NHKスペシャル「完全解凍!アイスマン」2013年04月01日

 先日録画していたNHKスペシャル「完全解凍!アイスマン」を観た。アイスマンは、約5300年前の男性のミイラの愛称である。1991年にアルプスのイタリア・オーストリア国境の海抜3210mのエッツ渓谷の氷河で見つかった。昨年イタリアで初めてアイスマンが解凍、解剖され、脳や内臓、骨、血管など149点ものサンプルが採取された。番組は、その模様と研究成果の一部を紹介したものだ。
 発見されたミイラの死亡年代は、科学者による炭素の放射性同位元素測定により5300年前と特定された。更に採取されたサンプルの世界中の研究者による分析から、有史以前の5000年前の生活、文化、風習などが次々に明らかになった。発見時にアイスマンは弓矢や精錬された銅製の斧を所持しており、当時のアルプス近辺で既に高度な銅の精錬技術があったことを窺わせた。胃や腸からは数種類の動物の脂身やハーブや小麦に水を加えて加工した物や煤も検出され、豊かな食生活が推測された。靴は靴底が丈夫な熊の毛皮で作られ、外套は色違いの革を縦縞模様に作られており、ファッション性を帯びている。驚かされたのは、身体中の入れ墨跡が現代の鍼灸治療のツボの分布位置に相当するという。鍼灸治療の3000年前の中国とされていた起源が根底から覆される発見といえる。
 こうした分析を通してアルプス周辺の古代ヨーロッパには、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明の世界4大文明以前に4大文明を凌ぐ高度な文明が存在していたのではないかという説が紹介された。それは従来の人類の歴史の重大な修正を迫るほどの発見を意味している。 
 久々に知的好奇心をいっぱい満たされた凄い番組だったというのが観終えての感想である。

スタンバイ・・・さくらまつり2013年04月02日

 曇天の早朝散策だった。花冷えなのだろうか。昨日までの穏やかで温かい空気に冷気が混ざり込んでいた。所用もあって山口の集落の旧街道を歩いた。山口センター手前で西に向かい、公智神社前を走る線路道を北に向かった。
 公智神社の開いたばかりの花弁をつけたさくらが、境内から線路道に向かって大ぶりの枝を広げていた。すぐ先の西川沿いのさくら並木も蕾を交えて開花で隙間のあるトンネルをつくっている。西川沿いを更に進むと下山口公園を縁どるさくら並木が出迎える。例年、豪華なさくら模様を川面に繰り広げる名所スポットが今年もその健在ぶりを見せている。
 4日後には山口のさくらまつりを迎える。去年は遅すぎた春の訪れで蕾のままの寒いまつり舞台となった。一転して今年は春爛漫のさくらまつりになりそうだ。

藤沢周平著「日暮れ竹河岸」2013年04月03日

 藤沢周平の生前最後の作品集「日暮れ竹河岸」を再読した。文庫本245頁に19作品が収録されている短編集である。ひとつの作品は平均すると約13頁で400字詰原稿用紙にして約20枚である。藤沢作品の短編集もよく読んだがこれほどの短編は初めてだ。
 作品集は「江戸おんな絵姿十二景」としてくくられた12編と、「広重『名所江戸百景』より」としてくくられた7篇で構成されている。前者は1編平均の紙数は原稿用紙約15枚と極めて短かい。後者は約27枚と幾分長い。作者も「あとがき」で前者を「いわゆる掌編小説である」とし、後者を「一般的な短編小説にちかく」と区分している。
 長々と作品の紙数にこだわったのは、短編小説の可能性についての個人的な関心の故である。愛読する作家・藤沢周平の驚くほど短い作品群を読み進むなかで、小説としての面白さをどこまで表現できるかという興味を抱かされた。これだけ少ない紙数で物語としてなりたつかという懸念があった。 
 感想を言えば、掌編小説12編に物語性の面白さを求めるには無理があると思った。どちらかといえば市井の女たちの人生の一断面を切り取った情景描写といった趣きである。それでもそれぞれの作品にこめられたテーマ性はちゃんと読者に届けられ、読後の余韻を伝えている。
 短編小説7編は、それなりに物語性があり小説としての面白みを備えている。読後のしっとりした余韻も大きい。特に最後の2編「桐畑に雨のふる日」「品川洲崎の男」は藤沢周平ならではの情感たっぷりの珠玉の短編といってよい。
 リタイヤして久しい。それでも地域活動や労働委員会業務で日々の生活は尚慌ただしい。そうした活動に区切りをつけたあと、何ができるだろうと思うことがある。地域紹介サイトの執筆やそれをベースとした公民館講座の開講が残される筈だ。今日のブログを綴りながらその先に、ひょっとして短編小説1篇位はものにしたいものだとフト思ったりする。

その後の住宅街の吞み会2013年04月04日

 先日、住宅街の3回目の吞み会があった。前回は所用で参加できなかったので2度目の参加だった。参加者の要望もあり、今回から開始時間が30分繰り下がり6時半からの2時間となったようだ。開始時間の繰り下げを知らずに30分前に会場に着いた。同じ事情の知人お二人と広い庭先で雑談して待った。できれば参加者の自己紹介があれば良いのにという要望で一致した。10分前に世話役のお二人が姿が見えた。早速、自己紹介の要望を伝えた。
 6時半の開会では10人足らずと予想外に参加者が少ない。7時頃になってようやく男性7名、女性5名の参加者となった。参加者の到着時間のバラつきが大きい。特に主婦たちは何かと出かける前の仕度に追われ、時間どうりの参加が難しいという事情がありそうだ。これでは自己紹介のタイミングも難しい。それでも世話役さんにせっついてようやく自己紹介が始まった。
 始めるとこれがなかなか面白い。さすが平均年齢70を越えようかという面々だ。豊富な人生経験が次々とついて出る。各自結構長い自己紹介が相次いだ。それぞれの紹介に聞く方もおとなしく聞いてはいない。臨機応変の相の手やツッコミが繰り出される。
 そんな風景を見ながら思った。年配の皆さんは、話す機会が欲しいのではないか。リタイヤ後、かなりの時が経過して、自分を語る機会はそれほど多くない。場合によっては話す相手さえも少なくなっている。ましてや気楽に呑みながら話せる場面はざらにはない。ひきこもりがちな高齢のとりわけ男性には、やっぱりこうした吞み会が格好の居場所になるのではないか。
 「高齢者の見守り」という言葉には、見守る側の優位さや温情みたいな語感がある。集い合った者が互いにイーブンに語り合う場が必要なのだろう。結果的にそれが互いの見守りにつながっていく。

榛名由梨主演・ミュージカル「永遠物語」2013年04月05日

 昨日、宝塚大劇場・バウホールで上演されている榛名由梨舞台生活50周年記念ミュージカル「永遠物語」(原作・無法松の一生)を観劇した。市民ミュージカル劇団『希望』後援会の役員お二人が一緒だった。
 昨年4月の後援会主催のシンポジュウムにパネラーのひとりとして榛名由梨さんに無償出演してもらった。その気さくで明るいトークが好評だった。個人的にもご近所にお住まいで顔を合わせれば挨拶を交わし合う。そんな榛名さんの記念すべき今回の公演だった。これは観ないわけにはいかない。
 11時開演のバウホールには中年のご婦人を中心に7割方の観客が席を占めた。高齢おじさん三人組も11列目の正面に着席した。500席のホールは思った以上に舞台との一体感がある。25分間の幕間休憩を挟んで3時間近い舞台だった。
 舞台芸術のレベルの高さに圧倒された。榛名さんが50年に渡る舞台生活で培われた円熟の熱演で松五郎を演じきった。花總(はなふさ)まりさん演じる吉岡夫人の美しさと上品な語り口にしばしば息を呑んだ。大勢の出演者が織りなすダンスシーンもミュージカルのもつスピード感と迫力をいかんなく発揮していた。演劇専用の広さと機能を備えた舞台はさすがだった。多彩な照明装置を駆使した光の造形が舞台演出を盛り上げていた。ホールの音響効果の高さと相俟って音響設備もまた素晴らしいサウンドを提供した。大道具などの舞台造りの凄さは同行者が一致して認めるところだった。剥き出しの2階建の鉄パイプの骨組みが、場面に応じて様々な大道具、小道具を付加して変幻自在にシーンを展開した。あらためて舞台芸術が総合芸術であることを実感した。
 これだけの舞台公演に要する費用の膨大さを想った時、全席指定のチケット料金8千円も納得できた。今回の公演は8日間、12回の舞台である。定員の平均8割の観客としても入場料収入は3840万円である。これで企画・広告費、原作・脚本・作曲費、ホール使用料、舞台製作費、舞台衣装代、音響・照明費用、スタッフ人件費、俳優出演料、その他諸々の費用負担を賄うわけである。
 我が市民ミュージカル劇団『希望』も11月末に、創作ミュージカル「有間皇子物語」の公演を予定している。「永遠物語」を観終えてその素晴らしさを噛みしめながら、他方で「有間皇子物語」の資金調達の厳しさに想いをいたした。

驚愕の事件・後日談2013年04月06日

 10日ほど前に、早朝の散歩道で驚愕の事件に遭遇したことを記事にした。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2013/03/26/6758886 その場に居合わせたご近所さんも朝の散歩を欠かさない無類の話好きな人だ。貸農園の人たちとも仲が良い。恐らく彼のネットワークがフル回転した筈だ。あっという間に驚愕の事件は住宅街を駆け巡った。
 私自身も、何日か後に事件現場のすぐ近くで貸農園を愉しんでいるご近所の知人から新たな情報を得た。ひとつは、彼はその日の六時半頃までは現場近くで畑仕事をしていたが誰も姿を見なかったとのことだ。私が救急車の停まっている現場に到着したのが七時半頃だったから、事件はそのわずか1時間足らずの間に発生したことになる。第1発見者が通報し、救急車が駆けつけるまでの時間を加味すれば、知人が畑仕事を終えて立ち去る直後に発生した可能性が高い。今ひとつは、その後現場の電柱の前で花束をたむけて手を合わせる数人の遺族の姿を見かけたという情報だ。こちらの情報には、思わず「良かった~ッ身元が分かったんや」と安堵した。
 今朝、事件当日と同じルートを歩いた。有馬川堤から現場近くの風景を眺めた。近くの畑にはいつものように知人が畑仕事をしている姿があった。現場に到着し、電柱に向かって手を合わせた。穏やかな田園風景の静寂の中で、ウグイスがひと際鮮やかな鳴き声を発した。

春の嵐の余韻2013年04月07日

 襲来した春の嵐が、山口のさくらまつりを順延させた。その翌朝の散歩道だった。立ちこめた暗雲と時おり吹きすさぶ突風が、嵐の余韻を留めていた。舞い落ちたさくらの花弁で薄いピンク色に染まった散歩道が、嵐の爪跡を物語っていた。
 有馬川堤を三田方面に向かっていた。飛び込んできた目の前の風景に、ざらついた気分に襲われ息を呑んだ。さくら並木とタモの樹と愛宕橋というお気に入りの風景の向こうに、不気味な色模様の空が立ちこめていた。鉛色の雲の合間に胸さわぎを覚えさせるやけに白い空が横たわっていた。それは春の嵐の名残りのようにも思えた。
 順延されたさくらまつりが4時間後にも始まる。曇天の満開後の散り初めたさくらの樹の下でどんなドラマが待っているだろう。

山口センターでの異例のさくらまつり2013年04月08日

 4月6日に予定されていたさくらまつりが時ならぬ春の嵐で順延された。主催者は5日の早い段階で6日土曜開催を中止し、日曜に多少荒れ模様でも決行すると決定していたようだ。山口地区のボランティア組織挙げてのイベントである。屋台での食材始め道具の手当てやスタッフの配置等開催の可否判断が参加組織に及ぼす影響は大きい。最終決定を下す責任者には大変なプレッシャーがあっただろうと同情した。 荒れ模様の天候も加味して会場を山口センターに移しての開催となった。有馬川緑道の長いさくら並木下での屋外イベントが、一転して建物周囲の屋内イベントに変わった。これもまた主催者にとって初めての試みで多くの苦労があったと思う。
 センター建物軒下で、たこ焼き、おでん、ぜんざい、フランクフルト、ジュース、焼き鳥、から揚げ、パスタ、豚汁、おにぎり、イカ焼き、カレー、駄菓子などの飲食関係の屋台が出店した。玄関周りには、スーパーボールすくい、射的、輪投げ、ビー玉などのゲームコーナーが並んだ。ホールのホワイエにはミュージカル劇団『希望』のプチコンサートが開催された。ホール内の舞台側半分を各種団体や商店のフリーマーケットが占め、残り半分を、震災復興支援ブース、やまなみバス啓発ブース、ふれあい喫茶、竹細工、デコバージュ雑貨などが展開した。
 曇天ながら雨の気配はない。11時の開始前から三々五々に住民たちがやってきた。どんどん屋台の飲食が売れていく。ホールホワイエでは秋公演予定のミュージカル有間皇子物語のデコレーションが目についた。有間皇子を模したオリジナルのキャラクター人形が愛らしい。11時半にはその背後のスペースで劇団のプチコンサートが始まった。つめかけた観客を前に、揃いの黄色のTシャツ姿の劇団員17名が、ドレミの歌と有間皇子物語挿入歌一曲をミュージカル風の振り付けで合唱した。ホール内でも大勢の人がフリーマーケットや東北物産の売店を物色し、テーブル席では、コーヒーで寛いだり、パスタ、カレー、おにぎり、豚汁等で早目の昼食をとっている。1時過ぎにはあちこちの屋台で売り切れが始まった。2時の終了時間には全店で店仕舞いとなり清掃を含めた後始末も完璧だった。
 さくらまつりは、山口の新旧地区の住民が合同で開催する貴重なイベントである。大勢の人たちとの出会いがあり、旧交を温めあう。とりわけ今回の屋内開催という凝縮されたスペースでは交流の密度は一層濃いものがある。何はともあれ、天候不良の悪条件を乗り越えて無事終了した。主催者の皆さんの尽力に感謝するばかりだ。

地元小学校の入学式2013年04月09日

 今日、地元小学校の入学式に参列した。出席した来賓は式の中で紹介される。住民でもある保護者からすれば担当地区の民生委員を知る機会でもあり、可能な限り出席することにしている。
 開式前の控室で校長先生の挨拶があった。今年の新入生は83名とのことだ。数年前は120名を超え4クラスだったが今年は3クラスになるという。少子化の波は着実に押し寄せている。
 10時からの式が、ピカピカの1年生の入場で始まった。体育館の中央を花鉢がサークル状に置かれて舞台をつくっている。その周囲を新入生、6年生、保護者、来賓、教職員の各席が囲んでいる。舞台上の演壇に向かって整列する我々の世代の入学式のイメージとはほど遠い。式典出席の関係者たちが円形に向い合うこの形式の方が、はるかに親しみやすく好感が持てる。あどけさが残る主役たちが椅子に座った足をブラブラさせたり、保護者を見つけて手を振ったりするほほえましい様子に思わず頬が緩んでしまう。
 学校長の言葉、在校生の歓迎の言葉、来賓・担任紹介、在校生と新入生の合唱、教職員紹介、校歌斉唱と続き、約40分で式典は終了した。「先月の2時間を超えた卒業式とエライ違いや」と隣りの同僚民生委員に声をかけた。「1年生はこれ位がじっとしていられる限度なんやろ」とのこと。納得。

西原理恵子著「(漫画)できるかな V3)2013年04月10日

 知人の「確定申告」がらみのブログ記事で西原(サイバラ)理恵子「できるかなV3」(角川文庫)という漫画文庫本が紹介されていた。「追徴金1億円をヤクザそのものの手口で値切り倒し、ついに2千数百万まで圧縮することに成功する姿は、笑いを通り越して痛快そのもの。」という記事にいたく興味をそそられた。即座にネットで注文し、読了した。
 宅配された文庫本をパラパラめくって驚いた。確かに漫画には違いない。・・・が、これほど読みやすさという視点を欠いた作品は珍しい。まず第一に絵がハチャメチャである。エログロ画の挿入さえも辞さない。文字も全て手書き文字で大きさは徹底して不揃いである。吹き出しにのセリフとト書きが混在し、すこぶる読みにくい。読者は、とりわけ高齢のおじさん読者はジッと我慢して目を凝らして読むしかない。評判の漫画なのだから、きっと面白い筈だ・・・という確信だけを頼りに。
 読み進むうちに我慢の甲斐あって、徐々に面白さが沁みてくる。ハチャメチャな絵がそれなりに馴染んできて快感となる。下品で野蛮なセリフ回しにも爽快感が漂ってくる。キャバレーで働く作者の実写画像を紙面に挿入するという漫画本の掟破りさえも痛快に思える。サイバラ教徒と称する高須クリニック院長はじめとした著名人たちが実名や漫画や写真で登場する。それも恥っさらしな登場の仕方である。よくぞ本人たちは了承したものだと思ってしまう。だからこそサイバラ教徒なのだろうが。その著名人たちが作品の切れ目ごとにコラムを寄せている。これがまた面白い。西原理恵子という破天荒で無頼派の漫画家の正体をあぶり出している。
 そういえば、以前この漫画家の半生を描いたテレビドラマを観たような記憶があった。山田優主演の「崖っぷちのエリー」というそのドラマはそれなりに面白かったが、原作の方がハチャメチャぶりの迫力ではずっと面白い。
 決してお勧めできる作品ではない。猛毒に当たるかもしれないふぐ料理のようなものだ。それでも嵌まった人にはクセになる作品かもしれない。不幸な生い立ちを掻い潜って生き延びて、売れっ子漫画家として成り上がったしたたかな女の咆哮と優しさが伝わってくる作品だ。追加購入してまで読もうとは思わない。面白くはあっても高齢おじさんにはついていけない毒がある。それでもこんな漫画家が売れっ子で通用する今の日本社会は、まんざら捨てたもんではないと思った。