さらば!メラノーマ2017年04月11日

 2007年3月8日、悪性黒色腫(メラノーマ)というおどろおどろしい病名の皮膚癌で2度目の手術を行った。我が右手親指は根元から切除され永遠に返らぬことになった。以来、抗がん剤投与に始まって徐々にゆるやかな治療や検査を受けながら闘病生活が続いた。
 癌の術後の経過観察期間は10年で完結する。その丸10年を超えた昨日、最後の診察を受けるべく大阪市大病院に出かけた。昨年10月に最後の血液検査とCT検査を終え異常が見られなかったことから今回は10年を超えた時点の最後の診察だった。
 9時の診察開始と同時に診察室に入った。大病院での手術と治療だったので、定期的に人事異動が行われる。10年前の執刀医から数えて主治医は5人ぐらい代わっている。最後の主治医も3回目ぐらいの受診で馴染みは薄い。患者の方は闘病の卒業というメモリアルな受診ではあっても前任者から引き継いだ主治医からすれば担当患者の単なる病状の通過地点でしかない。患者の側からは「永い間お疲れ様でした」位の言葉があるかと思ったが特にない。「今後は気になることがあったらかかりつけ医との相談で処置して下さい」とのこと。おだやかな語り口ながらビジネスライクな診察を終えて会計に向かった。
 9時15分には病院を後にした。もう来ることもない病院である。思えば人生の最大の危機と言えるシーンを過ごした場所である。病院の建物を今一度振り返り天王寺駅に向かった。

突然の頭痛と立ちくらみにうろたえた2017年03月17日

 昼食を挟んだ会食の帰路だった。瓶ビール一本分の心地よい酔いに任せて住宅街に架かる橋を渡っていた。突然、後頭部に締め付けられるような痛みに襲われた。追いかけるように視界が回転するような立ちくらみに見舞われた。ヤバイッ!これは人伝に聞く脳梗塞の症状ではあるまいか。欄干に掴まってしばらくじっとしていたらスーッと症状が消えた。束の間の恐怖にうろたえたが、歩き出してみるとなんともない。無事に帰宅した。
 その後の慌ただしい日程に紛れて何事もなくその日を過ごした。翌日、やっぱり不安になって家内に昨日の出来事を告げた。案の定、すぐに行きつけの脳外科病院に行くことを強く求められた。朝一番の診察を受診できた。2年前にもCTとMRIの検査を受けた病院である。過去のカルテを診ながら今回もCT検査を受けることになった。検査結果を待って再度診察室に入った。
 PCモニターの画像を見つめている若い担当医のお告げを待った。「前回の検査と比べても特に問題はありません。この状態ならMRIの検査も必要ないでしょう」とのこと。症状の割にあっけない検査結果だった。それでも今回初めて味わった症状は結構深刻なものだったことは否定できない。何やら爆弾を抱えたような気分ながらひとまず安堵した。

かかりつけ医の見直し2016年12月28日

 ふと気が付いたら毎日服用している降圧剤の在庫が2日分しかない。処方してもらっているかかりつけ医院は明日29日から正月三カ日は休診で、今日も午後から休診である。今日午前中は大津まで年末帰省の花ちゃんを迎えに行くことになっている。ヤバイと一瞬うろたえたが即座に「別解」を選択することにした。かかりつけ医院の見直しである。
 二三日前から風邪気味だった。花ちゃんとの生活が始まるまでにクリニックで診察を受けるつもりだった。既に降圧剤以外の診療は新たに開業したクリニックに切り替えている。福祉ネットのアドバイザーでもある40代後半のまだ若い先生である。訪問診療にも積極的で今後永いお付合いが期待できる。幸いそのクリニックは今日の午後も診療可能である。いい機会だ。この際全面的にそのクリニックをかかりつけ医院とすることにしよう。
 午後の診察開始を待って服用中の降圧剤を持参してクリニックを訪ねた。降圧剤追加と風邪薬の処方をしてもらった後、福祉ネット絡みの雑談を交わした。訪問診療や看取りの推移を訪ねたところ、「訪問診療はかなり増えてきました。看取りについても多くの経験をさせてもらっています」とのこと。「それでは私がお世話になる頃には十分な経験を積んで診てもらえますね」と冗談交じりに返した。気さくで気心の知れた相性の良いかかりつけ医にめぐり合えたと実感した。

血糖値検査はグレーゾーンでギリギリセーフ!2016年12月20日

 自宅で計れる血糖値検査器を3月に購入して以来、月一回月初に定期的に血糖値を計っている。起床直後の空腹時と夕食2時間後の2回の計測である。当初は特に異常値は見られなかったが、月ごとに悪化し基準値をオーバーするようになった。特にこの12月初めは218、275と基準値をはるかにオーバーした。
 さすがにこれはヤバイと思い、一週間前にかかりつけ医で検査を受けた。昨日、検査結果を聞きにクリニックを訪ねた。この間、10年前に脳梗塞を発症した弟から発症前の血糖値やコレステロール値が異常に高かったという情報もあって不安が募った。旧知のドクターの待つ診察室におそるおそる入った。
 専門機関による血液検査の結果は133で糖尿病手前のグレーゾーン内だった。コレステロール値もオーバー気味である。とはいえ恐れていた大病の懸念はひとまず免れた。
 高血圧、前立腺肥大症、高目の血糖値と加齢に伴う病いの前兆とのおつきあいが始まっている。

ヤバイ!薬漬けか?2016年11月30日

 ここのところ朝食前後に大量の薬剤を服用する羽目になった。急な病に立て続けに襲われた。ひとつは持病のポスナーシュロスマン症候群という目の病が再発した。左目がかすみだして見えにくくなるという自覚症状ですぐにかかりつけの眼科で受診した。眼圧が36と異常に高く眼球の炎症もあった。いつも通り眼圧と炎症抑制の点滴薬で様子を見ることになった。
 今ひとつは風邪の症状が酷くなった。熱こそないが鼻水、咳、痰が止まらない。かかりつけのオヤジ会メンバーでもあるクリニック院長を訪ねた。1回2錠の咳止め、痰の切れと鼻水排出の薬と痰・咳止めの漢方薬を処方してもらった。
 この二つの症状に対する点眼薬2本と錠剤3錠と顆粒剤1袋に加えて常時服用中の高血圧の降圧剤、前立腺肥大症の薬の2錠がある。というわけで朝食前後には合計8個もの薬を服用する。いくら何でもこれは多すぎるだろうとは思tったがやむをえない。
 4日ばかり服用して風邪は治まった。眼圧も一週間後の診察で13にまで低下し炎症も軽微になった。ようやく常用薬2錠に戻り薬漬けから脱出した。

皮膚癌闘病の卒業2016年10月18日

 大阪市大病院に出かけた。10年前に発病した皮膚癌の手術と治療で50日に及ぶ入院生活を過ごした病院である。以来、退院直後の抗がん剤治療も含めて定期的に通院した。
 この間のPET検査、CT検査、腫瘍マーカー検査では幸いにも転移の兆候はなかった。とはいえ10年間は経過観察が必要だった。その10年間がほぼ終了し、今回のCT検査と血液検査が最終的な検査となった。その検査を早朝に済ませ10時過ぎの診察で主治医から結果が伝えられた。
 一抹の不安はあったものの主治医の前のプリンターから出力される検査報告書の内容が告げられるまでは多少の緊張がよぎった。主治医から告げられた「問題ありませんでした」という言葉に長かった闘病がようやく終了したことを実感した。最終的に来年四月にもう一度来訪するが、これは診察だけであり、どちらかと言えば形式的な確認と言ってよい。
 帰宅して家内に結果を告げると思わぬ反応が返ってきた。「そしたら来年四月は私も一緒に行って、帰りにハルカスに寄ってみよう」。入院中は足しげく家内も訪れた病院である。その当時はハルカスはまだ完成していなかった。なるほど闘病卒業記念を病院最寄りの新名所で夫婦で祝うのも悪くない。

降圧剤減量の効果2016年09月09日

 6年前に健康診断で血圧が上153、下101という数値が判明し高血圧と診断された。最寄りのかかりつけ医で1日2錠の降圧剤を処方してもらい服用を続けた。その後、血圧は順調に下がり直近半年の平均値は132/71と70代男性の正常値146/80を大きく下回った。
 これまでならそのままにしているのだが、最近在宅ケア関係の書籍を読むにつれ投薬の副作用の懸念を気にするようになった。投薬中止とまでは言わないまでも減量という選択肢はあると思った。そこで2カ月前の処方時にかかりつけ医に2錠の処方の1錠への減量を依頼した。医師は消極的ながら2カ月後の数値によっては元に戻すことを前提に了承した。
 その後2カ月間、1日1錠の減量服用を続けた。この2カ月間の平均値は135/75という結果で多少上昇したものの依然として70代男性の正常値を大きく下回っている。昨日、錠剤処方のためかかりつけ医を訪ねプリントした集計データを見せて 結果を伝えた。もちろん錠剤服用の減量が継続されることになった。
 かかりつけ医にとっても良い経験だったのではないか。ネット社会が浸透し高齢者と言えども様々な情報を入手できる時代になった。物言わぬ患者が徐々に多くの情報を身に着けた患者になりつつある。開業医も日々研鑽が求められる。地域医療にとって身近なかかりつけ医は貴重な存在である。それだけに患者自身がかかりつけ医を育てるという姿勢で診察を受けることも必要ではあるまいか。

癌・闘病記2016年09月02日

 昨日、ブログで長尾和弘著「抗がん剤10のやめどき」の書評を記事にした。これを書きながら自分自身の9年前に始まった「癌との闘い」を思い起こした。50日間の入院生活を余儀なくされたその日々を「闘病記・患者の達人」と題して毎日欠かさずブログに綴り、HP上に「病の移ろい(病状遍)」 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/toubyouki-yamai.htm と「病棟の風景(生活篇)」 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/toubyouki-hukei.htm に分けて再現した。今日あらためて膨大なその闘病記を読み返した。
 発病以来9年6カ月が経過した。その後の経過は恐れていた転移もなく極めて順調である。10年の経過観察期間終了まで後半年を残すばかりになった。癌という厄介な病との闘いを何とか乗り越えられそうだ。
 「抗がん剤10のやめどき」を読み終えてあらためて様々な幸運に恵まれたのだと思った。61歳の時の悪性黒色腫という一種の皮膚癌のステージⅡの病期の発症だった。癌の発病年齢としては比較的若かったのではないか。それだけに癌細胞増殖や転移のリスクも大きかったと思う。DAV-feronという抗がん剤も術後と退院後2回の3回に渡ってが点滴投与された。ちなみにこの抗がん剤療法は今日ネットで調べると「悪性黒色腫のステージⅡ、Ⅲの術後補助化学療法として一般的であるが、予後延長効果を解析したところ有意な改善効果は見られなかった」という2013年の報告を見つけた。今となってはあの抗がん剤療法はあまり意味がなかったと思わざるをえない。それでも副作用のリスクの大きい抗がん剤も私には顕著な作用がなかったことにむしろの感謝すべきだろう。
 いずれにしてもこの著作は、我が身に起こった癌との闘病をあらためて見つめ直す良い機会となった。

前立腺肥大症の一喜一憂2016年08月25日

 3年前に前立腺肥大症の診断を下された。血液検査でPSAが基準値4.0を超えたためだ。以来、タムスロシンという内服薬を常用する羽目になった。降圧剤とともに朝食後の服用薬として定着した。
 6カ月ごとの血液検査で測定するPSA値は基準値未満で推移しているが、時に思い出したように基準値を超える場合がある。昨年8月に4.04をマークしたが2カ月後には2.84に納まった。ところが今年6月に再び4.59の数値になった。「次回8月の血液検査で基準値を超えた場合、MRI検査をやりましょう」と主治医に告げられた。
 PSA検査は前立腺癌の早期発見のための検査である。それだけに異常値は気がかりだ。そこで今回の血液検査では万全の態勢で臨んだ。三日間もの禁酒を断行した。晩酌がかけがえのないものになった今、禁酒三日は「断行」というほかはない。医師の指示は前日の禁酒だが、飲酒とPSAは結構因果関係がありそうなのは過去の経験で学習していた。そして迎えた血液検査の結果は2.41と過去最低の数値だった。
 主治医曰く「こんなに変動があるのも珍しい。検査に当たって何か思い当たることはないですか?」。私「実は禁酒を三日間続けました」。主治医「それでこんなに効果があるんだったら次回もぜひそうして下さい」。三か月後に禁酒三日のPSA血液検査が待っている。

降圧剤の減量処方2016年07月12日

 6年前に健康診断で高血圧が判明した。上が153、下が101という数値に狼狽した。すぐに最寄りのかかりつけ医で降圧剤2錠を処方してもらい、服用を始めて丸6年が経過した。
 その際に血圧計も購入し、毎日朝晩欠かさず計っており、年ごとの上下の平均値も集計している。これをみると6年前のピーク時の上下の平均値144、94は、年を追うごとに順調に下がり今年半年間の平均値はそれぞれ132、71と高齢者の正常値を大きく下回っている。
 最近の読書は福祉ネットの関係で、認知症、医療施設、介護施設、平穏死といった医療関係の専門書に集中している。この読書体験を通じて薬剤服用の問題点を痛感した。かつて「降圧剤は一度服用を始めると止めることはできない」という情報を聞き、それを鵜呑みにし忠実に服用してきた。正常値以下になり、処方減量を実施すべきと判断した。
 今日、2カ月毎の薬剤処方でかりつけ医に受診した。6年間の血圧推移のデータのプリントを示して処方の減量を要請した。「数値がかなり安定していること。薬剤服用の問題点を感じていること。一度降圧剤を減量してどうなるかを試してみたい」旨を伝えた。かかりつけ医の反応は消極的だった。「今が一番いい状態なのでこのまま続けてはどうか。減量すればまた上がる筈」というものだった。ここは引くことはできない。「2カ月後に上がっているようなら元に戻すので、今回は減量をお願いします」と言い切った。
 はてさて2カ月後にどんな結果になるだろうか。