東山弥右衛門之墓を訪ねた2012年06月27日

 先週、宮水学園塩瀬講座「和紙の里・名塩」を受講して、名塩和紙のルーツのひとつとされる東山弥右衛門の話をあらためて聴いた。名塩和紙の紙漉き業者たちが江戸末期の安政2年に弥右衛門の墓石を建立した。その碑は今も残されているというが、まだ訪ねたことがない。
 昨日、大阪に出かける途中で、その碑を訪ねることを思い立った。所在地はネット情報では分からず、名塩和紙資料館に勤務する知人から情報を得た。バス停・名塩西ノ口の東側の交差点の北方向の山側坂道を上がった。道なりに進み突き当たりを西に折れ、浄水場の円形の白いタンク手前の坂道を上ると正面に墓地が見える。
 墓地入口の広場の西側正面に一目でそれと分かる立派な墓石があった。玉垣に囲まれた一段高い墓所に墓石が建てられている。墓石正面には「紙職元祖・東山彌右衛門之墓」の碑文が刻まれている。墓石の左右背面にもぎっしり碑文が刻まれているが判読は困難だった。唯一右側面の「安政二年・・・建立」の文字が読み取れた。
 入口広場北側正面に、14基もの卵塔が並んでいた。卵塔は僧籍にあった人の墓石である。名塩という小さな村にこれほど多くの卵塔が残されているのも、名塩御坊をはじめ三カ寺もの寺院が現在もあることに由来している。
 広場東側の樹林を抜ける坂道に入った。すぐに左右はうっそうと生い茂る竹藪になる。笹の枯葉でで覆われた急な下り坂を用心しながら降りると舗装路に出た。くらがり街道とも呼ばれた旧・丹波街道だ。すぐ東側で国道176号線に合流している。JR西宮名塩駅まで15分ばかりを歩き大阪に向かった。束の間の史跡探訪を愉しんだ。