篠田正浩氏の「心をえぐられる文章」2007年11月24日

 人は時に「心をえぐられる文章」に出会うものだ。
 購読誌「ほうんとうの時代12月号」を読んだ。特集記事『阿久悠さん、ありがとう』の中のひとつに映画監督・篠田正浩氏の「阿久悠と瀬戸内少年野球団」と題するエッセイがあった。
 「(昭和6年生まれの皇国少年だった)私にとって戦後は悲劇的な時代だと思った。以来、映画監督になっても、私の作品は暗かった。阿久悠さんの小説『瀬戸内少年野球団』の監督を依頼されたときは当惑したものだ。・・・・『瀬戸内』という文字を目にするだけで、私には盲目の琵琶法師が歌う平家物語の世界である。壇ノ浦に追い詰められた平家滅亡の光景は、そのまま日本の敗戦の日と重なり、戦後の悲惨に繋がっていた。・・・・だから私の映画は、暗い。その闇からの出口に誘う光明は見えなかった。しかし『瀬戸内少年野球団』を読み終えた私に心変わりが起きていた。・・・・阿久少年は小学校の八歳のとき、淡路島で敗戦を目の当たりにした。私は十四歳の中学生だった。学徒動員の飛行場の仕事場で昭和天皇の玉音放送を聴いた。淡路島の少年は占領軍の四輪駆動のジープが悪路をものともせず駆け抜けるのに驚嘆し、米兵から投げ込まれたキャンディーの甘さにパラダイスが出現したのではないかと思った。中学三年の皇国少年は、いつ切腹して天皇陛下にお詫びしなければならないのかと、不安と絶望の闇をさ迷っていた。日本の無条件降伏はたった一つの歴史事件であったが、淡路島少年と皇国少年が目撃した戦後はまるで違っていた。歴史の真実はこの複眼の間に存在するのだ。歴史は様々な他者の眼差しを受入れるべきだと、思い知らされたのだ。私の暗さと阿久悠の明るさが同居することができるかと問うたら、阿久さんはすぐに受入れてくれた。」
 心に沁みる見事な文章だと思った。自身の超えがたい原体験を、六歳年下の阿久悠氏の小説世界によって超えていく深層が、誠実に赤裸々に吐露されている。「歴史の真実はこの複眼の間に存在する」「歴史は様々な他者の眼差しを受入れるべきだ」という言葉が私の心の襞に染みとおる。
 もちろん「心をえぐられる文章」は、誰にとっても共通ではない。受止めた者の原体験やその時々の心情に負っている。それにもかかわらず発せられた言葉を生み出した精神の透明さと誠実さが普遍性を帯びて輝いているように思える。