蔦 恭嗣著「智定坊の補陀落渡海」 ― 2022年02月09日
知人(ペンネーム・蔦 恭嗣氏)からメールで送信してもらった短編の歴史小説3編うちの2編目の「智定坊の補陀落渡海」を読了した。補陀落渡海がテーマの物語かと思っていたが、読了して”人生の最後を補陀落渡海で全うした源氏の御家人の物語”だった。
作品冒頭の「鎌倉幕府第三代執権北条泰時のもとに一通の書状が届いた。」という文章に一気に引き込まれた。北条泰時は、先ごろ読了したばかりの高橋克彦著「時宗・全四巻」のもう一人の主人公・時頼の祖父に当たる人物である。舞台も源頼朝が登場する鎌倉幕府草創期である。
物語は頼朝がおこなった大規模な巻狩りに名うての弓取りのひとりとして参加した下河辺行英が、頼朝の面前で獲物の大鹿を打ち損じたことから始まる。行英は、即座に髪をつかんで小刀で髻(もとどり)を切り、その場から逐電する。そこから行英の数奇な旅が始まる。那須の山中で”山の民”に出合い弓の腕を見込まれて村に逗留する。村長の娘と夫婦となり一子をもうけ10数年に及ぶ村での幸せな日々を過ごす。ところがある日、近くで行われた巻狩りの手伝いに狩りだされた行英は、かつての行英を知る若い武士に正体を知られ声を掛けられてしまう。その日のうちに行英は妻子と別れを告げ再び行方をくらませる。
その後、行英は修験者たちと交わりながら吉野で数年を過ごし高野山に向かう。高野山の一坊に身を寄せた後、髷を切って僧侶となり「智定坊」という名を与えられる。智定坊は那智の海で入水して果てた平家の嫡流・平維盛の話を耳にする。維盛の那智入水の真意を、一族の供養と身を捨てる行の完成を願って南方の観音浄土に旅立ったと思い定める。維盛の選択に共感した智定坊の捨身行の荒業が始まる。かつて維盛が入水した若宮の王子に観音堂を建立した智定坊はここで村人たちに補陀落渡海を告げ、南方浄土へと旅立つ。
その直前に智定坊は、かつての彼の弓の友人であり、いまや幕府の執権となっている北条泰時に当てた手紙をしたためる。それは那須の巻狩からここ那智の浜に至る40年近くの彼の人生の軌跡でありいわば自分史である。
著者は補陀落渡海に関する文献資料を辿っているようだ。それらを読みこなしながら独自の視点とテーマで物語に仕立て上げている。そうした手法に磨きを掛けながら着実に歴史小説という分野の創作をものにしているようにみえる。羨ましいセカンドライフの過ごし方である。
作品冒頭の「鎌倉幕府第三代執権北条泰時のもとに一通の書状が届いた。」という文章に一気に引き込まれた。北条泰時は、先ごろ読了したばかりの高橋克彦著「時宗・全四巻」のもう一人の主人公・時頼の祖父に当たる人物である。舞台も源頼朝が登場する鎌倉幕府草創期である。
物語は頼朝がおこなった大規模な巻狩りに名うての弓取りのひとりとして参加した下河辺行英が、頼朝の面前で獲物の大鹿を打ち損じたことから始まる。行英は、即座に髪をつかんで小刀で髻(もとどり)を切り、その場から逐電する。そこから行英の数奇な旅が始まる。那須の山中で”山の民”に出合い弓の腕を見込まれて村に逗留する。村長の娘と夫婦となり一子をもうけ10数年に及ぶ村での幸せな日々を過ごす。ところがある日、近くで行われた巻狩りの手伝いに狩りだされた行英は、かつての行英を知る若い武士に正体を知られ声を掛けられてしまう。その日のうちに行英は妻子と別れを告げ再び行方をくらませる。
その後、行英は修験者たちと交わりながら吉野で数年を過ごし高野山に向かう。高野山の一坊に身を寄せた後、髷を切って僧侶となり「智定坊」という名を与えられる。智定坊は那智の海で入水して果てた平家の嫡流・平維盛の話を耳にする。維盛の那智入水の真意を、一族の供養と身を捨てる行の完成を願って南方の観音浄土に旅立ったと思い定める。維盛の選択に共感した智定坊の捨身行の荒業が始まる。かつて維盛が入水した若宮の王子に観音堂を建立した智定坊はここで村人たちに補陀落渡海を告げ、南方浄土へと旅立つ。
その直前に智定坊は、かつての彼の弓の友人であり、いまや幕府の執権となっている北条泰時に当てた手紙をしたためる。それは那須の巻狩からここ那智の浜に至る40年近くの彼の人生の軌跡でありいわば自分史である。
著者は補陀落渡海に関する文献資料を辿っているようだ。それらを読みこなしながら独自の視点とテーマで物語に仕立て上げている。そうした手法に磨きを掛けながら着実に歴史小説という分野の創作をものにしているようにみえる。羨ましいセカンドライフの過ごし方である。
最近のコメント