手術2カ月後の手根管症候群の診察2024年03月06日

 1カ月ぶりに神戸労災病院を訪ねた。手根管症候群の術後2カ月の診察とリハビリのためだ。9時半に診察室前の待合室に着いた。
 目の前の壁に掲示された日本手外科学会発行のポスターが目についた。整形外科の一専門分野のようだ。手根管症候群を始め、腱鞘炎・バネ指、テニス入肘、間接リュウマチによる手指の変形、手の関節の痛み等の様々な手指の障害の治療が案内されていた。隣には私の執刀医である金谷医師を紹介した新聞記事も掲載されていた。
 8時45分に診察室に案内された。問診に「右手指の痛みは少し楽になっているが、痺れは依然として続いている」旨を伝えた。「経過は問題ありません。手指を一本一本反らせるリハビリを続けて下さい。次回は3カ月後に診察します」とのことで5分程で終了。
 3階のリハビリ室に行った。若い女性の作業療法士から雑談を交えながら30分ばかりマッサージを受けた。最後のリハビリを終えて9時半頃に病院を後にした。

手根管症候群の術後の2度目の診察2024年02月07日

 神戸労災病院を訪問した。1月16日の手根管手術3週間後の2度目の診察日だった。8時50分頃に診察室に呼ばれた。この手術の権威である女性主治医が患部を診せた。右手首真ん中の手術傷は殆ど癒されているが、傷跡の皮膚は固くなっている。痺れや麻痺は続いているが刺されたような鋭い痛みはなくなった。そんな患者の申告を訊いて主治医がコメントした。「痺れや麻痺は1年ほどかけて少しずつなくなります。傷跡の痛みは1カ月ほどは残ります。傷跡に力がかかるのは避けて下さい。1か月後に診察を受けて下さい」。自信満々の口調の処方が告げられてあっというまに診察が終わった。
 9時前に3階のリハビリ室で3度目のリハビリを受けた。温水バブルのリハビリの後、いつもの若い女性作業療法士のマッサージを受けた。3度目となるとリハビリ以外の世間話の会話も弾む。1か月後の診察の後、最後のリハビリを予約してリハビリを終えた。

前立腺肥大症の定期検査は今回も無事通過2024年02月01日

 持病のひとつに前立腺肥大症がある。日常的には済生会病院泌尿器科に通院して処方された錠剤を服用している。半年毎に血液検査を受けて前立腺癌の腫瘍マーカーであるPSA値を測定し、4.0以上の場合は再度血液検査を受けることになる。再検査でも基準値を超えた場合は、前立腺生検(病理組織検査)という厄介で嫌な検査を受けなければならない。一度経験したが二度としたくないとんでもない検査だった。
 この持病とは10年来の付き合いである。永年の付き合いを通してそれなりにPSA基準値抑制の対策も把握できるようになった。事前のアルコール摂取との関りが大きい。主治医の指示は「前日の禁酒」である。その指示を守っても基準値を超えることがあった。そこで好きな飲酒であるが、ある時期から思い切って「三日前からの禁酒」を課した。これが見事に奏功した。以来基準値を超えたことがない。
 今回も3.02と基準値未満でパスした。

神戸労災病院で手術後の2度目のリハビリ2024年01月30日

 朝7時半に自宅を出て家内の運転する車で神戸労災病院に向かった。23日の手根管症候群手術の抜糸後の2度目のリハビリである。
 8時半のリハビリ開始と同時に広いリハビリ室に案内された。前回担当の若い女性作業療法士さんから機器による二つの血流促進のリハビリを指導された。その後、患部のマッサージを受けた。
 マッサージを受けながら気になっていた「手根管症候群の手術をした後、同じ症状の再発はないのか?」という点を尋ねた。「同じ症状の再発はないだろうが、手指の使い過ぎによっては別の痛みは起こりうる。過度の使い過ぎには注意が必要」とのこと。
 50分ばかりのリハビリを終えて会計を済ませて9時半に病院を後にした。

右手のギブスを外し抜糸した2024年01月24日

 手根管症候群で右手首の切開手術をして1週間が過ぎた。執刀医による術後の再診のため神戸労災病院を訪ねた。朝一番の予約で8時45分には診察室に案内された。昨日の朝からの手の甲の腫れが気がかりだった。開口一番、執刀医から「手が腫れていますね。リハビリで収まりますから。今日はギブスを外して抜糸をします」と声を掛けられた。
 包帯を鋏で切ってギブスが外された。術後の赤黒い切り傷に対面する。室内の洗面台で一週間分の手洗いをして診察用ベッドに横たわる。「今から抜糸します。少しチクチクします」と告げられ抜糸が始まった。チクチク程度でない数度の鋭い痛みを我慢してあっというまに抜糸が終わった。「この後、リハビリを受けて下さい。2週間後にもう一度診察して経過に応じて再診の判断をします」とのことで診察終了。忙しそうな女医さんから辛うじて「痺れや麻痺はすぐには取れません。1年ほどかかります」という情報を聞けた。
 リハビリ室で若い女性の療法士さんからリハビリを受けた。手の甲の腫れを丁寧にマッサージして貰い幾分腫れが引いた。手指や掌のリハビリを指導してもらいながら気になっていたことを訊いた。「神経を圧迫して痺れを発症させていた手根管を切開したら痺れは消えるのではないか」という問いに「手根管の圧迫で神経自体が痛んでいる。その神経の回復には1年近くかかる。手術してすぐに痺れがなくなるわけではない」と回答。手術すれば痺れはすぐになくなるのではないかという甘い期待は、説得力のある療法士の回答で砕かれた。
 8時半に病院に着いてから1時間半で病院を後にした。予想外に早い通院だった。

手術後の日常の不便さ2024年01月18日

 手の手術を終えて一夜が明け、あらためて日常生活の不便さを思い知らされた。痺れや麻痺の感覚は手術前より幾分かましになった気がするが、右手が殆ど使えない。このブログも左手でマウスと人差し指で時間をかけて入力している。右手の人差し指は使えなくはないが、「使うことで回復に影響がある」との執刀医の宣告には抗えない。
 起床して何とか朝食やパソコン・チェックはできるが、着替えは独りではできない。家内の起床を待って介助して貰うしかない。そのためいつもの早朝のウオーキングは断念した。辛うじて2時頃にコーヒーブレイクを目的にコンビニに出かけて5千歩ばかりを稼いだ。
 右手の不自由さにかこつけて何事も消極的になる。だらだらした日常に埋没しがちとなる。紺地に白の柄の風呂敷を三角巾代わりに使っている。いかにも病人と思わせる白いガーゼよりましだと判断した。少しでも前向きな気持ちを維持したい。23日の次回診察でギブス撤去までの辛抱だ。

手根管症候群の手術を終えた2024年01月17日

 神戸労災病院の待合室に2時前に家内と一緒に待っていた。2時40分に着替えをして看護師さんに連れられて5階の手術室に向った。何室かの手術室のひとつに案内されて手術台に横たわる。手術中の血圧や血中酸素等のチェック器具が装着された後、執刀医の金谷医師が登場。いよいよ手術が始まる。手術前の血圧の160という異常値が緊張感を裏付けていた。
 手術の様子は布で遮断されて窺えないが、逐次執刀医の解説が伝えられる。「局所麻酔します。かなり痛いですがんばってください」。確かに猛烈に痛かった。麻酔で麻痺した手首にメスが入った感触が伝わる。時折りメスが神経にふれて鋭い痛みが走る。手術自体は10分ほどの短時間だが、緊張に包まれた過酷な時間だった。「終わりました。うまくいきましたから安心してください」という声掛けに、解き放たれた緊張感が安堵の吐息を漏らした。包帯に覆われた右手首の分厚い石膏ギブスを目にした。術後のむくみ予防のため患部を心臓より高い位置に保持しなければならない。そのため持参の三角巾を看護師さんにつけてもらった。
 3時10分頃に家内の待つ1階整形外科の待合室を通り、診察室に入った。家内に手伝ってもらい着替えを済ませた。1週間後の診察でギブスが取れるまでの不自由な日常生活を覚悟した。看護師さんから術後の諸注意を聞き痛み止めや抗生物質の処方箋を受取った。会計を済ませて3時半頃には病院を後にした。
 この後どんな治療効果が現れるか。術後の痛みはどうか。不安はあるもののともかくひと山超えたという感慨があった。

手根管症候群の手術の日2024年01月16日

 右手指の麻痺と痺れの症状が神戸労災病院の専門医の診断で手根管症候群と確定した。手首付近の手根管内の正中神経の圧迫が症状の原因とのこと。検査で症状は重度と診断された。担当医は手外科では著名な金谷整形外科部長だった。12月下旬に検査を受けて重度と確定した際に、即座に手術を申し入れた。その結果1月16日の手術が確定した。
 手術に向けて説明書、同意書、事前事後の注意書などが渡された。手術は掌の手首付近を局所麻酔して手根管の天上を切り開いて管の中の正中神経の圧迫を除去するというものだ。手術自体は30分程度であり、近親者の車の送迎が可能な場合は日帰りで済む。
 説明書には「術後1週間のギブス固定とその後のリハビリが必要」「神経回復には長期間を要し、完全な回復は困難で、しびれは残る可能性は高い」「術後の手術創の痛みが続くことはあるが徐々に改善する」とある。医療側の手術のリスク・ヘッジの趣旨もあるのだろうが、不安感は拭えない。とはいえ専門医であるドクターにお任せするしかない。
 その手術の日がやってきた。

手根管症候群の検査結果は”重度”と判明2023年12月29日

 今月初めに神戸労災病院で右手の人差し指、中指の麻痺と痺れの診察を受けた。この分野では著名な女性医師による見立ては「手根管症候群」だった。治療方針は20日後に症状の進行状況診断で確定するとのこと。
 その診断を受けるため神戸労災病院を訪ねた。予約時間の10時に診察室に案内され神経電動検査を受けた。電気刺激によって指ごとの手根管内の反応速度を測定し、症状の度合いを診断する。検査結果は初期でも中度でもない手術も検討すべき重度の症状だった。
 痺れや麻痺の自覚症状はリハビリだけでは治まるとは思えなかったので手術の決断も覚悟していた。医師の打診に「手術の場合、最短でいつになりますか?」と応じた。患者の即断に驚きながらも手術室の空き状況を確認して来月16日の手術を確定して貰えた。
 「それなら手術前の心電図と血液検査も今日済ませてしまいましょう。お宅が遠いですから通院が省けます」ということでその二つの検査も済ませた。血液検査の結果が分かるまで1時間ばかり待って、再び診察室に入った。「検査結果は問題ありませんでした。手術は私が執刀します」ということで手術の説明書と同意書が渡され、手術の事前手続きが完了した。
 12時過ぎに会計を終えて家内の運転する車で帰宅した。

手指の痺れの原因判明!やっぱり手根管症候群2023年12月07日

 右手指の痺れと痛みが治まらず、半月ほど前に 地元の整形外科クリニック・石岡整形で診てもらった。ネットで調べて”手根管症候群”ではないかと自分の見立てを伝えたが手首の中心をハンマーで叩いても反応がないことから「そうではない」と告げられた。ただ患者の懸念を察してか総合病院の専門医を紹介してもらった。
 家内と一緒に紹介された神戸労災病院の整形外科を訪ねた。若い女医の事前診察で手のレントゲンを撮った後、手外科専門の金谷女医の診察を受けた。問診、触診、レントゲン結果を確認し次のような見立てを告げられた。「手根管症候群に間違いありません。進行状況等は今月中に検査をして判断し、その上で治療方針を決めましょう。起床時の痛みは就寝中の曲がった状態の手首の固定化が原因です。就寝中は別途手首サポーターを購入して着用することを進めます。この後リハビリステーション室で日常生活でのリハビリの仕方を習得してください」。
 診察後、3階のリハビリ室で理学療法士から、症状のある指や手の甲を反対の手で反らせる運動を繰り返し行うよう教えられた。手根管症候群とは、手首の付け根部分にある骨と靭帯に囲まれた手根管という管の腱鞘が炎症を起こして厚くなり中の神経を圧迫して痛みを発症している症状である。手首や指を反らすことで圧迫を抑え痛みを緩和する訓練が必要になる。リハビリを終えて売店で手首を固定するサポーターを購入し、会計を済ませて病院を後にした。その夜、手首サポーターを着用して寝たところ翌朝の起床時の痛みはなかった。
 長く手指の痺れと痛みに悩まされ、その原因が特定されず、治療もできなかったが、ようやく専門医の明快で納得できる見たてを聞いた。今月下旬には検査を受けて具体的な治療方針が確定し治療が始まる。ヤレヤレである。