市の特定健診の苦情のフォロー2016年10月01日

 半月ほど前にご近所の同年代の奥さんから市の集団特定健診の予約が取れないという苦情を聞いた。健診予約日に電話申し込みをしたがずっと話し中で繋がらず時間をおいて掛け直したら150名の定員がいっぱいとなり締切ったとのことだ。山口地区の2600人ほどの70歳以上の住民向け健診である。150名の定員はいかにも少ない。
 こうしたた苦情や不満を行政に伝えるのも民生委員の役割だと思った。早速、市の関係部署に苦情内容を伝え対応を求めたところ、幾つかのことが分かった。ひとつは私自身の認識不足があったことだ。集団特定健診は毎年3回あり各回150人定員で計450人が受信可能ということだった。それでも担当部署としても受診対象者数に比して延定員数は充分でないとの認識はあるようだった。市南部の毎日受診が可能な態勢との比較でも脆弱感は否めない。とはいえ費用対効果の面で定員増にはためらいがあるようだ。
 市側の事情や認識は推察できた。ひとまず把握できた経緯と実態について苦情の当事者には伝えようと思う。その上であらためてどう対応するか検討してみたい。

公民館講座「古湯が育んだ歴史の町」の開講2016年10月02日

 今年度の山口公民館講座の隣町風土記・有馬の1回目の室内講座「古湯が育んだ歴史の町」を終えた。次回11月10日に屋外散策「有間の歴史と史跡を訪ねる」を開講する。
 2010年に山口風土記探訪講座を開講して以来14回の講座を重ねた。山口町にまつわる8回の講座を終えて山口を含む旧・有馬郡に注目した。3年前から有馬郡を構成した隣町の風土記を名塩、道場と巡り今回は有馬を取り上げた。
 山口、名塩、道場の風土記を探訪して感じたことだが、町の風土は地形や自然に大きく左右されている。有馬は日本最古の有馬温泉という自然がつくりあげた典型的な町である。最古の温泉が近隣のどこよりも古い歴史を刻み、幾多の街道の終着地としてあまたの歴史上の人物や湯治客を招いた。山合いの狭隘な地形に人口1900人、千世帯が住む町である。その小さな町に今尚三社六寺もの寺社が存続するのもひとえに有馬温泉の故だろう。
 34名の受講者と7名の公民館活動推進員の皆さんに講座をお聞き頂いた。ちょい呑みオヤジ会や地域活動で交流のある皆さんにも携帯ショートメールでご案内した。結果的に従来の講座以上に面識のある方の受講が目についた。次回の有馬散策講座は紅葉のベストシーズンの開催である。定員20名が受付開始直後にいっぱいになったと聞いた。
 6年目となるこの風土記探訪講座は私にとってかけがえのないライフワークである。

男の料理塾「塩さばの甘酢あんかけ」2016年10月03日

 3回目のコープサークル「男の料理塾」があった。今回はオヤジ会からはメンバーの所用が重なり5人の参加だった。主宰者の声かけで別に5人の参加があり合わせて10名の受講者だった。
 今回は主宰者の手配でコープこうべ家庭料理研究会の講師を招いての開催だった。二つのテーブルに分かれてオヤジたちがエプロンと三角巾姿で着席した。講師のメニュー紹介とレシピの解説が始まった。
 今回のメニューは「塩さばの甘酢あんかけ」「小松菜のみどり和え」「田楽なべ」「がんづき(蒸しパン)」と相変わらず多彩だ。講師がそれぞれのメニューを説明しながら巧みに調理していく。受講生たちは調理台の真上に斜めに設置された大きな鏡でその手許を見つめながら講師の調理の様子を追っていく。
 一通りの調理の説明を終えて、各テーブルごとに調理実習が始まった。今回も数人の主婦の皆さんのサポートを受け、下拵えの済んだ素材をカットしたり、お鍋やフライパンに入れて味付けしたり、出来上がった料理をお皿や鉢に盛り付けたりと忙しい。オジサンたちも意欲的に挑戦している。30分ばかりのクッキングで各テーブルには見事な4品が並んだ。
 出来上った料理をいただく。各テーブルには講師陣も着席し調理にまつわる様々な懇談を交わした。ひとり住まいの70代後半のメンバーの積極的な質問が目を引いた。大病の後の退院後の食事療法には人一倍気を使っておられるようだ。自身でやるしかない身で調理には誰よりも前向きだった。つくづく心構えの違いを思い知らされた。自身にどこか真剣みが足りないのは、夫婦二人の生活で食生活のほとんどを家内に委ねていることに起因する。場合によっては家内に先立たれるというケースもありうる。目の前の意欲的なオジサンの姿勢を見習わねばならないと再認識した料理塾でもあった。

鎌田 實著「がんばらない」2016年10月04日

 9月7日、県社協主催の「社会福祉夏季大学」を受講した。基調講演は諏訪中央病院長で著名な地域医療の実践者である鎌田實氏だった。示唆に富んだ貴重な講演を聞き、その著作を読んでみたいと思った。会場で販売されていた代表作「がんばらない」を購入し、ようやくその著作を読み終えた。
 期待以上の作品だった。超高齢社会を迎えた我が国の地域医療の在り方が物語風に分かりやすく綴られている。全編が著者が関わった医療現場の事例毎のエピソード風のレポートである。著者と患者のそれぞれの想いが交錯しふれあい紡がれる。人間の疾病を部品の故障という捉え方でなく、患者の生きてきた歴史に配慮し、「生きている意味」を尊重しながら治療していくものだという著者の信念が貫かれている。その意味で医療行為とは患者と医師との関わりを通じた一篇の「物語」なのだろう。
 「がんばらない」をコンセプトとした緩やかで穏やかな物語の数々を読み終えて、超高齢社会を生きていく「よすが」に触れたように思った。

花ちゃんがやってきた2016年10月05日

 家内と二人で花ちゃんが待つ大津市に向かった。今日から一週間ほど母ちゃんと一緒に里帰りする花ちゃんを連れ帰るためだ。
 花ちゃんは来月初めから自宅近くの保育園に入園する手はずになっている。短時間のお試し保育から始まって中旬には本格的な保育に移行する。その頃から母ちゃんは出産休職を終えて職場復帰する。
 娘は花ちゃんの子育てをしながらその手はずの為の準備に余念がない。娘が休職中だったこれまでは何かと行ったり来たりして花ちゃんとのふれあいの機会が多かった。来月からはそうもいかない。盆正月の帰省も短期間になりそうだ。娘も実家でゆっくり骨休めすることもままならない。そんなわけで祖父母の孫娘とのふれあいと娘の骨休めのための実家滞在のラストチャンスが訪れた。
 半月ぶりの花ちゃん宅の訪問だった。花ちゃんがどんどん成長している。絵本を手にしていかにも読書をしている風な仕草を見せてくれる。時々何にも掴まらずタッチしてみせる。目撃した時には手許にカメラはない。瞬間芸のようなものでいまだに画像でキャッチできない。テーブルの脚に掴まってテーブルの上を覗きこむ。目ざとく見つけたものをたぐり寄せては床に落として、ちびっこギャングの片りんを見せている。その掴まり立ちの足元を見ると爪先立ちの姿勢を維持したままである。
 2時前には花ちゃんちを後にした。いつもは母ちゃんに抱っこされた花ちゃんとバイバイするのだが今回は後部座席のチャイルドシートに納まっている。時おり聞こえるむずかり声を耳にしながら一路我が家に向かった。

自治会文化祭講座「北六甲台の今昔」を開講2016年10月06日

 二千世帯を擁する新興住宅街の文化祭が11月3日から6日まで開催される。主催する自治会にとっては夏の盆踊りに次いで大きなイベントである。この文化祭に今回初めて講座「北六甲台の今昔」をエントリーした。文化祭初日のオープン直後の10時からの開講が決まった。
 住宅街が誕生して34年目を迎える。この町で育ち巣立っていった子どもたちもかなりの人数を数える。彼らにはこの町がふるさとである。今年の31回目の盆踊りを子どもたちのふるさとの風景にできないかという話題が交わされた。新興住宅街にもようやく”ふるさと意識”が芽生えだした。ところがこの町を終の棲家に求めて各地から移り住んだ親たちには、この町のことを子どもたちに語れる材料は持ち合わせていない。
 そんな背景と経過の中で、文化祭での「ふるさと講座」を思い立った。開発前の住宅街の「昔」をプロジェクターを使って豊富な画像でビジュアルに紹介する。お天上山と呼ばれていた小高い丘陵地に開発された街である。公園の一角には「公智神社鎮座跡」の石碑がある。今は下山口にある「村の鎮守」はかつてはお天上山に鎮座していた。住宅街の北側には旧丹波街道が東西に通っていた。西国巡礼街道の一角として旧街道跡には今も道標や石碑がその名残をとどめている。
 そんな話題を以前に公民館講座で「お天上山物語」としてプレゼンしたものをベースに住民の皆さんに伝えたい。

じいちゃんとお留守番2016年10月07日

 早朝ウォーキングから戻ってきた。リビングに入るとちゃんこした花ちゃんの姿があった。目ざとくじいちゃんを見つけてじっと見つめてくれる。いつもと違うこの風景に思わず頬が緩んでしまう。
 夕方、花ちゃんの食材調達に母ちゃんがばあちゃんと一緒に出かけるという。花ちゃんをじいちゃんひとりに託すことの一抹の不安を口にしながら二人がそっと姿を消した。
 花ちゃんは最初の内はすこぶるご機嫌だった。Eテレの「おかさんといっしょ」に身を乗り出したり、じいちゃんの読み聞かせ始めた絵本を取り上げてひとりでいじり回したりして遊んでいた。母ちゃんが買ってきたばかりの花ちゃん用のタオルで遊んでいた時だ。突然花ちゃんが泣き出した。商品説明のタグにくっついていたシールをいつの間にか剥がしていた。そのシールが指先にくっついてしまい手を振って剥がそうとするが取れない。もう一方の手で剥がすほどの智恵はない。こうなれば泣くしかない。その愛らしい顛末を眺めながら泣き顔を画像に納めた。
 玄関で二人が帰っってきた気配がした。花ちゃんの泣き声を聞かれてはバツが悪い。慌ててじいちゃんがシールを剥がしたがしばらく泣きやまない。母ちゃんの姿を見つけた花ちゃんがようやく泣きやんだ。30分ばかりの花ちゃんとの二人ぼっちのお留守番のバツの悪い結末だった。

子どもたちの「鶴瓶似顔絵展」2016年10月08日

 山口ホールで開催されている展示会に出かけた。山口町名来の「子共のアトリエ・ひこうせん」が主催する「鶴瓶・恭瓶落語会 歓迎似顔絵展」だった。
 会場で主催者のYさんご夫婦にお会いした。かねてからその活動ぶりは地域活動の知人たちから聞いていた。家内も奥さんとは長男が小学校の同級生でPTA繋がりのようだ。私自身は初対面だったので名刺を交換しながら挨拶を交わした後、よもやま話に花が咲いた。
 色んなつながりがあることが分かった。息子たちのその後の消息を伝えあった。ご主人の郷里は私が現役時代に何度も訪ねた町だ。唯一の大型小売り店は共通の思い出の場所だった。学生時代に嵌っていたモダンジャズはご主人との共通の趣味だった。
 会場にはご夫婦のアトリエに学ぶ大勢の子どもたちの鶴瓶・恭瓶の似顔絵が展示されている。翌日に山口ホールで開催される落語会のプレ・イベントである。落語会主催者からの依頼で子どもたちが写真をもとに描き上げた作品群である。それぞれに鶴瓶さんの特徴を掴んで個性豊かに表現している。見知った特徴のある顔立ちが子どもたちの創作意欲を刺激したようだとはYさんの言である。
 懇談と観賞で20分ばかりを過ごして会場を後にした。

花ちゃん!知育玩具でドヤ顔2016年10月09日

 花ちゃんが知育玩具に初めて挑戦した。木の台に4本の鋼線がアーチ形に据え付けられている。鋼線には色とりどりの木のボールが取り付けられている。アーチに沿って端から端までボールを移動させる玩具である。
 じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃんが見守る中で、花ちゃんが玩具の前で思案している風だ。母ちゃんの方も向いて「どうしよう」と言いたげだ。やおら玩具に向き合って、赤いボールを手にしてアーチに沿って動かした。てっぺん近くまでもっていくがその先に中々進まない。大人たちが固唾をのんで「もうチョットや!ガンバリ」と声をかける。
 何度かの挑戦の末に見事にボールが反対の端に滑り落ちた。花ちゃんも嬉し気に目を見張る。大人たちが思わず「ジョウズ!ジョウズ!」と口々に声を掛け一斉に拍手する。その騒ぎを目にして花ちゃんも満面の笑みを浮かべてドヤ顔になる。
 他愛のない初孫の一歩一歩の成長に一喜一憂の幸せなひと時を過ごしている。

花ちゃんと秋祭り2016年10月10日

 花ちゃんの帰省と公智神社の秋祭りが重なった。11月からは母ちゃんは復職し花ちゃんは保育園に入園するというのが今後の育児スタイルである。そうなるともう花ちゃんがこのお祭りを見る機会は望めない。
 前日から迎えに来ている父ちゃんも一緒に一家5人で秋祭りに出かけた。宮前通り入口のお旅所が見物スポットのひとつである。例年のこととてお祭りの進行スケジュールは頭に入っている。午後2時半頃にお旅所前に行くと、既に7基のダンジリがお旅所前を先頭に集落の旧道沿いに南に勢揃いしている。大勢の見物客が宮前通りからお旅所にかけてつめかけている。
 ダンジリをバックに父ちゃんに抱っこされた花ちゃんを母ちゃんと一緒に画像に納めた。しばらくすると7基のダンジリが次々と旧道を90度回転させ宮前通りを公智神社に向かった。木製の幅広の車輪で牽引された数トンものダンジリを人力で直角に回転させるの様は圧巻である。もちろん花ちゃんにはそんなことは知る由もない。周りの喧騒をよそに泣きだすでもなくネンネするでもなく無心に抱っこされている。
 迂回路を辿って見物客でごった返す公智神社境内に入った。既に下山口の大ダンジリだけが宮入りを済ませている。本殿前の石段には宮入りするダンジリの絶好の撮影スポットとあって見物客が鈴なりに陣取っている。ここでも花ちゃん一家の画像を納めて帰路についた。
 大きくなった花ちゃんにいつかこの画像みせてこの町の由緒あるお祭りのことを語ってやりたいと思った。