稲田の切り株跡の草の正体2010年11月10日

 朝の散歩道で稲田の気になっていた風景がある。刈り取られた稲田の切り株の同じ所から草が生えていた。まるで稲の苗が再生したかのような光景だった。あの草の正体は何なのか?
 先日、地域の知人グループと種子島&屋久島ツアーに出かけた。帰りの機内で稲作従事者でもある知人と隣り合わせになった。早速かねての疑問をぶつけてみた。説得力のある次のような回答だった。

「最近の稲田は早生が多く8月から9月に稲刈りをする。その頃は気温も高く切り株の根から新たな苗が生えてくる。ただ成長する頃には寒くなり稲穂になる前に枯れてしまう。枯れた苗は翌年の水耕で土に混じって田圃に帰される。昔は10月から11月の稲刈りが主流で切り株から苗が生えることもなかった」

 切り株から生えていた草の正体は早生じ稲の苗だった。早生の苗が寒さに耐えられるわけはない。品種の改良や農法の変遷が散歩道の風景の変化に繋がっていたことを初めて知った。

その後の「取り残された稲穂」2010年11月04日

 四日前の朝の散歩道で「取り残された稲穂」の気になる光景を目にした。中途半端に中断された刈入れ作業の背景を危惧した記事をこのブログに記した。貼付した画像を見たあるブロガーの方から「心配無用!稲の熟れ具合からして、まだ実が入りそう、もうひと踏ん張りみたいですね。11月の稲刈は、昔は普通に見られた光景です」というありがたいコメントを頂いた。おそらく稲作の経験者に違いない。専門知識抜きには書けない内容だった。ブログの持つ情報共有化の効用をあらためて教えられた。影の部分が取りざたされるIT社会の光の部分でもある。
 以来、「取り残された稲穂」のその後が気になっていた。そして今朝の散歩道で新たな展開を目にした。片隅だけだった切り株の地肌スペースが大きく広がり、ハザカケが何重にも連ねられていた。稲刈り作業が再開されたのだ。老夫婦の余生の愉しみだった農作業が一方の病で中断されたという、ありもしない私の想像は杞憂に過ぎなかった。安堵感とコメントを頂いたブロガーさんの慧眼に敬服しながら散歩を終えた。

取り残された稲穂2010年10月31日

 出合った知人たちと、つい口にしてしまう気候の挨拶がある。「先日まで猛暑をぼやいていたのに、秋を飛び越して。いきなり冬になりましたネ。日本に四季がなくなってしまったみたい」。心の中で「まるで士気を失った日本のようだ」と呟いていた。
 そんな寒気の忍び寄る今朝の散歩道だった。住宅街を出た所の農地の一角で違和感のある風景が目にとまった。どこの稲田もとっくに借り入れを終え、切り株跡を緑の苗のような草が覆っている時期である。ところがその一角だけはいまだに黄色い稲穂で染められていた。近づいてみると稲穂の残る田圃の一隅だけが刈り取られささやかにハザカケされていた。周囲の稲穂は盛りを越えて思い切り頭を下げ干からびた雰囲気を漂わせていた。
 ここまで丹精を籠めて育てられた稲田の栽培者の身に何事かが起ったのだろうか。中途半端に中断された刈入れ作業の背景を思わずにおれなかった。老夫婦が余生を愉しみながら育んだ稲田なのだろうか。どちらかが突然の病に倒れたのではないか。放置された稲田を思い遣りながら闘病と看病の日々がやってきた。そんな想像が駆け巡った。

秋告げ花2010年10月05日

 「春告げ鳥」という言葉がある。ウグイスの別名である。古来、春を告げる鳥として親しまれてきたのだろう。今朝、朝の有馬川沿いを散歩しながら、ふとこの言葉が浮かんだ。
 もちろん浮かぶには訳がある。甘酸っぱい強烈な香りが漂っていた。しみじみと秋の到来を告げるキンモクセイの香りだった。「春を告げ鳥」があるなら「秋告げ花」があっていいのではないか。その第一候補は彼岸花だ。秋の訪れとともに真っ先に目にするのは、あの強烈な紅色の花弁である。秋の訪れの目に見える風物詩だ。その後しばらくしてインパクトのある秋を告げられる。それが秋の香りのキンモクセイだ。
 今、散歩道には彼岸花の彩りとキンモクセイの香りという「秋告げ花」が共演している。

朝霧の風景2010年10月01日

 雨上がりの朝だった。有馬川土手を北に向った。中国道の高架下をくぐった所から景色が変貌した。この秋一番の朝霧が、見慣れた景色を乳白色に染めていた。
 土手沿いに群生した彼岸花の咲いたばかりの瑞々しい花弁が、立ちこめた朝霧を背景にくっきり浮かんでいた。薄闇の中から「さくらやまなみバス」が国道176号線に現われた。名来橋の西のたもとをゆっくり走るバスの車体のピンクがひと際目についた。名来墓地横の畦道を東に向った。旧平尻街道沿いの稲田を眺めた。雑草の間に張られた蜘蛛の巣の真ん中で蜘蛛が空中に浮かぶように長い手足を広げていた。そのむこうで馴染みのある二本の木がぼんやりと佇んでいた。
 徐々に薄れていく霧の中で手で顔をぬぐった。口髭がしっとり濡れていた。ボリューム感を失った髪の毛の水気が伝わってくる。霧の中の散策は目に見えない水蒸気の海を泳いでいるようなものだと知った。

一気に秋がやってきた2010年09月27日

 6時前の散歩道を下着なしの半袖Tシャツ姿で歩いていた。猛暑の生々しい記憶がいつも通りの服装を選ばせていた。寒ッ!いつの間にか猛暑は彼方にあり、肌寒さを覚える秋の空気に包まれていた。
 有馬川東側の稲田の景色が美しい。刈り取られて土色がむき出しになった田圃。たわわに実り刈り取り寸前の薄い黄色の田圃。実り切らない黄緑の奥手の稲田が入り乱れてモザイク模様を描いていた。その先の稲田では刈り取られた稲がハザカケされて幾重にも列をなし、牧歌的な風情をかもしている。
 傍らの畦道に、猛暑で咲きそびれていた彼岸花が群れをなしてようやくみずみずしい花弁を咲かせていた。

天高く・・・・2010年09月17日

 いつも通りの朝6時頃の散策だった。いつも通りハーフパンツにTシャツ姿で玄関を出た。途端に全身を肌寒さが覆った。猛暑のイメージが尚根強く残っていたことの判断を悔やんだ。考えてみれば9月に入り既に半ばを過ぎている。青空は突き抜けるように高い。馬肥ゆる秋なのだ。
 肌寒さも10分も歩けば消えてしまうのもこの季節だ。絶好の散策のシーズンと言えなくもない。60分ばかりの散策の後、マックのモーニングコーヒー片手に文庫本の続きを読む。山本周五郎の短編集「日本婦道記」である。一編一編に心にしみる物語がある。至福のひと時だ。帰宅した時にはかすかに汗が滲んでいた。それでも昨日までの汗が嘘のようだ。家内の「着替えは?」という声に「着替えるほどではない季節になった」と答えた。

野分けの翌朝の稲田2010年09月14日

 9月10日の朝の散歩で奇異な光景が目に飛び込んできた。稲田の真ん中が大きくえぐられていたのだ。「野分け」という言葉が浮かんだ。昨晩遅くに、台風のような暴風が吹いたのだろうか。実りをつけた稲穂が吹き分けられたかのようになぎ倒されていた。
 翌日の朝、同じ稲田の光景が一変していた。稲穂が見事に刈り取られていた。周囲の稲田のどこよりも早い稲刈りだった。野分けの傷跡の残る稲田だけが刈り取られていた。地に着いた稲穂をいち早く刈り取ることで被害を最小限にとどめるための措置だったのか。真偽は知らない。自然との葛藤でもある稲作の厳しさを想った。

朝焼け2010年09月06日

 ベッドで目覚めた時、窓越しの景色はまだ暗闇だった。枕元の目覚まし時計の頭を押さえた。緑の蛍光色のデジタル数字が4:40を表示していた。もうひと眠りがきかない年齢になっている。一瞬の迷いの後、勢いよく身を起こした。
 いつもより30分以上早い5時30分の早朝散策のスタートだった。東の空を日の出前の朝日が、雲間のキャンパスにどぎつい朝焼けを描いていた。朝焼けの空の下の家並みの暗さが、住宅街のさめきらない眠りを告げていた。西の空は朝日の光が遠い。夜明け前の暗さを宿して、ためらいがちな表情で街並みを見下ろしていた。
 薄着の肌に早朝の冷気が心地よい。今なお我がもの顔で居座っている日中の猛暑が嘘のようだ。うんざりする猛暑に気をとられている隙に、季節の移ろいは早朝の空気の中で確実に進行していた。

入道雲2010年08月31日

 朝の散歩を終えて丘陵地に開かれた住宅街に戻ってきた。坂道から眺める北西の景色に魅かれた。
 貸農園で育てられた稲田の向うに竹藪に覆われた丘陵が続いている。神戸層群と呼ばれるこの地域特有の大地の皺である。真っ青な真夏の空にぽっかりとまっ白い入道雲が浮かんでいた。手前のさくらの樹の濃い緑の葉っぱは、秋色を帯び始めている。足元には野草の幾筋もの茎と穂がそよ風に吹かれている。
 何気ない風景を直感的に切り取りたいと思う瞬間である。この写真の主人公は入道雲だ・・・と、どうでもいいようなつぶやきを吐いた。