五木寛之「燃える秋」「狼たちの伝説」2009年11月05日

 五木寛之の小説を2冊続けて読んだ。一冊は書棚の中に埋もれていた作品「燃える秋」だった。20年近く前に発行の余り記憶にない作品だ。五木作品では珍しい女性が主人公の恋愛小説だった。ところが単なる恋愛小説ではない。作者は「あとがき」でこの作品のテーマを端的に記している。『私たちの国では、古くから男は義に生きるものとされてきた。そして、女は愛に生きることを良しとされる雰囲気が濃厚だった。(中略) 時勢に背を向けて、愛に生きる男がいても一向におかしくないように、義に生きる女がいて悪い理由がない』。作者は「義に生きる女」という意表をついたテーマを読者に投げかけている。性的本能と愛との葛藤を取りあげながら、最終的にはイランの地に留まって遊牧民たちとともにペルシャ絨毯を織りながら生活するという「義の世界」を選択する女性の物語である。心から愛した恋人に別れを告げる手紙が物語の最後を飾る。手紙は彼女のそうした選択に至る心情を美しく説得力ある言葉で綴られている。愛の形のこんな物語もありうるのかと考えさせられた作品だった。
 もう一冊は、つい先日に購入した「狼たちの伝説」である。日本が戦後の復興から高度経済成長に至る時代に生きた男たちを主人公にした四篇の小説を文庫本に収めたものである。一流ホテルの取締役の肩書を持つ料理長、レコード会社のディレクター、ラジオ局のミキサー、テレビ局のディレクターがそれぞれの主人公だ。1968年から1986年の約20年間に著述された作品群である。会社組織に属して特定分野の職人気質のエキスパートたちが、システム化されていく組織の中で居場所を失っていくという時代背景が、いずれの作品にも共通するバックボーンである。そんな彼らの迎える人生最後の正念場のひと仕事が見事に切なく物語られる。
 五木寛之という作家は自身の原体験を通して自分自身を語り続けている。いや自分自身を語りながら時代を鮮やかに語っている。自分自身を語る作家といえば私の級友でもある私小説作家・車谷長吉を思い浮かべてしまう。彼はどこまでも自分と自分を取り巻く狭い「私の世界」にこだわり続けているかに見える。個人的嗜好からいえば自分を通して時代を語る五木寛之への共感が深い。
 一流ホテルの料理長・河本が仕事に行き詰って、今は場末でしがない「びふてきや」をやっている昔の調理人仲間の木村を訪ねる。木村の原点は半島からの引き揚げ直後に闇市で食べたビフテキの味である。木村はその時のビフテキのうまさが素材でも愛情でも料理人の腕でもないことを知っている。「あのときおれが食ったステーキは、時代が焼いたステーキなんだ」。満州からの引揚げ者でもある五木の自分を通して時代を語る真骨頂に触れた。

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