義母の一周忌法要 ― 2009年10月31日
義母の一周忌である。娘も含め三人で家内の実家・岡山に出かけた。10時半に始まった法要は休憩抜きで40分続いた。厚めの座布団のおかげもあって何とか正座のままで持ちこたえた。足の痺れはある限界を超えると感覚が麻痺しある種の快感すら感じてしまう。
法要には義母の弟さんと亡くなったもうひとりの弟さんの息子さんも招かれていた。私の義理の叔父さんに当たる人は、備前焼の街・備前町在住である。義母の告別式での会席以来の邂逅だった。今回の法要後の会席では他に縁戚者もいなかったこともあり話が弾み、帰路に是非立ち寄るようにとお招き頂いた。
備前町の叔父さん宅は、備前焼の窯元が点在する山あいの街にあった。叔父さんは備前町のもうひとつの伝統産業である耐火煉瓦に永く従事した人だった。そのメーカーで工場長や常務などを歴任し、今も中国に技術指導に出かけることがあるという。備前町の耐火煉瓦は明治以降に備前焼の技術を生かして発展した産業のようだ。今も備前焼の著名な窯元との交流も多いという。贅沢な造りのお宅には高価な備前焼があちこちに飾られている。敷地の塀はアンティークな雰囲気の耐火煉瓦で囲まれていた。法要後の会席で飲んだ後にも関わらず引き続いて備前焼のビアグラスで杯を重ねた。
故人の縁で新たな交遊を深めさせてもらった。
法要には義母の弟さんと亡くなったもうひとりの弟さんの息子さんも招かれていた。私の義理の叔父さんに当たる人は、備前焼の街・備前町在住である。義母の告別式での会席以来の邂逅だった。今回の法要後の会席では他に縁戚者もいなかったこともあり話が弾み、帰路に是非立ち寄るようにとお招き頂いた。
備前町の叔父さん宅は、備前焼の窯元が点在する山あいの街にあった。叔父さんは備前町のもうひとつの伝統産業である耐火煉瓦に永く従事した人だった。そのメーカーで工場長や常務などを歴任し、今も中国に技術指導に出かけることがあるという。備前町の耐火煉瓦は明治以降に備前焼の技術を生かして発展した産業のようだ。今も備前焼の著名な窯元との交流も多いという。贅沢な造りのお宅には高価な備前焼があちこちに飾られている。敷地の塀はアンティークな雰囲気の耐火煉瓦で囲まれていた。法要後の会席で飲んだ後にも関わらず引き続いて備前焼のビアグラスで杯を重ねた。
故人の縁で新たな交遊を深めさせてもらった。
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