市の広報誌「宮っ子(山口版)」のインタビュー記事2010年05月01日

 市の広報誌「宮っ子」の5・6月号がポスティングされた。誌面の一部の「山口版」トップに『リーダーさんQ&A』という記事がある。今回は2ヵ月前に取材を受けて私が登場している。
 http://ahidaka.asablo.jp/blog/2010/03/02/
 肩書きは「郷土史研究者、民生委員・児童委員」として紹介されている。タイトルには「ホームページに『山口風土記』「『ふるさと山口』で住民の交流」「知って、歩いて、好きになる山口」の3本である。以下、記事内容を転載しておきたい。

 Q:北六甲台に住みながら古い山口町の歴史、文化を綿密に調べられているんですね。
 A:27年前に北六甲台に移り住みましたが、定年を控えた50歳代後半から休日に有馬川を散策するようになり、豊かな自然、水鳥などの野鳥に安らぎと郷愁を覚えました。さらに「山口村誌」を読み、山口町郷土資料館でビジュアルな山口の古い歴史や風物を知りました。
 Q:ご自身でも山口の紹介をされているんですね。
 A:地域の人にも知ってほしいと4年前、インターネット上にホームページ「にしのみや山口風土記」という地域紹介サイトを立ち上げました。このホームページをきっかけに北六甲台小学校の3年生を対象とした地域学習のゲスト講師も勤めました。
 Q:郷土史の研究者として興味を引いたことは?
 A:北六甲台の天上公園に「公智神社旧鎮座跡の碑」を目にしたことです。北六甲台が由緒ある「お天上山」を開発して生まれた街だと初めて知りました。自然や地域文化と開発との調和、バランスという本来のテーマに気づかされました。それだけに新興住宅街の人たちにも山口の歴史や自然、風土を知ってほしいと思いました。
 Q:大先輩の郷土史家たちとも交流されたのですか。
 A:山口村誌を執筆された大先輩から話を聞く機会もあり、歴史の伝承に感謝しています。とくに、旧山口村の歴史、史跡、風物を継承するうえでの財団法人「山口町徳風会」の貢献の大きさを知りました。
 Q:山口公民館での講演も予定されていますね。
 A:公民館講座として「山口風土記探訪講座」を5月15日を皮切りに11月まで隔月で計4回開きます。自然、歴史、風物の学習のほか、山口の史跡巡りも予定しています。講座のキャッチコピーは「知って、歩いて、好きになる山口」です。
 Q:これからの夢は?
 A:公民館講座など受講者の交流を通じて「山口ボランティア・ガイド」のサークルを誕生させ、さくらやまなみバスでやってくる南部の人たちに山口の良さが説明できたらなあと思います。そして「ふるさと山口」をキーワードに新旧住民の交流や連携が深まり、山口活性化への大きなパワーになればと願っています。

 山口町6000世帯に配布されるメディアでの発信だった。少し気負い過ぎた嫌いがないではない。矢は放たれた。やるしかない。

合鴨の飛翔の画像2010年05月02日

 有馬川沿いの朝の散歩途中だった。餌を求めて遊泳する数匹の合鴨の姿を立ち止まって眺めていた。穏やかで温かな日差しが心地よい。鴨たちの心癒される風情に思わずデジカメにおさめた。更に踏み込んで捉えようとした時、一斉に飛翔した。夢中でスイッチを押した。
 一羽の鴨の水平飛行に入った瞬間を見事に捉えた。過去、何度か飛翔の姿を捉えようとして失敗していた。デジカメのメディアにおさめられた初めての飛翔の画像だった。

三田・永沢寺のプチ旅行2010年05月03日

 ゴールデンウィークである。リタイヤの身には「そんなの関係ない」のだが、いまだパート勤務の家内には、意味ある連休である。いつもは帰省している息子夫婦も、今年は仕事の都合で帰ってこない。パラサイト娘も3泊4日の旅行に出かけている。ここのところ、関わっているボランティア組織の正常化に向けて、その対応に追われている。今日の昼前にようやく一息ついた。そんなわけで車で1時間足らずの三田の永沢寺に、家内と出かけることにした。
 12時過ぎに到着したものの山門近くの駐車場はすでに満車。奥の臨時駐車場に何とか駐車して、まずは永沢寺の参拝。立派な山門両脇の仁王像を横目に正面の本堂前に立つ。広大な本堂に驚きながら参拝する。左手の観音堂の巨大な観音像に息をのむ。本堂右手には風情ある佇まいの回廊がある。
 永沢寺前に花しょうぶ園がある。入園してすぐに「食事処水無月亭」で手打ちそばの昼食をとる。固めの腰のある蕎麦だった。園内はメインの花しょうぶの開花は6月上旬で、今は緑の葉っぱで覆われている。その代わり牡丹が見頃で、色とりどりの艶やかな大輪が目を奪う。
 花しょうぶ園に隣接して花のじゅうたんのゾーンがある。入園すると一面に花じゅうたんが広がっている。芝桜の赤、薄紫、ピンク、白の鮮やかな彩りに思わずうっとりしてしまう。
 連休の谷間の心なごむ憩いの時間を愉しんだ。

下鴨神社、鞍馬、貴船の洛北散策2010年05月04日

 ゴールデンウィーク終盤の一日、夫婦で洛北散策の旅に出た。6時45分に自宅を出てJR最寄り駅から京橋経由で京阪特急に乗車し出町柳までの2時間ほどの旅路だった。
 出町柳駅北側の糺の森の河合神社を参拝の後、下鴨神社に向かう。参道にそって伸びる空き地には縄張りで二本の道が造られている。一方の柔らかな道には何やら丸い跡が続いている。散策中の老夫婦に訊ねた。予想通り「流鏑馬(やぶさめ)の神事」の名残りだった。しかも昨日のことだった。参道正面に見事な朱塗りの楼門がある。境内に入ると中央にある能舞台のような舞殿に迎えられる。橋殿、細殿、国宝の本殿、えとの社など見所いっぱいの格式ある神社だった。
 10時発の叡山電鉄鞍馬行きのお洒落な観光電車に乗車した。途中で窓に向かって並ぶシートを確保できた。駅構内で入手した「鞍馬・貴船イラストマップ」を見ながら鞍馬寺、貴船縦走の散策コースを採ることにした。30分ほどの車窓の眺めは鞍馬に近づくに連れ匂い立つような新緑の絶景となる。
 鞍馬駅前の巨大な天狗の面を横目にすぐ北側の仁王門をくぐる。ケーブル駅をパスし参道を行くと由岐神社に至る。鞍馬の火祭で名高い神社だ。登り坂の続く九十九折(つづらおり)の参道を息を切らせながら鞍馬寺金堂をめざす。途中、源義経供養塔、中門、寝殿、句碑などの史跡を見ながらひたすら歩く。ようやく本殿金堂に着いた。大勢の参拝者たちが本殿正面で列をなして参拝の順番待ちをしている。本殿前の境内に描かれた「六芒星」のパワースポットで生気を頂くための行列のようだ。そこまでの拘りはないので遠くから参拝をすませ次に進む。与謝野晶子・鉄幹歌碑、与謝野晶子書斎の冬柏亭、遮那王堂、僧正が谷不動堂、義経堂などが次々と待ち受ける。左右の杉林の杉の根が参道に露出した「木の根道」に驚かされる。ようやく奥の院に着いた。参拝の後、下り坂を貴船をめざす。北山杉の見事な造形に癒される。貴船川のせせらぎの音がひと際大きくなった。ようやく貴船に着いたのだ。鞍馬駅を出発してから1時間20分の道のりだった。
 左右に料理屋の立ち並ぶ風情のある舗装路を北に貴船神社奥宮をめざす。川床料理の呼び込みのオバサンにあちこちで声を掛けられる。寄り添うように立つ二本の「相生の杉」をデジカメに納め、すぐ先の杉並木に囲まれた奥宮参道を進む。朱塗りの楼門をくぐり境内に入る。本殿で参拝し引き返す。ミニ懐石3,500円の値頃感に釣られて貴船神社本宮近くの料理屋「貴船茶屋」の川床に入った。大瓶しかないビール1,000円は高目だが背に腹は代えられない。川床に座ると道路上の暑さが嘘のように涼しい。京野菜中心の料理は美味しかったが値段の割にボリュームに欠けるのは否めない。ロケーション代と考えればこんなものだろう。思わず二人で、「夫婦が健在円満でチョッピリゆとりがあるからこそのプチ贅沢やな~」と感謝しあったものだ。45分ばかり滞在し、本宮に参拝する。拝殿前に「神水」と呼ばれる湧水がある。引いたおみくじを神水に浸すと文字が浮き出てくる。占い好きの若い女性を中心に人だかりができている。本宮を後にして帰路に着く。鞍馬駅のひとつ手前の貴船口駅までの約2kmの道のりをひたすら歩く。電車に乗り出町柳駅に着いたのは2時半だった。ここを出発し再び戻ってくるまでの昼食を挟んだ4時間半の散策の旅だった。 
 帰路はここからバスで四条河原町まで行き、阪急電車で十三経由の宝塚行きを選んだ。途中、JR宝塚駅構内新設のスイートショップでベーカリーと飲み物で空腹を満たし、自宅に着いたのは6時を回っていた。万歩計カウンターが27,000を刻むハードで楽しい一日だった。

水鳥とキツネ2010年05月05日

 有馬川の岸辺に合鴨が水面を見つめていた。その物思いにふけっているかのような雰囲気がたまらない。水面を泳ぐ合鴨しか見たことがなく、岸辺に佇む水鳥の珍しさを捉えた。川の流れを分断する堰の上でコサギが一本足で佇んでいた。片足を腹に納め長い首を肩に埋めて微動だにしない。その毅然とした風情をおさめた。
 市民農園横の歩道に来た時、前方で犬に似た生き物がこちらを見つめていた。目があった瞬間あっという間に身を翻して畦の草むらに消えた。細身のしなやかなボディーに長くて大きな尻尾が脳裏に残った。キツネだった。さすがに愛用のデジカメはその姿を捉えることが叶わなかった。

個別労使紛争でのあっせん成立2010年05月06日

 先月末に初めての個別労使紛争のあっせんに臨んだ。第1回目ということで労使双方にそれぞれのギリギリの譲歩案の検討を求めて終了した。
 http://ahidaka.asablo.jp/blog/2010/04/27/
 そして今日、合意をかけた2回目のあっせんの場に臨んだ。冒頭、公労使の三委員で個別にそれぞれの譲歩案を聞いた。まず使用者の方は、屁理屈をつけて前回の案を繰り返し、譲歩の姿勢が伺えない。申請者の方は、誠実に譲歩案を提示した。開きは大きすぎる。とりわけ使用者側の頑なな姿勢から本件の和解は困難かと危惧された。
 使用者委員の頑張りが突破口を開いた。使用者委員と使用者側との個別の協議で、頑なな使用者を説得し譲歩を引き出してもらった。ここから和解の流れが生まれた。それぞれに更なる譲歩案を打診しながら何とか和解にこぎつけた。3時間余りのあっせん作業を終え、各当事者に合意に至ったことの充足感が感じられた。この仕事での手応えと達成感を感じるひと時でもある。

民生委員・児童委員の地域ボランティア組織での役割2010年05月07日

 私が民生委員として関わっているある地域ボランティア組織の運営の在り方を巡って揺れていることは、このブログでも二度ばかり触れた。その組織のリーダーとのやり取りを通じて自分なりに整理できたことがある。民生委員の地域ボランティア組織での役割とは何かという点だ。
 児童委員を兼務する民生委員は、特に子どもたちやお年寄りを対象とした地域ボランティア組織への参加が行政の側からも要請されている。その分野の地域福祉に応分の社会的役割が求められているのだ。
 ところで子どもを対象とする青少年愛護協議会(青愛協)は、一般に自治会や小中高の学校関係者(先生やPTA役員)からの派遣役員と民生委員・児童委員、それに地域代表の専任役員で構成される。役員会は通常、専任役員と派遣役員で構成される。
 ところが、籤や持ち回りで選ばれた派遣役員たちは一般に1年限りで入れ替わり、在任中はできるだけ厄介事に関わりたくないという気分があることは否定できない。そんな組織にあっては、特定の専任役員が強力な発言権をもって独善的な運営で誤った活動を推し進めたとしても、役員会内部での抑制力は発揮しがたい。3年任期で何期かを務め、社会福祉協議会(社協)等の他のボランティア組織の運営との比較が可能な民生委員・児童委員こそが異議申し立て可能な存在である。逆に、その民生委員・児童委員がことなかれ主義で沈黙すると、チェック機能はどこにも働かないことになる。
 「役員会の考え方に賛同できないなら今後の活動はお願いできない」などと公式に文書回答するボランティア組織が現実に存在したことに唖然とすると同時に、民生委員・児童委員としての社会的役割をあらためて認識させられた。

山口ボランティア・ガイド2010年05月08日

 金仙寺口バス停に、さくらやまなみバス10時38分着のバスが到着した。数人の乗客がすぐ南のコンビニ駐車場に向かっている。駐車場で男性1名と女性4名のグループと合流して挨拶を交わす。西宮市のポータルサイト・西宮流ブログで交流のあるものの、全員初対面の皆さんだ。
 ブログを通じて今日の彼らの山口散策の現地ガイドをお引き受けした。将来、山口のボランティア・ガイドのサークル発足につなげたい私にとっても貴重な初めてのガイド経験になる。また一週間後に控えた公民館の「風土記探訪講座」の話題を提供してくれるに違いない。
 バス停北側の旧街道入口を起点に細木邸、山口センター、山口町郷土資料館、銭塚地蔵、明治橋、御旅所、宮前通り、公智神社、さくらトンネル、今西邸、正明寺、名来墓地先の西国巡礼街道跡を巡り、昼食会場の「猿蟹合戦」に到着したのは1時過ぎだった。2時間20分の散策コースだった。
 途中、銭塚地蔵ではおりしも花まつりということでお堂が開放され、地元の世話役のおばあさんたちの茶菓の接待があった。あま茶と大福もちの接待を受けるというハプニングに恵まれた。ただ帰路のやまなみバスの時刻表の事前チェックを怠ったこともあり、昼食会場すぐ近くのバス停「名来北」では、発車直後のバスを見送るという憂き目にあった。次のバスまでの1時間をマクドナルドでお茶をし、下山口発15時26分のバスでお見送りした。
 今後の現地ガイドを考える上でいくつかの課題が分かった。ひとつは郷土資料館が土曜日で休館していたことだ。展示中の壇尻を見学できなかったことはとりわけ残念がられた。資料館の土日開館はぜひ実現してもらいたい。いまひとつは2時間余りの散策途中での休憩ポイントの設定である。公智神社境内ベンチでの休憩は取ったが、他は殆ど歩き通しだった。更にゴール地点の名来北バス停での時刻表を念頭に置いたガイドの大切さも痛感した。1時間に1本のダイヤに心しておかねばなるまい。おそらく参加者の皆さんの今日の西宮流ブログにはこの散策のコメントがあるに違いない。それらも参考に今後のガイドに活かしていきたい。いずれにしろ私にとっての初めての貴重なそして和やかなボランティア・ガイドが終わった。

乙川優三郎著「喜知次」2010年05月09日

 先月に乙川優三郎作品の再読を始めて、2作目の「喜知次」を読み終えた。舞台は藤沢周平作品の海坂藩にも似た東北の藩である。物語は500石取りの上士で祐筆筆頭の一人息子小太郎、郡奉行の次男台助、下士で郡奉行の下役の息子猪平という三人の若者を中心に展開する。藩の派閥抗争の渦に翻弄されながらも三人の身分の隔てのない付き合いの様が生き生きと描かれ微笑ましく読み進む。
 ところが本当の主人公は別にいる。喜知次という愛称で呼ばれる小太郎の六歳年下の妹・花哉である。花哉は実の妹ではない。六歳の時に江戸屋敷の火災でふた親を亡くし、貰われてきたのだ。三人の若者を巡る物語と並行して花哉の成長ぶりが描かれる。小太郎と花哉の淡い恋物語がさりげなく挿入される。
 藩の派閥抗争の流れの中で小太郎は成長し、執政への階段を昇っていく。花哉と結ばれる筈だった小太郎の恋心は、花哉の毅然とした拒絶の前に泡と消える。
 ラストは乙川作品に共通のドラマチックな逆転劇で結ばれる。珍しくハッピーエンドでない結末ながら読者に納得性のある結末として提示する。巧みで精緻な文章は、ぐいぐい読者を引っ張っていく。
 乙川作品の再読にしばらく嵌まるに違いない。

楽しみだったツアーの苦渋の断念2010年05月10日

 今月中旬に、夫婦で利尻島・礼文島のパックツアーを申し込んでいた。北海道最北の原生林や高山植物に包まれた絶景の離島である。北海道ならでは海鮮料理も楽しみだった。
 ところが・・・・である。今になってツアー参加を断念する決断を下さざるをえなくなった。関わっていたあるボランティア組織で、先月中旬に一部役員の理不尽で無謀な活動が勃発した。それをを糺すために民生委員有志と行動を起こした。その件が今なお決着を見ていない。むしろ理不尽さが更にエスカレートしたことから、今月中旬の総会の場での決着にもつれそうな気配が濃厚になった。その真っ最中にひとりツアーを愉しんでいるわけにはいかない。
 幸い、娘が休暇を都合して私の代わりに家内に同行してくれることになった。おかげで懸念していた夫婦関係の亀裂は何とか回避できた。後は何としてもくだんの問題を納得ある内容で円満に解決できるよう最善を尽くすばかりだ。