藤沢周平著「闇の梯子」2018年12月01日

藤沢周平著「闇の梯子」を再読した。ひょっとしたら再々読かもしれない。読書中の文庫本を読み終えて書棚から次の本を探すと、大量の蔵書の中からどうしても藤沢作品が目にとまる。古希を越えて久しくなる歳である。藤沢作品の穏やかで情緒に富んだ安心感に魅かれて手に取ってしまう。
 市井もの3編、武家もの2篇の短編時代小説を納めた作品集である。それぞれに江戸情緒豊かな描写で味わいのある物語が広がる。やっぱり安心して読み継げる作品群だった。
 5編の中で「入墨」が印象深かった。「入墨」は、家族に苛酷な運命を強いた無頼の島帰りの父親とその二人の娘たちの葛藤を描いた物語だ。身売りさせられた姉と姉に育てられ父親の絆の薄い、それだけに父親への想いが深い妹。落ちぶれた父親が娘たちの営む呑み屋で酒を施される。その卑屈で意地汚い惨めな描写に読者の苛立ちが募る。ところがその姉妹の絶体絶命の危機を救ったのはほかならぬ父親だった。そのどんでん返しの展開に読者は息を呑み癒される。

福岡国際マラソン、14年ぶりの日本勢優勝!2018年12月02日

 福岡国際マラソンを堪能した。前半から中盤にかけて先頭集団は20人近い大集団だった。記録的にも大会記録に近い期待のできるペースだった。
 マラソンの勝負どころはペースメーカーの外れる30km地点からである。この地点を外国勢4人、日本勢6人の先頭集団で通過した。やはりここから徐々に先頭集団から遅れるランナーが出てくる。35km地点では服部勇馬と外人勢2人に絞られた。この先頭集団の構成に不安がよぎる。今回も記録的には服部を上回る実績を持つ外人勢に優勝をさらわれるのではないか。
 ところが最近の日本の男子マラソンの勢いはこれまでと違う。なんと36km地点から服部が満を持してスパートした。みるみる後続を引き離し40km地点では大きく独走態勢となった。ゴールでは2位との差を1分27秒つけた2時間7分17秒という立派な名記録である。
 この大会では実に14年ぶりの日本勢の優勝である。今年に入って男子マラソンは相次いで日本記録が更新され、現在の記録は大迫傑の2時間5分50秒という世界的にも堂々たるものだ。当分、男子マラソンは目が離せない。

地域の福祉避難所と介護施設の役割2018年12月03日

 最寄りの特別養護老人ホームのデイサービス事業の運営推進会議に出席した。施設は福祉ネットのオブザーバーでもあり、昨年から地区社協会長として地域住民代表の立場で参加している。運営状況報告の後、様々な意見交換があった。興味深かったのはこの施設も含めて介護施設の災害時の福祉避難所の役割である。
 今年は災害の多い年だった。災害には比較的無縁な山口町だが、今年の大型台風では集中豪雨による土砂災害や河川氾濫等の懸念から避難勧告等も発令された。実際、お年寄り等の山口センターや小学校等への避難もあり、災害時避難が身近なものになった。
 ところで高齢者や障がい者等の要介護者の災害時避難先はどうなるのか。通常の公民館や体育館での避難生活には無理がある。そこで介護環境が整った介護施設に福祉避難所として受入れが行政から要請されるようだ。実際、今年の集中豪雨の際にも、ここの施設に要請があり受入れたとのこと。
 これらは一般には知られていない情報のように思えた。通常は避難先の管理者が要介護者の避難者がある場合に必要な連絡調整を行って福祉避難所を紹介するという手順になるようだ。
 介護施設の地域での福祉避難所という役割を初めて知った。

猿蟹合戦"で家内の誕生祝い2018年12月04日

家内の誕生日である。二人とも古希を越えて断捨離が必要な歳だ。今更プレゼントでもない。そんなことからそれぞれの誕生日にはプチ贅沢な食事に出かけることにしている。もっとも私の誕生日には食事代は家計から支出されるが、家内の場合は私の小遣いから支払われる。まあ、リタイヤ後も私の小遣いは毎月定額支給されているのだからやむをえない。
 いつもは流れ鮨音羽のワンランク上の回転寿司にいくことが多い。今回は目先を変えてかに料理の猿蟹合戦にでかけた。夕方5時半の先客のいない静かな個室で久々に夫婦二人の時間を過ごした。話題は専ら引っ越しに伴って保育園を変わることになった花ちゃんの心配だった。
 予約した料理が出てきた。私はチーズ焼き定食、家内はチーズ焼きに鯛釜飯がついた和食笑食(わくわく)御膳を注文していた。この店のチーズ焼きを一度味わってみたいと思っていた。ホタテ、エビ、イカ、ウインナー、野菜が味噌とチーズで焼き上がっている不思議な味だった。

花ちゃん、転園初日をクリア!2018年12月05日

 娘夫婦が転居した。JR最寄り駅がひとつ変わっただけだが、花ちゃんは保育園を転園しなければならない。転園初日である。前日から花ちゃんの迎えのためにばあちゃんが新居を訪ねていた。母ちゃんとばあちゃんに連れられて新しい保育園に赴いた。玄関前でバイバイした時、花ちゃんは不安げな顔を見せていたと家内の報告。初日ということでその日は、通常19時頃に迎えに行く母ちゃんに代わって、ばあちゃんが12時に迎えに行った。
 その日の15時頃に、じいちゃんは旧友との姫路での懇親を終えて一足遅れてJR石山駅に到着した。改札出口前にばあちゃんに手を引かれた花ちゃんの姿を見つけた。改札を出たところで「じいちゃ~ん!」と駆け寄ってくれる。花ちゃんの手を引きながら早速訊ねた。「花ちゃん!初めての保育園は楽しかった?」。返ってきた返事に身につまされた。「花ちゃんネ。涙が出そうになったの」。「どうして?知らないお友だちばかりで寂しかったん?」「うん、寂しかったの」。
 それでも新居に戻るといつもの元気いっぱいの花ちゃんである。新しい保育園の「れんらくノート」には「給食完食。給食の時少し涙ぐんでいました。ちゃんとトイレにも行きました。お友だちとブロック遊びをしたりしました。クレパスの殴り書きでは、アンパンマンがシマウマに食べられたそうです」とのこと。翌日の朝、NHK「まんぷく」の主題歌が流れると早速曲に合わせて得意のダンスを踊ってくれる。
 一泊二日の花ちゃんとのスキンシップに癒されたひと時を過ごした。

住宅団地の環境変化と自治会の対応2018年12月06日

 2000世帯を擁する戸建住宅団地に住んでいる。この住宅街の自治会は単一組織で、市内有数の大規模自治会である。地区社協、青愛協、SC21等のボランティア組織や老人会、婦人部、子ども会等の親睦組織はそれぞれに自治会から年間15万~22万円の助成金が給付されている。各組織も盆踊りや文化祭の自治会行事に協力している。そんな関係の自治会と地域組織は年3回定期的に連絡会を開催して連携をはかっている。
 先日、今年度2回目の連絡会があり、地区社協代表として参加した。今回は環境変化と自治会対応という本質的なテーマについて活発な議論が交わされた。
 分譲開始後36年目を迎える住宅街である。ファミリー中心の人口拡大の街は、今や超高齢社会の人口減少の街に様変わりした。分譲開始後3年目に発足した自治会は、発足当初から始まった盆踊り、文化祭、バスツアー等の住民交流に主眼を置いたイベント型行事が中心である。
 ところが少子高齢化が進み自治会員減少化の流れのもとで、そうしたイベント型行事の実施が重荷になってきた。高齢化で住民ニーズにそぐわなくなり参加者が減少しつつあり、実施部隊の自治会役員も高齢化し負担になってきた。会員減少で財政的にも開催費用負担が過重になってきた。
 とはいえ永年続いた恒例行事を見直すのは大変なエネルギーを要する。ましてや自治会役員は1年任期で総入替えされる。厄介事は次の役員に先送りされるのが常だった。
 そんな背景のもとでの今回の議論だった。自治会執行部から、自治会員数減少化のデータが示され、盆踊りの規模縮小の模索、4日間開催の文化祭の短縮の検討といった問題提起とともに、各組織への盆踊り協力金支給の中止が提案された。各組織の側も背景事情を共通理解し、協力金支給中止を了承した。
 環境変化に対応した自治会行事の見直しに向けてようやく小さな一歩を踏み出した。

山口地区ボランティアセンターとの交流会2018年12月07日

 年一回この時期に山口・北六甲台地区ボランティアセンターの交流会がある。今年は山口が当番で山口公民館会議室で開催された。
 山口10名、北六甲台10名のコーディネーターに市社協2名のいつものメンバーに今回は障がい者支援の西宮地域自立支援協議会ほくぶ会のゲスト3名の総勢25名が顔を揃えた。
 両地区の活動報告があり、これについての意見交換が行われた。その後、ほくぶ会の紹介と活動報告があり、この点の意見交換もあった。 意見交換で共通して話題となったのは北六甲台のカーボランティアだった。障がい者の移動には様々な制約がある。車椅子が乗せられるか。大勢の人と一緒の車内に耐えられない知的障がい者もいる。車内で奇声を発する不安もある。公共交通機関での移動が困難な背景を教えられた。そんな事情からほくぶ会ではカーボランティアへの関心は高い。とはいえ高齢健常者を対象としたカーボランティアの利用にもクリアしなければならないハードルがある。ボランティアの心構えや多少のスキルが必要だ。介助者の同乗が欠かせない。
 今回初めてボランテアーコーディネーターとして障がい者の移動問題を真正面に意見交換した。当事者家族や支援者等の関係者の生の声を聞いた。認知症支援と同様に、障がい者支援についても我が町に障がい者がいるということの認識こそが出発点である。ボランティア側の理解とともに障がい者側の発信も欠かせない。

御前崎と掛川城の旅①2018年12月08日

 出身業界労組のOB・現役懇談会出席のため新幹線で掛川駅に降り立った。ホテルに向かう16時発の送迎バスの車中は1年ぶりの知人たちで埋められれた。40分ばかりバスに揺られて掛川駅南東の静岡県最南端の岬・御前崎に到着した。静岡カントリー・浜岡コースの併設ホテルが会場だった。
 指定のツインルームには浴衣などの客用セットはひとつしか準備がない。同宿予定の後輩OBは家族の急な病でキャンセルになったとのこと。6階の部屋の窓からは太平洋の広大な風景が望めた。ゴルフ客仕様の1階大浴場で汗を流して部屋に戻るとしばらくして出身企業の現役の労組三役たちがやってきた。会社や職場の近況などを話題に歓談した。
 18時からコンベンションホールのテーブル席で懇親会が始まった。その前には階段を利用して総勢80人もの参加者の集合写真を撮り終えた。開会のセレモニーでは設営労組OBの格差社会が進む現状を憂うメッセージが語られたり、急逝したOBの消息が告げられたりした。乾杯の後、会食と自由な懇親が始まる。20時頃からは会場を移しての二次会となる。懐かしい面々との席を移した歓談を楽しんだ。
 10時過ぎにお開きになり部屋に戻って再び現役三役と歓談を続けた。来年労組結成50周年を迎える。結成時の三役のひとりである私と現役の面々とは親子以上の年齢差がある。気遣いを見せながら悩みを吐露し真摯に大先輩の助言を求める姿勢が嬉しい。たっぷり歓談して11時半頃に眠りについた。
 翌朝5時過ぎに目覚めた。温泉街のホテルと違い早朝の入浴は叶わない。しばらくテレビで時間を潰し6時前に暗闇の中を早朝散策に出かけた。スマホマップで確認し近くの高松神社に向かった。
 高台のホテルの周遊道路を西に向かった先にかすかな灯りに浮かぶ社殿が見えた。社殿前に辿り着くと南に向って下っている驚くほどの高さの石段があった。そこから突然人影が現われた。石段の昇降トレーニングを日課としているかのようなトレーナー姿の中年男性だった。海抜65mの社殿を213段の石段が結んでいた。太平洋の水平線が望める筈の絶景も薄闇の中に沈んでいた。

御前崎と掛川城の旅②2018年12月09日

 バイキングの朝食を済ませて9時に出身労組の面々とタクシーで掛川に向った。JR掛川駅の北に聳える掛川城に到着。受付で周遊コースのチケットで入場し天守台までの石段を登る。
 25年前に木造建築で復元された比較的新しい三層の天守閣である。ピカピカに磨かれた急な木造階段を登り切って眼下の市内を展望する。ボランティアガイドさんから天守東側に位置する伝統建築群の解説を聞いた。
 下城して周遊コースに従ってスポットを巡る。風格のある掛川城御殿は数えきれない部屋で構成されその広大さに圧倒される。二の丸美術館は市民美術展開催中でスルー。竹の丸は掛川城の郭の一角で迎賓館の趣きがある。建物西側の手入れの行き届いた枯山水の庭園を鑑賞する。最後に訪れたのは二の丸茶室である。木造平屋建の伝統的な数寄屋造りの建物で、景観と調和した趣のある茶室である。奥の広間に案内されて抹茶の接待を受けた。着物姿の接待役のご婦人と会話を交わしながら静かでゆったりしたひと時を過ごした。
 掛川駅から11時過ぎの新幹線で帰路に着いた。2時半頃には自宅に戻った。旧交を温め、掛川城見学を楽しんだ一泊二日の旅を終えた。

半年ぶりの”つどい場”での学童保育の議論2018年12月10日

 久しぶりにつどい場”あん”に出かけた。主宰者のご夫婦を除けば大人6人、子供4人の比較的少数の参加者だった。大人6人の内、4人は男性で全員オヤジ会のメンバーだった。
 総勢12人の食卓にはいつものように多彩なメニューが並べられた。煮込みハンバーグをメインにクリスマスリース風の野菜サラダ、千切りポテト炒め、牛蒡の唐揚げ、鶏唐揚げ、ポタージュスープ等々。そのほとんどがご主人の手づくり料理である。オヤジ会に倣ってご主人(マスター)から「本日の献立」を紹介してもらった。
 美味しいランチを頂きながら歓談した。私から地元小学校区の学童保育(育成センター)の拡充について参加者に意見を求めた。仕事を辞めたあるママ友は子供の学童保育を一時中断していたが、再就職してもう一度保育の申込みをしたところ定員オーバーで断られた。「小4の壁」については、4年次以降も受入れ可能であればそれに越したことはないがそれなりに工夫して対処している保護者もいる。4年次以降の学童保育の選択肢があれば助かる。お年寄りなどとの多世代交流ができるような居場所があればよいのに等々。
 つどい場の参加者の打てば響くような反応である。それだけに問題意識の高い皆さんが集っているつどい場の貴重な役割を痛感した。