老人会の新年互礼会2017年01月19日

 所属している老人会の新年互礼会に参加した。住宅街の丁目毎に組織された老人会の互礼会である。参加者はご近所の面識のある方ばかりだ。10時半に最寄りの公園前に集合し21名の参加者を乗せて会場の送迎バスが出発した。
 約30分で到着した会場は六甲山系のひとつである社家郷山に建つ「六甲保養荘」である。さくらやまなみバスで南部を往復した時かならず停車する「かぶとやま荘」停留所前にある。いつも車中から眺めるだけだった建物に初めて入館した。ちなみに「かぶとやま荘」はバスロータリーの北の山側のすぐ上に建っている。
 昼食会場に荷物を置いて食事前の入浴に向かった。温泉浴場に入った途端に目にした窓越しから望む絶景に目を見張った。目前の甲山の全貌を包むように六甲山系の山並みが広がっている。山並みの向こうには西宮の町並みが望める。絶景を愉しみながらたっぷり温泉に浸かった。
 12時から互礼会が始まった。舞台付の宴会場の左右のテーブル席にちょうど半々の男女が着席した。会長の挨拶のあとの乾杯で入浴直後の美味しいビールにようやくありついた。鴨のひとり鍋、天ぷら、お刺身などの和定食を肴にご近所さんたちと歓談しながらグラスを重ねた。
 1時からは恒例のカラオケタイムである。たっぷり2時間参加者たちの自慢の持ち歌が披露された。今や老人会の催しにはカラオケは欠かせない。自分が主役になれる貴重なひと時なのだろう。最後に舞台前で集合写真に納まって互礼会がお開きとなった。送迎バスが予定時刻の3時半には出発地に到着しほろ酔い気分で降り立った。

乙川勇三郎著「逍遙の季節」2017年01月18日

 昨年の6月以降、読書は好きな歴史小説・時代小説を断って、直面している介護・医療・認知症関連の専門書に絞った。以来12冊の書籍を読了した。この読書を通じて自分なりのこの分野での基礎的な知識と基本的なスタンスを学んだ。この分野の次の読みたい書籍は見当たらず、再び蔵書の中の時代小説の再読に戻ることにした。
 その最初のチョイスが乙川勇三郎の「逍遙の季節」だった。どちらかと言えば藤沢周平風の穏やかで静謐な世界に浸りたい気分だった。ところが藤沢周平の著作はほとんど再読済みである。同じような作風のお好みの作家が乙川勇三郎だった。書棚の中から比較的記憶に薄い作品として「逍遙の季節」を手に取った。
 三絃、蒔絵、茶道、画工、根付、糸染め、雛細工、髪結い、活け花、舞踊といった工芸の世界を題材とした七篇の短編集である。芸を恃みに生きる江戸の女たちの物語である。作者のそれぞれの分野の造詣の深さに驚かされる。それぞれの物語の中に芸と人との葛藤が描かれる。読み継ぎながらひと時をそうした世界に浸れるのも作者の卓越した文章力の故だろう。現役作家としては乙川勇三郎はもっとも魅かれる作家に違いない。

寒風の中の塩田八幡初詣で2017年01月17日

 先日の午前中、家内と一緒に塩田八幡宮に参拝した。大分以前に自宅から5kmほどの道のりを1時間以上かけて歩いて訪ねたことがある。今はもうその元気はない。マイカーで途中まで行ってそこから歩いて訪ねることにした。そのための格好のスポットがあった。家内が毎週のように通っている道場町塩田の「うれしおトマト」の販売店である。
 田圃の真ん中に建てられたプレハブの販売店に到着した。いつものお気に入りのトマトを購入し、駐車のお願いをして10時40分に出発した。寒波が到来した日だった。お天気こそよかったが、向かい風の寒風が全身を吹き抜けた。身をかがめながら20分ばかり歩いてようやく塩田八幡の鳥居をくぐった。
 膝を痛めて階段の上り下りが辛くなっている家内に付き合って坂道の参道を上った。土曜日のお昼前ながら本殿前の境内に参拝客の姿は予想以上に少ない。拝殿前には行列を整理するロープが張られていた。4日後に催される「厄除けまつり」の準備の案内が今日の参拝客の少なさの理由を教えてくれた。
 並ぶこともなく拝殿前に立った時、ちょっとした狼狽を覚えた。「今、自分は何を祈るのだろう?」と。神社仏閣での参拝とは、自身の「今この時の願い」を問い直す営みだったのだとあらためて想った。瞬時に今の願いを想念して首を垂れた。

二日続きの降雪の散歩道2017年01月16日

 朝7時前である。玄関ドアを開けると昨日と同じように雪景色が広がっていた。門扉を結ぶ階段は二日続きの降雪で凍結の気配がある。壁に手を添えて恐る恐る道路に出た。
 昨日歩いた有馬川の土手道も凍結の懸念がある。古希を越えた身には転倒は何よりも避けなければならない。コースを変えて山口町名来の旧集落を歩いた。
 集落の真ん中を抜ける旧街道沿いに二つの公園がある。名来公園と廿日田公園である。二つの公園の見慣れた筈の景色が一変している。真っ白なグランドに雪で縁どられたさくら並木や遊具やベンチが幻想的な姿を生み出していた。曇り空の明けきらないきらない早朝の薄闇みに「雪灯り」を実感した。

久々の雪景色の散歩道2017年01月15日

 昨日から寒波来襲である。昨晩から久々に雪も降っていた。早朝6時半、万全の防寒具に身を包み玄関をでた。まだ薄暗い住宅街の真っ白な路面には街灯に照らされた二三本のタイヤ痕が浮かんでいた。久々の雪景色には心躍ろされるものがある。
 住宅街を抜けて有馬川堤に出た。こちらの路面はさすがに純白のベールに覆われて人の痕跡は何もない。時とともに明るさを滲ませてきた白紙のキャンパスに私の足跡だけが刻印を記していく。カシャカシャと記される刻印にときめいた。
 中国道のガード下を潜り抜けた先で、薄暮から抜け出した別世界のような光景を目にした。一面の広々とした景観が雪化粧を纏って広がっている。有馬川と田圃に挟まれた土手道が、雪に覆われて太くて鮮やかなペイント状に描かれている。その先の愛宕橋袂には見事な枝張りの古木が立っている。黒い骨しかない古木が白亜の風景の中でひときわ存在感を誇示していた。対岸の国道沿いに建ち並んだ店舗の灯りが雪景色に吸収されるように輝きを失くそうとしていた。
 スマホ用手袋に指先をかじかませながら雪景色の散歩道を歩いた。

コープこうべの電力小売事業着手2017年01月14日

 先日、コープ委員会に出席した。議題の中でコープこうべが始めた電力小売り事業に関心を持った。
 配布された4月スタートの「コープでんき」の案内チラシの①おトク「料金がお得に」②こだわり「みらい想いの電源を選びました」③あんしん「手続きは簡単!」の三つのポイントの説明があった。②の「みらい想いの電源を選びました」については、「太陽光やバイオマス発電の再生可能エネルギー(30%)と天然ガス(70%)の電気を届けます」という説明である。
 コープが電力小売り事業に参入すると聞いて一瞬「エッ」と思ったが、すぐに「ナルホド」と納得した。原発に依存しない電力の提供はいかにもコープだからできるコープらしい事業だろう。原発に依存した電力使用には多くの電力消費者は抵抗がある筈だ。ところが現実には他に選択肢がないため原発電源も含めた電力使用に甘んじている。そんな時に原発に依存しない電力が手軽にリーズナブルに販売されれば有力な選択肢となる。
 「原発No」は国民の多数派である。にもかかわらずその意思を表明できる機会や手段は限られている。消費電力の選択という形でその想いが表明できれば多くの消費者の潜在的ニーズを掘り起こすことになる。とはいえコープのアナウンスの仕方には疑問を抱いた。アピールポイントは②の電源のこだわりが第一であるべきだ。その上で「原発に依存しない電力」という商品特性を強く打ち出すべきだ。チラシには「原発」の文字はどこにもなく、どこか及び腰である。新規参入する電力業界での様々な事情や思惑や配慮があるのかもしれない。それでもやっぱり気になる点だった。

社協分区の年頭挨拶「〇に近い△という選択」2017年01月13日

 10日の夜、社協分区の今年初めての役員会があった。冒頭の分区長挨拶では次のような年頭所感を述べた。

 昨年は、国際的な大きな二つの出来事があった。イギリスのEU離脱とアメリカのトランプ大統領当選だ。二つの出来事は「自国主義」と「二者択一の選択」という点で共通している。自国主義は難民や移民の排除を招き、二者択一は他方の否定という分断を生みだしかねない。その意味でこの二点は深刻な不安を孕んでいる。この問題を地区コミュニティの今後の在り方に置き換えて考えてみたい。
 超高齢社会を迎えて住民どうしが支え合いながら暮らす上で地区コミュニティの役割は大きい。とりわけ団塊世代のウェイトが高いこの地区では2025年問題等の高齢化対応は深刻で重大なテーマであり、コミュニティの一層の強化が求められている。
 ところが現実にはコミュニティ機能が弱体化する懸念がある。地区を支える自治会や社協、青愛協、老人会、子ども会などの組織で会員の退会や役員の欠員等の問題が深刻化しつつある。その背景として「会費や役割分担をしたくない」「会員のメリットがない」等の個人主義的な理由があげられる。それは「役員を受けるか会員を辞めるか」といった「二者択一」の選択となり一気に退会ということにつながりやすい。それは退会者や非会員に対し行事参加やサービス提供を拒む傾向につながり、地域での排他的な風潮を生みだしかねない。
 地域の全住民の福祉支援を目的とした社協は、しっかりしたコミュニティが活動の基盤である。多様な考え方を受入れながら共存していける風土が欠かせない。そのためにも「排除」でなく「包み込み」という姿勢を大切にしたい。重要な決定に当たっても可能な限り二者択一でない選択肢を考えたい。〇か×でなく、幾つもの〇に近い△があるが筈だ。例えば「役員を受けなくても会員を続けられる条件を考えること」で〇に近い△という選択肢がある筈だ。「多様性を認め合うこと」「意見の違いを包み込むこと」「多様な選択肢を提案できること」。これを年頭の所感として肝に銘じたい。

花ちゃんが歩いた!2017年01月12日

 一昨日の夜、クラウドサービスで娘夫婦から嬉しい動画が配信された。初孫花ちゃんがとうとう歩いたのだ。その様子が見事に動画で捉えられていた。
 右手で食卓の脚に掴まっていた花ちゃんが、いつものように「アッツアッ」と口にしながら左手で前方を指さしている。その後がいつもと違った。左足を一歩踏み出したかと思うと右足もそっと引き寄せた。そのままかに歩きで二三歩進んだ後、やおら右足を前に運びすんなりと前進歩行に移った。そしてそのまま6歩ほどペタンペタンと歩いた。その間は、ドヤ顔ふうに笑顔を見せて余裕たっぷりだ。10歩余り歩いた後、父ちゃんの前でバッタリ手を着いた。「スゴ~イ、スゴ~イ」と両親の驚きと喜びの音声が伝わる。
 三連休最後の日だったようだ。保育園通いの花ちゃんが久々に両親とたっぷり過ごした後の場面だった。昼間に5歩ばかり歩くのを目撃していた親たちが、夕食後にカメラを構えてスタンバイしていた。すると見事に花ちゃんが期待に応えてくれたという。生後1年2カ月のごく一般的な時期での快挙だった。
 次に会った時には花ちゃんの歩く姿を生で見られるだろう。4月末のゴールデンウィークの帰省まで待つほかないのだろうか。

”まじくるかいご楽快”のエッセンス2017年01月11日

 ”まじくるかいご楽快”に参加して数々のヒントや貴重な情報を得た。以下そのエッセンスを記しておきたい。
 三好春樹・生活リハビリ研究所代表の講演では、認知症ケアについて赤ちゃんの育児をするような姿勢が必要との指摘に共感した。高齢になり認知機能が衰えているかにみえるがそれは「退行」でなく「回帰」ではないか。泣いたり暴れたりオムツのお世話になったりするのは赤ちゃんと同じ。赤ちゃんを育てるように一緒に食事し排せつを介助し入浴するすることで多くのトラブルが解消される。
 上田諭・日本医科大学精神神経科医師の「認知症をすすんで迎える社会に」と題する講演の「認知症は食い止めるものでなく受け止めるもの」「治さなくていい 治らないのが認知症」という指摘はドクターの発言だけに説得力があった。
 NPO法人メイアイヘルプユー事務局長の鳥海房江さんからは介護ロボット導入についての問題点が指摘された。「介護側の都合に合わせた道具になっていないか」「利用者の気持はどうなのか」「身体拘束や虐待につながらないか」「問題行動を促進してしまう懸念がある」等々。
 託老所あんき代表の中矢明美さんからは介護現場の生の実践的な報告があった。「介護現場の専門化やパーツ化が進行している。人を見ないで部分しか見ない介護が心配」「手当て(ぬくもりを伝える)こそが大切」「死期の迫った母の耳元で『今晩逝けよ!』と繰り返しながら看取った」「介護や看取りは子や孫に老いや死という命の現実を伝えること」「好きな物を好きな時にすきなだけ」等々。
 長尾和弘・長尾クリニック院長からは施設介護の問題事例についての指摘があった。「誤嚥を恐れて口からの食事を避け胃ろうに走る」「見守ることができずにバイタルチェック(機器による計測)に頼る」「異常や病気を見つけることにこだわる」「薬に頼りすぎる」「介護職よ!医療に追随するな」等々。
 最後のぶっちゃけトークでは二人の介護家族の事例報告が印象的だった。介護という現実に無知なままに対応したことの後悔が率直に語られた。「父の介護を任せていた母親がひとりで抱え込み、介護が荒れて夫婦の亀裂に。行き場をなくし精神病院の隔離室に。投薬と拘束しかない選択肢の貧困。病院が本人を別人格化してしまう。始まりは救急車」「介護者の経験値を上げることの大切さ」「介護の要はケアマネ。良いケアマネ選び」「経験の少ない若いケアマネとの出会い。一緒に学び育とうと腹を決めた」。
 
 ”まじくるかいご楽快”の主催者たちのスタンスは明快である。医療や介護を専門家に任せきりにせず徹底して介護者と本人の立場に立って向き合う。人が人らしく介護され看取られることにこだわる。そのために異業種、多職種の多くの人と交わり、情報や経験を共有し合う。それは時に過激な発言にも見えたりして、既存の管理型介護を信奉する人たちとの軋轢を生んでいるようだ。それでも通常の介護に限界や疑問を持つ多くの介護者たちには救いとなっている。「在宅ケア」が中心テーマになりつつある福祉ネットにとっても貴重な情報吸収の場だった。

かいご楽快の壮大な挑戦2017年01月10日

 昨日の丸一日を西宮市中心部のアミティホールで過ごした。昨年所用で参加できなかった「まじくるかいご楽快」を今年は参加した。主催は「NPO法人・つどい場さくらちゃん」と「医療法人・長尾クリニック」で、西宮市社協が共催している。毎年この時期に開催されている介護に関わる講演とパネル討論の大規模なイベントである。主催者によれば全国から600人ほどの参加者があったとのことだ。大勢のボランティアスタッフが会場案内、舞台運営などを担っている。イベント終了後には最寄りの料理店で定員100名の懇親会も予定されている。
 イベントは3部構成だった。第1部「ぼけたらあかんのん」は認知症に関わる介護と医療の二人の専門家による講演である。昼食タイムには長尾クリニック院長の歌をまじえたトークショーが催された。第2部「”今”ってどうなん」は施設、家族、介護の「今」をそれぞれのスペシャリストたちが報告する。第4部「ぶっちゃけトーク」は先の登壇者に介護専門職と二人の介護家族を加えた9名による認知症ケアや介護の在り方についてのパネル討論だった。
 主催者の企画力、組織力、構成力がいかんなく発揮されていた。認知症ケアや高齢者介護が社会的にも注目され多くの関係者が手探りしながら対応を模索している。行政、医療、介護の実態は当事者たちの想いとかけ離れ関係者たちには苛酷な現実が待っている。主催者はそんな現実を真正面い受け止め、あるべき姿について真っ向から提起する。「かいご楽快」の壮大な挑戦は、超高齢社会の地域福祉の在り方に貴重なヒントをもたらしている。
 講演やパネル討論の内容については別途記事にしたい。