「月刊・労委労協」・・・久々に活字になった原稿2012年07月01日

 先日の大阪府労働委員会の定例会議で、「月刊・労委労協」(6月号)を受取った。各府県労働委員会労働者委員の全国組織「労委労協」の機関誌である。労働者委員の学習、情報交換、経験交流のための冊子と理解している。
 この6月号には私の原稿が掲載されている。「会員交流」シリーズでは会員の労働者委員が府県ごとに持ち回りで寄稿文が寄せている。就任3期目を迎えてお鉢が回ってきた。4月に労委労協事務局から依頼メールを受けて5月初旬に原稿用紙7枚程度にまとめて送信した。
 次のような趣旨で原稿をまとめた。「労働者委員就任5年目を迎えました。この間、多くのことを見聞し、体験し、学びました。以下、幾つかの印象的な出来事を紹介しながら、労働者委員目線で眺めた労働委員会の風景を綴ってみたいと思います」。その上で、「和解の勧め」「合同労組の社会的役割」「和解協議での教訓」「被申立人弁護士のパフォーマンス」と題して四つの事例を紹介した。実は、全てこのブログで綴った事例ばかりである。印象深かった経験を直後に綴ったものだけに具体的で実践的な内容だったかと思う。
 出身企業の労組委員長の現役時代には、機関紙や労働界冊子や業界紙誌に寄稿する機会が結構多かった。以来、20数年ぶりの冊子への寄稿文が活字になった。

夏越しの酒 「銷夏酒(しょうかざけ)」2012年07月02日

 昨日の日曜の昼下がりだった。台所仕事をしていた家内が、「あっ、○○さんやっ!」と突然大きな声をあげた。窓越しに見えた来訪者の姿を口にしたようだ。一瞬、誰のことかとわけがわからなかったが、ようやく娘の嫁ぎ先の名前だと合点した。それほどに突然の婿殿のご両親の来訪だった。
 リビングのテーブル周辺を慌ただしく片付け、お二人を招き入れた。「いい酒を手に入れたので、ぜひ味わってもらおうと思いまして」と開口一番の舅さんの話だった。戴いた紙包みを開けると、茅の輪の飾りのついた720ml瓶が姿を現した。滋賀県湖南市の北島酒造の蔵出ししたばかりの夏期限定の冷酒だそうだ。
 舅さんのうんちくや瓶のラベルからこのお酒の由縁が分かった。夏越し (なごし)の酒の「銷夏酒(しょうかざけ)」という銘柄である。銷夏酒は、日本最古の神事ともいわれている「夏越しの祓 (なごしのはらえ)」の日に呑む禊(みそぎ)の酒として作られた。「夏越しの祓」とは、一年の上半期最終日、六月晦日の神事で、茅の輪をくぐることで、前半年の罪を祓い、夏以降の疫病退散を祈願する。そんなゆわれから茅の輪の飾りがついている。夏の酒ながら敢えて度数の高い呑みごたえのあるまろやかな熟成生酒に仕上がっているそうだ。
 姑さんからも「夏越しの祓」に供される代表的な和菓子「水無月」を戴いた。こちらは、ういろう生地にたっぷり小豆を乗せて蒸した和菓子で、京都では水無月(6月)晦日(30日)に食べる風習が今尚残されている。
 婿殿の実家は京都市西京区の嵐山近くにある。かねてから婿殿の日本酒や和菓子へのこだわりは承知していた。今回のお二人の突然の来訪で、それが伝統や風習をごく自然に受け入れながら生活してきた京都人らしさの表れでもあると知った。「夏越しの祓」のお酒と和菓子のお裾分けをぜひ届けたいというお二人の想いを有難く頂戴した。

夏越しの酒「銷夏酒」を味わった2012年07月03日

 日曜日に突然来訪された婿殿のご両親に、夏越しの酒「銷夏酒」を戴いた。生酒ということで長く置いておけない。かといって720mlをひとりで呑むには多すぎる。誰かと一緒に酌みかわせないかと思った。ご近所に酒好きのごく親しいご主人がいる。夫婦ぐるみで何度か旅行にも出かけた仲である。早速、家内がそこの奥さんに連絡し、俄かに我が家での昨晩のプチ宴会の運びとなった。
 我が家の献立のお好み焼きが酒の肴に変身した。ご近所さんの献立だった肉じゃがもこれに加わった。思い立ったらいかにも手軽に懇親の場を設けられるのがご近所づきあいの強みだ。
 さて夏越しの酒「銷夏酒」の出番である。冷蔵庫から取り出したよく冷えた熟成生酒の蓋を開ける。ぐい呑み用のグラスに注がれた冷酒は驚くほどまろやかで口当たりがいい。ラベルにはアルコール度数は20度とある。日本酒は一般に15度前後だから高目のアルコール度数である。この呑みやすい銘酒を二人で思った以上に早いペースで呑み干した。もっとも大き目のグラスの方で盃を重ねたのはご近所さんだった。あらかじめそのように配置していた家内の陰謀には目をつぶった。
 そんなわけで「美味い酒を呑む」ことを名目にした久々のプチ宴会が2時間余り続いた。リタイヤ世代の夫婦二組のとりとめない四方山話もたまにはいいもんだ。心地良い酔いに任せて11時前に眠りに着いた。

ミュージカル劇団後援会の活動2012年07月04日

 ミュージカル劇団後援会の活動に奔走した。朝一番に7月公演の招待状を持参して、後援会最大の大口会員である地元企業代表者にお会いした。劇団機関紙への広告掲載の打合せと、今後の劇団公演について懇談した。
 午後には、地域の金融機関の地元支店を、同僚の後援会役員と一緒に訪ねた。7月公演で観客の子どもたちに配るクッキーのスポンサー依頼である。スポンサー広告の打合せも含めて後援を頂けた。
 その後、同僚役員とマクドナルドで懇談した。急な病でしばらく後援会活動から遠ざかっている役員である。後援会役委員としては唯一の地元山口の在住者で、自身も幅広い地域活動をやってきた人だ。それだけに来年秋予定の有馬皇子ミュージカル公演に向けての上演態勢づくりの助言をぜひ聞きたかった。1時間ばかりの懇談で示唆に富んだ興味深い意見や情報を得た。

家計が伝える「夫婦二人の老後」2012年07月05日

 一週間ほど前に「我が家の老後の生活設計」を再点検した。その際、今後の家計見通しを現状の家計簿情報から月額30万円と推定した。只、細部の家計実態は確認しないまま、家内に「推定余命の生活は何とかなりそうだ」と再点検結果を話した。心配性の家内はイマイチ納得していない。それというのも現状の家計の正確な把握をしていないからだ。そこで家内が去年の初めからつけている家計簿を点検集計することにした。
 家計簿をみてみるとかなりいい加減だ。とりあえず買ったものつけることに満足している嫌いがある。月毎の集計もしていないし分類区分も適当すぎる。それでも生データがあることが救いだった。昨日1日かかって1年半分の数字を拾ってエクセルで月別集計した。
 集計結果から様々なことが初めて把握できた。娘が昨年5月末に嫁ぐまでの去年の上半期の殆どは三人暮らしだった。挙式や引越しに伴う出費も多かった。結果的に去年の上半期の生計費は税金や公的保険料も含めると月額30万を超えていた。それが今年の上半期になると世帯人数の減少効果も大きく前年比80%程度に圧縮された。今年2月に導入したLDKの床暖房効果も大きく水道光熱費の削減が著しい。それにしてもあらためて負担の大きさに驚いたのは国民健康保険料である。税や公的保険等の国民負担の重さをあらためて実感した。
 同時に、家計という数字からしみじみと「夫婦二人の老後」を、一抹の侘しさとともに実感したのも事実である。

カタツムリ2012年07月06日

 晴れ間の見えない鬱陶しい梅雨の季節が続いている。朝6時過ぎに自宅を出た。どんより曇った低い空ながら、何とか傘なしで散歩はできそうだ。
 小一時間の散歩を終えて、住宅街麓の農道に帰ってきた。グレーの舗装路上の何やら茶色っぽい物が目についた。屈んで見てみるとカタツムリだった。道路を横断中のようで、胴体の後には黒い点々の足跡が残されている。子供の頃はよく目にしたこの生き物も、最近はとんとお目にかかったことがない。しばらく眺めながら、ふとあるフレーズを思いついた。「カタツムリ、殻がなければ、ナメクジラ」。(ショウモないッ)
 角の先の目玉を思い切り伸ばして一生懸命動いている。思った以上に早いペースにホッとした。農道とはいえ、車の走行も多い。下手をすると一瞬でこの健気な生き物は命を落としかねない。ガンバレ、ガンバレと呟きながらその場を後にした。それにしても梅雨の季節にカタツムリはよく似合う。

児童養護施設の体当たりの養育2012年07月07日

 昨日の午後、西同協の委員研修会に参加した。市立勤労会館ホールには定員の7割ほどの300名近い受講者が席を埋めた。学校やPTA関係の若いお母さんたちが多い。
 児童養護施設・三光塾施設長の瀧野施設長を講師に「三光塾での子供への関わり方」と題した講演だった。講演が始まると講師の右手にボランティアの手話通訳者三人が交替で同時通訳をする。手話ボランティアは全員、黒いシャツ姿である。なるほどこれなら胸の前で手話を伝える手指の動きがくっきりと浮かび上がる。黒シャツは手話通訳者の制服だと初めて知った。
 40前後のまだ若い施設長の講演は実践に裏付けられた感銘深いものだった。大学を出てすぐに三光塾に職を求め、以来20年に及ぶ児童養護施設という職場での実践者である。「何らかの理由で家族と生活できない子ども達のお家」には幼時から高校生まで40名ほどの子どもたちが一緒に暮らしている。そんな子どもたちと日々寄り添いながら暮らし続けた人の、実践に裏付けられた素晴らしい言葉が次々と繰り出される。
 「気持ちを言葉にすること。言葉を通じて相手は分かってくれることを学んでくれる」「自分のことをわかってくれる人がいることを知ってほしい」「君のこんな素晴らしいことを知っているよ。そんな君に悪いことをしてほしくない」「自分の育ちを知ってくれている人がいることの子どもたちの安心感。そんな気持ちが伝わる時の喜び」「困らされた子どもほど『ありがとう』の一言に感激させられることはない」「通常の職場のようにかけひきや競争のない職場での真正面に向き合える仕事に感謝している」。
 家族と離れて暮らす子どもたちに寄り添って生きる児童養護施設という現場の実情を初めて教えられた。明るく語られた実情以上にもっと過酷で屈折したものがあるにちがいない。職員たちにとっては身をすり減らす現場でもあるのだろう。そんな現場を明るく前向きに受け止めながら体当たりで養育という役割を担ってきた人の貴重で示唆に富んだ体験談だった。

初めての紙漉き体験2012年07月08日

 今日の午後、名塩和紙学習館で開催された定例の「7月紙すき教室」に参加した。先月「宮水学園・塩瀬講座」の「和紙の里・名塩」を受講して、実際に紙すき体験をしてみたいと思い受講申込みをした。
 紙すき教室は1時半から始まった。受付で参加費700円と材料費800円を払って学習館2階の和室大広間に入る。8名の受講者の内、お二人は学習館の友の会のメンバーらしく何度か参加されているようだ。最初に「名塩和紙」のビデオを20分ほど鑑賞した。これから体験する紙すきだけに和紙の製法などを興味深く学べた。その後、1階の実習室に移り、いよいよ紙すき実習となる。
 実習室には紙すきの原料が入った水タンクが左右に8台設置され、真ん中には4台の作業台がある。講師は市会議員でもある紙すき職人の八木さんである。水タンクの前で講師から紙すきの要領が説明され、実際にハガキサイズの紙すき用の木枠を使って実演される。だいたいの要領が呑みこめた段階で各自で実際に紙すきを体験してみる。
 まずはハガキサイズの紙すきからの挑戦である。水濡れ防止用のナイロンコートを着用し、木枠を両手で直角に持って水タンクに半円を描くように浸ける。原料の入った水を手前に掬ってそっと水平に持ち上げる。木枠に張られたメッシュの上に原料が薄く掬われる。まだ水が溜まっている状態で左右にそっと揺すって原料を均(なら)すのがコツのようだ。同じ方向で掬うと前後に偏りができるので2回目は木枠を逆向きに持ち替える。更に2回漉いた後、作成者を判別するための小さな和紙の短冊に書いたマークを載せる。。もう一度逆向きにして更に2回掬って終了である。木枠を作業台に置かれた布の上に載せ、メッシュの上に乗せたタオルを押して水を切る。木枠を外して完了である。数人のボランティアらしきインストラクターのおじさんやおばさんに傍で手助けしてもらえる。
 実習用の原料は合成原料、ミツマタ、雁皮と三種類あった。サイズも名刺、ハガキ、半紙の三種類である。最も易しいハガキサイズの合成原料8枚、ミツマタのハガキサイズ4枚、雁皮のハガキサイズ2枚と半紙サイズ2枚を作成した。原料によって毛足の長さが異なる。長い毛足の雁皮は木枠を外す時に形が崩れることがある。40分ばかり実習して終了した。仕上がった作品は乾燥させた後、自宅に送られる。
 かって山口にも名塩とは違った製法の紙すきが行われていた。我が町の伝統産業の一端を初めて体験したひと時だった。

藤沢周平著「獄医 立花登 手控え」全四巻2012年07月09日

 1ヵ月ぶりの書評である。この間、読書をしていなかったわけではない。藤沢周平著作の「獄医 立花登 手控え」シリーズの全四巻をまとめ読みしていた。「春秋の檻」「風説の檻」「愛憎の檻」「人間の檻」がそれぞれの作品名である。各巻に5~7の物語が、全巻で24の物語が収録された連作集である。
 講談社文庫版のこのシリーズの各巻の巻末には「解説」と「(作者の生前の)写真」と「藤沢周平 年譜」が掲載されている。今や私にとって藤沢周平は他のどの作家よりも偉大で大好きな作家になっている。その人物の在りし日の10枚の写真を懐かしく眺めた。会ってもいないのに「懐かしさ」を感じさせる貌だった。藤沢作品がもたらす「郷愁」がそんな気分にさせるのだろうか。
 それにしても多彩な作家である。今回の主人公は江戸小伝馬町の若き牢獄医・立花登である。江戸時代の牢獄や医術の専門的な叙述がさりげなく描かれている。時代考証に関わる資料の読み込みの深さが物語の奥行きの深さになっている。作家とは単なる文章家ではなく研究者でもあることを教えられる。
 このシリーズであらためて知ったのは作者の女性の好みである。物語のそれぞれに魅力的な女性が登場する。どの女性も総じて美人で男心をくすぐる色っぽさを漂わせている。ほっそりしているものの豊かな尻と胸をもっている。どうもこれは作者・藤沢周平の好みのタイプなのではないかと思ってついニンマリしてしまう。
 登が寄生する叔父夫婦には一人娘おちえがいる。これまた美人であるが年上の従兄・登を呼捨てにする驕慢な娘である。この設定が実にいい。そのおちえが登に危難を救われたりしながら徐々に心を通じ合う。そして物語の最終章は読者が期待した通りに登とおちえが結ばれる場面で幕を閉じる。見事なエンディングである。

有馬川の二枚の画像2012年07月10日

 三日前の早朝の散歩道だった。低くたれこめた空の下で有馬川の荒々しい水面を、不安のこもったざらついた気持で眺めた。前日までの大雨で水量は一気に嵩上げされ濁流となって轟音とともに奔流していた。朝刊は一斉に県南西部の浸水被害を伝えていた。いつもは穏やかで川面に遊ぶ水鳥たちに癒される有馬川も、ひとたび自然の猛威をまとうと不気味で恐ろしさを秘めた様相に一変する。
 束の間の梅雨の晴れ間の今朝の散歩だった。雲ひとつない突き抜けるような高い青空が、有馬川の穏やかな水面に映されていた。安らぎの風景がそのまま散歩人の心に心地良く沁みとおる。三日前の有馬川の濁流を写した地点にやってきた。名来橋の真ん中の同じ位置からのショットを切り取った。
 荒々しい有馬川と穏やかな有馬川。二枚の写真は撮影者の切り取った気分をそのまま映している。