山口桜前線2011年04月01日

 有馬緑道の早朝ウォーキングである。例年なら10日後には山口のさくらまつりで賑わう場所にやってきた。今年のさくらまつりは東北大震災への哀悼の趣旨から中止になった。  平成橋の北側に山口有数のさくらの銘木がある。大きく広げた枝ぶりの間に山口センターの濃いベージュの建物が見える。枝先の蕾の頭がピンクに染まっていた。10日後に咲き誇るとは思えないほどの固い蕾である。寒波に包まれたこの冬をかいくぐってようやくここまで辿り着いた桜である。蕾の中の息づかいが伝わる。遅れはあっても見事な開花を予感させる息づかいである。  東北の大震災後の復興に向けた息づかいを想った。

東日本大震災募金の手応え2011年04月02日

 午後12時から14時まで東日本大震災の募金活動を行った。役員に名を連ねる社協分区のボランティア活動の一環である。コープこうべ西宮北店の1階正面玄関前で5名の仲間と来店客に募金を呼掛けた。  毎年2回、社協分区の赤い羽根募金と年末助け合いの募金活動に参加している。今回の反応はいつもの募金活動とまるで違う。最初に午前中のメンバーから募金箱を引き継いだ時だ。首にぶら下げたそのずっしりした重さに驚いた。2時間ばかりの間に何枚かの千円札が入れられた。いつもの募金にはないことだ。硬貨の場合でも通常は百円硬貨1枚が多いが、今回は財布の中の硬貨を全部入れてもらえる場合が多い。  今回の広範囲で深刻な災害の被災者でなかったことの感謝の気持ちもあるのだろう。あわせて阪神大震災での体験が被災者の痛みに心を寄せる気持ちが強いのだろう。一層重くなった募金箱を次のメンバーに引継いだ。

エンドロール?2011年04月03日

 昨日の昼前に婿殿がやってきた。エンドロールの作成を娘と二人で打ち合わせるためだ。「エンドロール?なんのこっちゃ!」と聞いてみると、披露宴最後に二人のプロフィールや感謝のメッセージをゲストに伝えるビデオのようなものだという。そういえば姪の披露宴で一度見たことがある。ハイテクを駆使した披露宴の今どきの盛り上げ演出のひとつだ。

 リビングで婿殿持参の成長アルバムと娘のそれを突き合せながら共同作業に余念がない。家内も遠慮なく婿殿の初めて見る幼少期を覗き込んでいる。花嫁の父はそれほど甘くない。少し距離を置いて横目で眺めるばかりだが、それでも時折は関心のある風情を見せることも忘れない。

 本人や家族が入れ込むほどにはゲストにはどうでもいいスライドである。それでも少しは受け狙いの画像があっていい。父親には幼いころから絵心があった。娘の生後6カ月頃の寝顔を写生した作品が残されていた。赤ちゃん時代の娘のブス顔がリアルに描かれている。「これを挿入したらどうや」と提案した。渋る娘を横目に婿殿が乗った。娘の逆襲も予想され、最終的に採用されるか否かは定かではない。

 エンドロールというツールを使って、別々の人生を歩んできた二人が、それぞれの歩んだ道のりを遡って確認し合っている。私たちの世代の挙式にはなかった手順である。それはそれで意味ある巧みな仕掛けである。

ある日の青少年補導委員のお仕事2011年04月04日

 青少年補導委員としての夕方の定期補導の日だった。小中学校の児童を持つお母さん方5名と、毎週1回小学校区を4分割して順番に巡回している。私以外は何らかの仕事を持つ主婦ばかりだ。4月に入り、現役の皆さんは異動の時期を迎えている。そんな事情もあって定期補導の日程や時間帯を再調整した。  定期補導の巡回ルートにコープこうべの中型店がある。店内を巡回していると警備のオジサンに声をかけられた。「三階集会室横の休憩スペースで中学生たちのグループが長時間たむろして、お年寄りたちが寛げない。私らも注意するがなかなかいうことをきかない。皆さんからも注意してほしい」とのことだった。春休み中でもあり、子どもたちが休憩所でたむろしやすい時期である。早速現場に行ってみた。二つの丸テーブルに別れて8人の中学生位の子どもたちがカードゲームに夢中である。「僕ら、長時間ここで遊ぶのはアカンで。他のお客さんに迷惑やからナ」と声をかけた。一瞬、ビックリした風だが「分かってる」と返事だけは良い。壁際のコンセントはテープで覆われている。ゲーム機で遊ぶ子どもたちがしばしばここを電源にするための措置だと警備のオジサンに聞かされていた。帰宅して、地元中学校の生活指導の先生に状況を報告し学校での対応をお願いした。

二回目の丸山山頂ラジオ体操2011年04月05日

 朝5時過ぎに目が覚めた。5時半頃に雨戸を開けると日の出前の雲ひとつない澄み切った空が広がっていた。久々に丸山山頂のラジオ体操に参加しようと決めた。  6時10分前に自宅を出た。丸山山麓の国道沿いで年配のご夫婦と出会った。挨拶をしようと思った時、先方から私の名前で声をかけられた。公民館講座の受講生だった方のようだ。様々な場面での人のつながりを嬉しく思った。中腹から北六甲台の街並みを遠望した。木立の向うに昇ったばかりの朝日の強い陽射しを浴びて街並みが輝いていた。時計を見ると6時25分を過ぎている。6時30分のラジオ体操に間に合うだろうかと心配しながら息を切らせて先を急いだ。  山頂の稲荷神社境内にはギリギリセーフで辿り着いた。9人ばかりの常連さんたちが雑談している。顔見知りの人たちと挨拶を交わしながらノートに氏名を記帳した。ラジカセから流れていた放送が、ほどなくラジオ体操のテーマ曲に変わった。ラジオ体操の1番と2番を終えた頃にはうっすらと汗ばんでいた。  皆さんの後を追って金仙寺湖方向に下山した。グループの定番ルートがあるようだ。金仙寺地区と上山口東地区をつなぐ陸橋を渡り「万代」前に出た。いろんな人たちと雑談しながらの散策だった。北側からの畑山登山ルートが話題になった。このグループの何人かの人たちが登山ルートをつけているという。ぜひ一度同行させてほしいとお願いした。国道の交差点で別れてマクドナルドに向った。モーニングコーヒーと読みかけの文庫本の定番コースは外せない。帰宅したのは8時前だった。2時間ほどのいつにない長い早朝ウォーキングだった。

災害救援ボランティア2011年04月06日

 昨晩、社協分区の役員会があった。冒頭、市社協の担当職員から東日本大震災の災害救援ボランティア募集の報告があった。http://www.n-shakyo.jp/saigai/index.html 定員40名で4月8日から11日まで大型バス2台に分乗し片道12時間をかけて宮城県石巻市を訊ねる。現地では二日間、家屋の片付けや泥出しなどの作業に従事するとのことだ。  今朝、地元のNPO法人主宰者である知人のブログを見た。http://plaza.rakuten.co.jp/joyfullifeclub/diary/201104050000/ 彼も今日から4日間、知人と二人で個人的に釜石市他の被災地を訪ねるようだ。小口の支援物資をピンポイントに絞って「人から人への」配送体制を模索したいとのことだ。NPO法人として地元の中高生と被災地の中高生とをつなぐ支援体制の事前調整の意味合いもあるようだ。その熱い想いとダイナミックな行動力に心から拍手した。  災害救援ボランティアの二つの身近な取組みを知った。リタイヤして久しくなる年齢と大病による右手親指障害の身では、自ら救援ボランティアの現地訪問に名乗りをあげることは叶わない。今、担っているボランティア活動をキッチリこなしていくことが自身の務めと割り切った。

産地直送野菜のプラス効果2011年04月07日

 自治会誘致の小売業者の出張販売の見学に自治会館を訪ねた。日を変えて二社が営業している。近隣に店舗を持つ高級スーパーを運営する業者の出張販売は先週見学した。今日は産地直送商品を豊岡から運んでくる業者の販売の日だった。午後1時から3時までの営業である。  午後1時の開店直後に会場に着いた。既に多くのお客さんがつめかけていた。真っ先に幾つものケースに並べられた豊富な野菜が目に飛び込む。菜の花、葉わさび、小まつ菜、ちんげんさい、ちしゃ菜、きゅうり、ほうれん草、メークイン、土しょうが、山うどなどのほかに、子持ち高菜といった珍しい野菜もある。価格も多くは一束100円から200円と相場観のない私にもいかにも安いと思えるものばかりだ。日本海特産のあごの竹輪などの練り物や岩のり、漬け物などのデイリーフードもある。  珍しい子持ち高菜とビールのアテ用のあごの竹輪を手に持って、数人が待つレジの列に並んだ。おばあさんが業者に「卵はないか」と訊ねている。「すいません。来られる方は皆さんお買い上げになってすぐに売り切れました」との返事。開店直後の時間帯ながら、そう言えばケースの商品もボリュームに欠けるようだ。開店時間前から既にかなりの買物客があったようだ。「開店前からこんとアカンのや」と卵を買い損ねたおばあさんの愚痴が聞こえる。  顔見知りの同世代のご婦人と雑談した。「産地直送で新鮮で安いと、お年寄りたちにはかなり評判になってるみたい。私も近所のおばあちゃんを車で送り迎えしてる。元気な世代が少しくらいお手伝いせんとなぁ」。嬉しかった。住宅街のスーパーの退店後の自治会の努力で実現した出張販売である。お年寄りの買物の利便が回復しただけでないプラス効果が生まれている。住民たちが自主的に助け合い庇いあう風土の育成に繋がっていると思った。

娘の挙式衣装での前撮りの日2011年04月08日

 朝早く家内と娘を最寄りのJR駅まで車で送った。二人して娘の挙式披露宴会場にいそいそと出かけた。新郎新婦の挙式当日の装いでの挙式前の前撮りの日である。

 当初は、新郎新婦だけで済ますつもりだったようだ。ところがひと月ほど前に同じ会場で両家の両親立ち合いの披露宴献立の試食会があった。試食会後、二人が会場担当者と前撮りの打合せをする際に両親たちも同席した。その時、それまでほとんど出番がなく不満を募らせていた母親二人がにわかにタッグを組んだ。異口同音に前撮りには母親たちも立ち会いたいと言い出したのだ。強力タッグの前に二人は屈服し、今日の母親付き前撮りとあいなった。

 朝から家内は慌ただしい。日頃は興味のないデジカメ撮影を今日ばかりは自分でこなさねばならない。デジカメの初歩的操作をにわかカメラマンに教授した。ともあれ彼女たちの帰宅後には、娘の晴れ姿の前撮り画像が拝める筈だ。不慣れなカメラマンに一抹の不安は拭えない。はたしてどんな晴れ姿を持ちかえるだろう。

 午後6時半頃に家内と娘を最寄り駅まで迎えに行った。自宅で早速、デジカメ画像をPCに取り込んだ。45分ほどの間に71枚の画像がおさめられている。親馬鹿と言われようが、娘の赤ちゃん時代のブス顔が見事に整っているとあらためて思った。親馬鹿!

歴史調査団第1回例会2011年04月09日

 一か月前に文化財調査ボランティアの西宮市歴史調査団の会員登録会に出席した。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2011/03/12/ その結果、晴れて今年度の団員に登録され、今日はその第1回例会の日だった。

 さくらやまなみバスの時刻表の都合で開会45分前にJRさくら夙川駅に着いた。目の前に夙川のせせらぎが流れている。おりからのさくらの季節を満喫しようと思った。夙川の堤に沿って例会の会場である郷土資料館まで散策した。小雨模様の中をお花見用のシートがあちこちに並べられている。堤から降りてせせらぎの横の歩道を歩いた。さすがに有数のさくら名所である。さくらの枝ぶりが川面にさしかかる風情は何とも言えない美しさだった。

 9時半から郷土資料館2階で調査団第1回例会が始まった。今年度登録者26名の内、20名が出席した。最初に団員と資料館スタッフ6名の自己紹介がある。「西宮市立郷土資料館」の腕章が貸与され、スケッチブックと資料館発行の参考書籍「西宮の歴史と文化」が配布された。その後、出席者全員の集合写真の撮影がある。撮影後、橋梁班と石像班に分かれての打合せとなる。石像班では、初参加者向けの調査講習会の日程を確認し、曜日別グループの連絡係を選んだ。  文化財調査ボランティアの今後の活動の進め方を確認する第1回の定例会が11時半に終了した。

恒例の土筆採り2011年04月10日

 久々の好天に誘われてさくら観賞がてらの朝の散歩を愉しんだ。有馬川緑道から公智神社前のさくらトンネルを抜け下山口公園の西川沿いのさくらを巡った。更に愛宕橋を渡って有馬川堤のさくらを愛でた。

 通常ならこれで帰宅するのだが、少し足を延ばして土筆の群生するポイントに向った。年々ポイントの群生エリアが狭くなっている。それでもここ二日ばかりの雨続きで一気に土筆たちの背が伸びた。10数cmから20cm位の土筆が頭を並べていた。かっては30cmほどの土筆を摘んだものだが今は望むべくもない。帰宅して早速、袴取りの作業にかかる。これは今や私の仕事になっている。  

 昨日から、婿殿が挙式準備のデスクワークで我が家に滞在している。夕食はカツと天麩羅だという。家内はヘレカツ、エビ、ジャガイモ、サツマイモ、山芋、玉ねぎなどいつにない多種の具材で時間をかけて腕を振っている。それならと土筆も天麩羅の絶好の素材になるとオーダーした。初めての土筆の天麩羅が揚った。シャキシャキ感のある香ばしい味わいだった。