塩野七生著「ローマ人の物語39」 ― 2025年04月02日

ローマ人の物語39巻を再読した。在位僅か19カ月の皇帝ユリアヌスの治世がこの巻の文庫本一冊分に費やされている。前巻は在位24年の前皇帝コンスタンティウスの物語だったが、その後半部分は副帝時代のユリアヌスの記述が占めている。この記述量の違いこそが著者の二人の皇帝に対する評価と好悪の感情を示している。そして多くの読者にも著者のその気分を受け入れ同感する気分があるに違いない。「ローマ人の物語」は歴史書ではない。塩野七生という作家の描く歴史小説だ。読者は古代ローマの物語を通して古代ローマの歴史の舞台に想いを寄せ、それぞれの受け止め方で独自に「歴史」を学ぶ。
若き副帝ユリアヌスはガリアでの戦闘に勝利しガリア全域の統治に成功する。 そのユリアヌスに正帝コンスタンティウスからペルシャ討伐のための兵士供出の命が下る。ユリアヌスに従ってガリアを平定した蛮族兵士の精鋭たちはこの命に猛反発し、ユリアヌスの正帝推戴の挙に打って出る。逡巡の末ユリアヌスは正帝就任を受諾する。皇帝コンスタンティウスはユリアヌス討伐に向う途上で病死する。
紀元361年、ついに皇帝となったユリアヌスは、先帝たちの定めたキリスト教優遇策を全廃するとともに、かつてのローマ帝国の精神の再興を目指し、伝統的な多神教を擁護する。幼少の頃の幽閉時代に学んだギリシャ文明や青年期の遊学でのギリシャ哲学がユリアヌスに深い影響を与えていた。新皇帝はキリスト教徒を始めとした既得権層からの強硬な反対を押し切って矢継ぎ早に改革を進める。更に皇帝就任1年も経ないで帝都コンスタンティンノープルをl後にし東へ向かう。ペルシャ戦争再開という帝国の最大の問題処理に乗り出したのだ。
ペルシャ王国の首都クテシフォンにまで攻め入り優勢に進めていたペルシャ戦役も第二軍との合流を果たせず苦境に陥る。ローマ軍は首都攻略を断念し第二軍と合流すべく北上する。そのローマ軍を追ってペルシャ軍が波状攻撃を仕掛ける。不意の奇襲の最中に、飛んできた槍がユリアヌスの腹部深くに突き刺さる。ローマ帝国が大きくキリスト教化する流れに一人抗した31歳の若き皇帝が死を迎えた。
著者はこの巻の最後で「皇帝ユリアヌスの生と死」を語る。著者の想いは、次の一文に凝縮されている。「宗教が現世をも支配することに反対の声をあげたユリアヌスは、古代ではおそらく唯一人、一神教のもたらす弊害に気づいた人ではなかったか」。
若き副帝ユリアヌスはガリアでの戦闘に勝利しガリア全域の統治に成功する。 そのユリアヌスに正帝コンスタンティウスからペルシャ討伐のための兵士供出の命が下る。ユリアヌスに従ってガリアを平定した蛮族兵士の精鋭たちはこの命に猛反発し、ユリアヌスの正帝推戴の挙に打って出る。逡巡の末ユリアヌスは正帝就任を受諾する。皇帝コンスタンティウスはユリアヌス討伐に向う途上で病死する。
紀元361年、ついに皇帝となったユリアヌスは、先帝たちの定めたキリスト教優遇策を全廃するとともに、かつてのローマ帝国の精神の再興を目指し、伝統的な多神教を擁護する。幼少の頃の幽閉時代に学んだギリシャ文明や青年期の遊学でのギリシャ哲学がユリアヌスに深い影響を与えていた。新皇帝はキリスト教徒を始めとした既得権層からの強硬な反対を押し切って矢継ぎ早に改革を進める。更に皇帝就任1年も経ないで帝都コンスタンティンノープルをl後にし東へ向かう。ペルシャ戦争再開という帝国の最大の問題処理に乗り出したのだ。
ペルシャ王国の首都クテシフォンにまで攻め入り優勢に進めていたペルシャ戦役も第二軍との合流を果たせず苦境に陥る。ローマ軍は首都攻略を断念し第二軍と合流すべく北上する。そのローマ軍を追ってペルシャ軍が波状攻撃を仕掛ける。不意の奇襲の最中に、飛んできた槍がユリアヌスの腹部深くに突き刺さる。ローマ帝国が大きくキリスト教化する流れに一人抗した31歳の若き皇帝が死を迎えた。
著者はこの巻の最後で「皇帝ユリアヌスの生と死」を語る。著者の想いは、次の一文に凝縮されている。「宗教が現世をも支配することに反対の声をあげたユリアヌスは、古代ではおそらく唯一人、一神教のもたらす弊害に気づいた人ではなかったか」。
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