佐賀の旅②名護屋城博物館の充実ぶり2023年06月01日

 呼子から西に10分ほどのところに名護屋城博物館があった。バス駐車場から博物館に向かう道すがら右手の小高い丘の名護屋城跡を確認した。左手には横長の立派な建物・名護屋城博物館が見えた。
 館内の展示物の点数の多さと充実ぶりに驚かされた。名護屋城は太閤秀吉が朝鮮出兵に当たって築かせた日本側の拠点である。こうした出兵目的の築城という点に配慮してか博物館は常設展示の主題を「日本列島と朝鮮半島の交流史」としている。
 2階展示室には「名護屋城以前」「歴史の中の名護屋城」「名護屋城以後」の3コーナーの展示がある。全ての展示にハングル文字が併記されている。朝鮮出兵という国際的には負の歴史に依拠した史跡への忖度が見て取れた。朝鮮出兵コーナーの中核に設置された当時の日朝の軍船の10分の1の復元模型に興味を引かれた。
 展示を観終えて一階ロビーに降りた時、茅葺屋の陣屋のジオラマが目についた。博物館裏手に隣接する「木下延俊陣屋跡」の紹介である。早速見学に向かった。林の中に御殿風の陣屋跡が現れた。パンフレットで木下延俊なる人物が秀吉正室の兄の三男であることを知った。それだけに身内の少ない秀吉の信頼も厚く、この陣屋も名護屋城の要所である大手口近くに位置している。陣屋跡が伝える物語である。
 これだけ充実した博物館だが入館料は無料である。佐賀県はなんと太っ腹なんだろう。2時半頃に名護屋城博物館を後にした。

佐賀の旅③浜野浦の棚田から唐津市内巡り2023年06月02日

 3番目のスポット「浜野浦の棚田」はバスで南に向かって20分ばかりのところにあった。玄界灘を背景にした急な勾配に階段状に棚田が広がっていた。5月末のこの時期は田植えを終えた水田がひと際美しい。
 初日最後のスポットを後にしてホテルに向かった。「ホテル&リゾーツ佐賀・唐津」には予定より30分早く3時半に到着した。チェックインの際に佐賀県の地域クーポンが配られた。デジタルクーポンと紙クーポンの選択制である。お釣りが貰えて手間のかからない紙クーポンを選んだ。指定された部屋は松浦川に面した広々とした部屋だった。夕食までの2時間を市内観光で過ごすことにした。
 最初に向かったのは徒歩15分ばかりの唐津城だった。登城口まで珍しい斜行エレベーターがあったので利用した。登城口から階段を伝って各階の展示を見ながら最上階の5階に着いた。玄界灘に浮かぶ島々のの眺めが珍しい。その中に台形のひときわ目立った島がある。神功皇后の新羅出兵に由来する神集島(かしわじま)である。
 バスガイドさんの車内案内でお勧めの唐津市街地の名所スポットに向かった。曳山展示場と旧唐津銀行がお目当てだった。唐津神社西側にある筈の曳山展示場は改装中で唐津駅前に移転していたことを途中で知った。お城から約1kmを歩いてようやく駅前展示場に辿り着いた時は5時過ぎで既に閉館していた。やむなく駅前広場の「曳山像」を撮ってお茶を濁した。
 歩き疲れて駅前からはタクシーに乗車した。途中、ドライバーにお願いして「旧唐津銀行」前に停車してもらった。現在も「辰野金吾記念館」として館内が開放されていた。
 6時からの夕食の40分前に疲れ果ててホテルに到着した。

佐賀の旅④ホテルの不本意な料理に楽しさ半減2023年06月03日

 唐津市街地の長い散策で疲れた体をホテルの大浴場に浸かって汗を流した。6時に夕食会場の大宴会場に向かった。宴席ではないのでグループごとに三々五々4人席のテーブルに着席する。
 「佐賀牛しゃぶしゃぶ会席」というふれこみの料理が既にテーブルに配膳されている。お刺身三種盛り、しゃぶしゃぶひとり鍋、揚げ物、よもぎ餅、イカの塩辛、香の物、炊き込みご飯、デザートといったお品書きだった。生ビールを別注してたっぷりあるアテで喉を潤した。料理の感想は残念ながらホテルの料理としては×印だった。しゃぶしゃぶのお肉は柔らかく美味しかったが量が少な過ぎた。エビと野菜の天ぷらとアジのフライといった揚げ物は揚げたてに程遠く素材もイマイチ。中でもべちゃついた炊き込みご飯は最悪だった。一泊二日のツアーで唯一の夕食は何よりの楽しみである。それがこのレベルではツアーの楽しさも半減した。
 早々に夕食を終えて1階のショップに向かった。お土産の物色に余念がない家内を残して一足先に部屋に戻り、2度目の入浴を済ませた。
 翌朝5時過ぎにいつものように早朝ウオーキングに出かけた。ホテルは北側の玄界灘と南側の松浦川に挟まれた岬のような地形の真ん中あたりに建っている。ホテルのすぐ東側から”虹の松原”が続いている。東に向かって虹の松原を進み、途中から玄界灘を望む砂浜に出た。ここで折り返して西に向かって松浦川沿いの遊歩道を歩いた。唐津城の雄姿が遠望できた。
 ホテルに戻り朝食に出かけた。6時45分と早目に会場に着いたが既にテーブル席はほぼ満席状態。ビュッフェスタイルなので混雑をかき分けて食材を皿に盛りつけていく。コロナ禍明けの国内観光の復活ぶりを目の当たりにした。朝食もまた不本意なレベルだった。ホテルバイキングの楽しみは新鮮で珍しい地元食材だが、ありきたりの食材ばかりが目につき、残念ながら期待は満たされなかった。
 部屋に戻り、朝ドラを観た後、8時15分出発予定のバスに乗り込んだ。

佐賀の旅➄秘窯の里・大河内山の山水画の景観2023年06月04日

 佐賀の旅二日目の最初の訪問は”大河内山(おおかわちやま)”という初めて耳にするスポットだった。唐津から南に20Kmばかりの伊万里焼の窯元の里である。
 バスを降りると目の前に風光明媚な里山の集落が広がっていた。少し歩いて集落の入口に着いた。伊万里焼なのだろうか大きな陶板の案内マップの前でバスガイドさんからこの”秘窯の里”の散策案内を聞いた。
 集落を南北に走る大通りを北に進む。途中の右手の緩やかな坂道を辿った時、ツアーのキャッチコピー”山水画を思わせる景観”が現れた。窯元の風情のある煙突、左右の白壁の街並み、正面の屏風岩等、いかにも山水画の風情漂う景観だった。
 大通りに戻り集落の東を流れる小川に沿って北に向かった。小川の左右は苔むした石垣が続き、川面にも石畳が敷かれて癒される景観である。犬の散歩中の地元のおばさんに道を尋ねた。親切に観光案内を兼ねて”陶工の墓””関所跡”のスポット迄案内してもらった。
 1時間ばかりの秘窯の里・大河内山の滞在を終えてバスが次のスポットに向けて出発した。

佐賀の旅⑥舞台様式の彩り豊かな祐徳稲荷神社2023年06月05日

 二日目の2番目の訪問スポットは大河内山の南東20kmばかり行った有明海に近い位置にあった。大鳥居を通過して間もなく車窓から朱塗りの舞台のある壮大な社が見えた。日本三大稲荷神社のひとつで、九州では太宰府天満宮に次ぐ300万人の年間参拝客を集める祐徳稲荷神社である。
 バスを降りると目の前に幾つもの社や関係施設が並び建つ広大な光景が現れた。参道入口の朱色の太鼓橋を渡ると右手に一般参拝客用の参道が伸びており、浅草の門前仲町風の商店街が軒を連ねている。
 二階建ての屋根のある堂々たる楼門をくぐると広い境内を取り囲むように本殿、神楽殿、参集殿が建ち並ぶ。坂道を辿って舞台の上に建つ拝殿に向かう。日光東照宮を思わせる鮮やかな色彩の拝殿で参拝し、拝殿横の稲荷神社ならではの鳥居が立ち並ぶ参道を進み奥の院に向かった。奥の院のゴールが見えない懸念もあり途中の末社前で折り返した。拝殿からの下り階段の途中で見上げると舞台を支える見事な柱組の迫力ある光景が迫っていた。
 伏見稲荷大社の壮大さに迫る稲荷神社の迫力と華やかさに圧倒された。ただ建造物の多くがコンクリートで構成されていることに多少の違和感があった。名前すら知らなかったこの稲荷神社を通して旅が教えてくれる非日常の世界を噛み締めた。

佐賀の旅⑦水郷・柳川の船下り2023年06月06日

 祐徳稲荷神社を後にしたバスは、東に向かって進み、有明海の北の縁を辿って約1時間をかけて1時頃に対岸の町・柳川に着いた。バスを下車した一行は街の中心部の乗船場まえの広場に集合。ここで一旦解散して各自で昼食や散策をして1時間後に再集合とのこと。
 あらかじめリサーチしていた名物の鰻のせいろ蒸しを求めてすぐ近くの”ウナギ屋本店”に入った。長テーブルの一角に席をとりせいろ蒸しを注文した。川沿いの窓越しには船下りが行き交う光景を目にした。注文してから蒸すためか少し待たされてせいろ蒸しが配膳された。せいろで蒸しあがったアツアツの料理である。鰻ダレの御飯の上に焼きあがった鰻とキンシ卵が載せられている。初めての”鰻のせいろ蒸し”美味な体験だった。
 昼食に予想外に時間がかかり散策時間が少なくなっていた。川に沿って北原白秋生家を目指した。平日午後の時間帯ながら風情のある街並みを大勢の観光客が行き交っている。白秋生家に到着した時は集合時間10分前だった。入館を諦めて外観の写真撮影だけを済ませ集合場所に急いだ。
 2時から事前予約の客を対象に「城門観光」の船下りに乗船した。申込みの半数ずつに分かれて編み笠に法被姿の初老の船頭さんの操る小舟に8人ばかりが乗り込んだ。旧柳川城の掘割を巡る約40分のコースだった。途中で背の低い橋の下をくぐる時、橋の真ん中に縄梯子が吊るされていた。乗客は思い切り頭を下げて通過するが、驚いたことに船頭さんは縄梯子を使って橋によじ登り橋の上を通過した。観光スポットのガイドだけでなく船頭さんは白秋の童謡をはじめ様々な舟歌を披露してくれる。なかなかの歌唱力だった。
 今、柳川の町は大規模な街並み改修工事が始まっている。そのため掘割の両岸の柳の並木は殆どが伐採され、かつての風情をなくしている。そんな船頭さんの解説に少しばかり落胆するほかなかった。
 乗船場で船を降りバスの待つ駐車場に向かった。15時頃にバスが最後の訪問スポット吉野ヶ里遺跡に向かって出発した。

佐賀の旅⑧待望の吉野ヶ里遺跡2023年06月07日

 旅の二日目の朝、テレビのニュースが吉野ヶ里遺跡の発掘調査で新たな発見があったことを告げていた。今日の最後の訪問スポットは偶然にもその吉野ヶ里遺跡である。
 水郷の町・柳川を発って北に向かって40分ほどで吉野ヶ里遺跡に到着した。今回のツアー申し込みの主たる目的でもある待望のスポットである。バス車中でのガイドさんから聞かされた遺跡の発見にまつわるエピソードが一層関心をもたらした。
 バスを降りた頃から雲行きが怪しくなった。今回のツアーで初めての天候不安である。携帯傘持参で駐車場から少し歩いてメインゲートを通過する。遺跡ゾーンを繋ぐ天の浮橋からは右手にテレビ等で見覚えのある巨大な祭殿はじめ復元された高床建物群が遠望できた。初めて目にした実写の感動の光景だった。
 広い歴史公園の中をガイドさんの案内でひたすら歩いた。吉野ヶ里遺跡は弥生時代の大規模な環濠集落である。集落入口の環濠跡をしっかり確認した。途中のスポットは帰路に各自で見学するとのことで、最も北にある「北墳丘墓」に向かった。途中で突然降りだした大粒の雨に大慌てで携帯傘を広げた。北墳丘墓は保存された発掘現場を回廊越しに見学できる施設だった。身分の高い人物の墳丘墓には14基の甕棺が出土している。
 北墳丘墓の南に「北内郭」がある。最も見学したかった建物群である。中心となる巨大な祭殿を梯子を伝って上った。突然の大勢の人影にギョッとさせられた。当時の装束をまとった大型人形たちが古代の祭事をつかさどっている場面の再現だった。北内郭の高床建物や竪穴住居をザッと見学して「南内郭」に向かった。 
 南内郭でも見慣れた建物を目にした。4棟もの物見櫓が復元されている。その内の一棟の急な階段を伝って物見台まで昇った。広大な歴史公園の復元集落の全貌が展望できた。1時間の見学時間があっという間に過ぎた。集合時間ギリギリにバスに戻った。
 この日にニュースで告げられた吉野ヶ里遺跡の新発見は、その後の発掘調査で「限られた身分の高い人だけに使われた赤色の顔料を用いた棺おけ」が見つかったようだ。邪馬台国論争にも一石を投じる発掘とのコメントもある。
 バスが予定通り5時半に博多駅に到着した。1時間の買物時間を駅構内で過ごしお弁当や缶ビールを調達し新幹線に乗車した。新神戸経由で神戸電鉄に乗り換え本降りの雨の中をマイカーで10時頃に自宅に戻った。”歴史ロマンとグルメのがばい佐賀二日間”のそれなりに充実した旅を終えた。

関西独立リーグ・兵庫ブレイバーズ公式戦を観戦2023年06月08日

 5月のちょい呑みオヤジ会で有志でプロ野球関西独立リーグ・兵庫ブレイバーズの6月4日の公式戦を観戦することになった。オヤジ会メンバーでもある川崎球団代表の配慮で観戦当日には球団のマイクロバスで送迎してもらえるという。その場で6名の会員の観戦申し込みがあった。
 20人余りの乗車定員のマイクロバスに6人乗車では申し訳ない。個人的な繋がりで観戦が期待できそうな知人たちにメールで案内した。その結果会員以外に3名の方の申込みがあり、マイカーの方お1人を含めて10人の参加となった。
 当日10時半に住宅街のコミセン前に集合した9人の面々を載せて球団ボランティアの方が運転するマイクロバスが出発した。申込者の多くがマイクロバス送迎なので観戦中も缶ビールが呑めるという期待があった。ところが球場のキッピースタジアムには飲食はカレーとコーヒー販売のキッチンカーしかない。そこでドライバーにお願いして球場近くのスーパーに立ち寄ってもらった。缶ビールやお弁当を調達した一同を乗せてバスが球場に到着した。前売券800円チケットの高齢者割引の料金を支払い初めての球場の一塁側スタンドに陣取った。
 しばらくして席のすぐ後ろにおばさん3人組が着席した。マイクロバスドライバーとも仲良しの年季の入ったブレイバーズ応援団のようだ。応援を通じて仲良くなった。
 12時プレイボールの対戦チームは和歌山ウェイブスだ。試合が始まると一塁側応援団の気合の入った応援ぶりが耳目を集めた。今回声掛けして初めて参加してもらったご近所さんのミニトランペットが高らかに鳴り響いた。元阪神タイガース応援団のトランぺッターだった方だ。試合中も絶好のタイミングで場面に応じたメロディが演奏され、一塁側スタンドはいやでも盛り上がる。
 試合の方は庫ブレイバーズが先手先手で点を取る嬉しい展開だった。とりわけ捕手・塚本の2本の本塁打が光った。最終回のツーアウト満塁のピンチも際どい判定ながら三振で締めくくってブレイバーズの7対3の快勝だった。試合終了後には球団代表の気配りで全選手との集合写真まで撮ってもらった。久々の野球観戦を存分に楽しんだ。

ドライバー不足の深刻化とカーボランティア2023年06月09日

 テレビのニュースがタクシー業界の深刻なドライバー不足を報道していた。タクシーは交通弱者にとってのセイフティネットの役割を持っている。2007年に超高齢社会となった日本ではお年寄りの交通インフラとしてのタクシーの役割は重要である。
 山口地域活性化推進委員会が開催され、コミュニティバスの試験運行に向けて運行事業者の選定が難航しているという経過が報告された。近隣のコミュニティバス同様に事業者は阪急タクシーが想定されていた。難航の背景に物流業界の2024年問題という深刻で構造的なドライバー不足がある。
 コミュニティバスの取組みは、交通弱者の地域対策であるコミュニティ交通問題の施策のひとつである。本来、多様な選択肢のひとつとして検討すべき課題であるが、現状では唯一の課題として取組まれている観がある。それだけにその実現性が懸念される場合の他の選択肢の検討が求められる。
 北六甲台地区社協の交通弱者対策の取組みであるカーボランティアは2001年に始まり20年以上の実績がある。山口町という公共交通の脆弱なエリアの取組みとして市内35地区の中でも特有の取組みとして定着してきた。地域の住民有志がマイカーで利用者にカーボランティアを提供してきた。地域のボランティア・ドライバーに支えられた取組みである。
 日本社会の深刻なドライバー不足は、事業者を介在した交通弱者対策を困難なものにしている。交通弱者対策という福祉分野の施策の担い手として地区社協のカ―ボランテアはボランティア・ドライバーの発掘の手法としてもあらためて注目されてよいと思われる。

水田を目にする季節がやってきた2023年06月10日

 近畿地方は5月29日に梅雨入りしたようだ。実際その頃から雨の日が多い。早朝ウオーキングも傘持参だったり、ウオーキングの断念を余儀なくされたりする。
 そんな季節の曇り空の中をウオーキングに出かけた。有馬川沿いの名来神社に向かう土手道を歩いた。中国道の高架下を抜けると東側には田圃が広がる。有馬川の梅雨時の豊かな水量を呼び込んだ田圃は田植えを終えた美しい水田に変貌していた。
 さくら並木の新緑の間に広がる水田は隣接する丘陵を映して美しい癒される光景を生みだしていた。