塩野七生著「ローマ人の物語34」 ― 2025年02月12日

塩野七生著「ローマ人の物語34」を再読した。この巻はサブタイトルに「迷走する帝国」と題された古代ローマの”危機の三世紀”を扱った上中下三巻の下巻である。
260年、ペルシャに囚われた皇帝バレリアヌスの後を息子のガリエヌスが帝位を継ぐ。ガリエヌスは東方担当司令官にオディトウスを任命するが甥に殺害され、代わって妻ゼノビアが東方パルミラの支配権を握る。268年、ガリエヌスもまた騎兵隊長たちのクーデターで暗殺され、首謀者のクラウディウスが皇帝に即位するが二年後に前線で疫病により死亡する。
270年、騎兵隊司令官のアウレアリヌスが将兵たちに推挙されて帝位に就く。皇帝アウレアリヌスは内政改革と安全保障の両面で果断な指導力を発揮し、帝国から独立していたパルミラとガリアの支配権を回復し三分されていた帝国の再復を達成する。
そのアウレリアヌスも275年に些細なことで部下に忙殺され、帝国は再び混乱を迎える。元老院に指名された皇帝タキトゥスもシリア遠征途上で病死し、東方軍団司令官のブロブスが皇帝に推挙される。皇帝ブロブスは5年間に渡ってガリア全域、ライン、ドナウ河全域で蛮族を一掃しローマで凱旋式を挙行後、ペルシャとの闘いに出発。282年にその遠征先で兵士たちに暗殺される。その後を近衛軍団長官のカルスが即位しペルシャに向かう途上で落雷により死亡。皇帝警備隊長のディオクレティアヌスが皇帝に即位。3世紀後半の目まぐるしく帝位が移り変わった混沌の物語だった。
著者が訴えたかったこの巻のテーマは、巻末の50頁の「ローマ帝国とキリスト教」ではないか。3世紀後半の帝国の混乱と荒廃の中でキリスト教が静かに着実に勢力を浸透させていた。著者はその現実を端的に「キリスト教の勝利の要因は、実はただ単に、ローマ側の弱体化と疲弊化にあったのである。と記している。
260年、ペルシャに囚われた皇帝バレリアヌスの後を息子のガリエヌスが帝位を継ぐ。ガリエヌスは東方担当司令官にオディトウスを任命するが甥に殺害され、代わって妻ゼノビアが東方パルミラの支配権を握る。268年、ガリエヌスもまた騎兵隊長たちのクーデターで暗殺され、首謀者のクラウディウスが皇帝に即位するが二年後に前線で疫病により死亡する。
270年、騎兵隊司令官のアウレアリヌスが将兵たちに推挙されて帝位に就く。皇帝アウレアリヌスは内政改革と安全保障の両面で果断な指導力を発揮し、帝国から独立していたパルミラとガリアの支配権を回復し三分されていた帝国の再復を達成する。
そのアウレリアヌスも275年に些細なことで部下に忙殺され、帝国は再び混乱を迎える。元老院に指名された皇帝タキトゥスもシリア遠征途上で病死し、東方軍団司令官のブロブスが皇帝に推挙される。皇帝ブロブスは5年間に渡ってガリア全域、ライン、ドナウ河全域で蛮族を一掃しローマで凱旋式を挙行後、ペルシャとの闘いに出発。282年にその遠征先で兵士たちに暗殺される。その後を近衛軍団長官のカルスが即位しペルシャに向かう途上で落雷により死亡。皇帝警備隊長のディオクレティアヌスが皇帝に即位。3世紀後半の目まぐるしく帝位が移り変わった混沌の物語だった。
著者が訴えたかったこの巻のテーマは、巻末の50頁の「ローマ帝国とキリスト教」ではないか。3世紀後半の帝国の混乱と荒廃の中でキリスト教が静かに着実に勢力を浸透させていた。著者はその現実を端的に「キリスト教の勝利の要因は、実はただ単に、ローマ側の弱体化と疲弊化にあったのである。と記している。
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