幼なじみとの交遊の再開2024年01月10日

 先月、久々に封書を受取った。幼稚園、小学校、中学校と10年ばかり多くの時間を共有した幼なじみからの便りだった。双子だった私たち兄弟との3人の共通の思いでも多い。
 便りには彼自身と私たちとも面識のあった彼の二人のお姉さんの消息も伝えられていた。併せて私のブログ情報で得られたと思える私たち兄弟の近況に対する気遣いがしたためられていた。
 4年前の中学同窓会の開催前に私たち三人と同級の女性おひとりを加えて4人で会う機会があった。女性は当時既に車いす生活を送っていた弟と中学時代に昵懇だった沖縄在住の方で、同窓会参加が叶わなかった弟のセッティングである。弟の住いの最寄り駅近くの喫茶店での懇談だった。友人と私は弟の彼女との再会の介添え役を担ったと言えなくもない。兄である私は別にしても友人には過大な役回りだったとも思えた。友人の優しさと私たち兄弟との関係への気遣いが有難かった。
 元旦にその友人から年賀メールを頂いた。返信メールで、「できればふたり一緒に弟宅を見舞えれば」としたためた。正月空けの治療中の病状検査の結果を待って連絡するとのことだった。先日「10日以降いつでもOK」との連絡があり、弟の奥さんとも調整し、弟宅の訪問が確定した。
 三人の幼なじみの交遊が60年余りを経て再開する。歳を取れば取るほど幼ない頃の思い出がひとしお懐かしくなるものだ。

オヤジ会有志3人のちょい呑み2023年12月15日

 先日、オヤジ会の知人から相談を受け、1時間ばかり歓談した。用向きは山口地区のカルチャーの充実化の方策の相談だった。そこでオヤジ会メンバーでもある山口地区公民館地域学習推進員の知人も交じれた懇談の機会を設けることになった。そのオヤジ会有志3人の懇親会を住宅街隣接の”そば太鼓亭”の「ちょい呑み」スタイルで開催した。
 4時から6時過ぎまでたっぷり歓談した。3人の共通項をあらためて認識した。オヤジ会メンバー、カルチャー講座に対する姿勢、歴史や郷土史についての関心、執筆活動等々。共通の関心を持った各分野の様々な話題で盛り上がった。
 最終的にまとまったのは「オヤジ会のインフラ機能」という点だった。リタイヤオヤジのつどい場というだけでなく、メンバーの得意分野の披露と交流、新たに住民となったオヤジたちの地域との繋がりづくりの場、独り住まいの高齢男性の居場所等の役割はまさに地域のインフラ機能と言える。

知人から山口地区のカルチャーの充実化の想いを聴いた2023年12月12日

 オヤジ会のあるメンバーから連絡があり、お会いした。早朝のウオーキング中も構わないということだったので24時間営業の地元スーパーのイートインでお会いした。用向きは山口地区のカルチャーの講座についての相談だった。
 ご本人は市内南部で開講の宮水学園を始めカルチャー講座に意欲的に受講されている。幾つかの受講講座の素晴らしさ口にされ、こんな講座を山口地区でもぜひ開講できないかとの想いが強い。そのための手立てについての相談だった。
 それを聞いて即座に方策を思いついた。山口地区の公民館講座の開講講座にエントリーするのが現実的である。公民館地域学習推進員会での協議が必要だが、推進員のおひとりは私が実質的に推薦して就任していただいた方だ。しかもオヤジ会メンバーでもあり、相談者とも面識がある。
 その場で私と相談者と推進員の方との懇談の場を持つことを確認して、懇談を終えた。

住宅街の訪問介護ステーションとの交流2023年11月22日

 1カ月ほど前にある知人女性から連絡を貰った。4年前に地区社協主催の認知症サポーター養成講座の講師をお願いした方だった。同じ住宅街の在住者だったがその後はお付き合いのない状態が続いていた。用件は、ボランティアセンターの利用に関わることだったが、お話を通して地区社協の活動にとっても貴重な情報が得られた。
 1年前に自宅をベースに訪問介護ステーション”えがおの陽”を立ち上げられたとのこと。その関係もあって住宅街の高齢化の進捗とその支援環境の稀薄さを懸念する想いが語られた。在宅介護のインフラの必要性を痛感していた私も大いに共感し、近いうちに事業所を訪ねたいと伝えた。
 徒歩10分ばかりのその訪問介護ステーションを訪ねた。玄関前に事業所の看板のある和風建築の民家の一階である。4年ぶりに再会した女性と代表者である息子さんに迎えられた。お母さんとは同じキャラバンメイトという共通点もあり地域の認知症ケアやおひとり住まいの高齢者の見守り等の話題で盛り上がった。介護者の会への参加や社協での応分の役割についても前向きだった。
 同席の30代の息子さんも地域での繋がりに意慾的で”ちょい呑みオヤジ会にも参加してもらうことになった。その場でLINE交換をしてオヤジ会のグループラインにも参加してもらった。
 地区社協はビジョンに「生涯を暮らせる共生の町」を掲げているもののそれを具体化する”在宅ケア支援”については尚未着手である。今回の交流でその実践に向けての手掛かりが得られた気がした。

2カ月ぶりに在宅療養中の弟を見舞った2023年11月15日

 加古川の弟が半年ほどの入院を終えて8月末に退院した。半年もの入院生活が胃瘻の手術も含めて弟の心身に大きなダメージを与えていた。9月中旬に在宅療養を始めたばかりの弟を見舞った。入院の時より回復したものの、やせ細った身体をベッドに横たえるばかりのほぼ寝たきり状態だった。言葉を発することもままならず会話にならなかった。
 そんな弟を懸命に在宅介護している奥さんから椅子に座った弟の写真と「会いたいらしい」とのコメントを添えてメールが届いた。気がかりだったが多忙になった地域活動にかまけて見舞ってやれなかったことを悔いた。そぐにお見舞いの段取りをした。
 お見舞いの当日、1階奥の介護用ベッドの脇で椅子に腰かけた弟の姿が目に入った。それ自体が回復ぶりを物語っていたが、そばに寄って話しかけた時、予想以上の回復ぶりを知った。何よりもちゃんとした言葉を発するようになっていた。会話ができるか否かは療養生活の大きな分岐点だ。本人の想いを正確に受け止められるかどうかは介護者にとっても意味合いが違ってくる。
 「今何が一番したいんや?」と尋ねた。「口からご飯を食べたい」という返事に、あらためて胃瘻という治療の過酷さを想った。大病を得て様々な欲望を奪われた身には好きなものを食べられるという食欲はかけがえのない楽しみだろう。
 翌日から初めて2泊3日の”レスパイト入院”ができるとのこと。介護する奥さんはようやく自分の通院や身の回りの処理の機会ができる。ゴールの見えない在宅介護にはショートステイやレスパイト入院は欠かせない。
 弟の予想外の回復ぶりを確認した2カ月ぶりのお見舞いだった。

つどい場”あん”の多彩な顔ぶれ2023年11月14日

 つどい場”あん”に参加した。主宰者のご主人の手料理が人気である。今回もパエリアをはじめとした充実した献立に舌ずつみした。
 参加者も多彩だった。主宰者の人脈を通じて様々な分野の顔ぶれになってきた。市社協のスタッフ、地区社協関係者、介護施設スタッフ、地域活動グループ、訪問看護師、クリニック院長等々。
 今回参加の15名もの参加者のこのつどい場との関り等を中心に充実した自己紹介が続いた。このつどい場が発足して8年になる。地区社協の代表に就任直後だった私も発足の時から関わり、情報提供や参加者紹介等の応援をしてきた。
 この会に参加する多彩な分野のエリアの広い参加者たちの情報が地区社協活動にもしなしば意義深いヒントをもたらしている。

住宅街で知人たちと初めての昼食2023年10月05日

 住宅街に絵画教室がある。主宰者の知人女性はHPやインスタグラム等にもめっぽう強く何度かお教えを乞うた方だ。教室は主として子どもたちが対象だが、中には絵心のある中高年やリタイヤ世代の受講者もある。受講生のおひとりはリタイヤ男性でオヤジ会のメンバーでもあり執筆活動や郷土史や絵心という点で共通項もあり懇意にしている方だ。
 半月ほど前に彼から突然のお誘いがあった。「教室の主宰者と男女二人の受講生で昼食会を開催することになったので一緒にいかが?」とのこと。ワインの用意もあり飲酒も可能との。私も含めて4人の共通の知人である旧地区の50代の男性も参加するとのこと。気心の知れた皆さんとの飲酒可能な昼食会は魅力的だった。即座に参加を申し出た。
 住宅街にお住いの受講生の女性のお宅が会場だった。我が家から徒歩20分の大きなお宅に12時に到着した。2階の広々としたダイニング・リビングの6人用の大きな円卓に既に豪華な食事の準備が整ってい、参加者全員が顔を揃えていた。これだけの食事の準備に家主さんの知人の旧地区在住の料理自慢の女性の応援があった(その方は聞けば我が家のお向かいさんとママ友で間接的に家内とも面識があるとのことだった)。総勢6人の昼食会が主宰者の挨拶を皮切りにいよいよ始まった。
 豪華なお料理が次々に追加された。飲物も生ビールに始まりワイン、日本酒が提供され愛飲家にはたまらない食事会だった。家主さんとその知人によるかいがいしいおもてなしでこの食事会を支えて頂いた。
 住いは新興住宅地4人旧地区2人で50代前半から70代後半の男女各三人の会食だった。その多様性もあり大いに話が弾んだ。12時に始まった会食を終えたのは16時だった。女性二人は初めてお会いする方だったが、すぐに打ち解けて会話を交わせた。
 美味しくて楽しくて大いに盛り上がった初めての会食にお世話を頂いた皆さんに感謝するばかりだ。

在宅介護中の弟を見舞った2023年09月18日

 半年ばかり入院中だった弟がようやく8月末に退院した。胃瘻の手術を終えての退院だった。退院後20日近くを経て在宅介護も落ち着いたのではないかと思い家内同伴で加古川の弟宅に見舞った。お昼頃の訪問で介護者の奥さんへの労いもあり弟宅近くの「下村」の”きざみ穴子弁当”を持参した。
 入院中の病院に見舞って以来約1カ月ぶりの対面だった。1階和室奥の居室に据えられた介護用ベッドに半身を起こしている弟の顔が目に入った。1カ月前と比べるとよほど元気そうで顔色も良い。家に戻りたいという願いが叶ったことも良い効果をもたらしているのだろう。とはいえ言葉の発声は思うに任せない。時折り単語は理解できるが会話には程遠い。それでもこちらの話しは聞き取れるので最低限のコミュニケーションは可能だ。
 ほどなく奥さんによる胃瘻を通じた弟の栄養剤注入という昼食が始まった。入院中に在宅介護のケアの研修を受けての措置である。弟の口からの食事の楽しみさえも奪われたことの哀しさを想った。今はプロ野球や大相撲のテレビ観戦が数少ない楽しみになっているようだ。
 車イス使用も困難な今はデイサービスの利用も叶わない。栄養剤の効果もあって徐々に体力も回復している。口での食事もできるよう咀嚼訓練も始まった。安定した在宅介護に向けて奥さんともども様々な試みが続いていることを喜んだ。
 2時間ばかり滞在し辞去した。弟の口から発せられた「さよなら」という明瞭な単語に送られた。

弟の在宅介護が始まった2023年09月01日

 加古川の弟の奥さんからメールが届いた。長く入院生活が続いていた弟が半年ぶりに退院したとのこと。在宅介護に向けて医療・介護の関係者との打合せ会が持たれて受入れ環境と準備は万全のようだ。
 退院後一週間は毎日訪問看護師に来てもらえるようだ。それでも在宅介護の介護者の過酷さは想像に難くない。弟の退院に安堵する反面、介護者である奥さんの心労を気遣った。
 落ち着いた頃を見はからって訪問したいとメールした。

弟の在宅介護のメドがたったようだ2023年08月22日

 1カ月ほど前に胃ろう手術で入院中の病院に弟を見舞った。3月初めに脊椎下部の仙骨骨折で手術をして以来、5カ月に及ぶ入院生活が体力を奪い寝たきり生活を余儀なくさせていた。それでも在宅療養への希望は強く、奥さんもその準備を進めていた。ただ在宅ケアには本人の体力回復と奥さんの在宅介護の訓練のため1カ月間の期間が必要だった。
 1カ月が過ぎその後の経過をメールで奥さんに訊いた。数日前に弟の在宅介護に向けての関係者のカンファレンスがあったとのこと。ケアマネジャー、デイサービス事業者、介護用品リース業者、訪問看護ステーションの看護師、病院の看護師、理学療法士、地域担当の社会福祉士等の多職種多数の関係者間の打合せ会である。在宅介護に向けて万全の備えが関係者間の連携の下で進められていることに驚くとともに心強く思った。
 その結果、今月中には在宅介護が始められるとのこと。在宅が始まれば連絡を貰い、晴れて弟宅に見舞うことができる。