街道を行く2007年11月08日

 HP「にしのみや山口風土記」の「となり街・風土記」に着手してみて気づいたことがある。古来よりとなり街とは道でつながっていた。それは現在の国道や高速道路とは比ぶべくもない情緒豊かな「街道」だった筈だ。「風土記」を構成する背骨ともいうべきサイト「有馬路の街道」が不可欠だと思った。
 西宮市のHP「一般国道176号のあゆみ」掲載の地図に江戸時代の西宮北部の旧街道の地図があった。そこには私の住む住宅団地のすぐ北側を三田方面に向かって丹波街道の一部があったことが記されていた。その旧街道を辿れないかと思った。
 休日の好天に恵まれた昼過ぎである。自宅を出て地図を片手に旧街道を訪ねた。有馬川沿いに山口町名来の西宮市の北の境界まで歩く。その先に神戸市北区に属する道場町平田の田園風景が展がる。旧街道とおぼしきあぜ道を辿った。丘陵地に向かってあぜ道は徐々にか細くなる。耕されることのなくなった荒れはてたままの棚田が辛うじて昔の面影をとどめている。行き着いた先は薮に覆われた湿地帯だった。これ以上は進めない。やむなく探訪を断念して折り返した。
 あぜ道の向こうから耕運機に乗った同年輩のお百姓らしき人がやってきた。目前に迫ったところで声を掛けた。「この辺りに山口と三田を結ぶ昔の街道が在った筈なんですがご存知ないですか」。知りたかった情報が得られた。今立っている道がその旧街道であり、今は伸び放題の薮が遮って通り抜けはできないとのことだ。耕運機から降りて煙草に火をつけながら「小学校の頃この道を通り鎌倉峡に遠足に行った」などと昔話を始めだした。名来に在住の好人物だった。思いがけず昔の思い出を久々に話せる格好の相手を見つけたという気分なのだろうか。
 街道を行き交う昔の旅人たちも挨拶を交し合い、ふとしたきっかけで話し合い、袖すり合ったのだろう。国道では決して味わえない「街道」の情緒を味わった。