国鉄有馬線サイトからのアクセス来訪者2016年12月07日

 20日ほど前に見知らぬ方からPCメールを頂いた。私のHP「にしのみや山口風土記」の「国鉄有馬線」のサイトを見ての連絡だった。神戸市北区の神鉄道場駅近くに在住のN氏という方だった。
 メールの内容は次のようなことだ。「趣味の鉄道模型作りで有馬線の列車を再現したいが詳細が不明だ。資料等で詳細を教えてもらえないか」。メール内容からは有馬線の車両情報は私よりはるかに詳しく、私の及ぶところでないと思われた。その旨返信するとサイト記載の故・吉田和夫氏の資料に言及されたメールが返信された。慌てて仕舞いこんでいた吉田氏から譲り受けた資料を点検した。吉田氏はご近所に在住されていた屈指の有馬線研究者だった。晩年に交流があり亡くなる前に私に資料を託された。さすがに大先輩の研究に抜かりはなかった。有馬線車両に関する詳細資料も散見された。あらためてその旨伝えてお会いしての情報交換を提案した。すぐにぜひ会いたいとの意向と日程調整の返事がきた。
 今週の日曜日の午後、私の在住する住宅街のカフェでお会いした。自己紹介し合ったところ40歳のN氏は、今は新興住宅地在住ながら実家は道場町の旧家らしく私と同年代の父さんは元・国鉄マンだったとのこと。父親譲りの列車と有馬線への想いが言葉の端々に窺えた。早速資料を交換した。私が持参した吉田氏ファイルの中から数枚が貴重な資料ということでコピーしてお渡しした。N氏からも作成済の「有馬線を走った列車たちについて」と題するレポートを頂いた。
 HPにしのみや山口風土記を立ち上げて10年余りとなる。初めてこのサイトにまつわる本格的なオフ会を経験した。掲載画像はN氏からいただい資料の一部である。

公民館講座「有馬散策」2016年11月11日

 山口風土記公民館講座「第15回隣町風土記・有馬散策」を開講した。9時30分に有馬温泉バスターミナルに参加者17名と公民館活動推進員4名が集合した。
 すぐ南の中心部の金の湯、温泉寺、湯泉神社、極楽寺を巡った後、今回講座の特別企画である念仏寺を参拝した。本堂でご住職から有馬温泉を愛した秀吉亡き後の有馬の人々の徳川政権との関わり方等の興味ぶかいお話を伺った。その後、本堂裏手の庭を縁側から眺めながら有名な沙羅双樹の古木や両脇の雀石、蛤石の逸話をお聞きした。
 銀の湯、紅梅の古木のある林渓寺を巡った後、今回講座のメインスポットである瑞宝寺公園まで足を伸ばした。
 紅葉のベストシーズンで11月3日に有馬大茶会の野点が行われたばかりである。山門前で解散し20分ばかり時間をとって各自で園内を自由散策した。園内には週末には野点が催されるようで紫と白の幕が残されている。燃えるような紅葉の鮮やかさを愛でながらゆっくりと散策した。
 滝川に架かる杖捨橋まで戻り南西に進んで有馬稲荷神社の参道前に到着した。この神社は見逃せないスポットだが長い階段と山道の参道は高齢者中心の受講者には厳しい。由来と見所を解説してパスした。参道前を北に下りて炭酸泉源公園を訪ねた後、すぐ南の炭酸煎餅の三ツ森炭酸泉店に立ち寄る。推進員代表の知人の調整で全品10%割引の買物を楽しんだ。温泉街の風情のある湯本坂に入り、妬(うわなり)泉源、天神泉源と見学し太閤橋横の袂岩前で解散した。2時間15分の紅葉の有馬の見どころ散策だった。

文化祭講座の受講者の内訳2016年11月07日

 住宅街の自治会主催文化祭で始めて開講した「ふるさと講座・北六甲台の今昔」の講座には65名の受講者があった。皆さんには受付で受講者名簿に住所・氏名を記載して頂いた。
 その受付名簿を分析してみた。住宅街の五つの丁目毎の受講者ではほぼ11~12名だがなぜか四丁目だけが17名と多かった。男女別には男性37名、女性28名と男性が多い。通常の地域の研修・講座では圧倒的に女性が多いのだが、郷土史というジャンルの講座の性格と祝日の文化祭の催しということが要因かもしれない。ご夫婦での受講が8組16名あったのも特徴的だろう。
 名簿を見ながら講師との関係を分類してみた。オヤジ会メンバー、社協関係者、自治会関係者、福寿会(老人会)関係者、その他の知人と何らかのつながりのある方の受講は35名だった。ほとんど面識のない方は30名ということになる。約半数の方が純粋にこの講座の「開発前の我が町の姿や伝承」というテーマに関心を持たれたのだと思われる。残り半数の方は講座への関心も含めた講師との関わりでの受講者と言える。
 いずれにしろこの結果を受け止めながら9年間の地域活動での個人的な到達点を感じずにはおれなかった。それと同時にあらためて「ふるさとづくり」をキーワードに新興住宅街でのあらたなコミュニティづくりに向けた第一歩としたいと思った。

住宅街文化祭での「ふるさと講座」の大盛況2016年11月04日

 11月3日から6日まで自治会主催の住宅街の文化祭がコミュニティセンターと自治会館で開催される。この文化祭に今回初めて「ふるさと講座・北六甲台の今昔」を開講した。文化祭初日のオープン直後の10時からの開講だった。個人主催の講座であり事前にチラシ作成、回覧手配、当日資料作成、プロジェクターの準備等を行った。
 当日の朝、果たしてどれだけの皆さんに受講してもらえるか不安を抱えながらスタンバイした。開講15分前頃から予想以上の方に会場のコミュニティセンターにつめかけてもらった。準備した40席が間に合わず自治会役員に急遽会場いっぱいに席数を増やしてもらった。終了後65名の受講者があったと報告を受けた。冒頭、自治会長の文化祭開会の挨拶の後、いよいよふるさと講座を開始した。
 講座のテーマは二つあった。第1部「お天上山物語」では住宅街の開発前の姿や伝承を画像を中心にビジュアルに紹介した。第2部「平尻巡礼街道」はかつて住宅街のすぐ北側を縦断していた丹波街道の一角である平尻街道の史跡のスポット画像を追いながらガイドした。
 最後のパワーポイントシートでは「伝えたいこと」として講師のメッセージを紹介するのが常である。「我が町が由緒あるお天上山を開発して誕生したこと。歴史と開発の調和というテーマを受け止めたい。他方で山口町という歴史と伝統の町に新たな息吹をもたらした。親たちにとっては終の棲家の第二のふるさとだが、巣立っていった子どもたちにとっては帰省先であるふるさとそのものである。分譲開始34年を経てふるさとづくりを通した新興住宅街の新たなコミュニティづくりが問われているのではないか」
 予定時間を10分ばかり残してプレゼンを終え、お二人から質問を受けた後、5分前には講座を終了した。予想以上の受講者ということに加えて皆さんの興味津々の熱心な受講姿勢に確かな手応えを感じた。自治会長からも「開会直後の催しでこれだけ大勢の皆さんに参加してもらい良いスタートを切れた」と労われた。終了後には何人かの方から「ぜひ来年も続けてほしい」「今回受講できなかった人のためにもう一度開講してほしい」といった有難い言葉も頂いた。

自治会文化祭講座「北六甲台の今昔」を開講2016年10月06日

 二千世帯を擁する新興住宅街の文化祭が11月3日から6日まで開催される。主催する自治会にとっては夏の盆踊りに次いで大きなイベントである。この文化祭に今回初めて講座「北六甲台の今昔」をエントリーした。文化祭初日のオープン直後の10時からの開講が決まった。
 住宅街が誕生して34年目を迎える。この町で育ち巣立っていった子どもたちもかなりの人数を数える。彼らにはこの町がふるさとである。今年の31回目の盆踊りを子どもたちのふるさとの風景にできないかという話題が交わされた。新興住宅街にもようやく”ふるさと意識”が芽生えだした。ところがこの町を終の棲家に求めて各地から移り住んだ親たちには、この町のことを子どもたちに語れる材料は持ち合わせていない。
 そんな背景と経過の中で、文化祭での「ふるさと講座」を思い立った。開発前の住宅街の「昔」をプロジェクターを使って豊富な画像でビジュアルに紹介する。お天上山と呼ばれていた小高い丘陵地に開発された街である。公園の一角には「公智神社鎮座跡」の石碑がある。今は下山口にある「村の鎮守」はかつてはお天上山に鎮座していた。住宅街の北側には旧丹波街道が東西に通っていた。西国巡礼街道の一角として旧街道跡には今も道標や石碑がその名残をとどめている。
 そんな話題を以前に公民館講座で「お天上山物語」としてプレゼンしたものをベースに住民の皆さんに伝えたい。

公民館講座「古湯が育んだ歴史の町」の開講2016年10月02日

 今年度の山口公民館講座の隣町風土記・有馬の1回目の室内講座「古湯が育んだ歴史の町」を終えた。次回11月10日に屋外散策「有間の歴史と史跡を訪ねる」を開講する。
 2010年に山口風土記探訪講座を開講して以来14回の講座を重ねた。山口町にまつわる8回の講座を終えて山口を含む旧・有馬郡に注目した。3年前から有馬郡を構成した隣町の風土記を名塩、道場と巡り今回は有馬を取り上げた。
 山口、名塩、道場の風土記を探訪して感じたことだが、町の風土は地形や自然に大きく左右されている。有馬は日本最古の有馬温泉という自然がつくりあげた典型的な町である。最古の温泉が近隣のどこよりも古い歴史を刻み、幾多の街道の終着地としてあまたの歴史上の人物や湯治客を招いた。山合いの狭隘な地形に人口1900人、千世帯が住む町である。その小さな町に今尚三社六寺もの寺社が存続するのもひとえに有馬温泉の故だろう。
 34名の受講者と7名の公民館活動推進員の皆さんに講座をお聞き頂いた。ちょい呑みオヤジ会や地域活動で交流のある皆さんにも携帯ショートメールでご案内した。結果的に従来の講座以上に面識のある方の受講が目についた。次回の有馬散策講座は紅葉のベストシーズンの開催である。定員20名が受付開始直後にいっぱいになったと聞いた。
 6年目となるこの風土記探訪講座は私にとってかけがえのないライフワークである。

住宅街の文化祭で「ふるさと講座」を企画2016年09月07日

 昨日のブログで「新興住宅街のふるさと意識」について書いた。新興住宅街に移り住んだ住民の子どもたちにとってはこの町がふるさとに違いない。ところが子どもたちだけでなく親たちもこの町のことをほとんど知らない。親たちが子どもたちにこの町のことを語れるような情報を提供したいと思った。
 ライフワークでもある「HP・西宮やまぐち風土記」を立ち上げた。http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-hudoki.htm さらに山口町の一角に開発された新興住宅地の我が町の紹介サイトも立ち上げた。http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/kitarokkoudai-top.htm 
 他方で山口公民館講座では、お天上山と呼ばれたこの町の開発前の様子を「お天上山(北六甲台)物語」として語った。併せてお天上山のすぐ北側を走っていた丹波街道の一部である「平尻巡礼街道」についても紹介した。
 毎年11月初めに自治会主催の文化祭が開催される。新興住宅街の住民たちが我が町の成立ちを考える絶好の機会だと思った。講座「お天上山物語」や「平尻巡礼街道」を手直しして「ふるさと講座」としてエントリーしてみようと思った。できれば「北六甲台の今昔」と題して今年はお天上山物語をテーマに、来年は開発後の「北六甲台の町づくり」をテーマにプレゼンできればと思う。
 子どもたちにふるさとを伝えるのは親世代の役割だ。この講座を通してできれば子どもたちのふるさと意識の育成に多少なりとも貢献できればという想いが募った。

公民館講座「隣町風土記・有馬」の執筆2016年09月05日

 今年も山口公民館講座「山口風土記探訪講座」を開催する。今年のテーマは「隣町風土記・有馬」で10月1日に室内学習「古湯が育んだ歴史の町」を、11月10日に有馬散策「歴史と史跡を訪ねる」を開講する。2010年に開講して以来15回目を数える講座である。
 室内講座はプロジェクターを使ったプレゼン形式である。パワーポイントの30数枚のスライドシーツにコンテンツの画像や記事を入力する。先月から本格的に執筆にかかり8割方完了した。「プロフィール」「有馬の自然」「温泉と泉源」「歴史探訪」「神社&仏閣」「有馬温泉と山口」「伝えたいこと」が内容である。
 執筆しながら有馬という町の成立ちを思った。これまで山口、名塩、道場という町の風土記を執筆した 。自然や地形が町の歴史、風土、気質、文化に大きな影響を及ぼしていることを学んだ。そして有馬は有馬温泉という日本最古の温泉という自然がつくりあげた典型的な町である。最古の温泉が近隣のどの町よりも古い歴史を作り、あまたの歴史上の人物や数えきれない湯池客を招き入れ、その受け皿となる温泉街と宿泊施設を造り、加えて狭隘な土地に余りある多くの神社仏閣を建造し、幾多の街道の到達地点となった。その原点はまぎれもなく最古の良質な温泉である。

公民館講座「有馬風土記」の下見2016年07月30日

 昨日の午前中、4人の公民館講座推進員の皆さんと2時間半ばかり有馬を散策した。11月10日開催の「隣町風土記・有馬」の散策講座の下見だった。
 9時25分頃に有馬温泉のターミナルでバスを下車し当日散策予定のコースを出発した。すぐ南側には商店街と神社仏閣が集まった有馬の中心街がある。「金の湯」から「温泉寺」「湯泉神社」「太閤の湯殿館」「極楽寺」を巡った。次の「念仏寺」では樹齢300年と言われる沙羅双樹の樹をみておきたいと思っていたところ、勝手口から住職らしき方が出てこられた。これ幸いとお声かけしたら気さくに座敷の奥の縁側に案内して頂いた。縁の向こうの庭には雀石と蛤石に挟まれた立派な沙羅双樹が立っていた。住職から豊臣から徳川への政権交代期の逸話などをまじえた貴重ないわれをお聞きした。
 「銀の湯」の前を通り右手の通称タンサン坂を上がると炭酸泉源公園に出た。有馬6カ所の泉源のひとつで神社のような建物の中に石の井戸があり、ここから炭酸泉が湧き出ている。井戸の手前にある蛇口から井戸水を飲んでみると鉄っぽい味がした。炭酸泉は有馬名物の炭酸煎餅に使われ名前の由来となっている。公園の向かい側にある炭酸煎餅の老舗・三ツ森の立派なお店が印象的だった。
 公園を南に向かいリゾート施設の横の階段を上がると有馬の南端を東西に走る通称こぶし道に出る。西に向かってしばらく行くと鳥地獄と虫地獄の石碑の建つ谷あいがある。愛宕山麓の穴から湧き出た炭酸ガスで近づいた鳥や虫が死んだと伝わる場所である。
 引き返してこぶし道の中間の南に位置する高い石段を上った。射場山の中腹に建つ有馬稲荷神社の参道である。石段先には更に曲がりくねった山道が続く。ようやく境内に辿り着いた。立派な拝殿とその奥に建つ格調のある本殿が格式の高さを窺わせる。舒明天皇・孝徳天皇が有馬温泉に行幸された折に有馬行宮が造営され、その守護神として祀られたというゆかりがある。
 こぶし道を東に向かい杖捨橋を渡り瑞宝寺公園に到着した。廃寺となった瑞宝寺跡を整備した公園である。伏見桃山城から移設された風情のある山門がひと際印象的である。境内の公園一角に「太閤の石の碁盤」がある。碁盤を置いた石の台かと思ったがよく見ると石そのものに縦横に細かな線が刻まれ石自体が碁盤であると知った。この公園は紅葉の名所として知られ11月2~3日の有馬温泉大茶会の会場にもなっている。11月10日の散策講座では紅葉のベストシーズンのこの公園でぜひ時間を取って散策しようと打合せた。
 杖捨橋まで戻り杖捨坂を北に下り雪国神社を西に折れた。カーブの突き当りに林渓寺がある。真宗大谷派の別院で「湯山御坊」と呼ばれ、境内には樹齢200余年の紅梅の古木が立つ。その先は昆布や有馬筆などの土産店が並ぶ風情ある湯本坂である。すぐ左手に湯煙のたつ妬(うわなり)泉源の櫓がある。赤ポスト前を北に折れて坂を上った先には天満宮(天神社)境内にある金泉が涌く天神泉源がある。石の鳥居の向こうに建つ勢いのある湯煙の櫓は有馬温泉を代表する泉源の風情を漂わせている。
 12時前に出発地の太閤通のバスセンターに出た。2時間半の下見はちょうど散策講座当日の時間配分に相当する。お年寄りの多い受講者を想定すれば急な階段と登り坂の有馬稲荷神社は訪問スポットから除外する他はない。ゆったりした散策ペースや瑞宝寺公園での休憩を兼ねた散策を考慮したコース設定を確認して下見を終えた。

西生寺の本堂前工事完了後の姿2016年02月25日

 朝の散歩道で気になっていた風景を確認した。名来の西生寺の本堂前の造成工事の行方である。一月ほど前にはまだショベルカーが現場に残され本堂前の敷地が掘り起こされている状態だった。
 今朝の散歩道では造成工事は完了し、剥き出しのコンクリートの階段と斜面に生まれ変わっていた。残念ながらその姿は室町末期にまでさかのぼるこの庵の由緒には似つかわしくないものだった。
 斜面のスペースには昨年の11月頃までは桜の古木が立っていた。その古木の根が張り出して本堂そのものの維持に支障が出たのかもしれない。古木の伐採はやむをえないにしても伐採後の改修工事の結果は余りにも味気ない。それともこの剥き出しのコンクリートにはまだなにがしかの加工が施されるのだろうか。