めしや食堂の昼食懇親会2020年12月18日

 一か月ほど前にこのブログで「お年寄りのつどい場”めしや食堂”」と題した記事を書いた。月2回の夕方に住宅街のお年寄りたちが住宅街入り口にあるこの食堂でビールを味わいながらテーブルごとに食事をされている様子を綴った。そのつどい場がコロナ感染が拡大し今月から休止になった。
 前回お誘いして一緒に出掛けた同じ町内のオヤジ会メンバーに声をかけて一カ月ぶりに昼食懇親の場を持った。彼は昼から会議の予定があり車で出かけるとのことだったが、予定のない私は生ビールを味わいながらの昼食だった。
 このところ地域活動での様々な厄介事を抱えてストレス気味だった。直接のかかわりのない気の置けない友人との屈託のないおしゃべりをしながらの1時間半ばかりの懇親会だった。たまにはこうした息抜きが必要だと実感した。

知人の「ミニ・自分史」2020年12月11日

 知人から「ミニ・自分史」と題された小冊子を贈ってもらった。私の20代半ばの頃からの50年にも及ぶお付き合いのある方である。同じ流通業界に身を置き、ともに労組役員として共通の労働団体に属して交流した仲間でもある。
 B5版全9頁の”人生3度の挫折を糧にして”と題された小冊子は、80年余りの人生の足跡が端的に綴られていた。戦時下の生立ち、挫折の青年期、大学生協時代、労組活動と現役生活、リタイヤ後の地域福祉のボランティア活動、現在の心境と続く波瀾万丈の人生の描写である。
 今春自費出版した私の自叙伝もお届けした方で、過去8冊もの出版物発行の実績がある。7歳年上の先輩であるが、この冊子を読了してあらためて人生の軌跡の私との共通の重なりを感じさせられた。労組活動やリタイヤ後のボランティアといった活動面だけでなく社会との関りのスタンスの共通性である。
 人生の晩年を迎えて冷静に自身を見詰め直す真摯な営みが、共感とリスペクトをもたらした。

GoToEatとご近所づきあい2020年11月18日

 ご近所の家内の仲良し女子たちの間でGoToEatの話題で盛り上がったという。中にスマホやネット情報に明るいおばさんが早速お得なキャンペーンに応募して一緒に利用することになった。くら寿司と流れ寿司・音羽の二店舗の予約ができたようだ。くら寿司の方は女子だけで行ってきた。流れ寿司はさすがに亭主たちにも声掛けすることになったようだ。
 そんな経過でご近所さん夫婦4組で流れ寿司に出かけた。8人相席は無理なので通路を挟んで4人ずつでテーブルを囲んだ。
GoToEatがもたらした1時間半ほどの久々の亭主同伴のご近所づきあいだった。

墓参とアナゴ弁当2020年09月15日

 毎年6月、8月、9月には姫路・名古山霊園にある実家の墓参りに詣でるのが慣わしである。今回も9月お彼岸でお参りした。1か月前の墓参で供花は枯れているものの墓地周辺の雑草はほとんど目につかない。お参りを済ませて霊園を後にした。
 山陽電車の亀山駅近くの飾磨街道いに幸田精肉店がある。その隣町にあった郷里の実家で暮らしていた頃には揚げたてコロッケがお気に入りだったお店である。今は家内の墓参帰りのご近所さんへの格好のお土産になっている。
 コロッケを買い求めた後、加古川の弟宅に向った。毎年9月の墓参の後には昼食を共にした懇親の場を設けることが恒例になっている。11時半に弟宅を訪問して食卓を囲んだ。今回は私のリクエストで播磨名物の焼きアナゴを準備してもらった。最寄りの老舗アナゴ料理店・下村商店のお弁当が食卓に並んだ。食べきれないほどのボリュウムたっぷりの美味しいアナゴ弁当を囲みながら歓談した。
 今回の私たち兄弟の共通の話題は自分史出版である。双子の兄弟ということもあってか古稀を迎えた頃から二人とも自分史執筆に意欲を燃やした。事前にそうした話題を一切しなかったが気がつけば二人ともその構想を温めていたことが分かった。
 今年3月末に、一足早く私の自叙伝を自費出版した。病を抱えながらの執筆である弟の方はまだ8割方の進捗のようだ。完璧さにこだわる執筆姿勢が予想以上に時間を要しているようだ。自分史という共通項をテーマに久々に長時間の突っ込んだ兄弟の歓談となった。

高井良純氏の訃報2020年09月05日

 山口支所長から市民ミュージカル劇団「希望」代表・高井良純氏の訃報連絡が届いた。88歳の高齢ながらつい最近まで元気そうな近況を耳にしていた。急逝とも思われる訃報だった。
 2011年2月の劇団「希望」後援会設立準備から2015年4月の後援会解散に至るまでの4年間を、市民ミュージカル劇団の支援という共通項で濃い交遊を重ねた方だった。宝塚歌劇団作曲家を経て日本ミュージカル研究会・劇団JMAの主宰として多くのミュージカルを演出された著名人だった。
 高井氏のいかにも芸術家風の作品ありきのスタンスは、後援会事務局長だった私と後援会活動の在り方を巡って、しばしば意見を異にし、激論を交わすことになった。結果的に劇団希望の集大成の公演だった創作ミュージカル・有間皇子物語の公演を成功裏に終えた後、私は後援会活動から身を引くことになった。
 以来5年が経過した。この間、毎年1月の地区社協のふれあい交流会に出席頂いた高井氏と顔を合わせ挨拶を交わす程度のお付き合いだった。それでも私にとっては強烈な印象の残る交遊だったことは否定できない。訃報に接しあらためて冥福をお祈りした。

高校の旧友G君の訃報2020年08月17日

 お昼前の携帯コール音は、旧友G君の訃報を告げるものだった。共通の友人K君から伝えられた訃報は、それ以前にもたらされていたG君の膵臓癌という重篤な病の情報の果てに訪れたものだった。それだけにこみ上げる熱いものを冷静に受け止めさせた。
 G君は高校時代と、現役時代のプチ同窓会で交遊を深めた友人だった。とりわけ同じ高校の級友にして直木賞作家の車谷長吉氏を巡る関わりでは思い出深い交遊があった。http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/kurumatani.htm 私の自叙伝にも何度か登場してもらった友人でもある。
 今も年1回の定期的な交遊を続けているK君は浄土真宗の菩提寺の檀家総代を努め信仰心が厚い。浄土真宗の寺院の住職であるG君とは、そうした仏縁もあって卒業後も継続した交遊が続いていたようだ。コロナ過で思うに任せないG君の祭式に辛うじて関われたという。棺に眠るG君のようすを「仏の顔をして眠っていた」と告げてくれた。
 後期高齢者を迎えたばかりの同級生たちの別れの消息を告げられる機会ばかりが増えていく。

ご近所の奥さんの自叙伝?2020年06月21日

 家内のご近所の奥さん宅でのおしゃべりで私の自叙伝出版が話題になったようだ。10数年前に自身も著作を出版されていた奥さんは、私の自叙伝を読んでみたいとのことでお渡しした。併せて出版された著作「風と光のワルツ」を頂いた。
 出版社から出版された著作を早速読んでみた。年代こそ開きはないものの著作を通じて性別、生い立ち、生活ぶり、趣味、関心事等の違いの大きさを痛感した。
 3つの章からなる26の文節で構成された90頁ほどの作品である。内容は作者の関心や志向の赴くままに辿った思考の遍歴を綴ったものである。思考や意識の自叙伝ともいうべき著作である。ご主人の事業の経理全般を担当する実業家であり、ピアノ教師でもある。
 幼児の頃の鳥になって大空をかけめぐりたいという夢から始まって、美しい音を探す旅を通してピアノとショパンとの出会い、そしてテニスや気功との出会いと続く。気功を通して辿り着いたクリスタルボウルの世界の感動が想いを込めて語られる。
 そのどれもがかつて私が関心を寄せたことのない分野である。どちらかといえば苦手で距離を置きたかった分野である。この著作を読むまでは全く知らなかった数々が事柄を知った。だからと言って共感したわけではない。ただ世の中には情熱を注ぎ傾倒するに値するこうした分野があることを学んだ。自分との違いの大きさを受入れ理解できたことが大きな収穫と言える。

出身企業労組の結成期の資料2020年04月05日

 出身企業の労組が結成50周年を迎えた。結成の中心的な役割を担い初代書記長や3代目委員長にも就任した。そんな背景から昨年9月の記念式典では記念講演を行った。また先月、労組結成50年史発刊に向けて寄稿文を依頼された。
 寄稿文執筆の過程で、我が家の書棚に埋もれていた労組結成期の重要な資料を見つけた。「労組結成趣意書」と「労組結成大会基調報告の原稿」である。趣意書は私が草稿を起案し、基調報告は私自身が行ったことから私の手許に1その原稿が残されていたとしても不思議でない。50年という節目の年史掲載にふさわしいと思えたので、発行責任者である労組委員長にその旨打診した。「ぜひ提供してほしい」とのこと。
 その際、委員長から会社と労組の近況を訊いた。コロナ蔓延で企業現場は非常事態である。相次ぐ予期せぬ事態への対応が追われている。労組50周年記念事業の実施もおぼつかないようだ。歴史的な未曽有の事態に直面している現役世代の苦労を想った。

旧友との隠れ家風・老舗料亭の鴨料理のひと時2020年03月24日

 年1回旧交を温めている高校時代の級友K君から鴨料理のお誘いがあった。ちょうど出来上ったばかりの自叙伝を渡せるいい機会でもあり、即座にお誘いを受けることにした。
 何度か利用したK君お勧めのお目当ての料理店は何とも豪勢なお店のようだ。播摩内陸部の小野市にある山水荘という料亭である。元日銀総裁の別荘だった豪勢な屋敷で冬場のこの時期は天然真鴨の鍋料理を味わうという贅沢な趣向のようだ。
 辺鄙な場所ながら神戸電鉄沿線の粟生線・粟生駅から徒歩でも行ける場所だった。神戸電鉄最寄駅から鈴蘭台で粟生線に乗り換え50分余りで粟生駅に到着。JR加古川線粟生駅との合同駅だった。駅から南に向かって10数分歩いて途中でK君と合流し彼の車で山水荘に向かった。
 播磨平野の一角の低い小さな丘の中に林に包まれた築後100年の立派な武家屋敷風の建物があった。玄関先で女将さんが迎えてくれる。奥まった一室に案内された。主の居間だったという部屋は高い天井と床の間に大きな掛け軸のある部屋だった。
 女将さんの巧みな口上と調理で鴨鍋が煮炊きされ、二人の取り皿に次々に取り分けられる。盛り皿に回りを赤身の鴨肉が囲みその中にすり身のツクネが盛られている。このツクネの食感がなんとも言えない。よくしまった赤身もコリコリと歯ごたえがある。鴨肉が醸し出す出汁味がまた絶妙で、最後に頂いた雑炊の味は逸品だった。
 鴨鍋を味わいながら持参の自叙伝をネタに二人でじっくり歓談した。K君との交遊録や共通の級友である今は亡き直木賞作家・車谷長吉氏の話題に花が咲いた。
 2時間余りを過ごしたところで帰路の電車の時間が近づいた。なにしろ私鉄ローカル線の本数は1時間に1本である。女将さんに見送られて山水荘を後にした。K君の車で駅まで送ってもらい16時前には帰宅した。
 50年来の旧友との隠れ家的な老舗料亭の味わい深い鴨料理で非日常のひと時を過ごした。

中学校同窓会の存続は?2020年02月16日

 中学校同窓会に出かけた。会場のJR姫路駅の手前の加古川東駅で下車した。同級生でもある弟の住まいの最寄り駅である。改札口の前のベンチでは先に着いた車椅子の弟と級友二人が歓談していた。級友のひとりは今日の同窓会出席ではるばる沖縄からの駆けつけた人で、中学時代に弟ととりわけ懇意だった人だ。歩行が不自由で同窓会出席が叶わない弟に開催前に会っておきたいとの意向もあっての途中下車の歓談となった。私ともうひとりの級友も同席した。最寄りの喫茶店に席を移して1時間余り4人で旧交を温めた。
 姫路駅前11時半発の送迎バスに乗車し会場の市役所西側の「北京閣・別館」に着いた。女性幹事たちが待ち受ける宴席会場前で受付を済ませ資料を受け取る。懐かしい顔ぶれとの挨拶を交し合ったり、資料の進行表、出席者名簿、欠席者のコメントを読みながら開宴を待った。出席者は40名で前回の約半分で、男女別にはほぼ半々である。物故者や体調不良による欠席者増は避けがたい。
 司会者挨拶と乾杯の後、出席多数で前回できなかった出席者近況報告が始まった。何人かの女性陣や少数の男性からは配偶者の死亡が語られた。ひとりの級友は車椅子での参加だったし、体調が思わしくない中での日常を語る声も多い。反面で今尚現役で仕事をしたり、ボランティア活動や趣味のサークルに忙しい毎日を送っているという級友もまた多い。74歳の悲喜こもごもの近況が1時間ばかり語られた。
 その後は、5つつの円卓を離れて自由な歓談となった。前回は卒業年次のクラス別配置だったが、今回はクジ引きによる配置だった。そこで卒業年次のクラス仲間を中心に次々と円卓を巡り旧交を懐かしんだ。
 2時半頃に予定より30分ほど繰り上げてお開きを迎えた。幹事役から今回の同窓会で最後としたい旨の閉会の辞が告げられた。会場からは存続を望む声も相次いだ。とはいえ高齢になった会の幹事役の事前事後の準備の苦労や参加者数の減少も考えれば無理を言えないのも現実だ。故郷を遠く離れ、幹事役を免れた身には発言権は弱い。後期高齢者目前の中学同窓会の存続は微妙である。
 東加古川で一緒だった三人が、二次会をパスして送迎バスで姫路駅まで送られ、3時前の新快速電車で帰路についた。