入道雲 ― 2010年08月31日

朝の散歩を終えて丘陵地に開かれた住宅街に戻ってきた。坂道から眺める北西の景色に魅かれた。
貸農園で育てられた稲田の向うに竹藪に覆われた丘陵が続いている。神戸層群と呼ばれるこの地域特有の大地の皺である。真っ青な真夏の空にぽっかりとまっ白い入道雲が浮かんでいた。手前のさくらの樹の濃い緑の葉っぱは、秋色を帯び始めている。足元には野草の幾筋もの茎と穂がそよ風に吹かれている。
何気ない風景を直感的に切り取りたいと思う瞬間である。この写真の主人公は入道雲だ・・・と、どうでもいいようなつぶやきを吐いた。
貸農園で育てられた稲田の向うに竹藪に覆われた丘陵が続いている。神戸層群と呼ばれるこの地域特有の大地の皺である。真っ青な真夏の空にぽっかりとまっ白い入道雲が浮かんでいた。手前のさくらの樹の濃い緑の葉っぱは、秋色を帯び始めている。足元には野草の幾筋もの茎と穂がそよ風に吹かれている。
何気ない風景を直感的に切り取りたいと思う瞬間である。この写真の主人公は入道雲だ・・・と、どうでもいいようなつぶやきを吐いた。
ちいさい秋見つけた ― 2010年08月29日

日曜日の朝、遅い散歩のスタートだった。少しの時間差が真夏の朝日の日差しを予想外に厳しいものにしている。背中に突き刺さる日差しがTシャツにじっとりと汗を滲ませた。
それでも・・・・アブラゼミの襲いかかるような大合唱がいつの間にかなりをひそめ、ツクツクボウシの控え目なソロに取って代わっている。有馬川遊歩道のわだちの筋に沿ってさくらの落ち葉がカサカサと風に吹かれている。隣町の稲田を電線が縁どっている。「危険 イノシシよけ電柵 手をふれないで下さい」の看板が、収穫間近の稲穂の実りを物語っている。♪ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋見つけた♪
小さな蓮池にやってきた。緑の大きな葉っぱに埋もれるようなピンクが浮かんでいた。ここばかりは真夏の朝の風景が色濃く残っていた。
それでも・・・・アブラゼミの襲いかかるような大合唱がいつの間にかなりをひそめ、ツクツクボウシの控え目なソロに取って代わっている。有馬川遊歩道のわだちの筋に沿ってさくらの落ち葉がカサカサと風に吹かれている。隣町の稲田を電線が縁どっている。「危険 イノシシよけ電柵 手をふれないで下さい」の看板が、収穫間近の稲穂の実りを物語っている。♪ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋見つけた♪
小さな蓮池にやってきた。緑の大きな葉っぱに埋もれるようなピンクが浮かんでいた。ここばかりは真夏の朝の風景が色濃く残っていた。
お盆の穏やかで平坦な日常 ― 2010年08月15日

お盆の最終日、曇り空のしのぎやすい朝の散歩道だった。3ヵ月ばかり前のブログで小型トラクターによる田植え風景を綴った。今朝の水田では立派に実った稲穂がこうべを垂れはじめていた。なんとなく稲作の周期はもっと長いものという思い込みがあった。あっという間に育っている稲の成熟に驚いた。
お盆のブログはとりとめもない日常風景の記事で終始した。現役の頃やそれ以前の子どもの頃には、お盆は正月と並んで年間の一大イベントの日だった。リタイヤを迎えた今、穏やかで平坦な日常が流れている。
お盆のブログはとりとめもない日常風景の記事で終始した。現役の頃やそれ以前の子どもの頃には、お盆は正月と並んで年間の一大イベントの日だった。リタイヤを迎えた今、穏やかで平坦な日常が流れている。
有馬川の景色が一変した ― 2010年08月11日

毎年この時期になると有馬川の景色が一変する。両岸や河川敷の伸び放題に伸びていた野草が薙ぎ払われ、突如として解放感のあるすっきりした景色に変貌する。公共事業の一種なのだろう。
ここ数日そんな風景が北の下流から上流に広がってきた。作業途中の河川敷に据えられたフォークリフトの長い腕が岸に伸びていた。その手前のならされて平坦になった河川敷に一本の鬼ゆりがポツンと立っていた。フォークリフトのドライバーの優しさなのだろうか。明らかにその一輪だけを残しておきたいという意図が窺えた。見過ごしてしまいそうな何でもない光景が、奇妙な安らぎを運んでくれた。
住宅街に戻ってきた。坂道の正面の灰色の空に鮮やかな虹が浮かんでいた。久々に目にした虹だった。七色の架け橋は、いくつになっても心癒される自然の造形物だった。
ここ数日そんな風景が北の下流から上流に広がってきた。作業途中の河川敷に据えられたフォークリフトの長い腕が岸に伸びていた。その手前のならされて平坦になった河川敷に一本の鬼ゆりがポツンと立っていた。フォークリフトのドライバーの優しさなのだろうか。明らかにその一輪だけを残しておきたいという意図が窺えた。見過ごしてしまいそうな何でもない光景が、奇妙な安らぎを運んでくれた。
住宅街に戻ってきた。坂道の正面の灰色の空に鮮やかな虹が浮かんでいた。久々に目にした虹だった。七色の架け橋は、いくつになっても心癒される自然の造形物だった。
見つめ合うサギ ― 2010年08月04日

朝の有馬川の水面を、真夏の空が真っ青に染めていた。黒い堰の筋に沿って白鷺と青鷺の二羽のサギが羽を休めていた。何やら意味ありげに見つめ合っていた。水面に映る二羽もやっぱり見つめ合っている。
その姿を遠くから画像に納めた後、歩みを進めた。彼らの次の行動は明らかだ。サギの人一倍(鳥一倍)の敏感さと臆病さは、散歩道で何度も教えられている。案の定、足音に近い手前の青鷺から羽ばたいた。すかさず白鷺も後に続く。この想定内の行動に、デジカメがすばやく反応した。飛び去る青鷺とその斜め下から追いかける白鷺の瞬間を切り取った。
その姿を遠くから画像に納めた後、歩みを進めた。彼らの次の行動は明らかだ。サギの人一倍(鳥一倍)の敏感さと臆病さは、散歩道で何度も教えられている。案の定、足音に近い手前の青鷺から羽ばたいた。すかさず白鷺も後に続く。この想定内の行動に、デジカメがすばやく反応した。飛び去る青鷺とその斜め下から追いかける白鷺の瞬間を切り取った。
真夏の朝の昆虫たち ― 2010年08月01日

8月初日の曇り空の凌ぎやすい朝を歩いた。生い茂る木々の間でアブラゼミが我が世の春(夏?)を謳歌し精一杯の鳴き声で大合唱していた。その足下の草むらでキリギリスが独特の間延びしたスイ~ッチョンを繰り返していた。草で覆われた畦道の斜面でコオロギがチリリン、チリリンとやさしげに囁いていた。
そんな昆虫たちの鳴き声に耳を澄ませ、鳴き声の先を見つめながら歩いていた。路傍の草叢に鮮やかな黄色が目に入った。羽を閉じて草の葉に掴まっているキアゲハだった。久々に目にした懐かしい姿だった。飛び立たないように祈りながら接写した。
真夏の朝は昆虫たちの世界だった。
そんな昆虫たちの鳴き声に耳を澄ませ、鳴き声の先を見つめながら歩いていた。路傍の草叢に鮮やかな黄色が目に入った。羽を閉じて草の葉に掴まっているキアゲハだった。久々に目にした懐かしい姿だった。飛び立たないように祈りながら接写した。
真夏の朝は昆虫たちの世界だった。
散歩道の蜘蛛の巣 ― 2010年07月28日

早朝の有馬川沿いの散歩道だった。心地よい冷気を顔で感じながら歩いていた。突然、その顔に不快な感触が張りついた。粘っこい網のようなざらつきを手で拭ってから振り向いた。全長1cmほどの蜘蛛が巣の半分を断ち切られて桜の枝からぶら下がっていた。道を覆っている桜の枝先から幹にかけてエサを捕獲するためにか細い糸を張り巡らしていたのだ。透明に近い白い細い糸に気づきようもなかった。
歩き出した行く手に同じような蜘蛛の姿を今度ははっきりと目にした。一瞬、空中に浮かんでいるかのような蜘蛛の姿だが、よくみるとその周囲に張り巡らされた網の目のような蜘蛛の巣も目に映る。頭を低くして蜘蛛の巣の魔の手を掻い潜って先に進んだ。
自然の中で生き物たちの攻防が続く。人間が立ち入ってはならない営みを見たような気がした。
歩き出した行く手に同じような蜘蛛の姿を今度ははっきりと目にした。一瞬、空中に浮かんでいるかのような蜘蛛の姿だが、よくみるとその周囲に張り巡らされた網の目のような蜘蛛の巣も目に映る。頭を低くして蜘蛛の巣の魔の手を掻い潜って先に進んだ。
自然の中で生き物たちの攻防が続く。人間が立ち入ってはならない営みを見たような気がした。
夏休みの風物詩 ― 2010年07月26日

熱帯夜を過ごした後の朝である。5時半に家を出て歩き始めた。昨夜の暑さの不快感が大きいほど早朝の冷気の心地よさが肌に沁みとおる。この後の日中のうだるような暑さの予感が、今の快適さの満喫を促している。それがいつものコースでない散策となった。
山口の中心部の西を流れる西川沿いの畦道を歩いた。東側の絶景に見とれながらしばらく佇んだ。畑山と丸山が美しい二重奏を奏でている。明徳寺の甍の曲線がつつましく身を潜めている。かっては上山口の風物だった柳の唯一の生き残りが緑の衣をまとって元気にそよいでいる。手前には成長した水田が緑の褥(しとね)を敷いている。
公智神社前を過ぎ、さくらトンネルをくぐり、下山口公園にやってきた。入口近くの広場に大勢の子どもたちがいる。前に若いお母さんたちが立っている。ラジカセの音響が聞こえてきた。ラジオ体操の懐かしいメロディーだ。子どもたちが一斉に腕を振り、脚を曲げ、ジャンプする。夏休みの風物詩が今も変わらず続いている。多くのイベントが姿を消していく中で、ラジオ体操といういかにも日本的な行事がなお残されていた。嬉しかった。ここでもしばらく佇んだ。デジカメを構えた不審なオヤジ姿を気にしながら夏休みの風物詩を切り取った。
山口の中心部の西を流れる西川沿いの畦道を歩いた。東側の絶景に見とれながらしばらく佇んだ。畑山と丸山が美しい二重奏を奏でている。明徳寺の甍の曲線がつつましく身を潜めている。かっては上山口の風物だった柳の唯一の生き残りが緑の衣をまとって元気にそよいでいる。手前には成長した水田が緑の褥(しとね)を敷いている。
公智神社前を過ぎ、さくらトンネルをくぐり、下山口公園にやってきた。入口近くの広場に大勢の子どもたちがいる。前に若いお母さんたちが立っている。ラジカセの音響が聞こえてきた。ラジオ体操の懐かしいメロディーだ。子どもたちが一斉に腕を振り、脚を曲げ、ジャンプする。夏休みの風物詩が今も変わらず続いている。多くのイベントが姿を消していく中で、ラジオ体操といういかにも日本的な行事がなお残されていた。嬉しかった。ここでもしばらく佇んだ。デジカメを構えた不審なオヤジ姿を気にしながら夏休みの風物詩を切り取った。
名も知らぬ野草の恵み ― 2010年07月21日

長かった梅雨が、先週末にようやく明けた。途端に、長梅雨のうっとおしさに復讐するかのような猛暑が襲ってきた。いつ果てるとも知れない長梅雨への恨みつらみが、うだるような暑さへのへきへきさにとってかわっている。
それでも早朝はまだしのぎやすい。6時前に自宅を出て冷気を含んだ空気を肌に感じながらウォーキングを愉しんだ。マックでモーニングコーヒーを終えて、天上橋の袂まで帰ってきた。欄干のすぐ下に生えている名も知らぬ野草が目についた。赤い小粒のルビーのような実をつけている。昇ったばかりの朝日の逆光が実の背後から差し込み、ルビーの赤の鮮やかさを浮かび上がらせている。
拾い物のワンショットが、ちっぽけな恨みつらみやへきへきさを一瞬だけでも忘れさせてくれる。
それでも早朝はまだしのぎやすい。6時前に自宅を出て冷気を含んだ空気を肌に感じながらウォーキングを愉しんだ。マックでモーニングコーヒーを終えて、天上橋の袂まで帰ってきた。欄干のすぐ下に生えている名も知らぬ野草が目についた。赤い小粒のルビーのような実をつけている。昇ったばかりの朝日の逆光が実の背後から差し込み、ルビーの赤の鮮やかさを浮かび上がらせている。
拾い物のワンショットが、ちっぽけな恨みつらみやへきへきさを一瞬だけでも忘れさせてくれる。
水稲の苗にまとわる朝露 ― 2010年07月18日

早朝の散歩道。公智神社前の道路を歩いていた。70年ほど前まで旧国鉄有馬線が走っていた道だ。道路脇の民家が切れて、下山口の集落との間に水田から丸山とその背後に畑山が望める。
水田は道路から一段高い位置にある。水稲の苗の成長した姿が間近に迫った。その美しさに、おもわずしゃがみこんで真横から見つめた。濃い緑の苗たちの草いきれが伝わった。密集した苗の穂に朝露がキラキラとまとわっていた。まるで苗自身が足下の水田の雨水を吸い上げ、呼吸しながら排出した水滴のようだ。体中で瑞々しさを現わしながら苗たちが生きていた。
水田は道路から一段高い位置にある。水稲の苗の成長した姿が間近に迫った。その美しさに、おもわずしゃがみこんで真横から見つめた。濃い緑の苗たちの草いきれが伝わった。密集した苗の穂に朝露がキラキラとまとわっていた。まるで苗自身が足下の水田の雨水を吸い上げ、呼吸しながら排出した水滴のようだ。体中で瑞々しさを現わしながら苗たちが生きていた。
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