卒業後初めての社協イベントに参加 ― 2026年05月14日
児童公園で遊ぶ子どもたち ― 2026年04月23日
日曜日の12時前だった。地区社協の総会を終えて歩いて帰宅中だった。自宅近くの児童公園にさしかかった。子どもたちの元気いっぱいの話し声が聞こえた。ブランコの周辺で女の子たちが、真ん中の広場で男の子たちが遊んでいた。
日曜のお昼ごろに通りかかることは稀な場所だった。分譲開始後50年近くを経た成熟した住宅街である。少子高齢化の進行も顕著である。子どもたちがまとまって遊ぶ姿を見るのも稀だった。我が街にもこんなに子どもがいるんだと思った。
終えたばかりの31回目の地区社協で10年間担った会長職を辞した。80歳の退任はセカンドライフの区切りでもあった。目にした子供たちとの70年ばかりの年齢差を想った。朝日と夕日のコントラストを連想した。
日曜のお昼ごろに通りかかることは稀な場所だった。分譲開始後50年近くを経た成熟した住宅街である。少子高齢化の進行も顕著である。子どもたちがまとまって遊ぶ姿を見るのも稀だった。我が街にもこんなに子どもがいるんだと思った。
終えたばかりの31回目の地区社協で10年間担った会長職を辞した。80歳の退任はセカンドライフの区切りでもあった。目にした子供たちとの70年ばかりの年齢差を想った。朝日と夕日のコントラストを連想した。
コロナ禍後の中学校入学式の簡素化 ― 2026年04月16日
地元中学校の入学式に参列した。地区社協会長であり、学校運営協議会委員としての来賓出席だった。間もなくその双方の役職を退任するので最後の公的活動である。会場の保護者席には新入生の人数の倍近い保護者が席を埋めていた。少子化が新入生の晴れ舞台に寄せる
両親祖父母の想いに拍車をかけている。
開会15分前に会場の体育館の来賓席の一角に着席した。10時ちょうどに新入生116名がクラスごとに入場した。国家斉唱の後、新入生ひとりひとりの名前が読み上げられて紹介された。もうひとりの晴れ舞台の主人公である校長の思い入れたっぷりの式辞が述べられた。
続いて来賓紹介があった。学校運営協議会委員長とPTA会長が指名され挨拶はなく祝福の言葉だけが添えられた。その他の来賓は名前を紹介されることもない。祝詞・祝電披露も市長の祝詞の代読だけである。
新入生代表の女子生徒から「誓いの言葉」が述べられた。その中で「私たちの小学校の入学式はコロナ禍の緊急事態宣言中で屋外での簡素な式でした」という言葉に注目した。続いて在校生代表の「祝いの言葉」の後、校歌を斉唱して式典が終了した。開会から閉会迄僅か40分という思い切り簡素化された入学式だった。
誓いの言葉にあったコロナ禍の波紋を痛感した。この時を境に様々のイベントや式典や行事の見直しが始まった。無意味なセレモニーが実質本位に圧縮された。まるで「黒船」のようにコロナが前例主義の日本の風土に風穴を開けたようだった。
両親祖父母の想いに拍車をかけている。
開会15分前に会場の体育館の来賓席の一角に着席した。10時ちょうどに新入生116名がクラスごとに入場した。国家斉唱の後、新入生ひとりひとりの名前が読み上げられて紹介された。もうひとりの晴れ舞台の主人公である校長の思い入れたっぷりの式辞が述べられた。
続いて来賓紹介があった。学校運営協議会委員長とPTA会長が指名され挨拶はなく祝福の言葉だけが添えられた。その他の来賓は名前を紹介されることもない。祝詞・祝電披露も市長の祝詞の代読だけである。
新入生代表の女子生徒から「誓いの言葉」が述べられた。その中で「私たちの小学校の入学式はコロナ禍の緊急事態宣言中で屋外での簡素な式でした」という言葉に注目した。続いて在校生代表の「祝いの言葉」の後、校歌を斉唱して式典が終了した。開会から閉会迄僅か40分という思い切り簡素化された入学式だった。
誓いの言葉にあったコロナ禍の波紋を痛感した。この時を境に様々のイベントや式典や行事の見直しが始まった。無意味なセレモニーが実質本位に圧縮された。まるで「黒船」のようにコロナが前例主義の日本の風土に風穴を開けたようだった。
自治会総会で「街の歩み」の発信が求められた ― 2026年04月14日
在住する住宅街の自治会総会に出席した。会員1400世帯の市内有数の規模の自治会である。総会は住宅街の中にある小学校の体育館で開催される。
開会定刻の10時には約100名の会員が出席した。前半は活動報告と会計報告だった。報告についての質疑が相次いだ。「班長、ブロック長に連絡を取りたくても連絡先が分からない」という意見は、近年議案書の役員リストから個人情報保護のため住所と連絡先が削除されていることが背景にある。「自治会アプリの『My自治会』は情報共有の点で貴重な取組みだが、これを通じた自治会への問合せの仕方をもっとPRすべき」という意見も1年間で1000人を超える登録の成果である。
個人的に興味深かったのは「この町の歩みや歴史を自治会として整理し発信することを通して住民の繋がりや求心力を高めてはどうか」という意見だった。この意見に「この街の歩みは社協の冊子に掲載されている」という元自治会長の発言があった。私からも「この街のできごとや歩みのデータは把握している。自治会の広報に提供したい」と発言した。
我が街が誕生して44年目を迎える。あらためて誕生から今を振り返ることで行く末を辿る成熟期を迎えたのだろう。
開会定刻の10時には約100名の会員が出席した。前半は活動報告と会計報告だった。報告についての質疑が相次いだ。「班長、ブロック長に連絡を取りたくても連絡先が分からない」という意見は、近年議案書の役員リストから個人情報保護のため住所と連絡先が削除されていることが背景にある。「自治会アプリの『My自治会』は情報共有の点で貴重な取組みだが、これを通じた自治会への問合せの仕方をもっとPRすべき」という意見も1年間で1000人を超える登録の成果である。
個人的に興味深かったのは「この町の歩みや歴史を自治会として整理し発信することを通して住民の繋がりや求心力を高めてはどうか」という意見だった。この意見に「この街の歩みは社協の冊子に掲載されている」という元自治会長の発言があった。私からも「この街のできごとや歩みのデータは把握している。自治会の広報に提供したい」と発言した。
我が街が誕生して44年目を迎える。あらためて誕生から今を振り返ることで行く末を辿る成熟期を迎えたのだろう。
自治会総会でボラセンが託児ボランティア開設 ― 2026年04月13日
在住する住宅街の自治会の総会に出かけた。開会30分前に会場の小学校体育館に着いた。今回初めて自治会から地区社協に総会中の託児ボランティア開設を要請された。その準備状況を確認するための早目の到着だった。
体育館の入口反対側のコーナーに”子育てサロン”備品のプレイマットが敷かれ小型遊具、玩具、絵本が揃えられている。開会前には事前に連絡のあった4人の乳幼児たちの姿があり、数人のボランティアスタッフによる託児が始まっていた。
地区社協ボランティアセンターには独自の託児ボランティアのメニューはなかった。昨年5月から山口センターの児童センターで実施されている託児ボランティアにスタッフを派遣していた。今回の自治会総会の託児ボランティアは独自の取組みとしては初めてだった。共働きが一般的になり少子化が進行する環境下で今後の託児ボランティアの期待は大きい。その意味ではボラセンの新たな取組みメニューとして良いきっかけになったと思える。
2時間後の総会閉会に合わせて地区社協ボラセンの初めての託児が無事終了した。
体育館の入口反対側のコーナーに”子育てサロン”備品のプレイマットが敷かれ小型遊具、玩具、絵本が揃えられている。開会前には事前に連絡のあった4人の乳幼児たちの姿があり、数人のボランティアスタッフによる託児が始まっていた。
地区社協ボランティアセンターには独自の託児ボランティアのメニューはなかった。昨年5月から山口センターの児童センターで実施されている託児ボランティアにスタッフを派遣していた。今回の自治会総会の託児ボランティアは独自の取組みとしては初めてだった。共働きが一般的になり少子化が進行する環境下で今後の託児ボランティアの期待は大きい。その意味ではボラセンの新たな取組みメニューとして良いきっかけになったと思える。
2時間後の総会閉会に合わせて地区社協ボラセンの初めての託児が無事終了した。
地元小学校の涙の卒業式 ― 2026年03月24日
地元小学校の卒業式に参列した。コロナ禍以降、式典は簡素化され来賓紹介もなくなった。そのためか来賓席の来場者も以前ほど多くない。
9時50分開式の体育館会場に舞台袖から75名の卒業生たちが入場した。国家斉唱、卒業証書授与、校長式辞と淡々と進んだ。メインの「巣立ちの言葉・校歌斉唱」になった。卒業生ひとりひとりが長い挨拶文を細切れにして順番に発声する。
間に別れの歌や感謝の歌(題名は知らない)の合唱がある。歌詞は情感たっぷりの内容である。来賓席前の卒業生たちの特に女子生徒たちの多くが涙ぐんでいた。自分自身の小学校卒業式では涙した記憶はない。それだけに涙する子どもたちの姿は新鮮だった。
11時前に式典は無事終了した。
9時50分開式の体育館会場に舞台袖から75名の卒業生たちが入場した。国家斉唱、卒業証書授与、校長式辞と淡々と進んだ。メインの「巣立ちの言葉・校歌斉唱」になった。卒業生ひとりひとりが長い挨拶文を細切れにして順番に発声する。
間に別れの歌や感謝の歌(題名は知らない)の合唱がある。歌詞は情感たっぷりの内容である。来賓席前の卒業生たちの特に女子生徒たちの多くが涙ぐんでいた。自分自身の小学校卒業式では涙した記憶はない。それだけに涙する子どもたちの姿は新鮮だった。
11時前に式典は無事終了した。
ワークマンの元気 ― 2025年11月23日
スマホのニュースアプリを見ていたら「ワークマンの厚底高反発シューズ」が話題になっていた。低価格で色々の品揃えがあり厚底ながら軽量でクッション性のあるシューズという評価だ。
先日、国道176号線の南側にあるジョイフルで知人と会った。その帰り道同じ側にある我が町のワークマンに立ち寄った。シューズのニュースが念頭にあったためだ。まだ8時台の早朝ながら店内には数組以上の来店者を見かけた。早朝9時の開店時間に疑問に思っていたが、主たる客層が現場に出かける前の職人さんなのだからそれもアリなのだろう。職人さん風の来客以外にも早起きの老夫婦等の姿もあった。
早速、シューズ売場を見てみた。驚くほどの品揃えだった。話題の厚底低反発シューズも様々なデザイン、価格で取り揃えられていた。ワークマンと言えば冷房ジャケットや防寒ジャケットなどでも話題になった。
過酷な工事現場の実態に即した商品開発や品揃えが幅広い客層の支持を受けているようだ。ワークマンの元気の素を垣間見た。
先日、国道176号線の南側にあるジョイフルで知人と会った。その帰り道同じ側にある我が町のワークマンに立ち寄った。シューズのニュースが念頭にあったためだ。まだ8時台の早朝ながら店内には数組以上の来店者を見かけた。早朝9時の開店時間に疑問に思っていたが、主たる客層が現場に出かける前の職人さんなのだからそれもアリなのだろう。職人さん風の来客以外にも早起きの老夫婦等の姿もあった。
早速、シューズ売場を見てみた。驚くほどの品揃えだった。話題の厚底低反発シューズも様々なデザイン、価格で取り揃えられていた。ワークマンと言えば冷房ジャケットや防寒ジャケットなどでも話題になった。
過酷な工事現場の実態に即した商品開発や品揃えが幅広い客層の支持を受けているようだ。ワークマンの元気の素を垣間見た。
我が町の唯一のファミレスの進化を知った ― 2025年11月14日
知人との早朝8時半にファミレスで待ち合わせた。山口町唯一のファミレスである「ジョイフル西宮山口」だった。早朝ウオーキングを終えた時間という事情もありこの時間になった。さすがに閑散とした店内だったが二組ばかリの客数はあった。
あらためて最近のファミリーレストランの進化を知った。まずモーニングメニューの多彩な品揃えと価格に驚いた。朝食済みだったので最も軽いものということで「ベーコンモーニング」を選んだ。税込み299円という驚きの価格である。482円のドリンクバー以下である。
現在は「2025年秋冬の新グランドメニュー」が提供されており、季節に応じた多彩なメニューからリーズナブルな価格で選択できる。24時間営業というのも早朝ウオーキングの常連にはありがたい。無料のフリーWi-Fiがりようできるのもありがたい。
これまで待合わせによく使っていたが、ドリンクバーの割高感に抵抗があったが、自由な個人的な使い方もあることを知った。あらためて最近のファミレスの進化を学んだ。
あらためて最近のファミリーレストランの進化を知った。まずモーニングメニューの多彩な品揃えと価格に驚いた。朝食済みだったので最も軽いものということで「ベーコンモーニング」を選んだ。税込み299円という驚きの価格である。482円のドリンクバー以下である。
現在は「2025年秋冬の新グランドメニュー」が提供されており、季節に応じた多彩なメニューからリーズナブルな価格で選択できる。24時間営業というのも早朝ウオーキングの常連にはありがたい。無料のフリーWi-Fiがりようできるのもありがたい。
これまで待合わせによく使っていたが、ドリンクバーの割高感に抵抗があったが、自由な個人的な使い方もあることを知った。あらためて最近のファミレスの進化を学んだ。
以前訊ねた旧家が公民館に! ― 2025年11月07日
山口公民館文化祭の帰り道、久々に下山口の旧街道を歩いた。お旅所近くまで来た時、10数年前にお訪ねしたことがある大きな旧家が目に入った。当時は個人HP「にしのみや山口風土記」の執筆に忙しかった頃だった。
知人の紹介でその旧家のご主人から隣町の道場町の歴史についてお話を伺った。道場町出身のご主人は私より大分年配で初対面にもかかわらず気さくにお話して頂いた。話が盛上り帰り際には所蔵の「道場町誌」という冊子も頂いた。
その旧家の玄関脇に大きな木の看板が備え付けられていた。「下山口公民館」と書かれた大きな墨文字の看板だった。当然ながら表札は無くなっていた。
10数年を経て恐らくご主人は亡くなったのだろう。ご家族も亡くなったり転居され後を継ぐ人もないまま旧家は地元の公民館に衣替えされたと思われる。
10数年前の懇談を懐かしく思い起こした。
知人の紹介でその旧家のご主人から隣町の道場町の歴史についてお話を伺った。道場町出身のご主人は私より大分年配で初対面にもかかわらず気さくにお話して頂いた。話が盛上り帰り際には所蔵の「道場町誌」という冊子も頂いた。
その旧家の玄関脇に大きな木の看板が備え付けられていた。「下山口公民館」と書かれた大きな墨文字の看板だった。当然ながら表札は無くなっていた。
10数年を経て恐らくご主人は亡くなったのだろう。ご家族も亡くなったり転居され後を継ぐ人もないまま旧家は地元の公民館に衣替えされたと思われる。
10数年前の懇談を懐かしく思い起こした。
山口公民館文化祭での一抹の寂しさ ― 2025年11月05日
地元住宅街の文化祭の翌日、今度は山口町全体の”山口公民館文化祭”に顔を出した。久々の訪問だった。
11時前に会場の山口センターに着いた。4階の公民館の展示会場にはシャドウボックス、陶芸、絵手紙、書道、編物、写真、公民館講座風景等の盛りだくさんの展示があった。以前は何人かの知人たちから声を掛けられていたが、今回お会いしたのは絵手紙の先生おひとりだった。
そう思ってみるとふと寂しさに襲われた。考えてみれば80歳を超えた身である。文化祭でのかつての交流の思い出は10年近く前からのものだ。自分と同じように作者の知人たちも齢を重ねている。作品作りを断念した人も少なくないのではないか。
2階のカフェコーナーでコーヒーをいただいた。スタッフは二周りは若そうなお母さんたちだった。同年代の知人たちの姿はなかった。
1階のホールではバレー・ジャズダンスの舞台が始まった。小中学生のはじけるような若さのバレーを見詰めた。
11時前に会場の山口センターに着いた。4階の公民館の展示会場にはシャドウボックス、陶芸、絵手紙、書道、編物、写真、公民館講座風景等の盛りだくさんの展示があった。以前は何人かの知人たちから声を掛けられていたが、今回お会いしたのは絵手紙の先生おひとりだった。
そう思ってみるとふと寂しさに襲われた。考えてみれば80歳を超えた身である。文化祭でのかつての交流の思い出は10年近く前からのものだ。自分と同じように作者の知人たちも齢を重ねている。作品作りを断念した人も少なくないのではないか。
2階のカフェコーナーでコーヒーをいただいた。スタッフは二周りは若そうなお母さんたちだった。同年代の知人たちの姿はなかった。
1階のホールではバレー・ジャズダンスの舞台が始まった。小中学生のはじけるような若さのバレーを見詰めた。









最近のコメント