有馬川のさくらの開花2014年04月01日

 肌寒さは感じるものの確実に春の訪れを感じさせる朝の散歩道だった。一週間前、さくら並木に蕾の中のうっすら白い花弁の息吹を見た。そのさくらがすっかり開花した。
 降り続いた雨が有馬川の流れを勢いづかせていた。堰を流れ落ちる水流の上にさくらが枝を伸ばしていた。枝先には薄ピンクの蕾に混じって白い花弁がおちょぼ口の恥じらいを漂わせていた。すぐ先の早咲きのさくらには、濃いピンクの花弁が艶やかな色香を放っていた。
 一週間後のさくらまつりは、例年になく満開のさくらに包まれて催されるに違いない。

北方謙三著「破軍の星」2014年04月02日

 北方謙三の著作「破軍の星」を読んだ。北方謙三の歴史小説はこれが5作目ですっかり嵌まってしまった。南北朝時代の実在の人物である公卿出身の武将・北畠顕家を主人公とした物語である。この作品の前に読んだ「武王の門」「陽炎の旗」は、後醍醐天皇の皇子・懐良(かねよし)親王を主人公とした物語とその後日譚であるが、この作品もまた同じ流れを汲む物語である。
 顕家は、若干16歳にして陸奥守に任じられ、後醍醐天皇の皇子のひとりである6歳の義良親王を奉じて父・親房とともに任地の奥州・多賀国府に赴く。短期間に政治機構を整備し住民を掌握し軍備を整え、瞬く間に奥州統治に成功する。奥州統治の基盤を背景に二度に渡って東海道を進撃し、京都周辺で足利尊氏軍と闘う。一度目は尊氏を九州に敗走させるものの、二度目は大阪近郊の闘いで21歳の若さで討死する。陸奥守に任じられた16歳から討死までの5年間を閃光の如く駆け抜けた顕家の峻烈な姿を描いた物語である。
 作者の持ち味であるハードボイルド風のスピード感あふれる物語性の巧みさに、一気に物語世界に引き込まれてしまう。物語性だけではない。考えさせられるテーマ性もある。奥州一円に広大で強大な勢力を張る山の民・安家一族が登場する。顕家と安家一族を束ねる利通との緊張に満ちたやりとりが展開される。奥州はどうあるべきかという話題である。藤原四代の末裔を暗示する安家一族の、陸奥に独立王国を作り上げたいという夢が投げかけられる。
 「『国とはなにか、ということをまず考えなければなるまいな。(略)白河以北をひとつの国、というふうに考えたことはない』『国とはなにかを考えたなら、白川以北がひとつの国であっても、不思議はありますまい。京は、遠すぎます。(略)民草が、枯れてしまいますぞ』。顕家は眼を閉じた。民草ということで考えれば、白河以北はひとつの独立した国であったほうがいい。そして国とは、民草を基本に置いて考えるものではないのか。しかし、民草の血というものがある。その血は、関東も、京も、九州までも、同じ血ではないのか。そして国は、そういう同じ血の集まりではないのか」。
 この作品の中で最も鮮烈な印象をもたらした一節だった。

ハートネットTV「シリーズ 子どもクライスス」2014年04月03日

 昨日、一昨日とNHK・Eテレの「ハートネットTV ・シリーズ子どもクライスス」を観た。NHK新会長の品格を疑わせる暴言にあきれ返る反面、こんな番組を目にすると、それでも現場は頑張っていると切なくなる。「福祉ポータル」をコンセプトにしたハートネットTVは、NHKの番組の中でも良心的で公共放送の名に値する好番組である。
 「シリーズ子どもクライスス」は、いま子どもの6人に1人が貧困状態にあるという現実を見据えて、子どもを取巻く貧困の実態を、様々な現場で取材しながら伝えている。
 第1回「貧困・追いつめられる母子」は、自身もシングルマザーであるひとりの女性の、貧困に苦しむ子どもの支援活動の様子を伝える。その活動を通して、シングルマザーたちの生活保護基準以下ながら、行政の支援を受けられない「見えない貧困」の実態を浮かび上がらせている。
 第2回「失われゆく“居場所”」は、大阪・西成区の下町で50年にわたり、地域の子どもの成長を見守ってきた山王こどもセンターが深刻な危機に瀕している現実を追ったいる。大阪市が財政赤字削減のため、子どもの家事業を廃止することを決めたためだ。この事業による助成金で運営されてきた山王こどもセンターは、今や崩壊の危機に直面し、子どもたちにとってかけがえのない”居場所”が失われようとしている。
 そして今晩の第3回「ある地域の挑戦」では、さまざまな困難を抱え、家にも学校にも居場所を見つけられない子どもたちに、どうすれば「自信」を取り戻してもらうことができるのかを、あるNPO法人の先駆的な取組みを通して紹介するようだ。
 いつの間にかこの国は、とんでもない社会になってしまった。貧困の負の連鎖が蔓延し、格差社会は一層深刻化している。そのしわ寄せは社会的弱者である子どもたちやシングルマザーたちに容赦なく襲い掛かる。そうした層に対してセイフティネットを用意する立場にある行政は、財政赤字を名目にセイフティネットそのものをずたずたに崩壊させようとしている。その象徴的な姿が、大阪市の子どもの家事業の廃止という施策だろう。これが橋下市長の推進する「カイカク」の一面である。こんな現実を目の当たりにすれば、「都構想」推進と称して投じられた6億もの市長選挙費用という税金はいったい何なのかいう想いに駆られてしまう。この6億の無駄遣いの前では、セイフティネットをずたずたにするいかなる理屈も通用しない。

山口さくら前線2014年04月04日

 山口のさくらまつりの前日である。さくらまつり会場のある有馬緑道を歩いた。新明治橋南側の袂の国道176号線から有馬川堤を南に向かった。左右のさくら並木は既に八分咲きの勢いである。
 しばらく行って振り返ると、山口の大ケヤキを背にした有馬川仁木家の個性的な建物の手前に、咲き誇るさくらが枝を差し掛けていた。平成橋の袂から山口センターのベージュの建物を眺めた。ここでも艶やかなさくらの花弁が建物を彩っていた。さくらまつりのメイン会場の遊歩道をを歩き、万代橋の欄干から有馬川の川面にかかる豪華なさくらの競演を眺めた。山口のさくらスポットでも一二を争う見どころである。
 松栄橋を渡って山口の旧街道を折り返した。公智神社前の旧国鉄有馬線跡の線路道を歩いた。公智神社前の西川沿いの小道に入る。ここもさくらトンネルと勝手に呼んでいるさくらスポットのひとつである。地形の違いが開花を少し遅らせているのだろうか。有馬川のさくらからは開花がワンテンポ遅れているようだ。
 山口のさくら前線を愉しんだ。

武田尾・亦楽山荘のお花見ハイキング2014年04月05日

 いつもブログを読んでもらっている知人からメールを貰った。私の近況についての感想に加えてブータン王国のツアーに行ってきたというコメントが記されていた。ブータンはかねてから関心の深い国でぜひ行ってみたい国である。そんなことから会って直接ブータン報告を聞けないかと返信した。すぐに話がまとまりJR福知山沿線での昼食とお花見ハイキングが再会の舞台となった。
 JR西宮名塩駅から乗車した車内で合流した。相野駅で下車し駅前の「三牛志・藍屋」に11時過ぎに到着した。本場三田牛がお手軽に味わえるお気に入りの店だ。昨晩、販売数限定のこの店のお値打ちメニューの三牛志を予約しておいた。開店直後のがらんとした店内の部屋でブータン紀行の三冊のアルバムを見せてもらった。棚田の風景の中に溶け込んだ素朴な民家や、山岳の山合いに建ち並んだ仏教寺院の美しい写真が印象的だった。日本人に限りなく近い風貌のブータンの子どもたちの無邪気で無垢な笑顔に、独自の国づくりを進めるこの国の文明感が窺えた。合間合間に知人の感動を込めたコメントが加わった。
 食事を終える頃には店内は次々に来店する客でざわついてきた。乗車する電車にはまだ時間があったが12時過ぎに席をたった。相野駅のホーム待合室で30分ほど時間を潰した。その間、知人から事前に準備してあった長文のブータン紀行を11回に分けて携帯メールで送信してもらった。紀行文を読みながら次々に見たばかりのブータンの写真が甦る。読み終えた頃に電車がやってきた。
 下車した武田尾駅の駅前は目前に武庫川の渓流が広がり、満開のさくらの樹が一本、艶やかに枝を拡げていた。桜の園・亦楽山荘(えきらくさんそう)は、ここから徒歩15分ほど南にある。途中の道筋には、今は廃線となった福知山線の旧路線跡の枕木が並んでいる。トンネルを二つ抜けた先に亦楽山荘の入口がある。傍の看板には長短三つのハイキングコースの案内図があった。中間の距離の山荘コースを辿った。桜博士の異名をもつ植物学者・笹部新太郎氏のさくらの演習林で、氏をモデルとした水上勉の小説「櫻守」の舞台である。ところが満開のさくらの演習林の風景という期待は見事に外れた。演習林の中心品種の山桜の開花はソメイヨシノなどのさくらからはかなり遅い。一向にお目にかからない山道を、時おり見せる早咲きの山桜や笹部氏が研究室として使用されていた隔水亭や東屋などを巡りながら40分ほどかけて入口に戻った。
 来た道を戻り、武田尾駅前の茶店で休憩した後、三時頃の電車で帰路に着いた。次の駅で下車して大阪方面に向かう知人を見送った。友のブータン紀行を味わい、初春の秘境のお花見を愉しんだ半日だった。

山口のさくらまつり2014年04月06日

 心配されたお天気も、曇り空ながら何とか開催には支障はなさそうな空模様だった。山口のさくらまつりの昨日である。それでも花冷えの寒さは如何ともしがたい。ダウンのジャンパーを引っ張り出して会場に向かった。
 11時の開会には大勢の来場者が、有馬川緑道の満開のさくら並木を埋めていた。関係している三つの団体・グループが出店している。主催者でもある社協の分区、県民交流広場校区協議会、ミュージカル劇団である。どこかのブースに拘束されないで、それぞれの組織の写真班というフリーな立場で参加した。
 会場入口にはミュージカル劇団が有間皇子公演にちなんだ古代装束の着用体験コーナーを出している。劇団員たちがチラシを配り着用体験を呼びかけている。テントの並んだ屋台コーナーの入口では県民広場の顔馴染みの役員たちが豚汁、おにぎりの販売に声をからしている。同じ屋台コーナーの出口には社協のボランティアセンターが、ふれあい喫茶、パスタ・おにぎり販売、スーパーボールすくいを出店している。社協の役員だけでなくボランティア登録している大勢の住民が頑張っている。テントの下では住宅街の顔見知りの住民たちがコーヒーを飲み、パスタやカレーを味わいながら歓談している。
 その他、旧山口地区のボランティアセンター、山口中学校PTA、下山口子ども会、NPO法人自然塾、地元福祉施設、竹細工グループ、JA支店、地元のパン屋さん、個人のフリーマーケットなどが出店し、まつりを盛り上げている。本部席付近の市社協の東日本大震災復興支援ブース、やまなみバス啓発ブースの出店も恒例となった。
 さくらまつりは、地域活動に関わり参加する人たちの交流の場でもある。個人的にも大勢の活動を通じて面識のできた知人たちと出会った。挨拶を交わしあったり久々の雑談で旧交を温めたりした。12回目を迎えるさくらまつりは、年代や地区や新旧住民の枠を超えた交流の場としてもすっかり定着している。

雨と花冷えの三田・武庫川さくら回廊2014年04月07日

 三日前に知人と武田尾の桜の園・亦楽山荘にでかけた。その日の夕食で家内にJR車内から見えた三田の武庫川沿いのさくら並木の見事さを伝えた。昨日の日曜日、二人でその三田・武庫川さくら回廊のお花見に出かけた。
 10時過ぎに車で自宅を出た。昼食は三日前と同じ三牛志・藍屋で摂ることにした。お値打ちランチ以外のメニューでお気に入りの「和風焼肉」がお目当てだった。11時前に藍屋に着いた。駐車場で少し待って開店と同時に入店した。ほどなくアツアツの鉄板プレートに盛られた和風焼肉が運ばれた。野菜サラダ、ご飯、味噌汁、お新香が付いて1170円である。柔らかいお肉がもやしの上にたっぷり乗っかった逸品だ。
 店の前の道をまっすぐ南に向かった先にJAのパスカル三田市場館がある。ここで駐車し買物を済ませて武庫川堤に向かった。生憎の今にも降りそうな曇り空に加えて花冷えの寒さである。満開の見事なさくら並木だが見物客はまばらだった。郷の音ホールの傍まで来た時、辛抱していた空がとうとう泣き出した。時おり吹く突風に身を屈めてホールに飛び込んで雨宿りした。降りやんだ気配を待ってJAの駐車場に向かった。
 帰路の車中から先ほどの荒天が嘘のような青空を見た。なんともタイミングの悪い三田・武庫川さくら回廊のお花見だった。

もうひとつの風物詩2014年04月08日

 さくらの開花に気を取られている間に、この時期のもうひとつの風物詩のことを失念していた。土筆である。思いついて今朝の散策で、少し回り道をして土筆スポットを訪ねた。
 毎年この時期に土筆採りを始めて10年以上になる。土筆が繁茂するスポットは熟知している。住宅街の台地の裾野に広がる土手にやってきた。草叢でまだ固い胞子をつけた10cmほどの土筆が群生していた。かつてよく肥えた30cmほどもある土筆の群生に狂喜して夢中で摘み取ったことがある。その後、周囲の田畑の開発が進むにつれて、土筆たちはどんどんやせ細り背丈も縮まった。
 もう一か所とっておきのスポットがある。中国道のガード下の手前にある谷あいの湿地である。畦道や土手の土筆が不作の時も、そこだけは肥えた長い土筆が群生していた。行ってみて驚きと落胆に包まれた。湿地帯の奥に大型のショベルカーがとぐろを巻いていた。道路からショベルカーまでの道のりをキャタピラーの爪跡が、土筆を育んだはずの草叢をなぎ倒していた。
 ブルーな気分を抱えて家路に着いた。

老人会デビュー2014年04月09日

 昨日、住宅街の丁目毎に構成されている老人会の私の所属する会の総会に出席した。今年の年初に入会したばかりで、初めての老人会行事への参加だった。老人会への入会にはまだ時期尚早の想いもあった。ただ今年は地域の高齢化問題に本格的に取り組みたいと思っている。高齢者のための組織に身を置いてこそ見える景色もある筈だ。それが入会を決めた主要な動機だった。
 会場の自治会館ホールに22名の会員が参加した。民生委員の担当地区の老人会であり、出席者の殆どは面識がある皆さんだった。会員数は42名だから過半数の出席である。とはいえ対象地区の高齢者は256名であり加入率16.4%はいかにも心もとない。
 11時に開会し、活動報告、会計報告、新役員承認と淡々と議事が進行した。小休止の後、新会長を議長に活動計画、予算が提案された。誰も質問や意見を述べる気配はない。初めての参加だったが、折角の機会であり、入会動機にも関わる点を2点提案した。
 ひとつは、会員拡大の取組みである。高齢化がどんどん進行する中で、加入率は低く会員数は頭打ちである。高齢者の声をまとめる上でも会員拡大が不可欠だ。何歳からが加入資格という基準はないかもしれないが、新たに高齢者になった人を対象に積極的に声掛けが必要だ。誰が65歳を迎えたかという情報は民生委員しか持っていない。老人会は積極的に民生委員と連携し、例えば老人会作成の入会案内を民生委員の高齢者訪問の際に案内してもらう等の取組みが必要ではないか。
 今ひとつは、老人会としての高齢者問題の取組みである。坂道の多い住宅街で高齢化も著しい。車の免許返上の事態を迎え、住み慣れたこの街から阪神間のマンションに転居する事例も多い。似たような環境の生瀬地区ではコミュニティバス運行の社会実験も始まった。この街でもそうした取り組みが必要になる。老人会が声をあげ、社協や自治会と連携して取り組める環境づくりに着手してもらいたい。
 12時からは、食事懇親会に移った。お弁当、缶ビール、お菓子、お茶が配られ1時前に閉会となった。2時間の記念すべき老人会デビューを終えた。

今でしょ2014年04月10日

 四月中旬の快晴の朝だった。春の穏やかで暖かい空気に包まれて少し浮き立つ気分で自宅を後にした。住宅街を縁どる斜面際のさくら並木の足元で、散ったばかりの花びらが薄いピンクのシートを敷いていた。
 有馬川の堰を流れ落ちるせせらぎに満開の花びらをつけた枝が伸びていた。デジカメモニター越しに見える遠くのせせらぎの鮮やかさと手前のさくらのぼやけ具合を切り取った。
 さくらまつり会場だった有馬川緑道を歩いた。平成橋南側の緑道にこの界隈随一のさくらの老木が満開の花に覆われて威風堂々と川面に腕を伸ばしている。
 公智神社前のさくらトンネルをくぐった。ウグイスの鋭い鳴き声が飛び込んだ。姿を見せることはほとんどない。トンネルの出口でさくらの枝間にウグイスに似た野鳥を見つけた。といえ鳴き声はない。ウグイスではないなと思いながらシャッターを何回か切った。
 5日前のさくらまつりの人出が嘘のような静寂である。満開のさくらを愛でなが呟いた。「お花見なら今でしょ」。