大詰めを迎えた「社協分区20年誌」の編纂2017年02月01日

 昨晩、社協分区の20年誌編纂委員会があった。5回目を数える委員会で「本文記事」「基礎資料」「付属のコラムや写真」等の原稿がほぼ出そろった。A4サイズで52頁に及ぶ。
 冊子編集も可能な編集ソフトを駆使して執筆と編集の大部分を担当した。昨年就任した新任分区長として提案し承認された事業である。責任をもってやり遂げなければならない。永年に渡っての広報紙編集の経験もありソフトの扱いも慣れている。分区長という事業責任者も兼ねた編集長の役回りを担った。
 編纂委員の分区三役の皆さんにもそれぞれに担当分野の記事やコラムをお願いした。女性陣には時間を要する記事の読み合わせによる校正も引き受けてもらった。
 今年4月の分区総会では出来上った「20年誌」を配布予定である。

ボランティア交流会でいきいき体操2017年02月02日

 昨日の午前中はボランティアセンターの活動で過ごした。住宅街の自治会館で9時からボランティアコーディネータ会があり、定例の会議をこなした。
 10時からは同じ会場でボラセン登録のボランティアさんの交流会である。75名の登録者の内コーディネータを含めて34名に参加頂いた。今回の交流会は「いきいき体操」の体験交流だった。市の派遣講師の指導で1時間あまり、いきいき体操の概要や効用のプレゼンと体験実習が行われた。講師の巧みなトークとゲームで盛り上がったところでの実習体験だった。老人会主催のいきいき体操の参加者が会場の定員いっぱいにまで増えた。新たなグループによる体操の立上げが必要だ。冒頭の開会挨拶でボランティアグループからの立上げの期待を込めてコメントした。
 11時過ぎからお弁当を挟んでの交流会となった。お弁当の後参加者全員から自己紹介とコメントを頂いた。最近ボランティア登録をしてもらった比較的若い女性から「いきき体操を興味深く体験した。養成講座にも参加してできれば新たなグループによる立上げのお手伝いをしたい」という心強いコメントをもらった。
 12時過ぎに今年度の交流会を和やかな雰囲気で終えた。

中学旧友の郷里の郷土史の労作2017年02月03日

 レターパック便が届いた。開封すると待っていた書籍がでてきた。タイトルは「飾磨の歴史書 飾万里基解録(しかまのさときかいろく)――伝承と史実――」とある。
 一週間ほど前に3年ぶりの中学校同窓会に参加した。その時に出会った旧友のひとりから「郷里の郷土史を永く研究しており、このほどその成果を出版した」という話を聞いた。私も故郷を離れて在住の山口町の郷土史をテーマとした公民館講座を15回続けている。話が弾み「出版の書籍をぜひ分けてほしい」と頼んだところ快諾してもらった。その書籍が届いたのだ。
 同窓会のその日のうちにしたためられた挨拶書面が同封されていた。それによると彼が代表をつとめる「飾磨津を語る会」の平成26、27年度の活動成果のようだ。A4、80頁に及ぶ冊子である。書籍の内容は古文書「飾万里基解録(神戸大学付属図書館住田文庫所蔵)」の解説のようだ。出典の「飾万里基解録」は、江戸中期の寛延二年の古文書で、卒業中学校の校区に相当するエリアの地誌ともいえる内容のようだ。ざっと目を通しただけで綿密な考察によるレベルの高い著作のようだ。
 老後の楽しみができた。時間を見つけて読み継ぎたい。

真冬の奥飛騨・癒し旅(小京都・高山散策)2017年02月04日

 申込んでいた「穂高荘・山のホテル癒しのひととき二日間」のツアー当日である。2年ぶりの夫婦二人の旅だった。8時10分に新大阪駅の1階のツアー集合場所に30数人のツアー仲間が集まった。いつものように中高年女性と老夫婦が多数だが今回は大人5人子ども1人の台湾の方の参加が異色だった。
 8時43分発の新幹線こだまのグリーン車で一路名古屋に向かう。名古屋からは特急ワイドビューひだ号に乗り換えだが53分の乗り換え時間がある。ここで構内売店で昼食用の名古屋名物・ひつまぶし弁当を調達した。もちろんビールのロング缶付である。特急ひだの車窓から高山本線の2時間半ののどかで情緒のある風景を愉しんだ。到着した高山駅の二階改札前の窓から乗車したひだ号の半分が切り離されて出発する風景を目にした。
 1時半からの2時間、小京都・高山の町並み自由散策である。添乗員から渡された散策マップが重宝した。このマップにはお好みの食べ物やお土産が無料で貰える6枚のクーポンが付いている。駅前の国分寺通りを北に向かった先のお肉の店で飛騨牛の串焼きのクーポン利用を申し出た。予想外の歓迎の口ぶりに気を良くしながらクーポン3枚分のアツアツの美味しい串焼き1本をいただいた。お店の角を西に行くと古い町並みが続いている。街角のあちこちにある屋台組や軒先に垂れさがる鋭いつららの風景が目についた。
 最初のお目当ては桜山八幡宮前の高山祭屋台会館である。館内に陳列された4台の屋台の大きさと美しさに圧倒される。二階から眺める屋台の屋根の装飾に飛騨の匠の技を見た。隣接のからくりミュージアムは冬季休館中だったが、屋台会館と共通券の桜山日光館を見学できた。日光東照宮の28の建物の超精巧模型が実物の十分の一のサイズで陳列されている。ここでも飛騨の匠の技の凄みに舌を巻く。
 風情のある江名子川沿いを南に下り宮川沿いに東に向かう。営業を終えた宮川朝市の横断幕が興趣をそそる。高山陣屋の手前のだんご店で二枚目のクーポンを使った。1枚で1本80円みたらし団子が2本ついてくる。甘さを抑えた美味しいみたらしだった。赤い中橋を渡り西に折れると土産物店が並ぶ古い街並みが続く。この一角の酒店でもクーポン1枚の枡酒をいただく。お目当てのクーポン利用が結果的に高山の町並みをくまなく散策する上で意外な効果を持っている。
 3時半には全員集合し、迎えのバスに乗車し一路宿泊地の奥飛騨温泉郷に向かった。進むほどに雪深くなる豪雪地帯を1時間半かけて「穂高荘・山のホテル」に到着した。

真冬の奥飛騨・癒し旅(奥飛騨温泉の川原の露天風呂)2017年02月05日

 雪に覆われた奥飛騨温泉郷の「穂高荘・山のホテルに」に到着したのは夕方5時ごろだった。旅行社お勧めの五つ星の北欧風リゾートホテルである。割り当てられた3階の部屋に向かった。エレベーターを降りると客室フロアのエンントランスに立派な門構えのある和風の玄関が出迎えてくれる。凝った畳敷きの通路の左手に純和風の部屋が並んでいる。格子戸を開け二重の襖を抜けて8畳の和室に入った。正面の窓越しに奥飛騨の山並みが望める。今回のツアーの目玉のひとつである。
 ホテル館外の蒲田川の渓流沿い河岸には大露天風呂がある。今回のツアーの目玉のひとつである。夕食前にぜひ行っておきたかった。丹前に着替えて地下一階に降り雪除けブーツに履き替えて道路を隔てた向かいの小屋に着く。そこでスロープカーと称する小型ケーブルカーに乗り込み斜面を下る。川岸中段に婦人用、貸切用、混浴大露天風呂の三つの露天風呂がある。ここでは石鹸、シャンプーは環境保全で使えない。湯に浸かるだけである。脱衣して小屋の暖簾をくぐり露天風呂に入った。ツアーカタログの写真に掲載された見事な絶景が目に飛び込んだ。風呂の真ん中に大きな傘が立ち、その向こうには山並みに挟まれた渓流が望める。天気が良ければ正面の渓流上方に白いアルプスの山岳が見えるという。思う存分浸かって部屋に戻った。
 6時半から宴会場で会食となった。部屋ナンバー順のテーブル席の臨席は50代とおぼしき台湾のご夫婦だった。日本語と片言の英語で懇談した。聞けばこのツアーには個人でネット予約したとのこと。これからは国内ツアーにも外国人がどんどん参加することを予感させられた。食事は奥飛騨深山懐石料理ということで飛騨牛のしゃぶしゃぶをメインにイワナの塩焼きなどの山里の素材をふんだんに扱った料理が並んだ。注文したビールには「飛騨」のネーム入りラベルが貼ってあった。
 9時すぎに部屋に戻り、今度は館内の大浴場に向かった。ここにも露天風呂が備え付けられ浸っていると4~5人の男性と子どもたちが入ってきた。話し言葉はから台湾のグループのようだ。折しも粉雪が舞ってきた。露天風呂に浸かりながらの雪は初めてだった。雪自体が物珍しい彼らの喜びようを微笑ましく眺めた。「ベリーナイス」と声をかけると口々に「ベリーグッド」と返してくれた。
 10時過ぎには癒しのホテルで眠りに落ちた。

真冬の奥飛騨・癒し旅(圧巻の新穂高ロープウェイ)2017年02月06日

 朝5時のモーニングコールで目覚めた。すぐに館内大浴場で朝風呂を愉しんだ。ホテル周辺の雪景色を愛でながら散策し7時には朝食の食卓に着いた。5品の地場惣菜、温泉卵、野菜サラダに朴葉味噌で温めて頂く野菜が嬉しい。
 8時半にはホテル前をバスが新穂高ロープウェイに向かって出発した。ホテル近くの蒲田川に架かる橋を渡った時、川原の露天風呂の遠景が望めた。10分ほどでロープウェイ乗り場・新穂高温泉駅に到着した。9時始発の第1ロープウェイのゴンドラに乗り込む。全長573m高低差188mの約4分の乗車である。鍋平高原駅で降りて第2ロープウェイの白樺平駅に乗り変える。全長2,589m高低差845mを約7分で上りきる。初めての2階建てゴンドラの2階から、上るにつれて刻々と変わる山岳風景を満喫する。
 西穂高口駅の建物屋上が展望台を兼ねている。急階段を昇りつめた先に広がる標高2,156mの絶景に息を呑んだ。西穂高岳、槍ヶ岳、笠ヶ岳などの北アルプスの山々が360度のパノラマで広がっている。真冬の雪に覆われた白銀の世界が間近に迫る様は圧倒的な迫力である。展望台にはプロの写真屋さんがシャッターサービスをしてくれる。「只今マイナス13度です」の看板を手に自前のデジカメのシャッターを押してもらった。展望台から階下に降りようとした時だ。突然の凄まじい突風に煽られた。氷点下の気温の突風の威力に恐れをなして建物内に飛び込んだ。
 日本一の高低差と言われる二つのロープウェイを乗り継いで10時半には下山した。バスは雪深い山岳道路を駆って昼食会場に向かった。

真冬の奥飛騨・癒し旅(飛騨大鍾乳洞と氷の渓谷 )2017年02月07日

 新穂高ロープウェイから昼食会場の「アルプス街道・平湯」まではバスで約1時間の道のりだった。雪の壁が道路の両脇を固める中を大きな駐車場に停車した。店内に入ると一合枡で地元のお米の掬い取りの歓迎プレゼントがあった。二人で3合弱をゲットしたが帰宅翌日の夕食に供されたご飯は思いのほか美味しかった。レストランで各自自由に昼食をとった後、次の目的地に向かった。
 1時頃に「飛騨大鍾乳洞」に到着した。駐車場入り口には「日本一宿儺鍋」と大書された大釜が安置されている。添乗員の解説では飛騨地方に伝わる鬼人・両面宿儺(りょうめんすくな)にちなんだ呼称であるという。上古の仁徳帝の頃に大和王権に服属しなかったアイヌ人ゆかりの伝承を興味深く聴いた。
 飛騨大鍾乳洞は標高900mに位置し日本の観光鍾乳洞では最も高い場所にあるという。全長800mの鍾乳洞は三つの洞に分かれておりそれぞれに出口がある。観光客は体調に応じてショートカットできる。ブルーにライトアップされたの入口すぐの「竜宮の夜景」が幻想的で神秘的な雰囲気に包まれ美しい。体調万全なのでどんどん先に進み様々な造形美の洞を最後の第3洞まで巡った。
 圧巻だったのは第3出口を出て駐車場に戻る通路脇に広がる「氷の渓谷」だった。高さ30mもの蒼白の氷柱が幾重にも連なり圧倒的な迫力で迫ってくる。この時期限定のその幻想的な美しさに久々の感動を覚えた。第3出口から第2出口までの氷柱が圧倒的に美しい。まるで第3洞まで辿った観光客へのご褒美とでも言えそうだ。
 鍾乳洞から15分ほどのところの土産物店併設の高山ラーメン見学工場が最後の訪問スポットだった。簡単なラーメンレクチャーの後、製造直後の高山ラーメンの試食があった。細めの塩味の縮れ麺のラーメンに納得し何食かを購入した。
 3時ごろにJR高山駅に到着した。特急ひだの発車まで30分余りある。駅前周辺を散策した後、駅売店でおつまみとロング缶を調達しひだ16号に乗車した。聞けばこの特急の目的地は大阪で、なんと到着時間はツアーの新大阪駅到着時間より早い8時前とのことだった。名古屋駅に到着後、新幹線乗換え時間を利用して再び夕食用のお弁当を調達する。往路のひつまぶし弁当の味が忘れられず再び別商品のひつまぶし弁当を買った。家内の批難のまなざしを受けながらロング缶付の買物だった。「こだま」のグリーン車で缶ビール片手にお弁当を味わいながら最後の至福の寛ぎを過ごした。JR在来線を乗り継ぎ、最寄り駅からマイカーで帰宅したのは9時すぎだった。
 2年ぶりの夫婦二人のツアーだった。平坦な老後の生活にメリハリをもたらすいい旅だった。

運転免許更新の高齢者講習2017年02月08日

 70歳以上の免許更新者に受講が義務付けられている高齢者講習を受講した。山口町名来の自動車教習所に8時45分頃に訪ねた。5600円の受講料を支払って受付を済ませ、9時半からの開講まで待合室で待った。
 案内されたのは6つばかりの机の周囲に3台のシュミレーション・マシンや視覚検査器などが並ぶ手狭な教室だった。受講生は意外にも同年代の男性3人だけだった。マシンの数や路上教習を想定すれば一回6人が限度ということを40代の優しい男性講師から聞いた。ナルホド。講習は、座学、路上教習、シュミレーションマシンによる運転検査の三部構成で最後に視覚検査があった。 
 座学は高齢者向けの運転心得を中心としたDVD視聴とテキストによる講義だった。次に3人の受講者が順番に教習所のコースを試走する運転実習である。トップバッターが講師のコース案内に従って信号停車、コース変更、クランク、車庫入れなどの運転実習をこなしていく。いつもの運転と勝手が違うのか幾つかのミスもある。二番目にハンドルを握った。確かに緊張感は拭えないが、先人の教訓を活かしながら最小限のミスで終了した。三番手は前者二人より成績が良い。
 最後に教室に戻りシュミレーションマシンでの運転検査を受けた。プレイランドのドライビングマシンのようなものだ。モニターのランプの色に応じてアクセルとブレーキを使い分ける検査で状況変化に対する反応の速さと正確さが判断される。更に障害物のあるコースモニターを運転しながら複数動作を同時にこなす能力が検査される。どちらも5点満点の4点で「同年代と比較するとやや優れています」という評価で安堵した。ただ、最後の視覚検査は眼鏡着用でも両目で0.8であり免許更新時の0.7以上の基準をわずかに超えるレベルで不安を残した。
 全ての講習を終えて終了証明書が渡された。これを提出しなければ免許は更新されない。目的を達成して3時間弱の講習を12時20分に終えた。

復活!雛人形2017年02月09日

 昨日から我が家の和室の床の間に30年ぶりに雛人形が復活した。娘の誕生を祝って私の両親が初めての孫娘のために買い与えたものだ。板に書かれた人形の由緒書には「藤原雛・木目込み飾り・真多呂作」とある。派手な段飾りでなく素朴なぬくもり感のある3段の木目込みを私が強く望んだ記憶がある。娘の成長とともに飾らなくなったのはいつごろからだろう。小学校低学年頃とすれば30年前後になる。
 永遠に押入の片隅に仕舞われたままの筈だった雛人形に復活の機会が訪れた。言うまでもなく孫娘・花ちゃんの誕生である。生まれて間もない昨年は、そこまで気が回らなかった。今年は雛祭りには1歳3カ月を迎える。すくすくと成長しアンヨを始めたり片言をしゃべりだしたりするこの頃である。様々な玩具や本や道具に無邪気な興味を示している。
 「花ちゃんに母ちゃんの雛人形を見せとかんと」とFeceTimeで誘った。正月帰省以来久しく生・花ちゃんに会っていない。次のゴールデンウィークまで待ちきれない。絶好の花ちゃん来訪の口実を見つけたのである。3月中旬の三連休を利用した来訪を打診した。
 祖父母から娘に贈られた雛人形がようやく孫娘に引継がれようとしている。いつか花ちゃんの娘に引継がれるのだろうか。幸い装飾の少ない木目込み人形は40年を経ても健在である。「命のリレー」を超える「雛人形のリレー」を想った。

乙川優三郎「露の玉垣」2017年02月10日

 日々の読書が蔵書の再読に戻って2冊目を読了した。乙川優三郎の「露の玉垣」である。時代小説とばかり思っていたが歴史小説である。しかも単に史実を素材にして物語に仕上げるという通常の歴史小説よりもはるかに史実に密着した「武家社会の実像」を描いた物語である。江戸幕府の開闢期から明治初年まで実在した越後・新発田藩に残された藩の正史「世臣譜」を忠実に物語に紡いだ労作である。
 「世臣譜」は江戸後期に新発田藩家老として藩の苦難に立ち向かった溝口半兵衛長裕によって編まれたものである。「露の玉垣」には、この半兵衛長裕を影の主人公として「世臣譜」のから紡ぎ出した8編の短編が納められている。決して英雄伝説でない生の武家社会の日常生活の出来事や事件を丹念に描いた連作歴史小説である。それでいてそれぞれの物語には情感豊かな風景と武家社会を生きる男女の葛藤がテーマ性豊かに描かれている。
 関わっている地域活動に次々と難題が持ち上がっている。そんなストレスの多い日々に潤いと意欲の喚起をもたらす作品に癒された。