあるのと似ている」。この巻のテーマを象徴する言葉である。

塩野七生著「ローマ人の物語5」2023年02月23日

 塩野七生著「ローマ人の物語 」の第5巻”ハンニバル戦記・下」を再読した。前巻ではローマとカルタゴの地中海世界の覇権を賭けた壮絶な闘いのポエニ戦役前半のクライマックスが描かれた。カルタゴの稀代の英雄にして古代世界屈指の武将ハンニバルの鮮やかな戦いぶりが生き生きと語られた。
 そして迎えたポエニ戦役の後半である。カンネの闘いで完膚なきまでにハンニバルに叩きのめされたローマに、もう一人の英雄スキピオが登場した。第5巻は歴史上稀に見るハンニバルとスキピアという二人の英雄の直接対決のスリリングな展開がテーマである。
 カルタゴのザマの会戦が領有の最終決戦の場となった。著者はこの会戦の緒戦から克明に推移を追って記述する。しかも両軍の布陣の推移の模様をイラスト付きで解説する。そして最終決戦はローマの若き知将が制する。
 この巻の後半は「ポエニ戦役その後」として綴られる。それはポエニ戦役を制した後のローマの地中海世界の制覇の過程の物語でもある。ローマの対抗軸だったマケドニアとカルタゴの滅亡が語られる。

塩野七生著「ローマ人の物語4」2023年02月07日

 塩野七生著「ローマ人の物語 」の第4巻”ハンニバル戦記・中」を再読した。前巻では、ローマと北アフリカの大国カルタゴとの壮絶な闘いの幕開けが綴られた。地中海の覇権を巡る「ポエニ戦争」である。
 緒戦でローマに大敗を喫したカルタゴに稀代の英雄が登場する。弱冠26歳のハンニバルがカルタゴ支配下のスペインの総督に就任した。スペイン統治と対ローマ外交を周到に進めながら29歳のハンニバルが壮大な戦略の実行に着手する。大軍と多数の象を率いてのアルプス越えのイタリア侵攻という意表を突いた戦略である。イタリアに攻め込んだハンニバルは、トレッピア、カンネ等の戦史に残る大戦に知略と戦術を駆使して勝利を収める。
 読者はこの巻の大半でハンニバルの鮮やかな知略にお付き合いすることになる。それはそれで手に汗握るものがあるがローマびいきの立場からはフラストレーションが募る面もある。
 紀元前210年、ローマの元老院はわずか25歳の若者・スキピオにスペイン戦線の総指揮を委ねることを決定する。第二次ポエニ戦役の舞台に登場したもう一人の天才的武将の登場である。
 この巻の終盤は、スペイン戦線でのスキピオの対カルタゴ戦争の鮮やかな展開が描かれる。ローマびいきの読者の溜飲を下げさせてくれる。

塩野七生著「ローマ人の物語 3」2022年12月27日

 塩野七生著「ローマ人の物語 」の第3巻”ハンニバル戦記・上」を再読した。第1巻と同様、この巻でも著者は冒頭に「読者へ」と題した長文のメッセージを発している。それは「歴史への対し方」についての著者のスタンスを述べたものである。
 著者は「歴史への対し方」について2派あるという。第一派は、自身の主張の例証として「歴史を使う」やり方である。第二派は、歴史はプロセスであるという立場から「叙述」そのものを目的とする姿勢である。
 そして著者は自身の立場を「第二派」に属していると表明する。その上で歴史の叙述であっても、「歴史を裁く」側面があることを指摘し、自身の裁く視点を「時代の要求に応えていたか」としている。それはこの膨大な著作全体の表題を「ローマ人の物語」とした意図にも通じている。著者がこの作品を通じて描きたかったのは「ローマ人の諸所の所行」であると吐露する。「いかなる思想でも、いかなる倫理道徳でも裁くことなしに、無常であることを宿命づけられた人間の所行を追っていきたいのだ」という著者の想いが語られる。
 「歴史はプロセスである、という考え方に立てば、戦争くらい格好な素材もないのである。なぜなら、戦争ぐらい、当事国の民を裸にして見せるものもないからである」という問題意識で、この作品第3巻”ハンニバル戦記・上」 が綴られている。ローマの北アフリカの大国カルタゴとの壮絶な闘いの幕開けである。

塩野七生著「ローマ人の物語 2」2022年12月16日

塩野七生著「ローマ人の物語 」の第2巻”ローマは一日にして成らず・下」を再読した。
 この巻のテーマは「共和政ローマ」である。紀元前509年に七代続いた王政を廃し、ローマの共和政が始まった。その頃の日本は縄文時代末期だったことを考えれば、そのこと自体に驚嘆する他はない。
 ローマの共和政の成り立ちの経緯や共和政を構成する官職の内容が克明に記される。とりわけ古代ローマの最大の遺産ともいうべき「ローマ街道の敷設」は興味深いものだった。
 巻末に著者の独自の説得力のあるローマ史観が語られている。古代ローマ時代に生きた4人のローマ史の著作を引用しながら、「ギリシャは早くに没落したのにローマはなぜ永く興隆を続けられたのか」という問題意識である。この点について著者は古今のローマ史研究者の著作を念頭に、次のように指摘する。第一に隆盛の因を精神的なものに求めず、当事者たちがつくりあげたシステムをあげる。第二はキリスト誕生以前の古代ローマの隆盛の要因としては当然ながら、キリスト教の倫理や価値観から自由でいられた点である。第三は「フランス革命でつくりあげられた自由・平等・博愛の理念から自由だった点である。
 そして著者は、次のように結んでいる。「知力ではギリシャ人に劣り、体力ではケルト(ガリア)やゲルマン人に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣っていたローマ人が、これらの民族に優れていた点は、彼らのもっていた開放的な性向にあったのではないだろうか」。大いに共感できる指摘だった。

塩野七生著「ローマ人の物語 1」2022年11月18日

 塩野七生著作の全43巻の長編大作「ローマ人の物語 」の再読を開始した。第1巻は”ローマは一日にして成らず・上」である。
 文庫版スタートに当たって読者は第1巻冒頭で「著者からの読者にあてた長い手紙」に付き合わされる。現代人に手軽に読書に親しめる携帯型書籍「文庫」の歴史を紐解いたものだ。
 人類が読書という知識の共有化にとってのかけがえのない財産を獲得する上で印刷技術の発明や出版業界の誕生は欠くことのできないステップである。著者はそれと共に読書の普及の大きなステップとして小型本化を指摘する。確かに室内でしか叶わなかった読書を持ち運び自由な小型本化が読書の普及にもたらした効果は大きい。
 第1巻は、ローマ誕生の伝説に始まり、七代続いた王の物語とその後の共和政ローマの物語である。史実と伝承と著者の解釈を織り交ぜたこの作品の作風をいかんなく発揮した物語の始まりの記述だった。
 壮大な歴史物語の序章をワクワクしながら読み終えた。