最寄りの公園の見事な紅葉 ― 2025年11月11日
いつものように早朝ウオーキングの最初のスポットである最寄りの児童公園に立ち寄った。入口に来た時、思わず息を呑んだ。
公園の4分の1ほどを占める入口近くのタイルのスペースにそばのさくらや紅葉の落葉がぎっしり敷き詰められていた。そばのモミジやカエデやさくらの赤茶色や黄色い佇まいともマッチして見事な光景を生み出していた。
毎年見慣れていた筈のこの景色の美しさに初めて気づかされた。
公園の4分の1ほどを占める入口近くのタイルのスペースにそばのさくらや紅葉の落葉がぎっしり敷き詰められていた。そばのモミジやカエデやさくらの赤茶色や黄色い佇まいともマッチして見事な光景を生み出していた。
毎年見慣れていた筈のこの景色の美しさに初めて気づかされた。
紅葉の散歩道 ― 2025年11月10日
高齢ドライバーのサポートカ―限定免許という選択肢 ― 2025年11月09日
高齢者の多重交通死事故のテレビ報道で「サポートカ―限定免許」という制度があることを初めて知った。高齢者向けの安全性能の高い車種ならこの免許で運転可能という制度のようだ。免許返上前の選択肢のひとつとして推奨されている。
80歳を迎えて「免許返上」も考えないわけではないが、返上か否かの二者択一は納得がいかないという思いもある。そんな時に提示された新たな選択肢に思えた。問題はサポートカ―とは何かという点であり、該当する車種は何かという点だ。
9月にマイカーの買換えを決めたばかりだ。選択した車種はトヨタのアクアZである。早速、Copilot(AI検索)で調べると「サポートカー限定免許(通称「サポカー限定免許」)で運転できる車種は、特定の安全運転支援装置が標準装備された普通自動車に限られています。対象となる安全装置は「衝突被害軽減ブレーキ(対車両・対歩行者)」「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」で対象車種にはトヨタ・アクアも含まれていた。
自分のマイカー以外の車に乗った記憶がない。今回、サポートカ―に買換えたことで免許返上の先送りを判断できる材料となった。
80歳を迎えて「免許返上」も考えないわけではないが、返上か否かの二者択一は納得がいかないという思いもある。そんな時に提示された新たな選択肢に思えた。問題はサポートカ―とは何かという点であり、該当する車種は何かという点だ。
9月にマイカーの買換えを決めたばかりだ。選択した車種はトヨタのアクアZである。早速、Copilot(AI検索)で調べると「サポートカー限定免許(通称「サポカー限定免許」)で運転できる車種は、特定の安全運転支援装置が標準装備された普通自動車に限られています。対象となる安全装置は「衝突被害軽減ブレーキ(対車両・対歩行者)」「ペダル踏み間違い時加速抑制装置」で対象車種にはトヨタ・アクアも含まれていた。
自分のマイカー以外の車に乗った記憶がない。今回、サポートカ―に買換えたことで免許返上の先送りを判断できる材料となった。
かかりつけ病院のスピード受診 ― 2025年11月08日
10日ばかり前にかかりつけの病院で大腸内視鏡検査を受けた。今日はその結果についての担当医による診察があり病院を訪ねた。
9時30分からの予約だったが、駐車場の渋滞を考慮して9時過ぎに到着し9時10分には受付を済ませた。待合室での長い待ち時間を覚悟していたが、予想外に早く9時30分に診察室に案内された。
30代の担当医から大腸内の画像を見せられながら説明を受けた。切除した3~4mmの二つのポリープは現状では心配ないものの癌化の懸念があり切除しておいて良かったとのこと。今後とも2~3年毎に内視鏡検査を受けて下さいとの話で3分程の診察が終わった。
会計を済ませて10時前には駐車場のゲートをくぐった。1時間未満の駐車で料金不要の短さだった。良い診察結果とスピード受診に満足しながら帰路に就いた。
9時30分からの予約だったが、駐車場の渋滞を考慮して9時過ぎに到着し9時10分には受付を済ませた。待合室での長い待ち時間を覚悟していたが、予想外に早く9時30分に診察室に案内された。
30代の担当医から大腸内の画像を見せられながら説明を受けた。切除した3~4mmの二つのポリープは現状では心配ないものの癌化の懸念があり切除しておいて良かったとのこと。今後とも2~3年毎に内視鏡検査を受けて下さいとの話で3分程の診察が終わった。
会計を済ませて10時前には駐車場のゲートをくぐった。1時間未満の駐車で料金不要の短さだった。良い診察結果とスピード受診に満足しながら帰路に就いた。
以前訊ねた旧家が公民館に! ― 2025年11月07日
山口公民館文化祭の帰り道、久々に下山口の旧街道を歩いた。お旅所近くまで来た時、10数年前にお訪ねしたことがある大きな旧家が目に入った。当時は個人HP「にしのみや山口風土記」の執筆に忙しかった頃だった。
知人の紹介でその旧家のご主人から隣町の道場町の歴史についてお話を伺った。道場町出身のご主人は私より大分年配で初対面にもかかわらず気さくにお話して頂いた。話が盛上り帰り際には所蔵の「道場町誌」という冊子も頂いた。
その旧家の玄関脇に大きな木の看板が備え付けられていた。「下山口公民館」と書かれた大きな墨文字の看板だった。当然ながら表札は無くなっていた。
10数年を経て恐らくご主人は亡くなったのだろう。ご家族も亡くなったり転居され後を継ぐ人もないまま旧家は地元の公民館に衣替えされたと思われる。
10数年前の懇談を懐かしく思い起こした。
知人の紹介でその旧家のご主人から隣町の道場町の歴史についてお話を伺った。道場町出身のご主人は私より大分年配で初対面にもかかわらず気さくにお話して頂いた。話が盛上り帰り際には所蔵の「道場町誌」という冊子も頂いた。
その旧家の玄関脇に大きな木の看板が備え付けられていた。「下山口公民館」と書かれた大きな墨文字の看板だった。当然ながら表札は無くなっていた。
10数年を経て恐らくご主人は亡くなったのだろう。ご家族も亡くなったり転居され後を継ぐ人もないまま旧家は地元の公民館に衣替えされたと思われる。
10数年前の懇談を懐かしく思い起こした。
大ケヤキの紅葉 ― 2025年11月06日
山口公民館文化祭での一抹の寂しさ ― 2025年11月05日
地元住宅街の文化祭の翌日、今度は山口町全体の”山口公民館文化祭”に顔を出した。久々の訪問だった。
11時前に会場の山口センターに着いた。4階の公民館の展示会場にはシャドウボックス、陶芸、絵手紙、書道、編物、写真、公民館講座風景等の盛りだくさんの展示があった。以前は何人かの知人たちから声を掛けられていたが、今回お会いしたのは絵手紙の先生おひとりだった。
そう思ってみるとふと寂しさに襲われた。考えてみれば80歳を超えた身である。文化祭でのかつての交流の思い出は10年近く前からのものだ。自分と同じように作者の知人たちも齢を重ねている。作品作りを断念した人も少なくないのではないか。
2階のカフェコーナーでコーヒーをいただいた。スタッフは二周りは若そうなお母さんたちだった。同年代の知人たちの姿はなかった。
1階のホールではバレー・ジャズダンスの舞台が始まった。小中学生のはじけるような若さのバレーを見詰めた。
11時前に会場の山口センターに着いた。4階の公民館の展示会場にはシャドウボックス、陶芸、絵手紙、書道、編物、写真、公民館講座風景等の盛りだくさんの展示があった。以前は何人かの知人たちから声を掛けられていたが、今回お会いしたのは絵手紙の先生おひとりだった。
そう思ってみるとふと寂しさに襲われた。考えてみれば80歳を超えた身である。文化祭でのかつての交流の思い出は10年近く前からのものだ。自分と同じように作者の知人たちも齢を重ねている。作品作りを断念した人も少なくないのではないか。
2階のカフェコーナーでコーヒーをいただいた。スタッフは二周りは若そうなお母さんたちだった。同年代の知人たちの姿はなかった。
1階のホールではバレー・ジャズダンスの舞台が始まった。小中学生のはじけるような若さのバレーを見詰めた。
自治会主催の文化祭で地域交流広場を開催 ― 2025年11月04日
昨年から地元住宅街の自治会主催の文化祭に”社協地域交流広場”を出店している。今年も初日に朝10時から午後3時まで開催した。子ども広場と喫茶コーナーで構成する地域の交流広場である。
コミセンの会場には地域住民の様々の先品展示がある。絵画教室やつまみ絵や仏画などの知人の展示等を鑑賞した。10の開会で自治会長の挨拶の後、コーラスグループの演奏が始まった。この後、太鼓演奏と踊りや歌とハンドベル演奏もあった。
地域交流広場は道路を隔てて向い側の自治会館が会場である。隣接の小会議室では食育の紹介展示もある。昨年は午前中の参加者は少なかったが今年は10時過ぎから順調だった。特に子ども連れのファミリー層の来場が目についた。最終的に200名の来場者があり昨年の120名を大幅に上回った。
自治会館会場の盛況の要因のひとつに駐車場での二台のキッチンカーの出店があった。おにぎりとチュロス(棒状ドーナツ)&ポテトの販売が賑わいを添えた。
開催準備と運営に当たっては自治会役員のお母さんたちの頑張りが目についた。チラシ作成、会場設営、当日の進行等、彼女たちの頑張りが不慣れなイベント開催を支えていた。
コミセンの会場には地域住民の様々の先品展示がある。絵画教室やつまみ絵や仏画などの知人の展示等を鑑賞した。10の開会で自治会長の挨拶の後、コーラスグループの演奏が始まった。この後、太鼓演奏と踊りや歌とハンドベル演奏もあった。
地域交流広場は道路を隔てて向い側の自治会館が会場である。隣接の小会議室では食育の紹介展示もある。昨年は午前中の参加者は少なかったが今年は10時過ぎから順調だった。特に子ども連れのファミリー層の来場が目についた。最終的に200名の来場者があり昨年の120名を大幅に上回った。
自治会館会場の盛況の要因のひとつに駐車場での二台のキッチンカーの出店があった。おにぎりとチュロス(棒状ドーナツ)&ポテトの販売が賑わいを添えた。
開催準備と運営に当たっては自治会役員のお母さんたちの頑張りが目についた。チラシ作成、会場設営、当日の進行等、彼女たちの頑張りが不慣れなイベント開催を支えていた。
花ちゃんの”羽ばたく紙飛行機”の挑戦 ― 2025年11月03日
3連休の初日である。久々に大津の花ちゃん宅を訪問した。今月中旬に誕生日を迎える孫娘のプレゼントを持参するためと知人からいっぱい貰った黒枝豆のお裾分けのためだ。朝7時15分に自宅を出たが京都東IC付近の渋滞に巻き込まれて到着したのはいつもより30分遅い8時45分だった。
朝早いお出かけで早朝ウオーキングを短縮していた。歩数稼ぎを兼ねて花ちゃんを誘って最寄りの総合スーパーに出かけた。ダイソーの文房具屋や玩具に目がない花ちゃんは即座に同意した。
百均の売場では相変わらず商品選びに時間がかかる。所在投げに売り場を見て歩くと500円コーナーに薄型USBハブが目についた。現在使用中のハブはコードの付け根が折れて線が剥き出しになっている。買換え用に早速購入した。花ちゃんもようやくアイディアマーカー2本を購入した。
昼食用に花ちゃんの両親とばあちゃんが草津の人気のベーカリーに買い出しに出かけた。お留守番の花ちゃんとおしゃべりした。思いついて以前挑戦してみてできなかった「羽ばたく紙飛行機」を話題にした。スマホのユーチューブで作り方を見せるとすぐにやってみるという。10分ばかりスマホをみながら挑戦していた。なんとじいちゃんも叶わなかった紙飛行機を見事に仕上げた。さすがに羽ばたかなかったが、飛行距離は並の紙飛行機を超えていた。
12時前に母ちゃんたちが帰宅した。好みのベーコンやウインナー入りの調理パンをいっぱい買い込んでいた。おなかいっぱいの昼食を済ませしばらく寛いで2時45分に帰路に就いた。
朝早いお出かけで早朝ウオーキングを短縮していた。歩数稼ぎを兼ねて花ちゃんを誘って最寄りの総合スーパーに出かけた。ダイソーの文房具屋や玩具に目がない花ちゃんは即座に同意した。
百均の売場では相変わらず商品選びに時間がかかる。所在投げに売り場を見て歩くと500円コーナーに薄型USBハブが目についた。現在使用中のハブはコードの付け根が折れて線が剥き出しになっている。買換え用に早速購入した。花ちゃんもようやくアイディアマーカー2本を購入した。
昼食用に花ちゃんの両親とばあちゃんが草津の人気のベーカリーに買い出しに出かけた。お留守番の花ちゃんとおしゃべりした。思いついて以前挑戦してみてできなかった「羽ばたく紙飛行機」を話題にした。スマホのユーチューブで作り方を見せるとすぐにやってみるという。10分ばかりスマホをみながら挑戦していた。なんとじいちゃんも叶わなかった紙飛行機を見事に仕上げた。さすがに羽ばたかなかったが、飛行距離は並の紙飛行機を超えていた。
12時前に母ちゃんたちが帰宅した。好みのベーコンやウインナー入りの調理パンをいっぱい買い込んでいた。おなかいっぱいの昼食を済ませしばらく寛いで2時45分に帰路に就いた。
へっぴり腰で”川柳”のてなぐさみ ― 2025年11月02日
かねてから川柳に興味があった。新聞などで掲載されているとついつい目にとめる。人生で初めて捻った川柳がある。10年ほど前に生まれて間もない初孫花ちゃんとのふれあいを詠んだものだ。
●初孫の 抱っこの数だけ 募る愛しさ
●ハイハイで 顔に跨る 傍若無人
以来10年を経て傘寿(80歳)を迎えての感慨を3句詠んだ。
●心身の 衰えぼやく 傘寿かな
80前後になってとみに心身の衰えが身に沁みるようになった。
●傘寿とて 浮世のしがらみ 距離を置く
リタイヤ後にも様々な地域活動に関わり、応分の役職もこなしてきた。ところが80を超えるとさすがに煩わしさやしがらみのうっとおしさが募り始めた。いよいよ浮世のしがらみとも距離を置くしかないと思い始めた。
●傘寿超え おまけの人生 存分に
双子の弟が1年前に78歳で亡くなった。一卵性双生児だけにかなり堪えた。逆に78歳以降は”おまけの人生”のようにも思えた。それだけに心身の衰えを受止め、しがらみを絶って思い通りの余生を存分に過ごそうという気分も訪れた。
●初孫の 抱っこの数だけ 募る愛しさ
●ハイハイで 顔に跨る 傍若無人
以来10年を経て傘寿(80歳)を迎えての感慨を3句詠んだ。
●心身の 衰えぼやく 傘寿かな
80前後になってとみに心身の衰えが身に沁みるようになった。
●傘寿とて 浮世のしがらみ 距離を置く
リタイヤ後にも様々な地域活動に関わり、応分の役職もこなしてきた。ところが80を超えるとさすがに煩わしさやしがらみのうっとおしさが募り始めた。いよいよ浮世のしがらみとも距離を置くしかないと思い始めた。
●傘寿超え おまけの人生 存分に
双子の弟が1年前に78歳で亡くなった。一卵性双生児だけにかなり堪えた。逆に78歳以降は”おまけの人生”のようにも思えた。それだけに心身の衰えを受止め、しがらみを絶って思い通りの余生を存分に過ごそうという気分も訪れた。





最近のコメント