有馬川”橋物語”①名来橋2024年05月01日

有馬川”橋物語”シリーズの第一回は、山口町内の有馬川の最北の架橋”名来橋である。有馬川西岸の名来集落と東岸の丘陵地を結ぶ街道に架けられた橋である。
 橋を渡ってすぐ北側には名来墓地がある。更に進むと大阪と丹波を結んだ旧丹波街道に合流する。古来より住民が墓参や丹波街道の道中往来に供された橋である。
 この名来橋で特筆すべきは、つい数年前まで架かっていた木の橋の風情だろう。橋の両端の袖柱だけでなく真ん中の柱や柱を繋ぐ欄干なども木造だった。袖柱のトップと欄干には濃い茶色のトタンが覆っていた。袖柱には「名来橋」「有馬川」の墨文字が描かれ、江戸時代の風景にタイムスリップしたかのような橋だった。
 残念ながら今はその面影はどこにもない。数年前に恐らく老朽化のためだろうが、全面的な架け替え工事が行われた。今は無味乾燥な鋼管の橋に様変わりしている。通行の安全のためとはいえ、悔やまれてならない。

大ケヤキが芽吹いた2024年05月02日

 ゴールデンウイークの狭間の5月2日の早朝だった。ウオーキングを終えて176号線沿いの新明治橋の袂にやってきた。
 国道を挟んで山口の天然記念物の大ケヤキが立っている。つい先日まで枝だけが骨のように広がっていた。そのケヤキが今は枝一杯に若葉をまとっている。春真っ盛りの青空に向けて、球体のような数えきれない枝ぶりが目一杯に腕を伸ばしている。まばゆい新緑の装いに癒された。

有馬川”橋物語”➁愛宕橋2024年05月03日

 有馬川沿いに名来橋から300ⅿほど南に行くと愛宕橋がある。愛宕橋の東の袂の先には名来神社がある。名来神社は「火の神(愛宕社)」と「水の神(水神社)」を祭神とする神社である。愛宕橋の名称は愛宕社(名来神社)参りの参道橋に由来しているのだろう。
 神社の参道階段の左手には丘陵の中に分け入る地道が通じている。この地道を200mばかり進むと旧丹波街道に合流する。合流地辺りには石のお地蔵さん型の道標がたっている。このことから名来橋は神社の参詣橋であるとともに丹波街道に向かう道中橋でもあったと思われる。
 橋の造りは一見石造りに見えるが袖柱以外は残念ながらコンクリート製である。それでも架橋後かなりの歳月を経ていてそれなりに趣きのある風情をかもしている。
 名来橋にまつわるエピソードで忘れてならないのが神社前にたつタモ(梻)の木である。有馬川沿いの土手道を少し北に行った地点からの眺めがとりわけ美しい。大木の緑の枝ぶりと有馬川と愛宕橋のコンビネーションは絶妙の構図を提供している。

有馬川”橋物語”③天上橋2024年05月04日

 西宮北インターを出て東に向かい国道176号線と合流する三叉路東側に有馬川架橋がある。建造後60年近くを経た昔ながらの風情を残す天上橋である。その背後の高台は広大な住宅地の北六甲台が広がっている。
 北六甲台は、その昔”お天上山”と呼ばれていた丘陵を開発した住宅地である。北六甲台の天上公園には遠い昔に公智神社がこの地に鎮座していたという由緒を記した石碑が建っている。天上橋はその頃から旧山口村と鎮守を祀るお天上山を結ぶ由緒ある橋だった。
 何度も架け替えられただろうが、現状のコンクリート橋は昭和40年2月に架け替えられたと袖柱の銘文が教えてくれる。山口町史には昭和35年の台風16号で天上橋付近の堤防が決壊したとの記述がありこの後再建されたのが現在の橋梁と思われる。

伊豆半島旅行の申込み2024年05月05日

 昨年11月に3年前に発症が判明した長男の癌の症状が進行していることを告げられた。同じ頃に転倒による骨折で入院していた私の双子の弟もようやく退院したもののほぼ寝たきり状態で在宅介護生活を送っていた。そんな身近な肉親二人だったが、弟は今年2月に、長男は3月に相次いで亡くなった。家内ともども精神的なダメージは大きかった。
 相次ぐ肉親の死から2カ月近くが経った。いつまでも落ち込んでばかりもおれない。二人で旅行に出かけることをようやく話題にできるようになった。それまで結構頻繁に旅に出かけていたが、昨年9月に”福島の旅”に出かけて以来8カ月ばかりが経っていた。
 そんな時、旅行社から送られてきたパンフレットの”一泊二日・伊豆半島七景”ツアーが目に留まった。家内がかねてからぜひ行きたいと言っていた旅先である。バスによる長距離ツアーという難点はあったが、石廊崎や駿河湾フェリーなどの七つの観光と金目鯛会食、うなぎ・桜エビ・シラスの三色弁当、30種の寿司バイキング等の4食付きグルメは魅力的だった。来月中旬の日程で早速ネット予約した。

持続可能な”さくらまつり”は?2024年05月06日

 先日の地区社協ボランティアコーディネーター会でさくらまつりの反省がテーマになった。さくらまつりは2001年に社協主催となって23年が経過した。コロナ禍で3年間中止になったが、昨年は行動自粛が続いていたこともあり”さくらウオーク”として規模を縮小して開催した。今年はコロナの5類移行後初めてのさくらまつりとなった。
 そんな経過もあり今年のさくらまつりは、結果的に昨年のさくらウオークの夫婦松公園での「抽選会」に加えて従来のさくらまつりの屋台やゲームコーナーやフリーマーケットが加算され、従来にない大規模なイベントになった。満開のさくらと絶好の花見日和という好条件も重なり、2千人とも言われるほどの記録的な来場者となった。
 「さくらウオーク+さくらまつり」という規模の大きさと記録的な来場者が主催者する運営スタッフに想定外の負担をもたらした。そんな背景もあり、以下のような反省点が指摘された。
・メイン会場が山中前の緑道の屋台スポットと夫婦松公園の抽選会場と分散した。そのため両会場の間を埋める必要から両社協のゲームコーナーがその中間に設けられ、屋台との連携や相互の連絡に長い距離を歩くことを強いられた。
・両会場にキッチンカーを誘致したことでコーヒー等の重複回避のため地区社協のふれあい喫茶が見送られた。喫茶の場合は椅子席を設けて会話もできる寛げる喫茶の手作り感があったが、キッチンカーではそれは期待できなかった。
・抽選券イベントは昨年は集客上必要だったが、コロナ禍の5類移行後の今年は不要だった。むしろ想定以上の来場者に長蛇の列に並ぶ苦痛と抽選券を貰えなかった不満をもたらした。
・今回の5年ぶりの大規模イベントでスタッフの高齢化の現実を思い知らされた。「さくらまつり」を今後とも開催するためにも持続可能なイベントや仕組みの在り方の検討が必要だ。

満中陰志お届けに亡き弟宅を訪ねた2024年05月07日

 長男の四十九日法要を終えて家内と一緒に満中陰志のお届けに亡き弟宅を訪ねた。弟は長男に先立つ2週間前に他界したばかりだった。夫に先立たれて2カ月余りを経過した奥さんを見舞う機会でもあった。
 10時頃に加古川の弟宅に着いた。お仏壇を前に簡単な読経をあげた後、奥さんと1時間半ばかり歓談した。弟が在宅介護生活を過ごしていた座敷奥の和室のベッドは片づけられ、今は奥さんの寛ぎの居間になっている。奥さんの話しの端々に長年連れ添った夫のいなくなった生活の寂しさが窺える。
 話題はともすれば晩年の弟の様々なエピソードになる。私も編集を手伝った自分史のこと、母親とも共通の病だったパーキンソン病とその進行症状でもあるレビー小体のこと、息を引き取る直前の下顎呼吸のこと等々。
 あっという間に時間が過ぎた。暇を告げると、台所に立った奥さんからお弁当2個が渡された。弟の生前に何度か訪ねた際に二組の夫婦で美味しく頂いた老舗穴子料理店の思い出深い”きざみ弁当”だった。ありがたく頂いて帰宅後に味わった。

有馬川”橋物語”④明治橋2024年05月08日

 天上橋を有馬川沿いに北に進むと、新天上橋、新明治橋の二つの新設橋を通過し明治橋に至る。有馬川緑道沿いに建つ下山口会館前の街道と下山口の集落を結ぶ架橋である。
 この街道は山口の集落を南北に貫く有馬街道と昔のお天上山の北側を縫っていた旧丹波街道を繋いでいた。明治橋は二つの街道を繋ぐ交通の要衝だった。二つの街道の接点には今も「山口道路元標」が立っている。
 交通の要衝だった明治橋の面影を残す昔の写真がある。構造は現在の鋼管橋でなく石橋である。橋の上には懐かしい”ボンネットバス”が通過している光景がバス路線も走る幹線道路だったことを裏付けている。背景には昔のお天上山の姿が見える。お天上山の中心には語り草になっている大きな一本松の姿も残されている。

家内がご近所さん四人組とバスツアーに出かけた2024年05月09日

 家内がご仲良し近所さんたちと連れだって奈良方面の日帰りバスツアーに出かけた。私が早朝ウオーキングに出かけた後、6時半頃に出発し帰宅したのは18時半頃だった。この間、家内の足跡はスマホの共有GPSアプリで刻々と確認できる。私も一緒にツアーに参加しているかのような感覚になる。
 先日、亡き弟宅を夫婦で訪ねて、独り住まいになった奥さんを見舞った。歓談の端々で配偶者を失くした孤独と寂しさが窺えた。そんなこともあって久々の丸一日のひとり暮らしが、配偶者の消息を気遣かわせた。そんな気持ちがスマホの共有アプリによる家内の消息確認に向かわせたようだ。
 とはいえ留守を預かる私も忙しい一日だった。朝8時半にはかかりつけの病院で尿検査を受けて前立腺肥大症の処方箋を貰った。その帰りにはお気に入りのお弁当を調達するため三田のスーパーに立ち寄った。帰宅後、調達した”穴子めし”で早目の昼食を済ませた。12時過ぎには地元のスーパーで地区社協の街頭募金に参加した。その後、住宅街の自治会館に戻って地区社協の”ふれあい喫茶”に顔を出した。
 老夫婦二人がそれぞれの居場所を確保しながら互いの安否を気遣う生活を過ごしている。

地区社協の活動を支える個人の特技や資格2024年05月10日

 地区社協の今月のふれあい喫茶に顔を出した。会場の入り口横にはあるスタッフによる手作りの壁飾りが飾られている。今月は鯉のぼりや鎧兜人形の描かれた垂れ幕を中心に周りをアヤメの花や折り紙が添えられていた。その見事な作品が喫茶参加者の心を和ませてくれる。同時に作者のこの作品にこめられた思いややりがいも伝わってくる。
 地区社協の子ども向けイベントではあるリタイヤおじさんの段ボールの手づくりゴム鉄砲が毎回子どもたちの人気を呼んでいる。
 他方で地区社協募金事業部のチャリティバザーではキルトの専門資格を持つ高齢女性の作品がいつも完売している。
 今年の地区社協総会では子育て支援部長の家庭の事情による辞任で後任者捜しが求められた。人選の結果お願いすることになった女性との懇談の中でご保育士の資格をお持ちなのが分かった。ご本人もできれば保育士の資格を活かせればということからお受け頂いたようだ。
 子育てサロンに現役時代は音楽教師だった高齢男性が新しいスタッフとして加わった。早速会場備え付けのピアノ演奏をしてもらった。手話による童謡の披露もあり大好評だった。
 地区社協の活動を個人の様々な特技や資格が支えている。そうした特技や資格が活かされる活動にどう繋げられるかが課題だろう。人脈や情報のネットワークによるコーディネート機能が問われている。