映画評「天使と悪魔」2009年05月27日

 恒例の第4水曜日のシネマの日だ。事前のネット検索でリサーチしたがこれといって見たい作品がない。結局、原作を読んだ後では興味が削がれるといわれる「天使と悪魔」を選択した。ところが「なんばパークスシネマ」のネット予約は新型インフルエンザ騒動で休止中だった。
 13時の上映20分ほど前に劇場に到着した。当日券しかないせいかチケット販売カウンターには長い行列ができている。入場すると8割方の観客数だった。原作の面白さほどの期待はできないと思いながらスクリーンを眺めていた。ところが「意外と見応えがあった」というのが見終えての感想だった。 
 原作は文庫本3冊もの大作である。せいぜい2時間半が限度の映画での忠実な映画化は元々無理がある。そこで映画化に当たっては大筋を抑えた上で大胆に原作を修正している。ヴィットリアの研究パートナーを父から同僚に変え、カメルレンゴと前教皇の関係を表面的な描写にとどめ、ラングドンとヴィットリアのラブロマンスを省略する等々である。それにもかかわらず映画がそれなりに観客に納得性を与えているのはそのメディアの特性故にほかならない。
 映画がカットした多くは原作の心の葛藤や人間模様を描いた部分で、映像表現が困難で苦手な領域である。逆にそれは文字媒体が得意とする分野でもある。ところが得意とする映像分野では映画は見事に描き切っている。「反物質」の表現は文字でどれだけ語られても理解を超えるものがある。これを映像では瞬時に表現してしまう。舞台となったサン・ピエトロ大聖堂、システィナ礼拝堂、パンティオン、バルベリーニ広場、サンタンジェロ城などの実写風景は原作では到底味わえない。私自身も鑑賞しながら4年前のローマ観光を懐かしんだものだ。今や「天使と悪魔」の舞台となった場所は、「ローマの恋人」のスペイン広場や真実の口と同様、ローマの新たな名所として観光客が殺到しているそうだ。ヒット作品となった映画の威力である。またタイムリミット・サスペンスの醍醐味であるスピード感溢れたストーリー展開の表現力も映像表現が優位を占める。
 原作と映画化作品の両方をわずかな期間内で味わった初めての作品だった。それだけにそれぞれのメディアの特性がよく分かったし、その特性に焦点を合わせて鑑賞することで味わい深いものがあることを知った。