塩野七生著「ローマ人の物語38」 ― 2025年03月24日

ローマ人の物語36巻を再読した。この巻は紀元337年の大帝の死から物語の幕が開く。コンスタンティヌスは自らの亡き後の後継人事も周到に準備する。帝国を三人の息子と二人の甥によって分担統治するシステムを死の二年前から導入していたのだ。ところが6月の大帝の葬儀から間もない7月に大量の血の粛清が勃発する。二人の甥とその肉親、亡き大帝の側近だった高官たちがその犠牲者だった。著者は大帝の次男コンスタンティウスを首謀者として暗示する。さらにその後、長男と三男の領土争いが起り、敗れた長男が殺される。次男と三男による帝国の分担統治が10年目を迎えた紀元350年、三男コンスタンスが配下の蛮族出身の将マグネンティススの謀反によってあっけなく殺害される。翌351年、唯一の皇帝となったコンスタンティウスは賊将マグネンティススとの内戦ともいうべき会戦に勝利する。ローマ軍の将兵合わせて5万4千名もの犠牲を代償とした勝利だった。これが帝国の軍事力が決定的に低下させる要因を招くことになる。
唯一の皇帝となったコンスタンティウスは大きな難問を抱えていた。東の大敵ペルシャ王国と西方ガリアの蛮族たちの侵略である。いずれかを任せられる副帝の任命を迫られていた。そして新たに任命されたのが自らがその父親を粛清した年少の従兄であるユリアヌスだった。
物語の後半はガリア担当のローマ軍司令官となったユリアヌスの成功物語である。多分にユリアヌスに好意的な著者はその活躍ぶりを皇帝コンスタンティウスの否定的な見方と好対照で描いている。24歳の若き副帝ユリアヌスはガリアの地での戦闘に積極戦法で見事に勝利する。その後のガリア主要都市の再建を果たしガリア全域の統治に成功する。
物語の核心部分に皇帝コンスタンティウスのキリスト教との関わりが触れられる。コンスタンティウスは帝国で最初にキリスト教を公認した父である大帝の忠実な第二走者だった。キリスト教の公認から更に進めてその優遇策に舵を切り、ローマ伝来の宗教の排撃を明確にした。
唯一の皇帝となったコンスタンティウスは大きな難問を抱えていた。東の大敵ペルシャ王国と西方ガリアの蛮族たちの侵略である。いずれかを任せられる副帝の任命を迫られていた。そして新たに任命されたのが自らがその父親を粛清した年少の従兄であるユリアヌスだった。
物語の後半はガリア担当のローマ軍司令官となったユリアヌスの成功物語である。多分にユリアヌスに好意的な著者はその活躍ぶりを皇帝コンスタンティウスの否定的な見方と好対照で描いている。24歳の若き副帝ユリアヌスはガリアの地での戦闘に積極戦法で見事に勝利する。その後のガリア主要都市の再建を果たしガリア全域の統治に成功する。
物語の核心部分に皇帝コンスタンティウスのキリスト教との関わりが触れられる。コンスタンティウスは帝国で最初にキリスト教を公認した父である大帝の忠実な第二走者だった。キリスト教の公認から更に進めてその優遇策に舵を切り、ローマ伝来の宗教の排撃を明確にした。
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