長尾和弘著「抗がん剤10のやめどき」2016年09月01日

 在宅ケアに関わる書籍の6冊目を読んだ。長尾和弘著「抗がん剤10のやめどき」である。在宅ケアの二大疾患は認知症と癌のようだ。認知症についてはこれまで読んだ書籍でもしばしば述べられており、「コウノメソッド」の専門書も読んだ。癌についてはまとまった本は読んでいなかった。長尾医師の在宅医としてスタンスやポリシーは共感できる点が多く、その著作から癌に関わるこの書籍を選んだ。
 医療解説書としては異色の表現形式である。内容の8割を占める第一章は「町医者が見たあるがん患者の物語」と題する物語で構成されている。鈴木信夫という58歳の現役バリバリの男性が長尾クリニックを訪れて胃がんが見つかったシーンから物語が始まる。以来、1年8カ月に及ぶ闘病生活の果てに亡くなるまでの長尾医師と鈴木さんとその家族との関わり方ややりとりがリアルに描かれる。在宅医である長尾医師は奥さんばかりでなく一男一女の子どもたちも含めて鈴木さん一家と家族ぐるみの付き合いがあるという設定である。このことが終末期医療を巡る家族との葛藤の伏線となり「抗がん剤のやめどき」というテーマに奥行きをもたらしている。
 鈴木さんの癌の進行に伴って展開される病状と治療、患者の不安、家族の戸惑い、医師と患者や患者と家族の葛藤などが現役在宅医ならではの体験を折り込んで生々しく描かれている。もちろん抗がん剤のやめ時が病状の節目ごとにコメントされる。それは紛れもなくがんとの闘病生活の人生の終末期の苛酷なドラマでもある。同時に読み進むに従って癌との闘いの現実がリアルに伝わり、患者にとっての抗がん剤継続の是非や可否の冷静な判断が求められる。
 ネット上のレビューでも長尾医師の著作には辛口の評価も多い。その主要な指摘は科学性が希薄であるとか論理的でないという点だろう。個人的にはそれは的を得た指摘とは思えない。基本的なスタンスやポリシーが共感できるか否かこそが問われるべきだ。その点で評価できるなら表現方法はできるだけ読者に分かりやすい方がベターである。要はプレゼン能力も含めた発信力は多くの共感者を得る上でも欠かせない。物語風の表現形式は作者の巧みな発信力として評価したい。

癌・闘病記2016年09月02日

 昨日、ブログで長尾和弘著「抗がん剤10のやめどき」の書評を記事にした。これを書きながら自分自身の9年前に始まった「癌との闘い」を思い起こした。50日間の入院生活を余儀なくされたその日々を「闘病記・患者の達人」と題して毎日欠かさずブログに綴り、HP上に「病の移ろい(病状遍)」 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/toubyouki-yamai.htm と「病棟の風景(生活篇)」 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/toubyouki-hukei.htm に分けて再現した。今日あらためて膨大なその闘病記を読み返した。
 発病以来9年6カ月が経過した。その後の経過は恐れていた転移もなく極めて順調である。10年の経過観察期間終了まで後半年を残すばかりになった。癌という厄介な病との闘いを何とか乗り越えられそうだ。
 「抗がん剤10のやめどき」を読み終えてあらためて様々な幸運に恵まれたのだと思った。61歳の時の悪性黒色腫という一種の皮膚癌のステージⅡの病期の発症だった。癌の発病年齢としては比較的若かったのではないか。それだけに癌細胞増殖や転移のリスクも大きかったと思う。DAV-feronという抗がん剤も術後と退院後2回の3回に渡ってが点滴投与された。ちなみにこの抗がん剤療法は今日ネットで調べると「悪性黒色腫のステージⅡ、Ⅲの術後補助化学療法として一般的であるが、予後延長効果を解析したところ有意な改善効果は見られなかった」という2013年の報告を見つけた。今となってはあの抗がん剤療法はあまり意味がなかったと思わざるをえない。それでも副作用のリスクの大きい抗がん剤も私には顕著な作用がなかったことにむしろの感謝すべきだろう。
 いずれにしてもこの著作は、我が身に起こった癌との闘病をあらためて見つめ直す良い機会となった。

ばあちゃんと花2016年09月03日

 先日から家内の夜更かしが続いた。夕食後の家事を済ませてから食卓に持ってきたミシンと格闘している。子どもたち用の裁縫を終えて以来の何十年ぶりかのミシンのようだ。
 いうまでもなく縫っているのは孫娘・花ちゃん用の服である。押し入れに仕舞いこんでいた布きれを引っ張り出して可愛い柄の生地を相手に根を詰めている。「久しぶりにすると疲れるワ~」と言いながら結構楽しそうだ。ようやく仕上がったのが夏向けの涼し気なカボチャパンツと称するズボンと友柄のワンピース風の上着である。「早く着せんと夏が終わってしまう」と二日ほど前に郵送していた。
 娘から花ちゃん画像が送られてきた。キッチリ花ちゃんがばあちゃん手づくりの可愛らしい上下を着ている。じいちゃんも連れ合いのガンバリの成果を目の当たりにして目を細めた。
 「ばあちゃんと花」のひとコマである。

「はじめてのエンディングノート」ソフト2016年09月04日

 エンディングノートのデジタル版を購入した。10年以上前からエンディングノートは早目に準備しなければと思っていた。当時、少し関わりのあったナルクという国内有数のボランティア組織が元祖エンディングノートを発行した。そのコンセプトに共感し12年前にナルク発行の冊子版を購入した。その後、病いを得て右手親指を失くしたこともあり、筆記式のエンディングノート記入の煩わしさから作成を先送りしていた。
 ところがネット上でエンディングノートのソフト版が今年4月から発売されているのを知った。年賀状ソフトの筆まめ社発行の「はじめてのエンディングノート」とい商品だ。キーボード入力なら作成に支障はない。購入の機会を窺っていると「筆まめ」の乗換え用最新版とセットで送料税込7668円で発売されてた。使用中の年賀状ソフト「筆王」は14年前のバージョンでそろそろ変え時だったし、住所録データも容易に取り込めそうだ。ネット注文したその商品が昨日届いた。
 早速、二つのソフトをPCにインストールした。「筆王」の住所録も難なく「筆まめ」に取込めた。「ノート」の入力も試しに基礎的な情報を入力した。「ノート」の入力をしてみてあらためてデジタル版の以下のメリットを痛感した。①右手の不自由な私にはキーボード入力は極めてありがたい②パスワード管理で情報のセキュリティが確保される③変化する心境や情報に応じた老後の生活管理がそのつど最新情報に更新可能である④何よりも入力フォームを通して「終活」に向けて何を決めておかなければならないかがチェックできる。難点はこのソフトの使用は1ライセンス1人だけで配偶者の「ノート」を作成するには別のPCとソフトの購入が必要な点だ。
 「ノート」の作成は「資産」「保険」「カード」「年金」「医療・介護」「葬儀・お墓」「相続・遺言」等、多岐にわたる。時間をかけてじっくり作成することにしよう。その過程で様々な想いや感想が浮かんでくるに違いない。それはそれでこのブログにも綴っていきたい。まずは初回のイントロ記事である。

公民館講座「隣町風土記・有馬」の執筆2016年09月05日

 今年も山口公民館講座「山口風土記探訪講座」を開催する。今年のテーマは「隣町風土記・有馬」で10月1日に室内学習「古湯が育んだ歴史の町」を、11月10日に有馬散策「歴史と史跡を訪ねる」を開講する。2010年に開講して以来15回目を数える講座である。
 室内講座はプロジェクターを使ったプレゼン形式である。パワーポイントの30数枚のスライドシーツにコンテンツの画像や記事を入力する。先月から本格的に執筆にかかり8割方完了した。「プロフィール」「有馬の自然」「温泉と泉源」「歴史探訪」「神社&仏閣」「有馬温泉と山口」「伝えたいこと」が内容である。
 執筆しながら有馬という町の成立ちを思った。これまで山口、名塩、道場という町の風土記を執筆した 。自然や地形が町の歴史、風土、気質、文化に大きな影響を及ぼしていることを学んだ。そして有馬は有馬温泉という日本最古の温泉という自然がつくりあげた典型的な町である。最古の温泉が近隣のどの町よりも古い歴史を作り、あまたの歴史上の人物や数えきれない湯池客を招き入れ、その受け皿となる温泉街と宿泊施設を造り、加えて狭隘な土地に余りある多くの神社仏閣を建造し、幾多の街道の到達地点となった。その原点はまぎれもなく最古の良質な温泉である。

新興住宅街の盆踊りと「ふるさと意識」2016年09月06日

 住宅街の盆踊りも無事終了した。開催にむけて主催の自治会を中心に地域組織の代表者が集まって実行委員会が何度か開催された。その時の議論で「ふるさと」というキーワードが話題になった。
 2千世帯5千人を擁する新興住宅地である。分譲開始後30数年を経て移り住んだ住民の子どもたちの多くが巣立っていった。異邦人の親たちにはなじみのない町だが、生まれ育った子どもたちにとっては「ふるさと」である。巣立った後も実家のある帰省先である。分譲開始後まもなく始まった盆踊りは、彼らにとっては懐かしい風景であり思い出である。少子高齢化が著しい我が町の盆踊りも手をこまねいておれば衰退の一途を辿りかねない。巣立った子どもたちが孫たちを連れて帰ってくるのが楽しみになるような盆踊りにできないか。そんな議論だった。残念ながら初めての議論で時間切れで終わった感がある。
 新興住宅街と言えども長い歳月を経て、共通の思い出を重ねる中で「ふるさと」意識が芽生えている。住宅街のど真ん中につくられた小学校は30回近い卒業式を数え、多くの同窓生を抱えている。彼らにとっての「ふるさと」とはどんなものなのだろう。「ふるさと」を思い起こさせる同窓会やクラス会は開催されているのだろうか。
 新興住宅街にとっての「ふるさと意識」を考えさせられた今年の盆踊りだった。

住宅街の文化祭で「ふるさと講座」を企画2016年09月07日

 昨日のブログで「新興住宅街のふるさと意識」について書いた。新興住宅街に移り住んだ住民の子どもたちにとってはこの町がふるさとに違いない。ところが子どもたちだけでなく親たちもこの町のことをほとんど知らない。親たちが子どもたちにこの町のことを語れるような情報を提供したいと思った。
 ライフワークでもある「HP・西宮やまぐち風土記」を立ち上げた。http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-hudoki.htm さらに山口町の一角に開発された新興住宅地の我が町の紹介サイトも立ち上げた。http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/kitarokkoudai-top.htm 
 他方で山口公民館講座では、お天上山と呼ばれたこの町の開発前の様子を「お天上山(北六甲台)物語」として語った。併せてお天上山のすぐ北側を走っていた丹波街道の一部である「平尻巡礼街道」についても紹介した。
 毎年11月初めに自治会主催の文化祭が開催される。新興住宅街の住民たちが我が町の成立ちを考える絶好の機会だと思った。講座「お天上山物語」や「平尻巡礼街道」を手直しして「ふるさと講座」としてエントリーしてみようと思った。できれば「北六甲台の今昔」と題して今年はお天上山物語をテーマに、来年は開発後の「北六甲台の町づくり」をテーマにプレゼンできればと思う。
 子どもたちにふるさとを伝えるのは親世代の役割だ。この講座を通してできれば子どもたちのふるさと意識の育成に多少なりとも貢献できればという想いが募った。

鎌田實氏講演・「がんばらない」けど「あきらめない」2016年09月08日

 昨年に引き続いて今年も県社協主催の「社会福祉夏季大学」を受講した。先月の山口民児協で1名の派遣枠に希望者がないようだったので手を挙げた。著名な医師である鎌田實氏の記念講演「『がんばらない』けど『あきらめない』」をぜひ聞いておきたいと思った。
 新神戸駅近くの神戸芸術センターの広い会場に1時前に到着した。セレモニー直後の演壇も何もない広い舞台に鎌田氏が登場した。濃いグレーのTシャツに黒のジャケットを羽織ったラフなスタイルである。語り手と観客との壁を可能な限り取っ払おうという氏の講演スタイルのようだ。
 冒頭、やまゆり園の無差別殺人事件がふれられた。社会の役に立たないという理由でハンディを負った者を抹殺する思想への怒りがふれずにはおれなかった述懐される。氏の活動は驚くほど多彩で広範囲である。潰れかけた諏訪中央病院の院長として住民と一緒につくる地域医療病院として見事に再生させたのを皮切りに、チェルノブイリ原発事故の患者支援、イラク難民の医療支援、東日本震災被害者支援等、国の内外の被災者への支援活動である。
 そうした活動の原点でもある自身の生い立ちが語られる。1歳の時に実父母に捨てられ貧しい個人タクシー運転手の養父と病弱な養母に引き取られる。そうした苛酷な生い立ちの末に医学部を卒業し医師となった経緯は語られなかったが、どれほどの努力と刻苦があったのか想像に余りある。
 印象的だったのは医師らしい「オキシトシン」というホルモンの話だった。幸せホルモンとも呼ばれ、相手の立場に立ってみる時に最もよく分泌するホルモンだという。それが炎症を抑えストレスを緩和し、生きる力となる。講演で語られたテーマは一貫して「相手の立場に立って考え、行動する」ということだったと思う。
 1948年生まれの団塊世代である。その壮絶な人生に裏付けられた本物の「思い遣り活動」が「ストップ・ザ・無縁社会」をテーマに集った聴衆の心を揺さぶった。

降圧剤減量の効果2016年09月09日

 6年前に健康診断で血圧が上153、下101という数値が判明し高血圧と診断された。最寄りのかかりつけ医で1日2錠の降圧剤を処方してもらい服用を続けた。その後、血圧は順調に下がり直近半年の平均値は132/71と70代男性の正常値146/80を大きく下回った。
 これまでならそのままにしているのだが、最近在宅ケア関係の書籍を読むにつれ投薬の副作用の懸念を気にするようになった。投薬中止とまでは言わないまでも減量という選択肢はあると思った。そこで2カ月前の処方時にかかりつけ医に2錠の処方の1錠への減量を依頼した。医師は消極的ながら2カ月後の数値によっては元に戻すことを前提に了承した。
 その後2カ月間、1日1錠の減量服用を続けた。この2カ月間の平均値は135/75という結果で多少上昇したものの依然として70代男性の正常値を大きく下回っている。昨日、錠剤処方のためかかりつけ医を訪ねプリントした集計データを見せて 結果を伝えた。もちろん錠剤服用の減量が継続されることになった。
 かかりつけ医にとっても良い経験だったのではないか。ネット社会が浸透し高齢者と言えども様々な情報を入手できる時代になった。物言わぬ患者が徐々に多くの情報を身に着けた患者になりつつある。開業医も日々研鑽が求められる。地域医療にとって身近なかかりつけ医は貴重な存在である。それだけに患者自身がかかりつけ医を育てるという姿勢で診察を受けることも必要ではあるまいか。

高齢者年齢の揺らぎ2016年09月10日

 地区民生・児童委員会の定例会があった。今回は毎年恒例の高齢者実態把握調査の実施確認が中心議題である。市の担当者から今回の実施要領についての説明があった。
 今回調査では大きな変更点があった。調査対象者を従来の65歳以上の高齢者から70歳以上の高齢者に引上げ、特に必須調査の対象を70歳以上の「独居」世帯と「高齢世帯(世帯員の全てが70歳以上)」に絞り込んだ点である。背景には調査を担当する民生委員からの高齢化に伴う対象者増についての負担増の声があったようだ。他方で60代後半の対象者の高齢者とみられることへの違和感も多いという。
 今回の変更に伴って懸念される点もある。高齢者とは何歳からかという定義に関わる問題がある。WHO等の国際機関でも日本国内の人口統計上も65歳以上が高齢者とされている。市の高齢者対策でも65歳以上を高齢者として様々な施策が講じられてきた筈だ。これまでの民生委員の高齢者実態把握調査の集計結果はそうした施策の基礎データだったのではないか。今回の変更で従来のデータや施策との整合性をどのように行うかが問われよう。他方で高齢化の進展による民生委員の負担増という現実も無視できない。民生委員のなり手がなく欠員が多い中では尚更である。
 結局、実際の調査では従来の65歳以上の対象者も引続き任意で調査するという選択肢も残された。そのため市から配布された調査リストには65歳以上の対象者が記載されている。アパート等の賃貸住宅の多い市街地などでは戸建分譲住宅中心の新興住宅街に比べて実態把握調査は困難な場合が多い。そうした地域特性に応じた対象者の選択はやむを得ないのかもしれない。超高齢社会になり高齢者の定義の見直しも必要になるかもしれない。そうした点も含めて今回の変更は受入れる他ないと思った。