福島の旅②圧巻の吾妻小富士の釜と五色沼2023年09月25日

 福島県の北西部の山形県境近くに浄土平という湿原が広がっている。その一角に標高1707mの活火山・吾妻小富士がある。吾妻小富士の目の前の浄土平ビジネスセンター駐車場にバスが着いた。
 目の前の緩やかながら長い階段を辿って吾妻小富士の頂上を目指した。予想外にキツイ300段もの階段を喘ぎながら登った先にぱっくりの開いた火口(火山の噴火口のことを『釜』と呼ぶようだ)が待ち受けいた。初めて見る火口の光景は圧巻だった。一周約1.5Kmの火口の稜線には多くの登山者たちの姿が見える。これを周遊するには1時間はかかるとのこと。さすがにこれは断念して手前の稜線を北に向かって進み民家のみえる麓の景観を展望した。登ってきた階段を下りて向かいのビジターセンターを眺めた。背後には活火山として今も噴煙を上げている大穴火口が臨めた。
 3時前に出発し4時頃に次のスポット裏磐梯の「五色沼」に着いた。磐梯山の大爆発によりできた湖沼群の総称が五色沼とのこと。バスガイドさんの「エメラルドグリーンに輝く類まれな美しさ」というガイドに期待が高まる。駐車場すぐそばの五色沼散策スポットから水面を眺めた。目にしたのは何の変哲もない緑がかった水面だった。狼狽したガイドさんが地元の人に聞くと「この夏は雨が降らなかったことがこの異常な状態を生みだしている」との情報。旅先では様々なアクシデントがママあるものと諦める他なかった。
 初日の訪問スポットを終えてバスで10分程の今回の宿に向かった。

福島の旅➀ブドウ狩り2023年09月24日

 4か月半ぶりという比較的短い間隔で家内同伴のツアーに出かけた。在宅介護で過している弟のようすを見るにつけ、いつ旅行にも行けなくなるかもしれないという想いが背中を押したことは否めない。今回のツアーは5年ぶりの飛行機利用だ。訪問スポットもフルーツ狩り、吾妻小富士の釜巡り、裏磐梯・五色沼等の自然散策と、鶴ヶ城、大内宿といった史跡探訪と盛沢山である。
 自宅からマイカーで出発しJR名塩駅前の駐車場に留め、JR宝塚、阪急宝塚、蛍池、モノレール大阪空港と乗り継いで6時半頃にツアー集合地の団体カウンター前に到着した。今回のツアーは総勢37名の参加者だった。7時55分発のANAの小型機が9時5分に福島空港に到着した。
 空港前に駐車した観光バスに乗車し、最初のスポット「飯島町観光農園」に到着した。待っていたのは「巨峰のブドウ狩り」だった。福島県はフルーツ王国でもある。到着した農園は、桃、リンゴ、サクランボ、ブドウ、ナシ等の畑が広がり四季折々にフルーツ狩りが楽しめる。
 ブドウ農園ではハウスにいっぱい実った巨峰の房が紙に包まれて天上からいっぱいぶら下がっている。30分食べ放題である。ハサミで茎の根元を切ってベンチ式の椅子に腰かけて戴く。紙に包まれているためか洗わなくても大丈夫なようだ。甘い種なしブドウのいっぱい実った房を家内と二人で3房味わった。
 農園を後にして昼食会場の「道の駅ふくしま」に向かった。このツアーでは昼食は各自で自由に食べることになっている。道の駅としてはかなり大きな売場の地元産の具材の詰まった巻き寿司を調達しフードコートで済ませた。
 その後バスは一路、今日のメインスポット・浄土平の吾妻小富士の釜巡りに向かった。

福島の旅を予約した2023年07月30日

 NHK新日本風土記「絶景鉄道 只見線」の再放送を心躍らせながら観た。その直後に旅行者から案内パンフレットが郵送された。トップページに”福島の名所・絶景・味覚・温泉の満喫の一泊二日の旅”の案内が掲載されていた。おまけにJR只見線の橋梁展望台からの展望スポットもついていた。伊丹~福島の往復直行便利用の久々の空の旅でもある。これはもう行くしかないと家内と相談し9月下旬のオンライン予約をした。
 弟が手術入院して5カ月になる。在宅介護のメドが出てきたものの通常の日常生活の復帰は望むべくもない。弟の病状を思うにつけ我が身の健康の有難さを痛感する。他方で弟と同じような事態をいつ迎えるかわからないという不安も募る。
 ”福島の旅”を即断して予約した背景に、元気なうちにやりたいことをやっておきたいという気分があったことは否めない。

佐賀の旅⑧待望の吉野ヶ里遺跡2023年06月07日

 旅の二日目の朝、テレビのニュースが吉野ヶ里遺跡の発掘調査で新たな発見があったことを告げていた。今日の最後の訪問スポットは偶然にもその吉野ヶ里遺跡である。
 水郷の町・柳川を発って北に向かって40分ほどで吉野ヶ里遺跡に到着した。今回のツアー申し込みの主たる目的でもある待望のスポットである。バス車中でのガイドさんから聞かされた遺跡の発見にまつわるエピソードが一層関心をもたらした。
 バスを降りた頃から雲行きが怪しくなった。今回のツアーで初めての天候不安である。携帯傘持参で駐車場から少し歩いてメインゲートを通過する。遺跡ゾーンを繋ぐ天の浮橋からは右手にテレビ等で見覚えのある巨大な祭殿はじめ復元された高床建物群が遠望できた。初めて目にした実写の感動の光景だった。
 広い歴史公園の中をガイドさんの案内でひたすら歩いた。吉野ヶ里遺跡は弥生時代の大規模な環濠集落である。集落入口の環濠跡をしっかり確認した。途中のスポットは帰路に各自で見学するとのことで、最も北にある「北墳丘墓」に向かった。途中で突然降りだした大粒の雨に大慌てで携帯傘を広げた。北墳丘墓は保存された発掘現場を回廊越しに見学できる施設だった。身分の高い人物の墳丘墓には14基の甕棺が出土している。
 北墳丘墓の南に「北内郭」がある。最も見学したかった建物群である。中心となる巨大な祭殿を梯子を伝って上った。突然の大勢の人影にギョッとさせられた。当時の装束をまとった大型人形たちが古代の祭事をつかさどっている場面の再現だった。北内郭の高床建物や竪穴住居をザッと見学して「南内郭」に向かった。 
 南内郭でも見慣れた建物を目にした。4棟もの物見櫓が復元されている。その内の一棟の急な階段を伝って物見台まで昇った。広大な歴史公園の復元集落の全貌が展望できた。1時間の見学時間があっという間に過ぎた。集合時間ギリギリにバスに戻った。
 この日にニュースで告げられた吉野ヶ里遺跡の新発見は、その後の発掘調査で「限られた身分の高い人だけに使われた赤色の顔料を用いた棺おけ」が見つかったようだ。邪馬台国論争にも一石を投じる発掘とのコメントもある。
 バスが予定通り5時半に博多駅に到着した。1時間の買物時間を駅構内で過ごしお弁当や缶ビールを調達し新幹線に乗車した。新神戸経由で神戸電鉄に乗り換え本降りの雨の中をマイカーで10時頃に自宅に戻った。”歴史ロマンとグルメのがばい佐賀二日間”のそれなりに充実した旅を終えた。

佐賀の旅⑦水郷・柳川の船下り2023年06月06日

 祐徳稲荷神社を後にしたバスは、東に向かって進み、有明海の北の縁を辿って約1時間をかけて1時頃に対岸の町・柳川に着いた。バスを下車した一行は街の中心部の乗船場まえの広場に集合。ここで一旦解散して各自で昼食や散策をして1時間後に再集合とのこと。
 あらかじめリサーチしていた名物の鰻のせいろ蒸しを求めてすぐ近くの”ウナギ屋本店”に入った。長テーブルの一角に席をとりせいろ蒸しを注文した。川沿いの窓越しには船下りが行き交う光景を目にした。注文してから蒸すためか少し待たされてせいろ蒸しが配膳された。せいろで蒸しあがったアツアツの料理である。鰻ダレの御飯の上に焼きあがった鰻とキンシ卵が載せられている。初めての”鰻のせいろ蒸し”美味な体験だった。
 昼食に予想外に時間がかかり散策時間が少なくなっていた。川に沿って北原白秋生家を目指した。平日午後の時間帯ながら風情のある街並みを大勢の観光客が行き交っている。白秋生家に到着した時は集合時間10分前だった。入館を諦めて外観の写真撮影だけを済ませ集合場所に急いだ。
 2時から事前予約の客を対象に「城門観光」の船下りに乗船した。申込みの半数ずつに分かれて編み笠に法被姿の初老の船頭さんの操る小舟に8人ばかりが乗り込んだ。旧柳川城の掘割を巡る約40分のコースだった。途中で背の低い橋の下をくぐる時、橋の真ん中に縄梯子が吊るされていた。乗客は思い切り頭を下げて通過するが、驚いたことに船頭さんは縄梯子を使って橋によじ登り橋の上を通過した。観光スポットのガイドだけでなく船頭さんは白秋の童謡をはじめ様々な舟歌を披露してくれる。なかなかの歌唱力だった。
 今、柳川の町は大規模な街並み改修工事が始まっている。そのため掘割の両岸の柳の並木は殆どが伐採され、かつての風情をなくしている。そんな船頭さんの解説に少しばかり落胆するほかなかった。
 乗船場で船を降りバスの待つ駐車場に向かった。15時頃にバスが最後の訪問スポット吉野ヶ里遺跡に向かって出発した。

佐賀の旅⑥舞台様式の彩り豊かな祐徳稲荷神社2023年06月05日

 二日目の2番目の訪問スポットは大河内山の南東20kmばかり行った有明海に近い位置にあった。大鳥居を通過して間もなく車窓から朱塗りの舞台のある壮大な社が見えた。日本三大稲荷神社のひとつで、九州では太宰府天満宮に次ぐ300万人の年間参拝客を集める祐徳稲荷神社である。
 バスを降りると目の前に幾つもの社や関係施設が並び建つ広大な光景が現れた。参道入口の朱色の太鼓橋を渡ると右手に一般参拝客用の参道が伸びており、浅草の門前仲町風の商店街が軒を連ねている。
 二階建ての屋根のある堂々たる楼門をくぐると広い境内を取り囲むように本殿、神楽殿、参集殿が建ち並ぶ。坂道を辿って舞台の上に建つ拝殿に向かう。日光東照宮を思わせる鮮やかな色彩の拝殿で参拝し、拝殿横の稲荷神社ならではの鳥居が立ち並ぶ参道を進み奥の院に向かった。奥の院のゴールが見えない懸念もあり途中の末社前で折り返した。拝殿からの下り階段の途中で見上げると舞台を支える見事な柱組の迫力ある光景が迫っていた。
 伏見稲荷大社の壮大さに迫る稲荷神社の迫力と華やかさに圧倒された。ただ建造物の多くがコンクリートで構成されていることに多少の違和感があった。名前すら知らなかったこの稲荷神社を通して旅が教えてくれる非日常の世界を噛み締めた。

佐賀の旅➄秘窯の里・大河内山の山水画の景観2023年06月04日

 佐賀の旅二日目の最初の訪問は”大河内山(おおかわちやま)”という初めて耳にするスポットだった。唐津から南に20Kmばかりの伊万里焼の窯元の里である。
 バスを降りると目の前に風光明媚な里山の集落が広がっていた。少し歩いて集落の入口に着いた。伊万里焼なのだろうか大きな陶板の案内マップの前でバスガイドさんからこの”秘窯の里”の散策案内を聞いた。
 集落を南北に走る大通りを北に進む。途中の右手の緩やかな坂道を辿った時、ツアーのキャッチコピー”山水画を思わせる景観”が現れた。窯元の風情のある煙突、左右の白壁の街並み、正面の屏風岩等、いかにも山水画の風情漂う景観だった。
 大通りに戻り集落の東を流れる小川に沿って北に向かった。小川の左右は苔むした石垣が続き、川面にも石畳が敷かれて癒される景観である。犬の散歩中の地元のおばさんに道を尋ねた。親切に観光案内を兼ねて”陶工の墓””関所跡”のスポット迄案内してもらった。
 1時間ばかりの秘窯の里・大河内山の滞在を終えてバスが次のスポットに向けて出発した。

佐賀の旅④ホテルの不本意な料理に楽しさ半減2023年06月03日

 唐津市街地の長い散策で疲れた体をホテルの大浴場に浸かって汗を流した。6時に夕食会場の大宴会場に向かった。宴席ではないのでグループごとに三々五々4人席のテーブルに着席する。
 「佐賀牛しゃぶしゃぶ会席」というふれこみの料理が既にテーブルに配膳されている。お刺身三種盛り、しゃぶしゃぶひとり鍋、揚げ物、よもぎ餅、イカの塩辛、香の物、炊き込みご飯、デザートといったお品書きだった。生ビールを別注してたっぷりあるアテで喉を潤した。料理の感想は残念ながらホテルの料理としては×印だった。しゃぶしゃぶのお肉は柔らかく美味しかったが量が少な過ぎた。エビと野菜の天ぷらとアジのフライといった揚げ物は揚げたてに程遠く素材もイマイチ。中でもべちゃついた炊き込みご飯は最悪だった。一泊二日のツアーで唯一の夕食は何よりの楽しみである。それがこのレベルではツアーの楽しさも半減した。
 早々に夕食を終えて1階のショップに向かった。お土産の物色に余念がない家内を残して一足先に部屋に戻り、2度目の入浴を済ませた。
 翌朝5時過ぎにいつものように早朝ウオーキングに出かけた。ホテルは北側の玄界灘と南側の松浦川に挟まれた岬のような地形の真ん中あたりに建っている。ホテルのすぐ東側から”虹の松原”が続いている。東に向かって虹の松原を進み、途中から玄界灘を望む砂浜に出た。ここで折り返して西に向かって松浦川沿いの遊歩道を歩いた。唐津城の雄姿が遠望できた。
 ホテルに戻り朝食に出かけた。6時45分と早目に会場に着いたが既にテーブル席はほぼ満席状態。ビュッフェスタイルなので混雑をかき分けて食材を皿に盛りつけていく。コロナ禍明けの国内観光の復活ぶりを目の当たりにした。朝食もまた不本意なレベルだった。ホテルバイキングの楽しみは新鮮で珍しい地元食材だが、ありきたりの食材ばかりが目につき、残念ながら期待は満たされなかった。
 部屋に戻り、朝ドラを観た後、8時15分出発予定のバスに乗り込んだ。

佐賀の旅③浜野浦の棚田から唐津市内巡り2023年06月02日

 3番目のスポット「浜野浦の棚田」はバスで南に向かって20分ばかりのところにあった。玄界灘を背景にした急な勾配に階段状に棚田が広がっていた。5月末のこの時期は田植えを終えた水田がひと際美しい。
 初日最後のスポットを後にしてホテルに向かった。「ホテル&リゾーツ佐賀・唐津」には予定より30分早く3時半に到着した。チェックインの際に佐賀県の地域クーポンが配られた。デジタルクーポンと紙クーポンの選択制である。お釣りが貰えて手間のかからない紙クーポンを選んだ。指定された部屋は松浦川に面した広々とした部屋だった。夕食までの2時間を市内観光で過ごすことにした。
 最初に向かったのは徒歩15分ばかりの唐津城だった。登城口まで珍しい斜行エレベーターがあったので利用した。登城口から階段を伝って各階の展示を見ながら最上階の5階に着いた。玄界灘に浮かぶ島々のの眺めが珍しい。その中に台形のひときわ目立った島がある。神功皇后の新羅出兵に由来する神集島(かしわじま)である。
 バスガイドさんの車内案内でお勧めの唐津市街地の名所スポットに向かった。曳山展示場と旧唐津銀行がお目当てだった。唐津神社西側にある筈の曳山展示場は改装中で唐津駅前に移転していたことを途中で知った。お城から約1kmを歩いてようやく駅前展示場に辿り着いた時は5時過ぎで既に閉館していた。やむなく駅前広場の「曳山像」を撮ってお茶を濁した。
 歩き疲れて駅前からはタクシーに乗車した。途中、ドライバーにお願いして「旧唐津銀行」前に停車してもらった。現在も「辰野金吾記念館」として館内が開放されていた。
 6時からの夕食の40分前に疲れ果ててホテルに到着した。

佐賀の旅②名護屋城博物館の充実ぶり2023年06月01日

 呼子から西に10分ほどのところに名護屋城博物館があった。バス駐車場から博物館に向かう道すがら右手の小高い丘の名護屋城跡を確認した。左手には横長の立派な建物・名護屋城博物館が見えた。
 館内の展示物の点数の多さと充実ぶりに驚かされた。名護屋城は太閤秀吉が朝鮮出兵に当たって築かせた日本側の拠点である。こうした出兵目的の築城という点に配慮してか博物館は常設展示の主題を「日本列島と朝鮮半島の交流史」としている。
 2階展示室には「名護屋城以前」「歴史の中の名護屋城」「名護屋城以後」の3コーナーの展示がある。全ての展示にハングル文字が併記されている。朝鮮出兵という国際的には負の歴史に依拠した史跡への忖度が見て取れた。朝鮮出兵コーナーの中核に設置された当時の日朝の軍船の10分の1の復元模型に興味を引かれた。
 展示を観終えて一階ロビーに降りた時、茅葺屋の陣屋のジオラマが目についた。博物館裏手に隣接する「木下延俊陣屋跡」の紹介である。早速見学に向かった。林の中に御殿風の陣屋跡が現れた。パンフレットで木下延俊なる人物が秀吉正室の兄の三男であることを知った。それだけに身内の少ない秀吉の信頼も厚く、この陣屋も名護屋城の要所である大手口近くに位置している。陣屋跡が伝える物語である。
 これだけ充実した博物館だが入館料は無料である。佐賀県はなんと太っ腹なんだろう。2時半頃に名護屋城博物館を後にした。