田舎暮らしの老後の配当2009年12月04日

 一日中、小雨模様だった昨日とは打って変わった快晴の朝だった。いつもの散歩コースの出来事である。
 名来神社前の愛宕橋のすぐ先で、何やら鮮やかな色が動いたように見えた。じっと凝らした視線の先の枯れた草のてっぺんに、輝くような美しいブルーを背負った小鳥がとまっていた。カワセミだッ!ポケットのデジカメをそっと取り出す。息を殺して電源をONにしズームをいっぱいにアップした。飛び立たないでくれ!と祈るようにスイッチを押す。撮れたッ!二度目のスイッチを押そうとした瞬間、カワセミは直線的な鋭い飛行で飛び去った。モニターチェックする。翡翠色の鮮やかな背中と長いくちばし、白いほっぺの横向きの顔が川面を背景に写っていた。あの敏感な野鳥をよくぞ稚拙な腕で補足できたものだと自賛する。
 帰宅して着替えのため二階の寝室に入った。窓越しに見える隣家の柿木に熟れすぎた柿が裸になった枝のあちこちにしがみついていた。その周りを数羽の野鳥が羽ばたきながら熟し柿をついばんでいる。椋鳥だった。我が家に居ながらに目にする野鳥の姿は、このうえもなく心を和ませられるものがある。
 身近に野鳥を目にできる環境とは、田舎暮らしに限りなく近い生活環境の裏返しに他ならない。現役時代は、最寄の鉄道駅までバスで15分揺られなければならない不便さをかこっていた。リタイヤ生活を迎え、自宅中心の生活があらためて自然豊かな田舎暮らしの愉しさを気づかせてくれる。現役時代の田舎暮らしの不便さの配当を、老後生活を向かえた今受取っているのかもしれない。