ミュージカル有間皇子物語、案内開始!2014年04月19日

 今日、朝10時から12時まで市民ミュージカル劇団『希望』後援会の第4回総会を開催した。後援会事務局長として主催者のど真ん中にいた。前半1時間が総会で、後半40分が劇団によるミュージカル有間皇子物語のハイライト・コンサートという構成だった。
 34人の後援会員参加で総会が始まった。私から議案の「昨年度の活動報告」「今年度役員」「今年度活動計画案」と報告事項「有間皇子公演を成功させる会の取組み」を提案説明した。
 活動報告では、8月以降、3回に渡って公演した「食事&ドリンク付きライブショー」が、地域住民、劇団員、後援会のスクラムで山口という歴史と伝統の町に新たなカルチャーをもたらした点を強調した。
 活動計画案では、8月末の本番公演に向けて6月末のプレイベント「有間皇子を訪ねる会」の案内に力をこめた。有間皇子物語公演はミュージカルという切り口からの関心とは別に、有間皇子という人物への関心からの観劇もある筈だ。「訪ねる会」は、著名な歴史家・田辺眞人氏の講演を中心に私の有間皇子の有馬郡の足跡のプレゼン、髙井劇団代表の公演そのもののガイドという構成である。有間皇子ファン、歴史や郷土史ファンなどを対象にしたイベントである。
 成功させる会の取組みでは、総会で初めて配布した成功させる会発行の公演案内チラシに協賛頂いた20法人、支援頂いた162人のお名前を掲載させて頂き、市民に支えられた公演であることをアピ-ルした。併せて多額の公演費用の調達が市民の支援金や公共団体の助成金、後援会・劇団の積立金で何とか調達のメドがついたことも報告した。今後4回公演の入場チケットの販売にご協力願いたいと結んだ。
 本日の後援会総会で、いよいよミュージカル有間皇子物語に向けた本格的な公演案内がスタートした。

NHKテレビ「新兵庫史を歩く」講師の田辺眞人さんに講師依頼2014年03月18日

 昨日午後、ミュージカル劇団『希望』後援会の同僚役員と一緒に有馬温泉観光協会を訪ねた。NHKテレビの「新兵庫史を歩く」で講師をされている園田学園女子大学名誉教授の田辺眞人さんにお会いするためだ。田辺教授とはもちろん初対面だった。観光協会の会議を終えて顔を見せられた教授と名刺交換した後、早速用談に入った。
 後援会事務局長をしているミュージカル劇団『希望』が、8月末に創作ミュージカル「有間皇子物語」を上演する。この上演に向けて2年前からシンポジュウム、講演会、ハイライト公演などを開催し、準備を進めてきた。その流れのしめくくりのイベントとして6月に「有間皇子を訪ねる会」を開催することになった。田辺教授との用談はそのイベントの基調講演をお願いすることだった。同僚役員から事前に講演自体の内諾は得ていたので、今回は正式な講師依頼ということになる。事前に作成しておいたイベントの企画書をお渡しし、講演テーマ、内容、日程等を打合せた。
 「有間皇子を訪ねる会」の狙いは公演に向けて新たな観客層の開拓にある。これまでのイベントは音楽系のファン層や後援会・劇団員の関係者知人といった層がメインだった。今回は、歴史や郷土史を切り口に、有間皇子に関心のある層が狙いである。そのため旧有馬郡の各地区の郷土史研究グループにも声をかける準備を進めている。そうした層には、田辺教授の「新兵庫史を歩く」の講師としての知名度は高い。今回の「訪ねる会」の基調講演にはうってつけの講師である。
 30分余りの打合せで大枠の確認を頂いた。

灘の新酒で愉しむミュージカルショー2014年03月02日

 昨日、市民ミュージカル劇団『希望』とその後援会主催のイベント「灘の新酒で愉しむミュージカルショー」のスタッフとして朝10時から夜10時までの丸一日を過ごした。昨年8月開催の「ビア・フェスタin山口」、12月開催の「ハロークリスマスin山口」に続く食事バイキング付ライブミュージックショーの第3弾である。今年8月末公演の「創作ミュージカル・有間皇子物語」の上演資金カンパイベントである。
 3回目の今回の有料入場者数は、前々回の93名、前回の91名には及ばなかったものの90名を数え、劇団によるこのスタイルの公演が山口の町に定着したことを窺わせた。
 いよいよ本番である。小雨模様ながら出足も順調だった。昼の部、夕方の部ともに48名の皆さんに入場頂き、満席状態だった。夕方の部のゲスト席には、北六甲台在住の元宝塚歌劇団の萬あきらさんや、地域情報誌「ともも」の武地代表など6名の方をお迎えした。
 公演が始まった。劇団員女性による司会も3回目とあって快調そのものである。観客の皆さんには、今回のテーマでもある灘の新酒を始めビール、ワイン、焼酎、ソフトドリンクなどの飲物や、劇団女性陣手作りの豊富なバイキング料理が提供され、しばし会食して頂いた。ちなみに今回の灘の新酒は、北山酒造さんから「島美人」を、木谷酒造さんから「宮っ子」を提供して頂いた。
 夕方の部では開演直後に、鏡割りと振舞い酒が行われた。有間皇子公演を成功させる会の太田顧問、髙井劇団代表、後援会副会長に加えて小学生と中学生の二人の女性劇団員が鏡割りの木槌を振った。
 第1部のショータイムが始まった。劇団JMA所属の3人の女優陣がドレス姿で登場した。昭和歌謡メドレーやミュージカル「じろはったん」「ヒボコ」の挿入曲など11曲がハイレベルな歌とダンスで演じられた。ショータイムの合間には今回も灘の新酒を始め様々なバザー商品が紹介され、多くの皆さんにお買い上げ頂いた。
 第2部のショータイムが始まった。袴姿の二人の男性劇団員が登場し黒田節の日舞を舞った。続いて華やかな着物姿の三人の女性劇団員が民謡「おてもやん」をひょうきんな振付で披露した。日舞のトリは彼らのお師匠さんお二人の見事な舞だった。藤間流師範の藤間豊宏さんと藤間豊冨久さんで宝塚歌劇団の日本舞踊の講師でもある。日舞の素養も知識もない素人だが、お二人の息の合った艶やかで華麗な舞に息を呑んで見つめていた。
 続いて山口雅楽の会の登場である。代表者は我が後援会の役員でもある。夕方の部では若い女性二人も入った6人のメンバーで笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、竜笛(りゅうてき)、琵琶で、越天楽と黒田節の雅楽を演奏してもらった。7年来の友人でもある代表の軽妙なトークの解説に新たな一面を垣間見た。
 第2部のトリは劇団『希望』の団員たちによる有間皇子物語のハイライトシーンの披露である。「山口の里」「うわさ」「対立」の3曲を揃いの古代衣装を身にまとって歌って踊った。週1回の練習に加えて地域のイベント等で何度も出演し披露し場数を踏んできた曲目でもある。観るたびに表情が豊かになり踊りに切れが出て息も合ってきている。最後に後援会代表による観客へのお礼の挨拶で閉演した。
 後片付けを済ませて団員と出演者、後援会役員の約30名で打上げを行った。冒頭、乾杯の挨拶を指名され「90名もの観客数がこの町でのこのイベントの定着を物語っている」「プロのミュージカルショー、日舞、雅楽演奏、劇団員の有間皇子ハイライトと、かってないバラエティーに富んだ企画が奏功した」「このイベントでの劇団員たちの役割分担と頑張り」等の素晴らしさを述べた。8月末の本番公演に向けた確かな手応えを実感させられたイベントが無事終了した。

ミュージカル劇団の活動に追われた2014年03月01日

 昨日、ほとんどをミュージカル劇団の活動で過ごした。朝から9時から開催の後援会役員会の資料準備に追われた。役員会は9時から12時半頃まで延々3時間半に及んだ。8月のミュージカル有間皇子物語公演に向けての態勢固めに議論が伯仲したためだ。
 午後からは役員会と同じ会場で翌日に開催する新酒ミュージカルショーの準備が待っている。最寄りのコンビニで手当てしたおにぎりで昼食を済まし、会場設営にかかった。会場準備がほぼ完了した3時過ぎに帰宅した。午前中の役員会の議事録作成と、ミュージカルショーの参加者リストの作成をやっておかなければならない。翌日は朝から夜遅くまでミュージカルショーにかかりきりになる。
 8月末まで多くの時間をこの活動に費やすことになる。素人集団の創作ミュージカル初演という大それたプロジェクトである。まだまだ予断は許さないが、何としてもやりきるしかない。

西宮文化協会講演「オペラからミュージカルへ」2014年02月22日

 昨日の午後、西宮神社会館で開催された西宮文化協会の文化講演会に参加した。講師は、市民ミュージカル劇団『希望』の髙井劇団代表である。「オペラからミュージカルへ」と題して、ミュージカル作家としてのご自身の歩みを中心に1時間半に渡って以下のような話が語られた。
 音楽学校卒業後、朝比奈隆氏の紹介で志望していた宝塚歌劇団にの作曲家として採用され、音楽家生活が始まった。オペラ作曲家が夢だった。歌劇団での照明、大道具、美術、舞台づくりなどの一流のスタッフたちとの交流を通して今日のミュージカル作家としての基礎を学んだ。ミュージカル映画「ウエスト・サイド物語」を観たことの衝撃が大きな転機をもたらした。そのダンスシーンの迫力を通して、「これからはオペラでなくミュージカルだ」という確信をもった。「歌って踊って芝居して」というミュージカルには、オペラにないダンスという重要なファクターがある。
 宝塚歌劇団在団中に理事長の理解も得てミュージカル劇団「日本ミュージカル研究会(JMA)」を立ち上げた。以降、竹取物語、桃太郎、天の岩戸、邪馬台国、アメノ・ヒボコなど日本の民話や歴史を題材に創作ミュージカルを相次いで発表した。今年の夏には山口ホールで創作ミュージカル「有間皇子物語」の上演を予定している。

 髙井さんのミュージカルづくりの根底には「国民ミュージカル」という思想がある。イタリア歌劇が主流だったヨーロッパで、モーツアルトは、イタリア語で演じられる歌劇に異を唱え、母国語のドイツ語で演じる国民歌劇を目指した。アメリカのウエスト・サイド物語も同じ系譜にある。髙井さんが目指したものもまさしく日本を題材とした日本語で演じられる日本ミュージカルだった。古代史をテーマとした創作ミュージカルが多いのも頷ける。講演中には、CD収録の「アメノ・ヒボコ」の鉄づくりのシーンや「御堂筋ストーリー」や「じろはったん」の挿入曲なども流された。
 講演後には、司会者の山下文化協会長から、参加者に後援会事務局長として私の紹介があり、有間皇子物語公演の支援の呼びかけもして頂いた。講演終了直後には何人かの方から、有間皇子物語公演の資料提供を求められたり名刺交換をして頂いた。
 その後、会場ロビーで私も立ち会って地域情報紙「ともも」の武地代表による髙井代表のインタビュー取材があり、立ち会った。取材後に武地代表と二人でしばらく懇談した。西宮の文化についての突っ込んだ意見交換ができ大いに意気投合した。個人的にも実りの多い文化協会の講演会だった。

市役所での有間皇子公演の後援要請2014年02月07日

 昨日の午前中、西宮市役所関係の各部署を訪問した。有間皇子公演を成功させる会の役員に就任頂いたTさんにも同行してもらった。やまなみバスの車中の会話が弾み、あっという間に市役所前に到着した。
 最初の訪問先は、西宮市文化振興財団である。事前にアポを入れておいたところ理事長以下4名の方に応接頂いた。市の協働事業の窓口である。有間皇子公演の協働事業申請や文化振興財団の名義後援、財団所管のホールでの公演のチケット販売等、予想以上に円滑に打合せができた。後援会顧問の方々の事前の口添えがあったことが窺われ、あらためて人の繋がりに感謝した。
 続いて市の広報課を訪ねた。課長はさくらFMの25周年記念の集いでご挨拶し面識がある方だ。市政記者クラブでの公演のパブリシティーの進め方や記事ネタのポイント等を教授してもらった。隣接の記者クラブの部屋も見せて頂いた。
 文化振興課で「音楽と出会う町西宮」のロゴ使用の申請書類を受け取った後、東館の観光振興課を訪ねた。課長と西宮観光協会の名義後援の申請手続きを打合せた。
 12時前に所用を無事に済ませてTさんと昼食を共にした。この界隈の行きつけの阪神西宮駅前の「えびす大黒」に案内した。ボリュームたっぷりのワンコインの海鮮丼と大あさり汁を満喫した。
 良きパートナーに恵まれた公演支援要請活動の反省を、やまなみバスの車中で交わしながら帰路に着いた。

案ずるより産むが易し2014年01月29日

 8月末のミュージカル有間皇子物語公演に向けての取組みに拍車がかかっている。昨年暮れ頃までは思うように支援の輪が広がらなかったこともあり少し落ち込んでいた。山口町内でのPR活動だけでは不十分でないかと気づき、西宮南部や周辺町村への働きかけにも目を転じた。
 昨年11月に山口公民館講座「有馬郡物語」を開催した。講座内容のひとつに有間皇子の足跡を取り上げた。三田の金心寺、有野の有間神社、和歌山県海南市の藤白神社などいずれも山口町外の社寺である。有間皇子ゆかりの社寺なら後援を頂けるのではないか。いずれも面識はほとんどなかったが、思い切ってお訪ねした。
 結果は、上々だった。いずれの社寺も後援の快諾を得られたし、後援チラシの配布協力も約束して頂いた。個人で支援金まで頂いた方もある。加えて藤白神社の宮司さんから貴重な情報がもたらされた。有間皇子のゆかりで、生誕地の有間神社、逝去地の藤白神社、父母ゆかりの山口町、所領地で実弟・定慧上人開祖の三田の金心寺の交流が行われていた。その交流のジョイント役をされた方が三田駅近くで建築事務所をされているという情報である。
 一昨日、その森脇さんを事務所にお訪ねした。意気投合して事務所で3時間近く懇談させて頂いた。有間皇子とその実弟・定慧上人について驚くばかりの博識の人だった。三田市内の同好の士とのネットワークも豊富だ。三田市の広報部門や地域コミュニティー紙とも強い繋がりがあるようだ。何よりも有間皇子ミュージカルの旧有馬郡内での公演を心から歓迎して頂いた。三田市内での広報や支援金、チケット販売にも応援して頂けるという。次回は事務所近くの彼の行きつけの居酒屋で懇親を深めようと約してお別れした。
 「案ずるは産むが易し」の諺を噛み締めた。

プロデューサー2014年01月23日

 市民ミュージカル劇団『希望』の創作ミュージカル有間皇子物語の公演が7カ月後に迫った。後援会事務局長という立場で公演に向けた環境づくりの実務を預かってきた。後援会役員は7人だが高齢や病気等で実際に実務を分担できるメンバーは限られていた。そんな事情から今年に入って新たに4人の方をリクルートした。地域のボランティア組織などで懇意にしている皆さんである。
 その内のお一人は高齢ながら現役時代は大手テレビ局のプロデューサーを務め局長経験もある方だ。後援会の会員でもあり、これまでの公演やビアフェスタなどの劇団イベントにも欠かさず参加して頂いていた。役員会でも現役時代の経験を踏まえた斬新な意見を提案してもらえる。
 先日、お宅を訪ねて2時間近く懇談させて頂いた。その懇談を通じて「プロデューサー」という役割に気づかされた。相当額の資金を必要とする舞台公演には資金管理を含めた制作全般を統括するプロデューサーが不可欠だ。有間皇子公演は残念ながらそのプロデューサー不在のまま今日に至った感がある。
 大詰めを迎えつつある有間皇子物語公演に向けてプロデューサーという機能を後援会としてもあらためて噛み締めたい。

有間皇子ゆかりの有間神社を訪ねた2014年01月20日

 先日、隣町・有野町の有間神社を訪ねた。ミュージカル有間皇子物語の公演支援のお願いのためだ。本殿下の境内に建つ真新しい社務所の受付を兼ねた執務室で若い宮司さんと懇談した。
 聞けば24歳というほんとに若い宮司さんだった。三代続いた前任の宮司さんの系統が継承できなくなり、神職を養成する伊勢市の皇学館から選任されて1年前に就任されたという。その若さで有馬郡の総氏神としてあがめられた由緒ある神社の宮司を務めるのはさぞ大変なことだろうと推察した。一方でそんな人生の選択肢もあるのだという驚きも隠せなかった。いずれにしろ先日の金心寺の80代のご住職とは真逆の対談者で、終始打ち解けた懇談であっという間に1時間近くが経過した。
 そんな宮司さんだけに有間神社と有間皇子とのゆかりについてはむしろ私の方から解説させて頂いた。孝徳帝亡き後、小足媛が有野の地で有間皇子を養育し、皇子が成長してこの地から上洛されたとの伝承や、かつて山口、有野、有間の三村が春木郷を構成する結びつきの深い関係であったこと、そのことが山口村名来にあった有間神社が有馬川の洪水で流出後にこの地に移された背景になったのではないかなどの話をさせて頂いた。
 そんな懇談の上で、あらためて有間神社の有間皇子公演についての名義後援をお願いした。チラシでの後援者記載や公演チラシの拝殿前設置等について快く承諾してもらった。有間皇子ゆかりの社寺での後援が固まりつつある。公演の支援の輪が徐々に広がっている。

有間皇子ゆかりの金心寺を訪問2014年01月11日

 午前中のミュージカル劇団後援会役員会を終えて、午後、三田の如意山・金心寺 http://www18.ocn.ne.jp/~konsinji/ を訪ねた。ご住職とは事前に午後1時のアポイントをとっていた。訪れた金心寺の境内は、折しも庫裏の建て替え工事中である。事前に聞いていたので山門正面の本堂に入り案内を乞うた。本堂脇から姿を見せられたご80代の老僧とそのまま懇談に入った。
 自己紹介の後、持参した資料を説明した。劇団後援会の発足と旗揚げ公演のHP http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-arimamiko-gekidan.htm、有馬郡の足跡 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-arimamiko-arimagun-sokuseki.html、有間皇子まつり http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-arimamiko-hujisiro.htm のプリントである。金心寺から藤白神社に寄贈されたという有間皇子の木像に話題が及んだ時、ご住職から耳寄りな話を聞いた。「あの木像は三田在住の知人で元・京都の仏師が彫ったもので、藤代神社と当寺と二体ある。藤白神社の方は生地のままだが、当寺の木像は彩色されている。後でお見せしよう」とのこと。
 訪問の本題に入った。「金心寺ゆかりの有間皇子のミュージカルを8月末に公演する。旧有馬郡にゆかりの歴史上の人物だがあまり地元では認知されていない。ミュージカル公演で大いにアピールしたいのでぜひ応援してほしい。チラシ等に後援者として記載させてもらったりチラシ配布やチケット販売の協力をお願いしたい」とお願いした。ご住職からは「三田では歴史上の人物は九鬼家のアピールが中心で有間皇子はあまり取り上げられない。ミュージカル公演はありがたいし、公演の応援はやぶさかではない」との意向だった。
 用談を終えて本堂のご本尊の三田の地名の由来となった弥勒佛坐像の解説を伺った。その後、内陣右手の入口から中地下の部屋に入り安置されている有間皇子と定慧上人の木像を見せて頂いた。いずれの像も写真撮影を快諾して頂いた。
 1時間近い懇談を終えて、次回公演チラシを持参する旨告げて金心寺を辞した。来意を100%満たされた上、貴重な持仏の拝顔と撮影の機会を得た。有間皇子の繋がりでのご住職との懇談あってのことだった。いにしえの有間皇子に感謝した。