乙川優三郎著「屋烏(おくう)」2010年06月09日

 乙川優三郎の短編「屋烏(おくう)」を再読した。いい作品だった。小説が短編であっても読む者に与えるインパクトというものを実感させられた。
 ボランティア組織を巡って緊張感に包まれた二ヶ月近くを過ごした後だった。引きずっていたざらついた気持ちをこの作品が鎮めてくれた。苦難の道のりを歩んだ果ての、なお報われない日々・・・。それを耐えることの意味を考えさせられた。
 勘定奉行だった父親が12年前に藩の政変に巻き込まれて惨殺された時、揺枝は16歳だった。以来、揺枝は、嫁ぐことも叶わず実質的な当主として8歳の弟を育て家を守ることになった。2年前に弟はようやく奉行になり減石されていた家禄を戻した。そして良縁に恵まれ妻を迎えた。家の再興が成ったとき、揺枝は新たな当主夫婦には邪魔な存在になったことを気づかされる。家を守りぬいたものの、婚期をとっくに過ぎた揺枝が失ったものは余りにも大きい。
 家を出て自活するべく始めた写本を書本屋に届けた帰りに、揺枝は茶店前の道端で宮田与四郎と出会い切れた鼻緒をすげかえてもらう。与四郎は12年前に父親とともに切り合った下士で、顔にはその時の刀傷が覆っている。剣の腕はたつが粗暴な振る舞いで悪い噂が絶えない与四郎が、その直後に五人を相手に私闘を行い打ち破った。その罪で与四郎とその父母は家禄を減ぜられ組屋敷を明け渡し城下外れの空家に越した。与四郎に密かに想いを寄せる揺枝は、誰も訪れることのない宮田家を訪ね、不在の与四郎に代わって父母と会う。
 12年前の政争が再び表面化する。現執政の追い落としを画した旧執政派が、筆頭家老暗殺を謀った。筆頭家老宅に潜んで刺客を切ったのは与四郎だった。これを機に一気に政争は現執政派が覇権を確立して終焉する。与四郎が乱暴者を装い城下外れに移り住んでいたのも敵を欺く偽装だった。与四郎は自らを御家の屋烏と化して筆頭家老を守ったのだ。与四郎は百石取りの藩の剣術師範として異例の出世を遂げる。宮田家には断りきれぬほどの縁談が持ち込まれる。
 自活を決意した揺枝が写本を届けた帰りに初めて与四郎と出会った道端にやってきた。茶店の縁台に与四郎がいた。ここで揺枝を待って五日目になるという。父母は宮田の嫁は揺枝を措いてほかにはいないと言い、自分も揺枝が宮田家を訪ねてくれたときから気持ちは決まっていたと告げる。揺枝がこたえる。「父が死んでからというもの、身の不幸ばかり思い悩んでまいりましたが、ほんとうはあなたさまをお待ちすることが、私の宿命だったのですね」。