復刻版日記⑭バイアグラ騒動記2010年01月17日

(1999年9月20日の日記より)
 高校時代の級友G君からの連絡。「久しぶりに大阪で会わへんか!○○が高松から出てくるんヤ。ジャランと4人で飲もデ。」
 というわけで本日の何年ぶりかの高校仲間との邂逅となった。難波のサウスタワーホテルロビーで待ち合せ、近くの『がんこ寿司・難波本店』での小宴会。油ぎっしゅな入道頭のG君のギャグまじりの注文。客慣れた中居さんでもたじろぐ筈。ましてや係りは、二十歳過ぎの初々しい中居さん。発注段階で既にケッコウな盛り上がり。
 ・・・デ、いつも話題の中心になる「ジャラン」ことF君。アルコールが入るほどに快調なトーク。今回のテーマは、ナント・・・バイアグラだ~ッ。以下、ジャランのバイアグラ体験記である。
 『みんな!バイアグラ、使こーたことあるか?ワシ使こーてみたで。ここんとこ悩み事なんかがあったりしてアカンかったんヤ。それで試してみたんやけど、効いたワ~。メッチャ効くデ~。3回クリアや。クセになってしもた。僕らバイアグラッ子で~す。言うとくけど前もって飲んどかなアカンで。酒飲んでたら1時間前、シラフの時やったら30分前や。1錠丸ごとは効きすぎるさかい半分にして使こうてるんや。○○チャン!(小生の高校時代のニックネームで呼びかけられる)ヤルワッ。遠慮スナッて(別に遠慮した訳ではない。必要性を感じていないのだけだ)』
 というわけで我が家には噂の「バイアグラ」がもたらされることとなった。(上の画像である。ジャラン仕様で半分に分割されている。)隠しておくこともないので帰宅後、ヨメハンに正直に報告。即座のリアクション。「お父さん何考えてんのッ」。

復刻版日記⑬通勤電車バカヤロー物語「くたばれサッチー!がんばれノムさん!」2009年12月12日

(1999年8月7日の日記より)
 一杯機嫌の土曜日午後10時過ぎのJR車内である。通勤帰りとはいえ週末のこの時間帯である。空いたシートの確保は容易だった。束の間の安眠を貪ろうとした目の前で、熟年夫婦が既に貪っていた。夫の右肩に頭を預けた妻。ナントあのサッチーにそっくりだ。でもって夫はと見ると、これが又、オールバックのノムさんなのだ。ノムさんはサッチーの人一倍大きな頭の重さに耐え兼ねている風だった。時折、右目を薄目して右肩の痛みに顔をしかめている。しかし肩を外して苦痛から脱却する様子はない。サッチーの惰眠を覚ますことがもたらす恐ろしいリアクションを知り尽くしたかのような見事な振る舞いである。
 実在のノムさんサッチーの関係もきっとこのとおりに違いない。おりしも我が阪神タイガースは9連敗中である。私は目の前のサッチーを睨み付け、ノムさんのけなげさに心打たれながら心中で叫んでいた。”くたばれサッチー!がんばれノムさん!”

復刻版日記⑫通勤電車バカヤロー物語「Mrオタッキー、アンタの勝ッ!」2009年11月27日

(1999年7月7日の日記より)
 某月、某日の朝7時過ぎのJR伊丹駅付近の車中。「イ~タァミ~ッ、イ~タァミ~ッです。出口は左側になります。伊丹を出ますと次は尼崎に停まります」。突然、車掌の車内アナウンスが・・・、しかもすぐそばで。思わず辺りを見回す。それらしき姿はない。ナンデ!?声の主を発見。二十歳過ぎの神経質そうな青年だ。JRの車内放送のアノ独特のアナウンス口調でひたすら発声し続けている。ドアの側に立って車窓を眺めながら・・・。話す内容の正確さといい、口調のそれらしさといい、本物顔負けのレベルである。相当な修行を積んだ車掌オタクとみた。停車駅が近づき本物の車掌のマイクを通した車内アナウンスがオタッキーのアナウンスを妨害する。思わず二人の掛け合いの審判をしてしまう。Mr.オタッキー、アンタの勝ちッ!!
 車内アナウンスの競演を乗せて電車は尼崎駅に到着。ホームに降り立ったMr.オタッキーは、今度は駅員に早変わり。電車の開いたドアを片手で押さえて乗客たちに注意を促すアナウンス。発車ベルにあわせて指差し点検までやってしまう。ドアが閉まり、動き出す電車を見送るMr.オタッキー。その姿は一仕事終えた満足感に浸っているかに見えた。

復刻版日記⑪通勤電車バカヤロー物語「早朝の地下鉄車内をスーパーモデル風が闊歩」2009年11月20日

(1999年6月25日の日記より) 
 50を超えたオヤジの朝は早い。某月某日朝7時過ぎの御堂筋線の地下鉄車内。この時間帯ならゆっくり座れるというメリットも。目を閉じて束の間の安息を楽しもうとしたその時。若い女性を連想させるハイヒールのカン高い音が安息を突き破って近づいてくる。思わず見つめる視線の先に江角マキコもかくやと思わせる長身のスーパーモデル風が闊歩してくる。しかも超ミニ。朝からラッキーと待ち受ける。近づくにつれ幸運は落胆に、落胆はおぞましさに、とめまぐるしく変遷する。
 颯爽と通過するお嬢さん。頬から顎にかけての髭の剃り跡が生々しい。ゲゲッ! スーパーモデル風の正体はオカマだったのだ。おまけに超ミニには流行のスリットが深々と・・・。オェッ。朝からエライものを見てしまった。カノジョの通過に合わせて居合わせた乗客たちが息を呑み、空気が固まる。そしてカノジョは自信たっぷりの靴音を残しながら次の車両に消えた。
 「バカヤロー!束の間の安息を返せッ!」

復刻版日記⑩通勤電車バカヤロー物語「地下鉄車掌の窓からゴメン」2009年11月19日

(1999年6月24日の日記より)
 某月某日、地下鉄の駅ホームに通じる階段途中で耳にする発車ベルの音(アノ間延びした発車ベルの音は、イラチの大阪の乗客たちの気分を少しでもなだめ、駆け込み乗車を阻止するための陰謀に違いない)。陰謀に気づいている私は、脱兎のごとく階段を駆け降り、その間、定期を手に持ち替え自動改札と称する関所を突破し、年甲斐もなく駆け込み乗車を試みる。(念のためコメントしておくが、決して急いでいた訳ではない、永年のサラリーマン生活の本能なのだ)
 結果は寸前でアウトッ!罰の悪さは覆うべくもない。改札口は電車の最後尾に位置していた。ゆっくり通過する列車の最後尾の窓から半身を乗り出した車掌と遭遇。寸前のタッチアウトを果敢に演出した若い車掌と目が合った。ここは気合の勝負。罰の悪さを車掌のせいにしたオヤジは職務規律に忠実な車掌を不当にも睨みつける。経験不足の若いビジネスマンは思わず頭を下げる。
「バカヤロー!もっと自分の仕事に自信を持てッ!(これまた言いがかり)」

復刻版日記⑨通勤電車バカヤロー物語「二人のオヤジのLOVE・LOVEチャンス」2009年11月14日

(1999年6月24日の日記より)
 某月某日、バスの遅れでいつものJRの座れる筈の鈍行電車に乗り遅れる。次の快速電車のシートは予想通り満席。仕方なく吊革に捉まり、ついつい座席の乗客たちの様子を窺う。心の呟き『この人たち、次の駅で降りるのかナ~』。永年のサラリーマン生活の哀しい性(さが)か?
 眼下の座席には60代の商売人風のオヤジと50代のサラリーマン風のオヤジが共に眠りこけている。相当深い眠りのようだ。ナント、相互に支え合った二人の頭はピッタシくっついている。顔の角度さえ変わればキスだってできそう。オヤジ同志の白昼のLOVE・LOVEシーンは不気味そのものだ。本人たちは無邪気に半ば口を開け、かすかにいびきすらかいている。電車が駅に発着するたびに相当なユサブリがある。そのたびに私は心の中で祈っていた。二人が(せめて片方が)目覚めて、我が身を取り巻くオドロオドロシイ光景に愕然とすることを・・・。しかし彼らの絆は予想を超えて強固なものだった。ついに期待した光景は目に出来ないまま(おまけに結局彼らが先に下車して私が座るという幸運にもありつけないまま)空しく下車駅に到着。
 「バカヤロー!通勤電車で眠りこける時は周囲の迷惑も考えろッ!」と、言いがかりともいうべき呟きを吐きながら下車した。

復刻版日記⑧寄り道「おばあちゃんの原宿(巣鴨とげぬき地蔵)」2009年11月12日

(1999年6月3日の日記より)
 2年ぶりの東京出張だった。出張目的を終えて東京駅に向かった。出張先のある都営三田線「志村坂上」から巣鴨でJR山手線に乗り継ぎ途中。駅構内の案内板に「巣鴨とげぬき地蔵」の文字が目に入る。「そうかッ!ここがアノ『おばあちゃんの原宿』の巣鴨か!」 ・・・ という訳で寄り道。
 地下鉄の最寄出口を上がると、「巣鴨地蔵通り商店街(おばあちゃんの原宿通り)」の看板が見える。通りの両サイドはお年寄りグッズ専門街。3軒に1軒位でオバアチャンファッション専門店。お年寄り好みのおはぎ、お饅頭、佃煮の類の店等々。元々こんな店揃えではなかった筈。客層の中心がオバアチャンにシフトするにつれ顧客ニーズが店の淘汰を促した?「肩揉み・1分100円」の露店ニッチビジネスが目を引く。オバアチャンの原宿通りは体力に配慮して?ものの5分も歩くとゴールとなる。
 通りの真ん中辺りに境内に「とげぬき地蔵」を配した高岩寺がある。山門をくぐり左手にロープに沿ってオバアチャン軍団。列の先頭ではお地蔵さんを囲んで痛み治癒祈願のお参り。列に加わるほどの歳でもないか。ここは本堂での参拝をサラリと済ませ再び通りに。ナント山門の目の前に若者バージョンの「マツモトキヨシ」が待ち受けている。待てよ!オバアチャンから見れば「マツキヨ」でも「ドラッグストア」でもない只の「薬と雑貨の店」なのかもしれない。薬屋ならオバアチャンにきってもきれないお店。ヤッパリお年寄りグッズの店なのか。
 JR巣鴨に向かって土産物捜しのブラブラ歩き。食品屋さんの店先には「思いっきりテレビで紹介の寒天コンブ」。TV紹介の健康食品に目のない奥様の顔が浮かぶ。「1袋チョウダイッ!」。お次は「元祖・芋羊羹」の店。昨日の夜、娘からケイタイへのメッセージ。「お土産は『東京バナナ』買うてきてッ!なかったら、とりあえず芋羊羹だけは買うてきてッ」(ハイハイ)「芋羊羹、10コ入りをひとつ」。そして東京駅構内。あったあった。題して『見つけた、東京バナナ』。「8コ入りをひと箱ッ!」。
2年ぶりの東京出張はなぜか家族に優しくなる。

復刻版日記⑦年賀状「父と娘の出勤風景」2009年11月08日

(1998年12月20日の日記より)
 12月の声を聞くと妙に落ち着かなくなる。年賀状シーズンなのだ。20数年前から得意の(?)ヒトコマ漫画で近況を年賀状に託して知人・友人に報告してきた。以来、妻は自分の年賀状の裏面も全面的に私の作品に委ねてしまった。ところがこのヒトコマのアイディアが中々浮かばない。なにしろ漫画なのだ。ユーモアの味付けが必要だ。しかもヒトコマで近況を表現せねばならない。自分だけの近況では妻の年賀状には通用しない。登場人物は家族全員であることが望ましい。そんなこんなの年賀状シーズンの悶々とした日々が続いてようやく完成。

【解説編】近所の妻の友人一家に驚くほど父親思いの娘がいる。そして我が家には驚くほど父親思いでない娘がいる。父は大阪勤務の娘とたまに出勤が一緒になる日がある。かねてから近所の娘の父親思いぶりを見聞きしている妻は思わず口にする。「エリッ、お父さんと一緒に行きッ!」。娘は答える。「イヤヤ~ッ」。父は憮然として先を行く娘の後ろ姿を追うばかりである。

復刻版日記⑥一郎の出番か?2009年10月29日

※以下は11年前の自民、自由の自・自連立政権樹立の合意直後の日記である。今注目の小沢一郎が、当時も時の人だった。

(1998年11月22日の日記より)
 久々の休日の日曜日である。日曜朝のTVが最近、面白い。本日は『復活・小沢の登場』である。「読売」「NHK]「毎日」と3チャンネル立て続けの生出演である。日本の政治家ではやはり最も絵になる、気になる男なのだろう。
 毎日のサンデープロジェクトを観る。題して「小沢一郎生出演・剛腕復活・すべて話そう、日本改造の一大計画」。「自・自連立」をめぐる田原聡一郎とのやりとり。自信たっぷりの一郎発言がポンポン飛び出す。「追いつめられた自民党が政策転換した」「党首間の合意でなく政党間の合意だ」「小渕総裁には大変な決断をしてもらった」「役人の25%削減。衆参議員の各50人の削減」「政府委員の国会答弁の禁止」「国連決議の要請があれば国連軍に派遣」等々・・・。次の発言は印象的だった。「保守党という日本語は疑問。旧来の枠組みを維持しようという勢力が保守党なら私は違う。21世紀に向けて新たな枠組みを作ろうとしているのだから。」
 私の「小沢観」。新たな枠組みづくりに妥協を排して挑戦する男への共感。問題の先送りでなく苦しくとも今対応しようという姿勢への評価。反面、立場の違い、見解や姿勢の違いを許容しない独善さは、「剛腕」と称されるその政治手法ともあいまって全体主義的な危険な臭いを感じさせる。「第一次大戦後のドイツを襲った泥沼の経済不況の中からヒトラーのナチズムが勃興した」というシーンをオーバーラップさせるのは、思い過ごしに勝ち過ぎるとは思うが・・・。それでもTVに映る「イチロー」のこわばった(?)笑顔は、女性スキャンダルにあたふたしている野党第一党の党首の優男ぶりを凌いでいる。
 誰もが経験しなかったデフレ経済に本格的に突入しようとしている。誰もが自信がなく、不安な毎日である。明日は我が身のリストラが徘徊する。この閉塞状況を確信をもって打破してくれるリーダーシップが求められている。「連立政権の合意」文書を手にした小沢一郎に出番が回ってきたのか。

復刻版日記⑤崇高な愚行2009年10月16日

 (1998年10月15日の日記より)
 午後3時。私は、香川県小豆郡内海(うちのみ)町のとある神社の境内にいた。早い話が小豆島である。誰と何のためにそこに居たかはこの際やめておこう。七人のオヤジたちと群れていたなんぞ自慢できた話ではない。ともかく神社の境内なのだ。正確には「内海八幡神社」という。
 30分前、私たちは島内最大企業?である丸金醤油の「醤油記念館」を見学する予定だった(なぜか小豆島は醤油の産地なのだ。狭い島内に22社もの醤油メーカーがひしめいている)。ところが記念館入口には無情にも「本日臨時休館」の手書きポスターが貼られている。そういえば周辺はやけに静かである。近所の佃煮の土産物店の気のいい店員さんの情報。『今日はここからバス停で二つ向こうの街で年に一度のお祭りやから・・・』。好奇心旺盛なオヤジ軍団の反応は早かった。そして30分後のこの祭り会場である。3町ある島内の全人口はわずか3万7500人とのこと。境内を埋め尽くす人の群れ。醤油記念館の臨時休館や周辺の静けさの正体を見た。
 町内会ごとに保存された10台ほどのダンジリが次々とこの境内に太鼓を響かせてやってくる。そして目の前で布団太鼓のダンジリが一瞬宙を舞った。ナント百人近くの男たちが必死で担いでいる何トンものダンジリが・・・である。年に一度の晴れ舞台。演技のクライマックスはダンジリの放り投げ。前棒と後棒の担ぎ手たちの呼吸が合わずバランスを崩すこともある。怒声が飛び交う。凄まじいエネルギーの発散。阿修羅の形相。男たちの全精力がダンジリを担ぎ放り投げるという一点に集約される。秋の収穫の神への感謝の儀式でもある。神事というフィルターを取っ払ってしまえば「狂気の愚行」という様相を帯びてしまう。男たちの願いは、年に一度のこの「狂気の愚行」に浸ることなのかもしれない。諏訪神社の「御柱」、岸和田の「ダンジリ祭り」の狂気がよぎる。
 それにしてもダンジリの担ぎ手集めはさぞかし大変だろう。刺激のない島を脱出した若者たちを、年に一度帰省させる格好の口実になっているようだ。「息子もこの日だけは帰ってくるんヨ」「都会のどんな楽しみもこの祭りには代えられんみたい」。 3人のオバサンたちの虚勢にあふれた会話が耳に入る。思わず声をかけてみた。「ところでこのお祭りは何というお祭りですか?」。「ウ~ン。何というお祭りといわれても・・・」。虚を衝かれたかのようにオバサンたちは考え込んでしまった。突然ひとりが自信ありげに断定した。『秋祭りヤッ!!』 (ギャッ!)