財団法人山口町徳風会2009年09月01日

 有馬川緑道の朝の散歩道に一枚の桜の落葉が散っていた。季節を強烈に表現しているその姿に思わずデジカメのスイッチを押した。茶色に染まった葉っぱの片隅に虫食いの穴があった。巻き込まれた葉っぱの先の薄茶色が枯れ葉の趣きを漂わせていた。
 両脇を民家が続く旧街道に入った。軒先に掲示されたポスターが目に入った。「松茸山入札日のお知らせ」と題した「財団法人山口町徳風会」のポスターで、9月10日に徳風会所有の林内に生ずる松茸採取権の入札を実施する旨の案内だった。
 徳風会は旧山口村の森林組合が前身である。その後、土地や山林の寄贈を得て、昭和35年に財団法人となった。山口町の発展と町民の福祉向上を目的としている。主な事業は、「戦没者の慰霊」「山林管理」「各種団体への公的援助」「山口の歴史文化の資料展示」である。最近では「さくらやまなみバスの運行」「山口センターの開設」にも多額の財政支援を行っている。個人的にもHP「にしのみや山口風土記」執筆に当たって、徳風会運営の山口町郷土資料館を何度か訪問し情報を得たり資料を借りたりしてお世話になった。 
http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-siseki-tokuhuukai.htm
 今朝の散歩で目にしたポスターは徳風会の原点の活動とも言える「入会権」管理に属するものと思われる。入会権とは、村落共同体が、山林原野において土地を共有し、伐木・採草・キノコ狩りのなどの共同利用を行う慣習的な権利である。旧山口村の以来の古くからの村落共同体としての機能が徳風会という財団法人に色濃く残されている。相次ぐ町村合併によって基礎自治体がどんどん広域化する過程で、地域に根づいていた土着の伝統や風土や文化が風化しがちである。集権化から分権化の流れの中でローカリズムがあらためて見直されている。徳風会の機能と役割に注目したいと思う。

見慣れぬ隣人ご夫婦の後姿2009年09月02日

 朝の散歩を終えて住宅街の自宅近くに戻ってきた。向こうから二匹のプードルを連れた見慣れぬ顔のご夫婦がやってきた。私より幾分若そうなご主人とその連れ合いのようだ。ご主人が二本のリールを握り、奥さんは糞の処理袋を手にしている。リタイヤ直後とおぼしきご主人の新しい生活のひとこまが夫婦の朝の散歩となったのだろうか。隣人のはずなのに見慣れぬ顔ぶれのわけをそんな風に勝手に解釈した。
 曲り角を先に曲がったご夫婦の後姿がなんともいえない風情をかもしていた。デジカメに収めた画像からは、おそらく成長して家を出て行った子供たちに代わって、新たな家族となった二匹の愛犬たちのはしゃぎぶりがうかがえる。愛犬たちは、幾分メタボ気味のお二人のダイエットの手助けをしているのだから、多少はしゃいだところで咎められることはない。背後には二人が歩んできた道のりがあり、正面にはこれから進むはずの道のりがみえる。
 人生の最も成熟した豊かな時期を愉しんでいるかにみえる微笑ましい風景を見た。

地上250mの都心の絶景2009年09月03日

 今日から一泊二日の東京出張である。労働委員会労働者委員の新人研修だ。会場の東京・労働委員会館の近くにはまだのぼったことのない東京タワーがある。これを逃す手はないと早朝に自宅を発って10時過ぎには最寄り駅のJR浜松町に着いた。予約ホテルのメルパルク東京に荷物を預け、徒歩10分程の東京タワーに向かった。
 さすがに正面玄関前には引っ切りなしに大型観光バスが発着している。大展望台と特別展望台のセット券を購入してエレベーターに乗る。地上150mの大展望台で降り、1階上のフロアから特別展望台行きのエレベーターに乗り換える。降りた所には地上250mの360度の絶景があった。真下には増上寺の広大な伽藍の屋根が行儀よく並んでいる。高層ビルの隙間に国会議事堂の見慣れた姿が見える。新名所の六本木ヒルズが間近に迫る。レインボーブリッジや羽田空港も遠望できる。とはいえ残念ながら曇り空である。見えるはずの富士山の勇姿は望むべくもない。
 会議までまだ時間がある。近くの愛宕神社を訪ねることにした。ビルの谷間にある参道正面には見上げるばかりの急階段がある。境内の由緒記を読んでこの階段のことを合点した。幼い頃ラジオの講談で聞いた「寛永三馬術」に登場する階段だった。曲垣(まがき)平九郎が徳川家光の御前で馬でのぼったというアノ階段だったのだ。また幕末には勝海舟が西郷隆盛をこの山上に誘い、江戸市中を見渡しながら江戸城無血開城に導いたという由緒記記載の故事も司馬遼太郎の小説で読んだ記憶がある。
 そろそろ時間だ。一旦ホテルに戻り荷物を受け取り、昼食を済ませて会場に向う。会場の労働委員会館は増上寺の斜め向いの日比谷通り沿いにあった。7階講堂には全国の府県労働委員会からこの研修未受講の労働者委員が続々と着席する。「第13回労委労協中央研修会」がこの研修会の正式名称である。渡されたレジュメには77名の参加者名簿が記載されている。13時から開催された研修会は「労委労協の活動報告(事務局長)」「不当労働行為救済制度の意義と内容(日本労働弁護団会長)」「労働委員会の任務と課題(東京都労委会長)」と続く。1年半前に労働者委員に就任して以来、初めて本格的な研修を受講した。日常の労働委員会での審査・あっせん活動を通じて経験的に学んできた知識を体系的に理解する上で貴重な研修だった。
 17時に初日の研修を終え、すぐ近くのホテルに戻りチェックインを済ませ夕食に向う。生ビールと焼肉定食の夕食を済ませ、周辺を散策する。19時前には部屋に戻り、入浴を済ませベッドに横になる。久々の東京出張初日の2万歩近い歩数の疲れを感じながら眠りに就いた。

徳川家の菩提寺・増上寺と築地本願寺2009年09月04日

 東京のホテルのベッドでいつものように5時過ぎに目が覚めた。会議開始の9時までたっぷり時間がある。身支度を整えて6時45分にホテルを出て増上寺に向う。
 少し迂回して通常の参拝ルートである大門をくぐって正面の三門をめざす。すぐ南の黒門(旧方丈門)を見て三門(三解脱門)を仰ぎ見る。江戸初期建立の重要文化財の朱塗りの堂々たる楼門である。東京国際女子マラソンのコース前にあり毎年目にする建物でもある。楼門を抜けると広大な境内の正面に再建された新しい感覚の浄土宗大本山の本殿の威容がある。この建造物の最大の特徴は東京タワーを借景としていることではないだろうか。グレーの甍の横に建つ赤い巨大なタワーの見事なコントラストに見とれてしまう。本殿前に建つ法然上人の幼少の銅像を見ながら本殿内の本堂に入る。折りしもお勤めの時間だったのか大勢の寺僧と信徒を前に説法が行なわれていた。鐘楼堂の江戸初期に鋳造されたという大梵鐘を仰いだ。江戸時代の川柳に「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」とうたわれ庶民に親しまれた梵鐘である。
 増上寺を後にして築地本願寺に向った。不慣れな道をマップ片手に探しながらの道のりはさすがに長かった。汐留駅北側を抜け途中右手に今話題の築地市場を見ながら進む。7時前の早朝ながら路上には欧米からの観光客が驚くほど多い。道路沿いの屋台風の飲食街でもラーメンやまぐろ丼などを味わっている。
 築地本願寺に着いたのは7時頃だった。正式には浄土真宗本願寺派の築地別院ということになる。江戸初期に西本願寺別院として浅草に創建されたが、明暦の大火で焼失後、現在地で再建された。関東大震災直後の火災で焼失し昭和9年に現在の建物が再建された。大理石彫刻がふんだんに用いられた石造りの天竺様式の建物は、日本の寺院としては特異な伽藍である。本堂内に入るとここでもパイプ椅子に座った大勢の信徒を前に朝のお勤めが行なわれていた。
 帰路はさすがに歩きつかれて電車に乗ることにした。都営浅草線の東銀座駅から二駅の大門駅で下車しホテルについた。7時半頃にようやく朝食バイキングにありついた。8時15分からの朝の連ドラを見終えてチェックアウトし研修会場に向う。
 二日目の研修は各府県労委の先輩労働者委員による事例報告中心の実務的な講演だった。北海道と愛知の労働者委員お二人から、不当労働行為事件と調整事件の手続きや実務についてそれぞれ報告があった。10時半頃にはお二人の報告が終了し、質疑や意見交換の時間がたっぷり設けられた。愛知の講師の報告にあった個別紛争事件とその受け皿機能となっている合同労組問題について所見を交えて意見を述べた。「労委労協事務局としてもこれらの事件のスタンダードな対応事例を整理するとともに合同労組の主力である連合加盟外の組織との連携を模索してはどうか」といった提案である。
 11時15分、予定より幾分早く研修会が終了した。浜松町経由で品川駅に着いた。娘からのお土産オーダーは東京バナナのロールケーキだった。品川駅の売店では「東京駅と羽田空港だけの限定品です」とのこと。やむなく通常の東京バナナで済ませ、缶ビールロング缶とお弁当を買い込んで「のぞみ」に乗車する。最後の寛ぎのひと時を半分眠りながら過ごした。

亭主元気で家に居る?!2009年09月05日

 昨日の夕刻、出張を終え帰宅した時だ。家内がパソコンにセットしていたヘッドセットを手にして話しかけた。コードの途中が切れて本体とプラグ部分がオサラバしている。ややバツが悪そうに家内の解説が始まる。
 「昨日夕方に久しぶりに近所の友だちみんなとウチでお茶してたんや。いつもお父さん家に居てるから、行ってばっかりやろ。出張の昨日久しぶりに来てもろたんや。そやけど○○さんとこの子犬がチョッと目を放しているスキに、コードを喰いちぎってしもたんや」 
 ひととおり言い訳を聞いて、私のリタイヤ後の家内の気分がよくあらわれていると思った。それまでの家内の日常生活は、友人たちとお互いの家を行き来しながらおしゃべりに花を咲かせることで無上の愉しみを味わっていたに違いない。「亭主元気で留守がいい」を地でいく「我が世の春」だったのだ。ところがリタイヤ後の私の生活は、労働委員会や民生委員の業務で単発的な外出はあるものの、多くは自宅で過ごしている。我が家の1階の間取りは開放的なLDKと和室である。デスクトップ・パソコンと大型テレビがあるリビングに居座る時間が圧倒的に多いことになる。「亭主元気で家に居る」わけである。
 ヘッドセットのコード修復を試みたがカッターナイフで指先を切るのがオチだった。あきらめて○○さんの費用負担するというお言葉に甘えさせてもらって新たに購入した。ひときわ音響がよくなりすこぶる満足している。家内には「元気な亭主」に満足してもらい、「家に居る亭主」にはあきらめてもらうしかない。亭主のタマにある外出・出張を虎視眈々と窺ってもらうことにしよう。

散歩道の始めと終わりの幸運2009年09月06日

 日曜の朝の7時前である。どこまでも高い抜けるような青空が広がっている。雲ひとつないこれほど澄み切った空を散歩道で眺めたのはいつのことだろう。
 新天上橋を渡り有馬川緑道に入ろうとした時、郵便局横の大ケヤキが目に入った。濃い緑に包まれた大きな枝ぶりが真っ青の空をバックに見事に浮かび上がっていた。少し横手に御旅所の二本杉が行儀よく並んで上半身をのぞかせていた。大ケヤキと二本杉をこれほどくっきり被写体に収められたのは初めてだった。
 散歩道の終点近くの住宅街下の貸し農園付近にやってきた。貸し農園での農作業を終えたばかりのご近所の旦那さんと合流した。篠山の里山で山菜狩りをご一緒した方だ。いつも朝の散歩で挨拶を交し合っている。今日も挨拶を交わしながら収穫したばかりの三本の茄子を戴いた。様々な形で付き合いの輪が広がることに無性に嬉しくなった。
 散歩道の始めと終わりの幸運が今朝の浮き立つ気分を運んできた。

時代の流れをリンクする三つの出来事2009年09月07日

 市大病院でのCT検査の日だった。12時前に検査を終えて徒歩20分ほどのところにある出身企業の本社ビルに向った。ビル内の労組事務所を訪ねるためだ。
 現役時代、その半分を出身企業の労組役員として過ごした。1年半前にその経験を買われて、出身労組顧問の資格で労働委員会労働者委員に就任した。顧問の立場で年1回の労組定期大会では短時間の活動報告を行なうことになっている。3日後にその定期大会が開催される。今日の訪問で報告の調整をしておこうと思った。
 事務所で委員長、副委員長と懇談した。労組は今年の定期大会を機に新たなスタートを迎える。一年間の取組みを通して5000名ものパートタイマーの組合加入を果たした。名実ともに企業の働く者を代表する組織に脱皮した。その取組み結果の概要を委員長から聞いた。
 私からは最近の労働委員会の特徴的な動向を話した。取扱い事件の多くが正社員の企業別労組と使用者との集団的労使紛争から、個人加盟の合同労組による非正規社員の個別労使紛争にシフトしている点である。
 おりしも国民の圧倒的な支持を得て民主党政権が誕生した直後である。その最大の背景は、「市場原理」「自己責任」を軸とした小泉構造改革に対する審判だと思う。未曽有の格差社会を生み出し、医療や介護現場を荒廃させ、地方の疲弊を招き、環境破壊を推し進めた。国民はその悲惨な現状の修復を民主党政権に託したのだ。
 出身労組は連合に加盟し民主党政権を支える側に立っている。それは選挙応援にとどまるのみでは十分ではない。自らの寄って立つ基盤と取組みを通して国民が託した課題達成の一翼を担えれば、それは民主党政権の安定化に寄与することになるだろう。その意味で今回のパートタイマーという非正規社員の正社員を上回る規模での組合加入の達成は極めて時宜を得た貴重な一里塚に違いない。
 私が実感した労働委員会での非正規社員の個別労使紛争の頻発という現実が、民主党政権誕生の背景要因の一つをなし、出身労組の基盤強化の達成が、民主党政権の安定化に寄与する。時代の流れを構成する三つの出来事がリンクしたと思った。委員長に伝えた私のそんな感慨が共有化された。定期大会での私のスピーチの骨格が固まった。

慌ただしい毎日が続く週2009年09月08日

 慌ただしい毎日が続く週である。昨日月曜日は朝から市大病院でCT検査を受け、その足で出身企業の労組を訪ねた。3時からは労働委員会のある事件の第二回審問だった。今晩は大阪で異業種交流会がある。明日は市大病院でCT検査の結果が告げられる診察が待っている。その後、夕方の労働委員会定例会までを映画を観て過ごすことになる。木曜日は昼前から夜にかけて大阪で出身労組の40周年記念大会がある。金曜日には地元で民生委員の定例会に出席する。
 一週間の内5日を外出することになるという慌ただしさである。とはいえこれを慌ただしいと感じる今の気分は間違いなくリタイヤ・オヤジのものである。リタイヤ生活に入って1年4ヶ月が経つ。週6日出勤さえも苦にもしなかった現役生活は今は遠い。心身ともにその生活にドップリ浸りながら馴染んでいる自分がいた。

ロマンと現実の葛藤ドラマ2009年09月09日

 毎月定例開催の異業種交流会の8月例会は、お盆休みで休会だった。昨晩、2ヶ月ぶりの9月例会が開催された。今回の講師は㈱イーハトーヴの社長である西谷尚之氏で、「経営の危機を乗り越えた社長の苦悩と取組み」がテーマだった。開会直後に、紹介者のK代表幹事から「理念経営の大切さと強さを身をもって実践された社長」といった力のこもった講師紹介がある。
 講師のスピーチが始まった。現在44歳のベンチャービジネスの代表者である。頂いた経歴・職歴表には、多彩で波乱に満ちた人生が刻まれている。『華道未生正流の3代目家元の息子として誕生。12歳からカメラで宇宙を撮り始める。プロの写真家を目指し15歳からアルバイトを始める。大学入学後、自然を求め放浪の旅に。21歳の時にオーストラリアに遠征し、撮り貯めたハレー彗星や自然の作品が共同通信等のメディアで配信される。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業を機に自然科学啓蒙のための起業を志す。25歳で(有)イーハトーヴを設立し写真撮影とスライド製作業務を開始。28歳からプラネタリュウム番組制作を手がける。その後、株式会社への改組や自然科学教育ソフト開発等の業容を拡大。39歳の時には家業の華道家元を正式に引き継ぐ』
 この表面的には順調に見える事業経過の裏側の悲惨な実態が、講師自身の口から語られる。『自然科学を楽しく学んでもらいたいという夢を実現するため、仲間たちと学校向け教育ソフト提供事業に乗り出した。進学授業中心の現実の前で莫大な借金を背負うことになった。パンと牛乳の食事が続き、仲間や従業員が離れていき、離婚という現実も受入れた。赤字経営が続き従業員の給料遅配を前に自身の保険金での精算さえ考えたり鬱病に陥ったりというどん底を味わった。夢ばかり追ってマーケットを見ず足元を固めずに突っ走った報いだった。
 厳しい事業再建の取組みを経て、たった一人の事業となってようやく立ち直ることができた。『自然と人間を結びつける仕事をしたい。子供たちに宇宙や星や科学技術への夢を持ってほしい。そのためのお手伝いがしたい』。そんな「私自身の夢」が支えだった。経営再建を通した過酷な経験が、そんな夢をようやく形にできる土台をつくっている。一息ついた今、気がかりなことがある。最近のマスコミがどの機関も余りにも同じような論調で同じ事件ばかりを追っている点だ。偏向報道ではないかとすら感じる。天文学や自然科学は多面的に物事を眺める視点が不可欠だ。その意味では最近のマスコミ報道は自然科学の前提を崩しかねない危険性を感じる』。
 30分のスピーチが終った。参加者からの質問が相次ぐ。面白かったのは会場の床の間に飾られた生け花についてコメントを求められた時だ。さすがに華道家元でもある。即座に華道の基本に沿って自身の感想を交えた辛口の論評が返ってきた。イーハトーヴという社名の由来も伺った。講師が尊敬する作家・宮沢賢治の作品に登場する「理想郷」を意味する言葉に由来するという。文学と自然科学と農業と宗教を結びつけた宮沢賢治という人物の側面を教えられた。
 宇宙というロマンとベンチャービジネスという現実の赤裸々な葛藤のドラマを味わった9月例会だった。

治療中の一喜一憂2009年09月10日

 昨日朝、市大病院で主治医の診察を受けた。二日前のCT検査の結果を聞くためだ。一カ月以上前に発症したヘルペスの脇下と背中の痛みが尚残っていた。こんなに続くものだろうかと再び不安が頭をもたげつつあった。やっぱりリンパ節に転移していたのではないか。そんな気分で恐る恐る診察室に入った。
 主治医の若い女医さんは、開口一番ヘルペスのその後の経過を尋ねる。「痛みは大分治まってますがまだ残ってるんです。特に切除したリンパ節あたりが・・・。転移の心配はないんでしょうか」「CT検査の結果は問題ありません」(良かった~ッ)「切除跡の右脇下に少ししこりがあるような気がするんですが・・・・」「じゃあ診てみましょう。横になってください」。左右の脇下を較べるように触診しながら、「チューブを挿入した時の傷が残っているようですネ。特に心配ありません。ヘルペスの痛みは個人差もありますが長い人は2ヶ月ぐらい続くこともあります」。癌治療中の身には健康上の些細な異常も気にかかる。そのつどうろたえ一喜一憂するものだ。今回は一喜しながら病院を後にした。
 夕方の労働委員会定例会までの時間を、なんばパークスシネマで「ナイト・ミュージアム」を観て過ごした。アメリカのワシントンDCにある巨大博物館を舞台にしたファンタジーだ。時間潰しには適当な二時間ばかりのドタバタ劇を楽しんだ。本当は「里山」を観たかったのだが時間が合わず断念した。