オヤジ会で10年の歩みを報告 ― 2025年03月01日

住宅街の「日本料理・川久」で88回目のちょい呑みオヤジ会を開催した。今回の出席は常連さんを中心に14名だった。
冒頭の事務局報告では「ちょい吞みオヤジ会10年の歩み」を伝えた。新規会員お誘いのための「ご案内チラシ」でもある。現状の直近半年簡に参加のあった実質会員は31名だが申込書による登録会員は累計すると81名に及ぶ。亡くなったり、転居されたり、自然退会されたりする方も多い。87回の累計参加者は1159名で平均参加者数は13.5名である。毎回レジュメを準備して運営しているのでデータは残されている。
今回は、主催団体の会長でもあるオヤジ会員から「西宮蘭亭・曲水の宴」の紹介があった。
冒頭の事務局報告では「ちょい吞みオヤジ会10年の歩み」を伝えた。新規会員お誘いのための「ご案内チラシ」でもある。現状の直近半年簡に参加のあった実質会員は31名だが申込書による登録会員は累計すると81名に及ぶ。亡くなったり、転居されたり、自然退会されたりする方も多い。87回の累計参加者は1159名で平均参加者数は13.5名である。毎回レジュメを準備して運営しているのでデータは残されている。
今回は、主催団体の会長でもあるオヤジ会員から「西宮蘭亭・曲水の宴」の紹介があった。
子育てサロンにボランティア希望の来訪者 ― 2025年03月02日

地区社協の子育てサロンに顔を出した。雛祭り飾りが目につく会場にはいつもより参加者は少ない。元音楽教師の男性スタッフの奏でる”雛祭り”のピアノ演奏に合わせて乳幼児のダンス姿に和まされた。
スタッフに呼ばれて来場者と懇談した。地区社協対象エリアに数年前に転居された60代の女性だった。地域のボランティア活動に関心を持っており話を聞きたいとのこと。「転居前は市南部で子育て支援等の活動に参加していたが、これからは高齢者福祉の分野での活動もやってみたい」という意向が伝えられた。
早速、地区社協ガイドのパンフレットと分区20年誌の冊子をお渡しし、社協事業の概要を説明した。パンフを読んで頂きあらためてどの活動に参加頂けるかをお聞きしたいとお伝えし、連絡用に携帯番号を交換してお別れした。
スタッフに呼ばれて来場者と懇談した。地区社協対象エリアに数年前に転居された60代の女性だった。地域のボランティア活動に関心を持っており話を聞きたいとのこと。「転居前は市南部で子育て支援等の活動に参加していたが、これからは高齢者福祉の分野での活動もやってみたい」という意向が伝えられた。
早速、地区社協ガイドのパンフレットと分区20年誌の冊子をお渡しし、社協事業の概要を説明した。パンフを読んで頂きあらためてどの活動に参加頂けるかをお聞きしたいとお伝えし、連絡用に携帯番号を交換してお別れした。
すみれ台で認知症サポーター養成講座を開講! ― 2025年03月03日

昨年11月の地区社協ぬくもりフェスタに旧知の山口民児協会長に来訪してもらった。久々の懇談で旧交を温めた際に在住のすみれ台のカフェで”認知症サポーター養成講座”を 開講することがまとまった。そのための関係者との調整を経て開講日がやってきた。
会場はすみれ台弐番館という地区の公民館機能を持った会館だった。初めて訪問する会館はホール、会議室、和室を備えた想定外の立派な施設だった。1時前に訪問し、ホールで持参したノートパソコン、プロジェクター、プロジェクタースタンドをセッティングした。パワーポイントデータを試写したが、挿入した動画が再生されない。WiFi環境はあるのだが接続設定ができなかったことが原因だったが、何とかクリアできた。
2時開会の会場には27名の来場者があった。地区のカフェ主催の講座の受講者としては充分な受講者数と言える。20年近い民生委員と社協役員の経験を標準テキストに折り込んだオリジナル講座を45分ほどパワーポイントで解説した。その後15分ばかりを市の認知症サポート便利帳掲載の「ケアパス」を使って、認知症の進行に応じた対応の説明を行った。
私には2年ぶり3回目の約1時間の認知症サポーター養成講座が無事終了した。
会場はすみれ台弐番館という地区の公民館機能を持った会館だった。初めて訪問する会館はホール、会議室、和室を備えた想定外の立派な施設だった。1時前に訪問し、ホールで持参したノートパソコン、プロジェクター、プロジェクタースタンドをセッティングした。パワーポイントデータを試写したが、挿入した動画が再生されない。WiFi環境はあるのだが接続設定ができなかったことが原因だったが、何とかクリアできた。
2時開会の会場には27名の来場者があった。地区のカフェ主催の講座の受講者としては充分な受講者数と言える。20年近い民生委員と社協役員の経験を標準テキストに折り込んだオリジナル講座を45分ほどパワーポイントで解説した。その後15分ばかりを市の認知症サポート便利帳掲載の「ケアパス」を使って、認知症の進行に応じた対応の説明を行った。
私には2年ぶり3回目の約1時間の認知症サポーター養成講座が無事終了した。
NHK 英雄たちの選択”昭和の選択” ― 2025年03月04日
NHK 英雄たちの選択”昭和の選択”の再放送番組を観た。サブタイトルは「敗戦国日本の決断 マッカーサー”直接軍政”の危機」とある。番組紹介のHPには次のようなコメントがある。
「昭和20年8月、マニラに向かった日本使節団の緑十字機は、降伏に反対する厚木航空隊に危うく撃墜されそうになる。玉音放送から2週間あまりの息詰まる終戦ドキュメント。マニラで、マッカーサー側が示したのは、厚木飛行場への米軍の到着と速やかな降伏文書の調印式だった。厚木飛行場は、このとき降伏に反対する海軍航空隊に占拠されていた。日本側は、なんとかミズーリ号での降伏文書の調印にこぎつける。ところが、その時、日本が、最も恐れていた事態に直面した。進駐軍による「直接軍政」の発令が示唆されたのである。軍票の使用や占領軍裁判所の開設を意味する。絶体絶命の敗戦国日本の選択は?」
8月15日の玉音放送から9月2日のミズーリ号での降伏文書の調印までの18日間の進駐軍との息詰まる攻防に手に汗握って画面を見つめた。この攻防を私にとっては初めてもたらされた情報だった。一般にはあまり知られていないが、この攻防を通して「直接軍政」や「占領軍の軍票使用」を阻止できたことが戦後の日本の政体に大きく関わっていた。その当事者たちは決して英雄たちではない。実務派の軍人や実務派官僚たちである。
これまでの親しんできた「英雄たちの選択」とは一味違った視点で描かれたドキュメンタリ番組に大満足だった。
「昭和20年8月、マニラに向かった日本使節団の緑十字機は、降伏に反対する厚木航空隊に危うく撃墜されそうになる。玉音放送から2週間あまりの息詰まる終戦ドキュメント。マニラで、マッカーサー側が示したのは、厚木飛行場への米軍の到着と速やかな降伏文書の調印式だった。厚木飛行場は、このとき降伏に反対する海軍航空隊に占拠されていた。日本側は、なんとかミズーリ号での降伏文書の調印にこぎつける。ところが、その時、日本が、最も恐れていた事態に直面した。進駐軍による「直接軍政」の発令が示唆されたのである。軍票の使用や占領軍裁判所の開設を意味する。絶体絶命の敗戦国日本の選択は?」
8月15日の玉音放送から9月2日のミズーリ号での降伏文書の調印までの18日間の進駐軍との息詰まる攻防に手に汗握って画面を見つめた。この攻防を私にとっては初めてもたらされた情報だった。一般にはあまり知られていないが、この攻防を通して「直接軍政」や「占領軍の軍票使用」を阻止できたことが戦後の日本の政体に大きく関わっていた。その当事者たちは決して英雄たちではない。実務派の軍人や実務派官僚たちである。
これまでの親しんできた「英雄たちの選択」とは一味違った視点で描かれたドキュメンタリ番組に大満足だった。
今期のボランティア交流会を開催した ― 2025年03月05日
今期のボランティアセンターのボランティア交流会が開催された。ボランティアコーディネータ13名、登録ボランティア13名、市社協地区担当1名の27名が参加した。
コーディネータと登録ボランティアの交流の場である。それぞれが自己紹介とボランティア活動に関わる近況を述べた。
その後、ボランティアセンターの今期の活動報告や活動内容が報告された他、4月5日のさくらまつりのボランティア募集の声掛けを行った。登録ボランティの皆さんの多くが介護施設への派遣ボランティアを担ってもらっているが、コロナ禍以降、施設側の派遣要請が中断しており、物足りないとの声が多かった。
反面、新たに地区社協の広報紙配布を担当してもらったり、小学校の福祉学習のサポートをしてもらっている。さくらまつりの応援も期待できそうだ。
年1回の登録ボランティアの皆さんの生の声を聴ける貴重な交流会だった。
コーディネータと登録ボランティアの交流の場である。それぞれが自己紹介とボランティア活動に関わる近況を述べた。
その後、ボランティアセンターの今期の活動報告や活動内容が報告された他、4月5日のさくらまつりのボランティア募集の声掛けを行った。登録ボランティの皆さんの多くが介護施設への派遣ボランティアを担ってもらっているが、コロナ禍以降、施設側の派遣要請が中断しており、物足りないとの声が多かった。
反面、新たに地区社協の広報紙配布を担当してもらったり、小学校の福祉学習のサポートをしてもらっている。さくらまつりの応援も期待できそうだ。
年1回の登録ボランティアの皆さんの生の声を聴ける貴重な交流会だった。
初春の息吹 ― 2025年03月06日

いつもより1時間ばかり寝過ごした。自宅を出たのは7時半だった。早朝ウオーキングの散歩道は三日ぶりの好天だった。
名来神社に向かう有馬川土手道にやってきた。さくら並木の骨ばった枝が土手道に腕を伸ばしていた。枝先にはまだ固くて小さな蕾がかすかに存在感をアピールしていた。
山口のさくらまつり迄後一カ月だ。一カ月後には見頃の花が咲いているだろうか。初春の息吹を感じさせる散歩道だった。
名来神社に向かう有馬川土手道にやってきた。さくら並木の骨ばった枝が土手道に腕を伸ばしていた。枝先にはまだ固くて小さな蕾がかすかに存在感をアピールしていた。
山口のさくらまつり迄後一カ月だ。一カ月後には見頃の花が咲いているだろうか。初春の息吹を感じさせる散歩道だった。
三木の一休庵の巻寿司を頂いた ― 2025年03月07日
家内の仲良しのご近所さんから巻寿司のお土産を頂いた。播州三木の一休庵の巻寿司だ。
巻寿司大好きの身には絶好のお昼ご飯になった。太目の玉子焼きに高野豆腐、かんぴょう、シイタケ、キュウリの具材が巻いてある。少し甘めのほどよい味付けに満足した。
巻寿司大好きの身には絶好のお昼ご飯になった。太目の玉子焼きに高野豆腐、かんぴょう、シイタケ、キュウリの具材が巻いてある。少し甘めのほどよい味付けに満足した。
山中の面接練習反省会 ― 2025年03月08日
3年前から地元・山口中学校の学校運営協議会(コミスク)の委員に就任した。その関係で毎年1月中旬から2月中旬にコミスクが実施する生徒たちの”面接練習”の面接官も昨年から引き受けている。今年も4回の面接を担当し無事終了した。先日、今年の面接練習の反省会があった。担当教員と7人の面接官が出席した。
冒頭、コミスクの委員長から今年と取組み経過が報告された。面接官は1名増えて9名になった。面接練習希望者のアンケートを実施した。その結果44人の生徒が応募した。アンケートは今年からマイクロソフトのアンケートアプリFormsで実施した等々。
気になった点を訊いた。「学校入試面接の予定のない生徒は何人で増えているのか」。担当教員から7名の生徒が一般応募だったとの回答だった。入試面接の有無に関わりなく中学生にとって見ず知らずの地域の大人たちによる面接の機会は他にかえがたい貴重な経験だと思う。ぜひ基礎データとして実数と傾向値を把握してほしいと要望した。
その後、面接官全員の感想が述べられた。私からは「面接時の質問内容を考えるのに悩まされた。それだけに面接練習は面接者にも問題意識を問われるものであり、生徒たちとのキャッチボールの真剣さが求められた」と感想を述べた。
1時間ばかりの反省会を終えて下校した。
冒頭、コミスクの委員長から今年と取組み経過が報告された。面接官は1名増えて9名になった。面接練習希望者のアンケートを実施した。その結果44人の生徒が応募した。アンケートは今年からマイクロソフトのアンケートアプリFormsで実施した等々。
気になった点を訊いた。「学校入試面接の予定のない生徒は何人で増えているのか」。担当教員から7名の生徒が一般応募だったとの回答だった。入試面接の有無に関わりなく中学生にとって見ず知らずの地域の大人たちによる面接の機会は他にかえがたい貴重な経験だと思う。ぜひ基礎データとして実数と傾向値を把握してほしいと要望した。
その後、面接官全員の感想が述べられた。私からは「面接時の質問内容を考えるのに悩まされた。それだけに面接練習は面接者にも問題意識を問われるものであり、生徒たちとのキャッチボールの真剣さが求められた」と感想を述べた。
1時間ばかりの反省会を終えて下校した。
長男の一周忌法要 ― 2025年03月09日

長男の一周忌法要の日である。あっという間の一年間だった気がする。法要は朝九時からの神戸市須磨区の寺院で営まれた。花ちゃん一家が朝7時過ぎに大津から来てくれた。8時前に自宅を出て寺院には8時45分頃に到着した。その直後に長男の配偶者の親族4人とも合流した。
9時前から始まった法要では住職の読経の後、9人の参会者が宗派の日常勤行のお経”正信偈”を一緒に唱和した。ひらがなが読めるようになった花ちゃんも一緒に読んでくれた。最後に住職の説教があり、10時前には法要が終了した。
仏前の長男の遺影を眺めながら一年前の悲嘆を思い起こした。住職の説教にあった”限りある命”という言葉を長男の死を通してあらためて噛み締めた。
9時前から始まった法要では住職の読経の後、9人の参会者が宗派の日常勤行のお経”正信偈”を一緒に唱和した。ひらがなが読めるようになった花ちゃんも一緒に読んでくれた。最後に住職の説教があり、10時前には法要が終了した。
仏前の長男の遺影を眺めながら一年前の悲嘆を思い起こした。住職の説教にあった”限りある命”という言葉を長男の死を通してあらためて噛み締めた。
塩野七生著「ローマ人の物語36」 ― 2025年03月10日

ローマ人の物語36巻を再読した。この6巻はディオクレティアヌス退位後の四人の皇帝による第二次四頭政から六人の皇帝乱立へと続く内乱状態、そして最終的にコンスタンティヌスが覇権を握るまでの物語である。
英雄たちが現われては消えるこの時期の帝国内部の攻防は、物語としては面白いがローマ帝国自体の興亡という面では本質的ではない。むしろこの時期の本質的な出来事は、東の正帝リキニウスと西の正帝コンスタンティヌスの連名で313年に公布された「ミラノ勅令」だろう。そこでこの書評はこの巻の巻末40頁の「キリスト教公認」をテーマとした。
ミラノ勅令は「キリスト教の帝国内における公認」を内容とする勅令である。もちろんこの勅令は皇帝のキリスト教への改宗表明でもなければ、他の宗教に比べての優遇措置でもない。帝国内での完全な信教の自由を認め、公にしたに過ぎない。にもかかわらずこの勅令が歴史を画する重大な史実とされるのは、ローマ人が千年以上にわたって持ち続けた宗教に対する伝統的な概念を断ち切った点にある。
それまでのローマは、ローマという「共同体」に属する住民に、個人の信ずる神が何であれ、共同体全体の守護神であるローマ伝統の神々には相応の敬意をもって対するよう求めてきた。ミラノ勅令によってもはやその必要はないということになった。ローマ帝国は後期に入っても尚、多人種、多民族、多宗教、多文化の帝国だった。この大帝国は、「ローマ法」「ローマ皇帝」「ローマの宗教」というゆるやかな輪によってまとまりを保ってきた。ミラノ勅令は、そのうちの「ローマの宗教」という輪をはずしたのだ。「信教の完全な自由」というそれ自体は非難のしようもないくらいに理に適ったものだが現実にはそれ以降の信教の自由が守られなくなってしまう中世社会への扉を開く契機となった。
英雄たちが現われては消えるこの時期の帝国内部の攻防は、物語としては面白いがローマ帝国自体の興亡という面では本質的ではない。むしろこの時期の本質的な出来事は、東の正帝リキニウスと西の正帝コンスタンティヌスの連名で313年に公布された「ミラノ勅令」だろう。そこでこの書評はこの巻の巻末40頁の「キリスト教公認」をテーマとした。
ミラノ勅令は「キリスト教の帝国内における公認」を内容とする勅令である。もちろんこの勅令は皇帝のキリスト教への改宗表明でもなければ、他の宗教に比べての優遇措置でもない。帝国内での完全な信教の自由を認め、公にしたに過ぎない。にもかかわらずこの勅令が歴史を画する重大な史実とされるのは、ローマ人が千年以上にわたって持ち続けた宗教に対する伝統的な概念を断ち切った点にある。
それまでのローマは、ローマという「共同体」に属する住民に、個人の信ずる神が何であれ、共同体全体の守護神であるローマ伝統の神々には相応の敬意をもって対するよう求めてきた。ミラノ勅令によってもはやその必要はないということになった。ローマ帝国は後期に入っても尚、多人種、多民族、多宗教、多文化の帝国だった。この大帝国は、「ローマ法」「ローマ皇帝」「ローマの宗教」というゆるやかな輪によってまとまりを保ってきた。ミラノ勅令は、そのうちの「ローマの宗教」という輪をはずしたのだ。「信教の完全な自由」というそれ自体は非難のしようもないくらいに理に適ったものだが現実にはそれ以降の信教の自由が守られなくなってしまう中世社会への扉を開く契機となった。
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