リタイヤ生活のもうひとつの柱2007年11月27日

 休日の午後、市からの封書が届いた。「民生委員・児童委員委嘱辞令伝達式について」と題する書面が同封されていた。目前に迫った私のリタイヤ生活の柱のひとつとなるだろうボランティア活動の正式な委嘱通知だった。

 二ヶ月ほど前の休日の朝、在住する住宅地区の自治会長と地域の民生委員のお二人の来訪を受けた。前日にアポがあり、「お願いしたいことがある」とのことだった。突然の思いもよらない方たちの訪問に、戸惑いは隠せなかった。
 民生委員である中年のご婦人は、二年前、私が自治会副会長の時に「わんわんパトロール」の懇談会で面識のある同じ町内にお住い方だ。この方から主として来意が告げられた。依頼内容は、なんと民生委員就任の打診だったのだ。
 「1期3年の任期の民生委員を3期9年努めたが、家庭の事情で今期限りで退任することになった。後任は自治会が推薦するのだが、四月に就任したばかりの自治会長は後任者の人選情報に暗いので私に推薦の依頼があった。児童委員を兼ねる民生委員は、お年寄りだけでなく子供たちのお世話もする。後任者は誰でも良いという訳にいかない。以前、自治会での活動ぶりやわんわんパトロールの懇談会の進め方を見て、この人ならと思った。ぜひ引き受けて欲しい」
 「地元名士の名誉職」。これが私の民生委員にたいする正直なイメージだった。それだけにおよそ私の人生に関わる筈のない役職だった。とはいえ私の二年間の自治会での活動ぶりを評価してもらっていたことは、自分でも精一杯やっという想いがあっただけに、素直に嬉しい言葉だった。来年六月以降には完全にリタイヤ後の人生が始まる。ライフワークの「にしのみや山口風土記」の執筆以外に特段のテーマがあるわけではない。何かもうひとつ柱になるボランティアを考えないわけでもなかった。同じ町内の問題を抱えたお年寄りや子供たちのお世話をするのも選択肢のひとつかもしれない。
少し心が動きかけたところで、任期についての説明があった。「できるだけ長くやって欲しいという趣旨から、就任時の年齢が65歳以下という条件がある。また75歳を超えては再任されない。私の前任者も3期9年を勤めた。年齢的には3期9年は可能であり、できればそれ位はやってほしい」。そんなに長期に及ぶものとは思いもよらなかった。また日常の連絡等で妻の協力も必要になる。これは一存では決められない。
 「お話しは分りましたが、家内とも相談しなければなりませんので時間を頂きたい」と伝えたところ「それでは一週間後に再訪させてもらうので返事を聞かせてほしい」と返され、ひとまず第一幕が降りた。

 パート勤務から帰宅した妻にお二人の来意を話し、意見を求める。来訪された民生委員だけでなく前任の民生委員とも面識があり、その大変さも承知している筈の妻は、さすがに驚き、戸惑った様子だった。それでもしばらく話し合った後、彼女なりに出した結論は以下のようなことだった。「お父さんがやってもいいと思うなら、私は構わない。老後に地域のお世話をするのも大事なことやし。私もできる範囲で協力する。」
 その後、古くからの友人が長く民生委員をしていて、その体験をもとにした地域福祉の本を出版していたことを思い出した。本棚から「まちづくりは国づくり」と題する書籍をさがしだし、二日ほどで読み終えた。民生委員の果たすべき役割や今後の在り方が彼の経験や見識を踏まえてよくまとめられていた。民生委員についての私の認識が一新された感がある。読み終えた後、その友人に連絡して相談した。「誰でもできることではないが、心配するほど大変なことでもない。老後の過ごし方としてはやりがいのある良い選択肢だ。ぜひ引き受けるべきではないか」とのことだった。

 約束の日の夕刻、三名の関係者の再訪があり、妻も同席の懇談となった。自治会長以外は初めての方だった。おひとりは年配の男性で地区の民生児童委員協議会会長の名刺を頂いた。もうひとりの方は、同じ住宅街の他の地域の民生委員のご婦人だった。
 お引受する旨伝えた後は、民生・児童委員の仕事内容等の雑談になった。この後の手続は市の推薦会で正式に決定後、あらためて通知があるとのことだった。