国立文楽劇場での三人の浄瑠璃大夫の消息調査2010年06月10日

 昨日、「西宮流」のブロガー仲間である知人と大阪日本橋の国立文楽劇場を訪ねた。山口ゆかりの三人の浄瑠璃大夫の消息を調べてみないかという知人のお誘いに喜んで応じたものだ。浄瑠璃の代表的な流派に竹本義太夫創始の義太夫節がある。義太夫節にのせて操り人形で物語を語る伝統芸能が人形浄瑠璃(文楽)である。山口ゆかりの大夫はいずれも竹本姓であり、義太夫の大夫であった可能性が高い。そんな背景から知人が国立文楽劇場の閲覧室に連絡をとり、今日の訪問となった。
 劇場1階ロビーで知人と合流し、裏手に回り楽屋に入る入口で受付を済ませ三階の閲覧室に向かった。三階には小道具室などもあり折しも小道具係の方が発泡スチロールで舞台装置を制作中だった。楽屋や音響室前を通り一番奥の閲覧室のドアを開けた。係の女性に来意を告げると、事前に用意された資料を前にすぐに本題に入ることができた。知人がアポを取る際に告げていた知人が所属する河内厚郎事務所の名前がもたらした効果のようだ。河内厚郎氏は著名な演劇評論家にして「関西・歌舞伎を愛する会」代表世話人である。
 係員の説明を聞きながら一時間余り閲覧室で資料を調べた。「義太夫年鑑」という数冊の書籍の中から事前に検索してもらった索引データをもとに山口の墓碑に刻まれた竹本多賀大夫、竹本増大夫、竹本加治大夫という名前を探した。その結果、竹本加治大夫の名前は見当たらなかったものの、延享2年(1745年)に竹本増大夫の名前を、文化7年(1811)に竹本多賀大夫の名前を見つけた。もちろんこの二人が山口の墓碑の人物であることを裏付けるものは何もない。ただ江戸時代の中期から後期にかけて竹本増大夫と竹本多賀大夫という名前の義太夫大夫が実在したことが確認できたに過ぎない。
 墓碑からその碑銘の人物を辿ることの困難さを思い知らされた。「これ以上の調査はむしろ建立者の周辺の書き付け等を調べる方が早道ではないか」とは係員の方からのアドバイスだった。とはいえ学術的な手法による史跡探訪の初めての体験だった。知人の人脈や後押し抜きにはなしえなかった貴重な体験でもあった。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック