自治会総会の打合せ2009年04月01日

 夜、コミュニティーセンターに出かけた。4月12日に開催の自治会総会の議事進行の打合せのためである。昨年の総会で、当時の会長からの要請で総会議長を引受けた。二名の議長の相棒は、4年前の私の自治会副会長時代の同じ副会長だったひとである。今回も現会長から、同じ組合せで引受けて貰いたいと要請があった。
 在住する住宅街は1800世帯を擁する大規模な新興住宅街だが、単一の自治会で運営されている。年1回の総会は、住宅街にある小学校の体育館を借りて開催される。毎回120-130人の会員が出席する。
 打合せ会は、現役員と新会長が参加し、当日の役割分担と議事進行を確認した。採決を要する三つの議案が予定されている。想定される質疑について私なりの意見を述べた。8名の役員は全員任期1年で退任するのが通例の自治会である。現会長も昨年就任したばかりでこの総会で退任する。ここ3年ばかり現役役員としてまた議長として総会運営に関わってきた。それだけに万全を期したいという想いが強い。
 執行部の些末な手違いに執拗に突っ込みを入れる出席者もいる。不慣れな役回りに舞い上がる主婦役員もいる。そのしわ寄せは議長に降りかかる。早く終らせてほしいという多数の気分をはかりながら、質問者の面子を立てつつ議事を進めなければならない。それはそれで適度な緊張感を楽しめる役回りに違いない。

夫婦はひとり、ときどきふたり2009年04月02日

 朝9時半頃、家内がめまいがすると言い出した。元気がとりえの人である。もとい、元気もとりえの人である。いつになく元気がない。「心配やから恒生病院に行く」と言う。車で10分ばかりの所にある脳外科専門病院である。私も脳のMRI検査を受けたことがある。2年前の大病の際には健気にサポ-トしてもらった。ここは付添わねばなるまい。
 私の運転するマイカーで病院に向った。待合室で30分ばかり待って、家内は診察室に消えた。まもなく出てきてCT検査を受けると言って奥に向った。11時過ぎに再び診察室に入り検査結果を聞いたようだ。待合室に戻ってきた家内から告げられた。「特に異常はなかったみたい」。心なしか元気が戻ったようだ。会計を済ませ、処方薬を貰った頃には12時を過ぎていた。
 帰宅の途中、この辺りでは評判の良いベーカリーショップに立ち寄った。店舗に隣接して喫食スペースがあり、無料のコーヒーサービスもある。調達した出来立てパンを食べながら寛ぎの時間が流れる。
 夫婦とは、危機に臨んで否応なく寄り添うものだ。ふと何かで読んだ言葉を思い出した。「夫婦はひとり、ときどきふたり」。
 
 HP「朝来の山荘と竹田城址」をアップした。
 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/tabi-takeda-jousi.htm

雨戸を開ける2009年04月03日

 朝6時頃起床する。2階の寝室から1階のリビングに降りる。大抵は私が雨戸を開けることになる。以前は煩わしさが先にたっていたこの作業が、最近はそんなに嫌ではない。むしろ一種のワクワク感がある。東向きの窓と南向きの二組のガラス戸に雨戸がある。雨戸を開けた時、その日初めての外界が目に飛び込む。
 今日も南面のガラス戸の雨戸を開ける。庭を隔てたお向いは、尚寝静まっているようだ。雨戸の開け閉めの音は典型的な庶民の生活のリズム音である。とは言え眠りを覚ます音でもある。ご近所への気遣いが、開ける手の動作に慎重さを命じる。夜の延長線上の室内の電灯の光の中に外界の夜明けの光が飛び込んでくる。東の空が明るくて鮮やかな黄色で染まっている。ここしばらく曇り空の夜明けだった。今日は昇ろうとする朝日の陽光がまぶしい。それだけでウキウキした気分に包まれる。
 追い立てられるような現役時代には味わうことのなかった穏やかでささやかな愉悦が、リタイヤ後のゆったりした生活リズムに訪れている。

地域のさくらまつりの順延2009年04月04日

 朝の散歩道である。11時30分から開催の地域の「さくらまつり」会場のある有馬川遊歩道にやってきた。さくらはここしばらくの花冷えで満開にはほど遠い。メイン会場近くのさくらの樹にポスターが掛かっている。「さくらまつり 雨天のため明日に順延します」。「午後から雨」という阪神地区の今日の天気予報を受けての主催者の決断を告げていた。
 主催は地域の社会福祉協議会(社協)である。この地域は大きく分けて二つの地区で構成されている。大化の改新時代にまで遡る歴史のある旧地域と、1980年代以降に相次いで開発された新興住宅街の新地域である。社協も各々が分区という形で日常活動は独立して運営されている。ただ二つの分区を統合する形で支部が設けられている。「さくらまつり」は社協支部主催の行事である。 
 この地域の「まつり」は旧地域の氏神の祭礼である伝統のある「秋祭り」がある。7台ものダンジリの曳き回しを中心とした豪勢で賑やかなまつりである。ただこれは氏子である旧地域住民だけのまつりであり、新地域の住民は見物はできても参加はできない。人口では既に新地域の住民が多数を占めているのだが・・・。
 こうした背景から生まれたのが「さくらまつり」ということらしい。新旧住民の枠組みにとらわれない「新たな共通のまつり」であり、新旧住民の「交流の場」ということのようだ。フリーマーケット、屋台、地域検定、親と子の交流広場「昭和レトロ」など、各地域組織が趣向を凝らして桜並木の遊歩道に出店する。
 この地域に移り住んで20数年が経過した。リタイヤ後の昨年からは本格的に地域活動に関わるようになった。この地域の新旧住民を隔てている溝や、新地域に生まれ育った子供たちの故郷意識の希薄さが気になりだしている。私自身の中にも終の棲家となったこの地域への郷愁も芽生えている。「さくらまつり」はそうした意味で重要な地域行事であろう。 
 社協の役員の一員として今回初めてお手伝いをする予定だった。明日は家内の父を見舞うため家族と岡山に行かなければならない。貴重な体験を断念せざるを得なくなったさくらまつりの順延が悔やまれる。

青春の邂逅2009年04月05日

 義父を見舞うため娘も含めて家族で岡山に向った。4月第1日曜日である。高速道路ETC料金1000円上限割引が実施されて二週目である。しかも第1日曜日はサービスエリアの商品2割引のお客様感謝デーである。混雑を予想して8時過ぎに家を出た。山陽自動車道は思いのほか空いていた。 
 途中、車中から携帯で岡山の大学時代のサークルの先輩に連絡をとった。家内と娘が実家に立ち寄る時間を利用して先輩と久々に会いたいと思った。突然のアポだったが快諾して貰い、10時前に先輩宅近くのレストランで落ち合った。1年前に大病を患い驚異的な復帰を果たしたばかりの人だった。少しやつれた感じはあるものの、話し口調にはかっての独特の味わいが甦っている。お互いリタイヤした身ながら、今の時代背景に話題が及ぶとついつい学生時代の熱気が戻ってしまう。青春時代の垣根のない緊張感のある関わりが、40年を経て尚瞬時に立ち返られる土壌を作っている。青春の邂逅というべきか。1時間ばかりの懇談の後、家内の迎えを機に別れを告げた。
 義兄夫婦と一緒に岡山市内の病院に入院中の義父を見舞った。1ヶ月前に見舞った時は、意味不明の言葉を繰り返し家族を心配させていた義父だった。今日は依然として会話はできなかったものの意識はしっかりしている。「オジイサン!笑って」とデジカメを向けると、無邪気な笑顔が返ってきた。
 2時過ぎに、山陽自動車道を駆って帰路に着く。4時頃に立ち寄った三木サービスエリアは、さすがに大勢のマイカー客で賑わっていた。名物のアイスクリームを味わったりお饅頭やホタルイカ沖漬けを購入し2割引の恩典を活用した。

庶民派家族の食卓2009年04月06日

 岡山の義父を見舞って帰宅後の昨日の夕食は、久々に家族三人が揃って食卓に着いた。献立は霜降り牛のすき焼きである。1週間前に但馬の朝来に知人の山荘を訪ねたおりに但馬牛専門店で調達したものだ。
 家計を預かる家内には決断不能の買物である。資金源は家計と別腹の私の懐だった。出来上がったすき焼きを前にして、「太っ腹オヤジのポケットマネー」を娘に念押しする器の小さなオヤジがいた。我ながらいじましい。
 熱々に炊きあがった肉をおごそかに口に運ぶ。柔らかい!確かに違う。溶けるような歯応えが何とも言えない。庶民派家族の共通の感想が口をつく。
 残業や友だちづきあいで、このところ娘の遅い帰宅が続いていた。久々に家族全員が顔を揃えた食卓は、ささやかな幸せに包まれた。

1年で最も美しい風景を歩いた2009年04月07日

 曇り空の続いた花冷えの週が空けた。温暖な気温が戻り真っ青な空が広がった。身をすくめていた桜の蕾が大きく伸びをして花弁を広げた。ようやく桜のまぶしい季節が訪れた。散歩道の風景が1年で最も美しい季節がやってきた。 
 1年前までの桜の季節は飛び飛びの休日の散歩道だった。リタイヤ生活の強みのひとつは、散歩道の風景を日々愛でられることだ。刻々と移ろう開花の様子を確かめながら、ここ数日あちこちの桜スポットをコースを変えて散策していた。
 透き通るような青空と温もりが外装を通して肌に染みとおるような陽光に包まれた今朝の散策だった。満を持して桜スポット巡りのコースを歩いた。川面に伸びた枝先には蕾や五分咲きや開き切った花弁が混在している。川沿いの満開前の桜並木は、濃茶色の枝にまぎれてピンクが沈んでいる。小川横の左右の並木が造る桜トンネルが、いやおうなく通り抜ける者の心を浮き立たせる。遊歩道の老木の堂々たる枝ぶりに止まっていた鶯が甲高い鳴き声を響かせた。
 散歩道の風景が1年で最も美しい季節を歩いた。

地元小学校のイマドキの入学式2009年04月08日

 地元小学校の入学式に参列した。民生・児童委員宛の参列要請のハガキがきていたが、セレモニー出席が民生委員の名誉職的な匂いがあって乗り気でなかった。ところが昨晩の社協役員会で同僚の民生委員から「地域に顔と名前を知ってもらう上で貴重な機会」と教えられた。ナルホド、されば出席はやむを得まい、と思い直した次第。
 自宅から徒歩10分の小学校に9時半に着いた。校門前には大勢の新1年生とその両親たちが、校門を背景に記念写真に余念がない。殆んどが両親同伴の参列のようだ。家族にとって我が子の小学校入学は紛れもなく一大イベントに違いない。それにしても父親の姿のなんと多いことか。私の記憶の中に子供たちの入学式の風景は皆無である。時代の変化を想わずにはおれない。
 式場の体育館二階の控室に案内され、10時の開会を待った。二階から見下ろす体育館フロア上には、円形に置かれたプランターの花壇の周りを数百席ものパイプ椅子が、これも円形に配置されている。舞台に向って対面式の式場しか知らないオジサンには何とも不思議な式場と言う感は拭えない。
 20数名の来賓が校長先生に引率されて、父兄席の一角に設けられた来賓席に案内される。二階席にはカメラを構えた撮影班の父親たちが鈴成りだ。6年生が作るいくつもの花のゲートをくぐって、4クラス113名の新入生が入場する。
 校長先生が花壇の中心に置かれたマイクから新入生たちに語りかける。「初めてこんなに多くの人と生活をするみんなにとって最も大切なことを話します。『聞く』と言うことです。聞くことに集中して耳で聞いて下さい。相手の目を見て目で聞いてください。話しの内容を理解するよう心で聞いて下さい」。昨年校長になったばかりの50前後の女性である。しっかりした当を得たなかなかのスピーチだった。向きを変えて今度は保護者や来賓へのそつのない挨拶になる。
 続いて在校生代表で6年生女生徒が歓迎の言葉を述べる。驚いたのはその服装だった。Tシャツにジーパンと言う思い切りの普段着だった。式場レイアウトといい、このいでたちといい、セレモニー要素を可能な限り抑えた普段着式典がイマドキの入学式なのかと思い知らされた。
 来賓紹介になった。肩書と名前を呼ばれる。トップバッターは地元中学校の校長だった。お辞儀をするだけと思っていたら、「新入生の皆さん!ご入学おめでとうございます」と大声が発せられた。校長先生の挨拶の中での「おめでとう」の呼び掛けに、新入生たちは声を揃えて「ありがとうッ」と応じていた。案の定、中学の校長先生にも「ありがとう」が返される。こうなると二番手もお辞儀だけで済ますには余程の覚悟が必要だ。やっぱり「おめでとう」と呼び掛ける。これで決まりである。私も含めて来賓全員の「おめでとう」と、同じ数だけの「ありがとう」の応酬が続いた。
 この後、6年生の歓迎の歌、1年生の「1年生になったら」の返歌、教職員紹介、校歌斉唱と続き、無事入学式が終了した。 この間約45分だった。校長先生に連れられて二階控室に退場する。コーヒーとお煎餅の接待を受け、11時前には校門を後にした。50年ぶりに小学校のイマドキの入学式に遭遇した。

今日は地元中学の入学式という式典2009年04月09日

 昨日に続いて今日も入学式に参列した。自宅から徒歩20分の地元中学校である。地域の三つの小学校区をカバーする中学校だ。案内された来賓控室には昨日以上の人数が顔を揃え、地域の同僚民生委員をはじめ顔見知りも多い。
 10時に式場の体育館に案内された。昨日と違ってフロアの舞台前の半分を新入生用のパイプ椅子が並んでいる。後半分は父兄席だ。中学校の入学式ではさすがに父親の姿は少ない。二階席のカメラの砲列もない。考えてみれば小学入学から6年を経た父親たちだ。職場では応分に責任ある位置にいる人も多い筈。平日の入学式参列が困難な年代になっていると考えればそれも無理からぬことといえよう。
 二階席に陣取ったブラスバンド部の演奏で5クラス174名の新入生が入場する。参列者全員の国歌斉唱の後、新入生紹介と続く。クラス別に担任の先生がフルネームを読み上げ、ハイと返事を返して生徒が起立する。新入生が主役ということか、これだけに15分近い時間が費やされる。
 学校長が舞台の演壇から新入生たちを見下ろす形で式辞が始まる。やおら懐から式辞をしたためた書面を取り出し朗読しながらの式辞である。PTA会長一人だけだったが、来賓祝辞もあった。こちらも書面の朗読である。来賓紹介では各自「入学おめでとうございます」と言葉を添えるものの、さすがに新入生たちからの声を揃えた返礼の言葉はない。新入生代表の「誓いの言葉」、在校生代表の「祝いの言葉」と続く。いずれも書面の朗読である。参列者全員による校歌斉唱、校長からの1年生の担当教職員紹介で幕となる。形式重視のまさしく式典というべえき入学式が1時間丁度で終了した。
 昨日の小学校入学式との違いを感じずにはおれなかった。メインの校長挨拶は、小学校では同じフロアからのメモなしの語りかけだった。書面朗読中心の中学校の式典進行にどこか型に嵌った味気なさがあったことは否めない。対象者の年齢の違いへの配慮以上の何か大切な部分での違いを感じてしまった。

一本桜を訪ねる2009年04月10日

 今朝の散策にテーマを課した。地域の桜スポットでなく単独で咲き誇る一本桜を訪ねようと思った。満開の季節である。鮮やかなピンクの彩りが容易にその所在を教えてくれる。
 最初のポイントは丘陵地の斜面に立つ二本の桜だった。周辺を墓石が立つ墓地の中心に立っている。広がった枝ぶりが墓石を守る守護神の趣きをかもしている。
 次に目にしたのは広大な屋敷の庭に植えられた老木だった。屋敷前の道路を覆うように広がる見事な枝ぶりだ。何本にも枝分かれした根元の幹の驚くほどの太さが、この老木の積み重ねた年輪を告げている。
 旧街道沿いに建つ広大な旧家の瓦塀越しにも大木が枝を広げている。咲き誇るピンクが松の木の濃い緑と見事なコントラストをなしている。デジカメを構えていると、通用門が開いて、この家のご隠居らしきおじいさんが姿を現わした。見事な桜を称えると、「良かったら中へ」といざなわれる。樹齢は50年を超えているとのこと。
 旧道を歩いていると、鮮やかな水仙畑の黄色の帯とその奥のピンクの桜と焦げ茶の茅葺き屋根が見事な景色を作りだしていた。穏やかで心和む春真っ只中の風景が限りない安らぎをもたらした。