住宅街の夏フェス ― 2026年08月25日
今年も住宅街の夏フェス(盆踊り)が小学校の校庭で開催された。今年から地区社協も熊本募金やゲーム併設で敬老席を出店している。地域活動を卒業した身とあって猛暑を避けて18時前に顔を出した。
校庭の北側と東側にL字型にたくさんのテント屋台が出店している。焼きそば、ポテト、フランクフルト、唐揚げ、豚まん、餃子、カレー等の食事メニューも豊富だ。輪投げ、バルーン等のゲームやアクセサリー等の物品販売もある。実行委員会方式やりたい人が応募して出店する方式が定着している。
焼きそばとポテトを購入して社協の敬老席のテントに着いた。顔なじみの社協役員たちが募金やガラガラの応接に忙しそうだ。食事をしながらしばらく歓談した。
18時半からは第一回の盆踊りが始まった。踊り手の輪はかつてほど大きくない。それでも子ども連れのファミリー客には思い出に残る風景になるだろう。19時前には会場を後にした。
校庭の北側と東側にL字型にたくさんのテント屋台が出店している。焼きそば、ポテト、フランクフルト、唐揚げ、豚まん、餃子、カレー等の食事メニューも豊富だ。輪投げ、バルーン等のゲームやアクセサリー等の物品販売もある。実行委員会方式やりたい人が応募して出店する方式が定着している。
焼きそばとポテトを購入して社協の敬老席のテントに着いた。顔なじみの社協役員たちが募金やガラガラの応接に忙しそうだ。食事をしながらしばらく歓談した。
18時半からは第一回の盆踊りが始まった。踊り手の輪はかつてほど大きくない。それでも子ども連れのファミリー客には思い出に残る風景になるだろう。19時前には会場を後にした。
住宅街の今昔物語発信の自治会との打合せ ― 2026年07月11日
在住住宅街の開発前と開発後の姿を住民に発信することを自治会の担当副会長と打合せた。
きっかけは今期の総会で会員から「自治会は住宅街についての歩み等の情報を積極的に発信すべきではないか」という発言があったことだ。自治会退会の抑制策としても住んでる街がどんな街なのかを伝えることが求められるという趣旨だった。
私の出番だと思った。郷土史研究家として開発前の住宅街の史跡や伝承をまとめていた。地区社協会長として30年誌発行に当って住宅街の歩みの年表も作成していた。総会の発言に対し資料提供に応じたい旨の発言をした。
そんな経過を踏まえた自治会副会長との打合せだった。8月22日の自治会の夏フェス(盆踊り)の自治会ブースで参加者に「住宅街の歴史」のチラシを配布したいので作成の協力をしてほしいとの要請だった。全く異論はなく私の方でワン頁のタタキ案を提案する旨約束した。
きっかけは今期の総会で会員から「自治会は住宅街についての歩み等の情報を積極的に発信すべきではないか」という発言があったことだ。自治会退会の抑制策としても住んでる街がどんな街なのかを伝えることが求められるという趣旨だった。
私の出番だと思った。郷土史研究家として開発前の住宅街の史跡や伝承をまとめていた。地区社協会長として30年誌発行に当って住宅街の歩みの年表も作成していた。総会の発言に対し資料提供に応じたい旨の発言をした。
そんな経過を踏まえた自治会副会長との打合せだった。8月22日の自治会の夏フェス(盆踊り)の自治会ブースで参加者に「住宅街の歴史」のチラシを配布したいので作成の協力をしてほしいとの要請だった。全く異論はなく私の方でワン頁のタタキ案を提案する旨約束した。
民家の興亡 ― 2026年05月24日
早朝ウォーキングで在住する住宅街のご近所を歩いている。早朝のことなのでどこも寝静まっている。中には気がかりな家もある。
あるお宅は、2年前まで担当していた民生委員の活動で何度も訪ねた家である。数年前に入院中だった奥さんが亡くなり、独り住まいだった旦那さんも間もなく入院されたようで見かけなくなった。時折り娘さんが来訪し家の周りの掃除をしたり庭の手入れをしたりする姿を見かけた。今は人気が全くなく完全な空き家になっている。
そのお宅のすぐそばに更地化した区画に新たにお洒落なスエーデンハウスが完成し、赤ちゃん連れのファミリーが入居した。時折りベランダ前の庭に若いお母さんの姿を見かける。
分譲開始後44年を経た住宅街である。私自身も転入して40年以上経つ。成熟した住宅街の民家の興亡を目にしながら自分自身の盛衰を実感するこの頃である。
あるお宅は、2年前まで担当していた民生委員の活動で何度も訪ねた家である。数年前に入院中だった奥さんが亡くなり、独り住まいだった旦那さんも間もなく入院されたようで見かけなくなった。時折り娘さんが来訪し家の周りの掃除をしたり庭の手入れをしたりする姿を見かけた。今は人気が全くなく完全な空き家になっている。
そのお宅のすぐそばに更地化した区画に新たにお洒落なスエーデンハウスが完成し、赤ちゃん連れのファミリーが入居した。時折りベランダ前の庭に若いお母さんの姿を見かける。
分譲開始後44年を経た住宅街である。私自身も転入して40年以上経つ。成熟した住宅街の民家の興亡を目にしながら自分自身の盛衰を実感するこの頃である。
辺鄙な場所に賃貸住宅群が! ― 2026年05月20日
住宅街の丘陵地裾野の耕作放棄地で今年に入って早々から住宅開発の工事が着工した。周囲の道路は辛うじて交差可能な程度の道幅である。隣接地は市民農園で、およそ住宅開発には不向きな立地である。
早朝ウオーキングの時に工事現場が全貌できる住宅街の高台から眺めた。まだ未完成だが建物全体はほぼ出来上がっている。各戸2階建ての計16戸の東建コーポレーションの賃貸集合住宅である。既に有馬川の東岸には同じ会社の同じような賃貸集合住宅が3棟建っている。建築中の建物の北側の空地にも同じスタイルの同じ会社の集合住宅が完成間近である。併せて5棟の同じような賃貸集合住宅が同じエリアに集中することになる。
人口減少社会になった日本は、他方で老朽化した問題の多い「空き家」を抱えることになった。不便な立地の賃貸集合住宅群の登場に将来の空き家問題を懸念した。
早朝ウオーキングの時に工事現場が全貌できる住宅街の高台から眺めた。まだ未完成だが建物全体はほぼ出来上がっている。各戸2階建ての計16戸の東建コーポレーションの賃貸集合住宅である。既に有馬川の東岸には同じ会社の同じような賃貸集合住宅が3棟建っている。建築中の建物の北側の空地にも同じスタイルの同じ会社の集合住宅が完成間近である。併せて5棟の同じような賃貸集合住宅が同じエリアに集中することになる。
人口減少社会になった日本は、他方で老朽化した問題の多い「空き家」を抱えることになった。不便な立地の賃貸集合住宅群の登場に将来の空き家問題を懸念した。
卒業後初めての社協イベントに参加 ― 2026年05月14日
児童公園で遊ぶ子どもたち ― 2026年04月23日
日曜日の12時前だった。地区社協の総会を終えて歩いて帰宅中だった。自宅近くの児童公園にさしかかった。子どもたちの元気いっぱいの話し声が聞こえた。ブランコの周辺で女の子たちが、真ん中の広場で男の子たちが遊んでいた。
日曜のお昼ごろに通りかかることは稀な場所だった。分譲開始後50年近くを経た成熟した住宅街である。少子高齢化の進行も顕著である。子どもたちがまとまって遊ぶ姿を見るのも稀だった。我が街にもこんなに子どもがいるんだと思った。
終えたばかりの31回目の地区社協で10年間担った会長職を辞した。80歳の退任はセカンドライフの区切りでもあった。目にした子供たちとの70年ばかりの年齢差を想った。朝日と夕日のコントラストを連想した。
日曜のお昼ごろに通りかかることは稀な場所だった。分譲開始後50年近くを経た成熟した住宅街である。少子高齢化の進行も顕著である。子どもたちがまとまって遊ぶ姿を見るのも稀だった。我が街にもこんなに子どもがいるんだと思った。
終えたばかりの31回目の地区社協で10年間担った会長職を辞した。80歳の退任はセカンドライフの区切りでもあった。目にした子供たちとの70年ばかりの年齢差を想った。朝日と夕日のコントラストを連想した。
コロナ禍後の中学校入学式の簡素化 ― 2026年04月16日
地元中学校の入学式に参列した。地区社協会長であり、学校運営協議会委員としての来賓出席だった。間もなくその双方の役職を退任するので最後の公的活動である。会場の保護者席には新入生の人数の倍近い保護者が席を埋めていた。少子化が新入生の晴れ舞台に寄せる
両親祖父母の想いに拍車をかけている。
開会15分前に会場の体育館の来賓席の一角に着席した。10時ちょうどに新入生116名がクラスごとに入場した。国家斉唱の後、新入生ひとりひとりの名前が読み上げられて紹介された。もうひとりの晴れ舞台の主人公である校長の思い入れたっぷりの式辞が述べられた。
続いて来賓紹介があった。学校運営協議会委員長とPTA会長が指名され挨拶はなく祝福の言葉だけが添えられた。その他の来賓は名前を紹介されることもない。祝詞・祝電披露も市長の祝詞の代読だけである。
新入生代表の女子生徒から「誓いの言葉」が述べられた。その中で「私たちの小学校の入学式はコロナ禍の緊急事態宣言中で屋外での簡素な式でした」という言葉に注目した。続いて在校生代表の「祝いの言葉」の後、校歌を斉唱して式典が終了した。開会から閉会迄僅か40分という思い切り簡素化された入学式だった。
誓いの言葉にあったコロナ禍の波紋を痛感した。この時を境に様々のイベントや式典や行事の見直しが始まった。無意味なセレモニーが実質本位に圧縮された。まるで「黒船」のようにコロナが前例主義の日本の風土に風穴を開けたようだった。
両親祖父母の想いに拍車をかけている。
開会15分前に会場の体育館の来賓席の一角に着席した。10時ちょうどに新入生116名がクラスごとに入場した。国家斉唱の後、新入生ひとりひとりの名前が読み上げられて紹介された。もうひとりの晴れ舞台の主人公である校長の思い入れたっぷりの式辞が述べられた。
続いて来賓紹介があった。学校運営協議会委員長とPTA会長が指名され挨拶はなく祝福の言葉だけが添えられた。その他の来賓は名前を紹介されることもない。祝詞・祝電披露も市長の祝詞の代読だけである。
新入生代表の女子生徒から「誓いの言葉」が述べられた。その中で「私たちの小学校の入学式はコロナ禍の緊急事態宣言中で屋外での簡素な式でした」という言葉に注目した。続いて在校生代表の「祝いの言葉」の後、校歌を斉唱して式典が終了した。開会から閉会迄僅か40分という思い切り簡素化された入学式だった。
誓いの言葉にあったコロナ禍の波紋を痛感した。この時を境に様々のイベントや式典や行事の見直しが始まった。無意味なセレモニーが実質本位に圧縮された。まるで「黒船」のようにコロナが前例主義の日本の風土に風穴を開けたようだった。
自治会総会で「街の歩み」の発信が求められた ― 2026年04月14日
在住する住宅街の自治会総会に出席した。会員1400世帯の市内有数の規模の自治会である。総会は住宅街の中にある小学校の体育館で開催される。
開会定刻の10時には約100名の会員が出席した。前半は活動報告と会計報告だった。報告についての質疑が相次いだ。「班長、ブロック長に連絡を取りたくても連絡先が分からない」という意見は、近年議案書の役員リストから個人情報保護のため住所と連絡先が削除されていることが背景にある。「自治会アプリの『My自治会』は情報共有の点で貴重な取組みだが、これを通じた自治会への問合せの仕方をもっとPRすべき」という意見も1年間で1000人を超える登録の成果である。
個人的に興味深かったのは「この町の歩みや歴史を自治会として整理し発信することを通して住民の繋がりや求心力を高めてはどうか」という意見だった。この意見に「この街の歩みは社協の冊子に掲載されている」という元自治会長の発言があった。私からも「この街のできごとや歩みのデータは把握している。自治会の広報に提供したい」と発言した。
我が街が誕生して44年目を迎える。あらためて誕生から今を振り返ることで行く末を辿る成熟期を迎えたのだろう。
開会定刻の10時には約100名の会員が出席した。前半は活動報告と会計報告だった。報告についての質疑が相次いだ。「班長、ブロック長に連絡を取りたくても連絡先が分からない」という意見は、近年議案書の役員リストから個人情報保護のため住所と連絡先が削除されていることが背景にある。「自治会アプリの『My自治会』は情報共有の点で貴重な取組みだが、これを通じた自治会への問合せの仕方をもっとPRすべき」という意見も1年間で1000人を超える登録の成果である。
個人的に興味深かったのは「この町の歩みや歴史を自治会として整理し発信することを通して住民の繋がりや求心力を高めてはどうか」という意見だった。この意見に「この街の歩みは社協の冊子に掲載されている」という元自治会長の発言があった。私からも「この街のできごとや歩みのデータは把握している。自治会の広報に提供したい」と発言した。
我が街が誕生して44年目を迎える。あらためて誕生から今を振り返ることで行く末を辿る成熟期を迎えたのだろう。
自治会総会でボラセンが託児ボランティア開設 ― 2026年04月13日
在住する住宅街の自治会の総会に出かけた。開会30分前に会場の小学校体育館に着いた。今回初めて自治会から地区社協に総会中の託児ボランティア開設を要請された。その準備状況を確認するための早目の到着だった。
体育館の入口反対側のコーナーに”子育てサロン”備品のプレイマットが敷かれ小型遊具、玩具、絵本が揃えられている。開会前には事前に連絡のあった4人の乳幼児たちの姿があり、数人のボランティアスタッフによる託児が始まっていた。
地区社協ボランティアセンターには独自の託児ボランティアのメニューはなかった。昨年5月から山口センターの児童センターで実施されている託児ボランティアにスタッフを派遣していた。今回の自治会総会の託児ボランティアは独自の取組みとしては初めてだった。共働きが一般的になり少子化が進行する環境下で今後の託児ボランティアの期待は大きい。その意味ではボラセンの新たな取組みメニューとして良いきっかけになったと思える。
2時間後の総会閉会に合わせて地区社協ボラセンの初めての託児が無事終了した。
体育館の入口反対側のコーナーに”子育てサロン”備品のプレイマットが敷かれ小型遊具、玩具、絵本が揃えられている。開会前には事前に連絡のあった4人の乳幼児たちの姿があり、数人のボランティアスタッフによる託児が始まっていた。
地区社協ボランティアセンターには独自の託児ボランティアのメニューはなかった。昨年5月から山口センターの児童センターで実施されている託児ボランティアにスタッフを派遣していた。今回の自治会総会の託児ボランティアは独自の取組みとしては初めてだった。共働きが一般的になり少子化が進行する環境下で今後の託児ボランティアの期待は大きい。その意味ではボラセンの新たな取組みメニューとして良いきっかけになったと思える。
2時間後の総会閉会に合わせて地区社協ボラセンの初めての託児が無事終了した。
地元小学校の涙の卒業式 ― 2026年03月24日
地元小学校の卒業式に参列した。コロナ禍以降、式典は簡素化され来賓紹介もなくなった。そのためか来賓席の来場者も以前ほど多くない。
9時50分開式の体育館会場に舞台袖から75名の卒業生たちが入場した。国家斉唱、卒業証書授与、校長式辞と淡々と進んだ。メインの「巣立ちの言葉・校歌斉唱」になった。卒業生ひとりひとりが長い挨拶文を細切れにして順番に発声する。
間に別れの歌や感謝の歌(題名は知らない)の合唱がある。歌詞は情感たっぷりの内容である。来賓席前の卒業生たちの特に女子生徒たちの多くが涙ぐんでいた。自分自身の小学校卒業式では涙した記憶はない。それだけに涙する子どもたちの姿は新鮮だった。
11時前に式典は無事終了した。
9時50分開式の体育館会場に舞台袖から75名の卒業生たちが入場した。国家斉唱、卒業証書授与、校長式辞と淡々と進んだ。メインの「巣立ちの言葉・校歌斉唱」になった。卒業生ひとりひとりが長い挨拶文を細切れにして順番に発声する。
間に別れの歌や感謝の歌(題名は知らない)の合唱がある。歌詞は情感たっぷりの内容である。来賓席前の卒業生たちの特に女子生徒たちの多くが涙ぐんでいた。自分自身の小学校卒業式では涙した記憶はない。それだけに涙する子どもたちの姿は新鮮だった。
11時前に式典は無事終了した。









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