コロナ禍蔓延の恐怖を上回る強権支配の蔓延2022年03月01日

 耳を疑うようなまさかの事態が発生した。ロシア軍のウクライナ侵攻である。二度の世界大戦の反省を経て新たな国際的な平和の枠組みが曲がりなりにもできていると思っていた。米ソの冷戦時代も終焉し大戦の懸念も遠のいたという安心感もあった。
 そんな甘さを吹き飛ばす今回の事態である。国連の常任理事国の一角を占める大国ロシアの露骨な侵略である。それに対して国際社会はなすすべもなくズルズルと事態を追認するほかないようにみえる。
 侵略者は強権支配を長期にわたって維持するプーチン・ロシア大統領である。加担者はウクライナの隣国ベラルーシのヨーロッパ最後の独裁者ルカシェンコ大統領である。この侵略を追認するかのような姿勢をみせているのも大国中国の習近平主席である。三人はいずれも10年以上に渡って強権支配を続ける独裁者といってよい。
 もう一方の超大国・アメリカも1年前までドナルド・トランプによる4年間の強権支配を容認した。彼は今尚根強い人気に支えられ虎視眈々と大統領への返り咲きを狙っている。日本でも安倍政権による8年間もの強権的政治は記憶に新しい。このほか、トルコのエルドアン政権、フィリピンのドゥテルテ政権、北朝鮮の金正恩総書記等の強権政治の蔓延が目に余る。
 侵略戦争の発動は強権をもって統治する独裁者を抜きにはありえない。国内で強権発動を抑止する民主的な手続きが機能していないことの証左だから。世界的な強権政治の蔓延は世界各地での侵略戦争のリスクを孕ませている。
 時あたかもコロナ禍が世界に蔓延している。コロナ禍は自然災害とも言え避けがたい一面がある。強権支配の蔓延は人災そのものである。それがコロナ禍を上回る恐怖を招きかねない。

公民館講座「在宅医療」2022年03月02日

 かかりつけ医であるあすなろクリニックの岡崎先生の「在宅医療について」と題した山口公民館講座が開催された。山口町で開業されて7年目を迎えられた。その間の経験を踏まえた山口町の在宅医療の現状の報告のようだ。
 14時開講の山口公民館の会場には定員40名を上回る48名の受講者が詰めかけた。スクリーン前のテーブルには岡崎医師と旧知のケアマネで北部在宅療養相談支援センターの大野さんの姿があった。
 最初に岡崎先生の現状の在宅医療の以下のような多面的なプレゼンがあった。
・在宅医療の始まりは①入院先病院の地域連携室等から退院後の在宅医療の要請②担当のケアマネジャーからの通院が困難になった場合等の連絡③ご家族からの通院困難な場合や在宅看取り等の要望等である。
・あすなろクリニックの訪問診療の可能な距離は半径16kmだが、医師の負担から現状では7kmでお願いしている。
・あすなろクリニックが外来診療と訪問診療を行うことで元気な時から人間関係を築き家族とも顔見知りとなることの利点
・在宅診療の患者のコロナ感染の対応も、点滴、在宅酸素、ラゲブリオ等の飲み薬処方等が可能
・コロナで家族の面会ができないため在宅医療を選択する事例が増えている(終末期には再び入院し家族が看取る事例も)
・住み慣れた自宅での生活、面会制限のない家族や友人との生活等の在宅医療のメリット
・但し、在宅から入院への変更も有力な選択肢で「負け」ではない。
・家族の理解や協力あってこその在宅医療
 岡崎先生の後、ケアマネの大野さんの介護保険の利用についてのプレゼンがあった。「申請」「訪問調査と主治医の意見書」「審査・判定」「サービス選択」「ケアプラン作成」「サービス開始」等の介護認定の一連の流れが分かりやすく説明された。

アナザーストーリーズ「東大安田講堂事件」2022年03月03日

  NHK・BS放送のアナザーストーリーズ「東大安田講堂事件 」を観た。以下は番組の紹介サイトの記事である。
 『1969年1月18日。学生たちが立てこもる東京大学・安田講堂を警察機動隊が包囲した。警察の催涙弾と放水に、火炎瓶や投石で抵抗した学生377人が逮捕、その姿はTVで生中継された。あのとき何が起きていたのか?事件から半世紀、学生の中心メンバーや機動隊員らが、初めて詳細な証言を始めた。発端となった小さな火種はなぜ大きくなったのか?対峙したそれぞれの思いは?極秘資料も踏まえ、安田講堂事件の真相に迫る!』

 「東大安田講堂事件」は、私にとっても忘れ難い出来事だった。5年間かけて大学を卒業し大阪の流通企業に採用された。安田講堂の攻防を採用内定者オリエンテーション会場のホテルのテレビで観た。数カ月前には私も大学の構内で学園紛争の只中にいた。以下は私の自叙伝の当時の記述の一端である。 
 『1969年1月18日。六甲山のホテルでの内定者オリエンテーションに参加した。ホテルロビーのテレビが東大闘争の安田講堂の攻防を映していた。安田講堂には大学サークルの弁論部同期の友人が立て籠っていた。そのシーンを忸怩たる思いで見つめながら「自己否定という幻想」の終焉を苦々しく噛み締めた。』

有馬川土手道の工事予告看板の不思議2022年03月04日

 2月下旬、有馬川土手道に工事予告看板が設置された。場所は天上橋の袂である。「2月28日~3月26日迄、桜移植」の文字が目に留まった。1カ月もの長期間にどれほどの桜を何のために移植するのだろう。
 3月1日の朝の散歩道でその工事現場を見つけた。場所は中国道の高架下の南の壁際の有馬川沿いの一角である。一本の桜の周りにカラーコーンが立てられ黄色のロープが張られていた。
 翌日の散歩でその現場にやってきた。既にその桜は消えてなくなり更地になっていた。どこに移植されたのだろう。高架下をくぐった先にその答えがあった。高架下の北の壁から5mばかり先に植樹されたばかりの桜が立っていた。
 その翌日のことである。工事予告看板は撤去されていた。1カ月もの工事予告の正体は、たった二日間の一本の桜の移植工事だった。高架下の壁に接する桜の枝ぶりの処理がその目的だったのだろう。
 予告内容と現実との落差に、思わず笑ってしまった。

村上春樹著「ノルウェイの森 上下巻」2022年03月05日

 先月下旬にNHK・アナザーストーリーズ 『ノルウェイの森』の再放送を観た。その頃、断捨離の一環で蔵書処分をしていた。そこで偶然に村上作品を見つけた。「ノルウェイの森」と「海辺のカフカ」である。これはもう再読するしかないと思い 『ノルウェイの森』を読み始めた。
 読了して思ったのは、私たちの世代の青春の時代の空気を見事に伝えているという共感だった。4歳年下の作者はほぼ同世代といってよい。独特の感性を持った主人公”ワタナベ”の数人の個性的な男女との交流を通じて描かれる青春物語のように思えた。上下2巻の長編ながら登場人物は数人だけである。それぞれが個性豊かで知的で独自の存在感をもって登場する。にもかかわらずワタナベは、その透明感に包まれた感性でそれぞれの個性をフワッと吸収してしまうかのように振る舞う。とはいえワタナベにとってかけがえのない人物たちは相次いで亡くなったり別れを告げていく展開はワタナベのどうしようもない”喪失感”を浮かび上がらせる。
 読者は、物語の予想外の展開やテーマの難解さに戸惑いながらつき合うことになる。それでも簡潔で分かりやすい文体で描かれる物語にぐいぐい引き込まれていく。
 40か国以上で翻訳された1000万部の発行部数を誇る作品である。何が全世界の多くの世代の読者をそれほどひきつけるのだろうか。最期までその答えは見いだせなかった。

霜で縁取られた梅の綻び2022年03月06日

 先日の春のぬくもりが今朝は再び霜に包まれた寒さが舞い戻った。三月初めの三寒四温の季節の変わり目である。
 有馬川の土手道を北に向かっていた。名来神社手前の土手道の東側には桜並木が続いている。枝先には辛うじて焦げ茶色の蕾のふくらみが見て取れるが開花には程遠い。
 そんな並木道の一角の突然ピンク色が飛び込んできた。桜より一足早い開花を迎える梅の木だった。この土手道の唯一の梅の木である。ほころび始めた梅の蕾は、あいにくの霜降りでピンクの花弁が白く縁取られれていた。寒さに震えながら健気にほころんだ梅の蕾に拍手した。

蔵書処分を終えた2022年03月07日

 断捨離の最後の大物である蔵書処分がようやくほぼ終了した。古本買取のネット検索してノートパソコンも一緒に売却できる「買取王子」という業者に売却処分を申し込んだ。古本売却は古物営業法に即して行われるため身分証明書の提示等の結構煩わしい手続きが求められる。また売却代金入金のための銀行口座の指定も必要だった。申し込み完了後しばらくして買取箱2ケースが届けられた。
 1ケースについて30Kg迄であり1回について2ケースしか処分できないことも分かった。1300冊もの蔵書を買取王子だけで処分するには何回も申込を繰り返す必要があり余りにも煩わしい。そこで最寄りの古本売買チェーンのブックオフにも処分を打診した。蔵書の半数以上は通常売却不可のバーコードのない古い書籍である。この処分さえできれば売却価格にはこだわらりはない。ブックオフの返事は出張買取は現在やっていないが店持ち込みの本はバーコードなしでも引取り可能とのこと。
 大量の蔵書を家内にも手伝ってもらい何とか紐でくくってまとめた上で二日に分けて店に持ち込んだ。結局230冊だけが値段がつき合計1900円の売却金だった。続いて翌日には買取王子から査定額1563円の連絡があり、指定口座に入金された。合わせて約3500円が大量の蔵書の最終処分価格ということになる。
 最後に残された難題は、2階廊下に設置していた蔵書の半分以上を収納していた大型のスライド書棚の処分だった。阪神大震災の際の振動でスライドの溝が破損しており売却できる状態ではない。同じ住宅街の知人が大型廃棄物を知人の業者と連携して無償で処分する活動をされている。すぐに連絡をとり翌日朝に来訪してもらった。解体して搬出するしかなくその場で40分ばかりかけて解体搬出し、軽トラックに積み込んでもらった。処分の方策に困惑するしかなかったので本当にありがたい支援だった。

キャッチコピーの威力2022年03月08日

 私のPCメールになぜか「経済ウォッチング」というタイトルのメールが送られてくる。その最新のメールに、倒産寸前の「丸亀製麺」を見事に立て直した男の物語が書かれていた。
 再建を託されたのは、赤字続きのユニバーサル・スタジオ・ジャパンを見事に再生した森岡毅氏である。820店舗を展開する丸亀製麺は、創業者のこだわりから店舗での非効率な作りたて麺を続けていた。そこで彼の再建策は大きな工場でまとめて麺を作り店に配送すると思われていた。ところが彼はその策を取らず、ある小さな変更だけを実施した。そして4ケ月後に業績は劇的に回復した。彼が実施したのは丸亀製麺の魅力の原点『手作りのうどんの美味しさ』をもっと強くアピールすることだった。再建に向けた調査の結果、丸亀製麵のその魅力の原点が顧客に伝わっていないということが分かった。「ここのうどんは、生きている」というキャッチコピーが大きく打ち出された。このたった一言のキャッチコピーが業績のV字回復をもたらした。

 私が代表者である地区社協が27回目の総会を迎える。超高齢社会を迎え在宅医療や認知症ケア、コロナ禍の高齢者のフレイル、地域コミュニティの脆弱化の対応等、課題は山積みである。地区社協の真価が問われる中であらためて地区社協の想いを地域に訴えるキャッチコピーの必要性を痛感した。地区社協創業期の原点だったキーワードは”ぬくもり”だった。広報紙のタイトルであり、新たにボランティアセンターの愛称とすることになった。”ぬくもり”を新たなキャッチコピーとしロゴも作成した。丸亀製麺の成功物語を糧にしたい。

隣りの”ウオンテッド”2022年03月09日

 毎日のように”指名手配犯”たちと顔を合わせている。早朝ウォーキングの終盤は、コンビニでモーニングコーヒー片手に読みかけの文庫本を読むのが日課である。
 今やコンビニにはイートイン・コーナーの設置が当たり前になっている。行きつけのコンビニにも入り口近くに設置されている。早朝のこととて利用者は稀である。事務所と隔てている壁際が定位置である。その壁には「重要指名手配」のポスター2枚13名が掲示されている。
 コーヒーを手にして備え付けの椅子に着席する際には、いやでも13名の強面の容疑者の面々と対面することになる。その壁の「隣りの”ウオンテッド”」を背に今日もひと時の寛ぎの時を過ごした。

断捨離で発見”小中学時代の思い出の作品”2022年03月10日

 我が家の断捨離が着々と進行している。いらなくなった陶器、置物、コイン、掛軸などを最寄りの古美術商で処分した。家内の30着ばかりの着物やブランドバック、財布等も大手の着物買取業者に売却できた。断捨離の大物のアップライト・ピアノも約4万円の引取料を負担して業者に処分を委ねた。最後に残った膨大な蔵書も買換え済みのノートパソコンと一緒に古本売買業者で処分し、不要になった大型スライド書棚も知人のサポートで解体処理できた。
 これで断捨離はほぼ終わったと思っていたら、2階の納戸を片付けていた家内が紙袋を手にして声を掛けてきた。「これも処分していいんとちがう?」。紙袋の中には、小中学校時代の私の様々な作品などが入っていた。
 小学校のガリ版刷りの卒業文集には私の最古の作文が掲載されていた。中学時代の作品と思われる何枚かの図画もあった。中学2年の成績表も保存されていた。恐らく母親が永く保存していたのものが母親の我が家での同居が始まった際に持ち込まれただろう。今となっては貴重な思い出の数々で、あらためて親心に感謝した。
 とはいえいつまでも残しておくわけにはいかない。それぞれの作品等をデジカメに収めてデジタル化してPCに保存することにした。合わせてそれぞれの思い出をブログで綴っておこうと思った。ちなみに添付画像は中学時代の実家最寄りの”お宮さん”の写生である。